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アオイ・ランセル

「お前ら、絶対に彼女の側に寄るんじゃないぞっ!?」


 ヒナを連れて魔王城に到着した蒼壱は、魔物達相手にそう牽制した。魔物達は魔王の指示に従順に頷き、お客様の為にとレースのついたクッションをいくつか持って来て差し出した。禍々しい姿とは異なり、従順で嫌に謙虚な様子だ。


「聖女様をこんな気味の悪いところに連れて来ちゃって申し訳ないんだけれど、他に行く場所も無くて」


 蒼壱はすまなそうにそう言うと、魔物が持ってきたクッションを受け取り、ヒナの側へと置いた。暗く殺風景な様子の魔王城に、一角だけファンシーな空間が広がる。とはいえ、ランセル家の豪華で明るい様子の足元にも及ばない。カーペットは古びているし、石造りの壁や床は武骨で、揺らめく蝋燭の灯りも心許ない。

 ヒナは辺りをキョロキョロと見回した後、蒼壱の袖を引っ張った。


「蒼壱様、全然大丈夫ですよ。王宮の地下よりもずっとマシだもの」

「はぁ!? そんなに酷い所に閉じ込められてたの!?」


 素っ頓狂な声を上げた蒼壱に、ヒナはクスクスと笑った。


「ええ。窓がありませんでしたもの。それに、独りぼっちだったのよ? 寂しいし暇だし不安だったわ。ここの方が()()()も居るし、ずっと快適よ」


ヒナの言葉を聞いて、蒼壱は白い仮面を外した。頭部に伸びる角や、背に生えた漆黒の翼はそのままの状態だったが、ヒナは蒼壱の顔を見て嬉しそうに微笑んだ。


「どうして魔王が俺だって分かったの? 華から聞いた?」

「いいえ。好きな人のことですもの、見間違えたりなんかしないわ」

「え……? い、いや! ヒナが好きなのは俺じゃないだろう!?」


——華が扮する稀代の英雄アオイ・ランセルを、ヒナを想っているはずじゃないか。


 困惑しながらも、蒼壱は冷静になろうと深呼吸をし、ヒナにクッションの上へと座る様に促した。が、ヒナは応じずに、拗ねた様に唇を尖らせた。


「そんな言い方されたら傷つくわ。私、最初からずっとアオイ様が好きなのに。二人が入れ替わってた事も、なんとなく気づいていたもの。王妃教育の時だって、とっても親切にしてくれて嬉しかったのよ?」

「ええっ!?」


——そんなに前から気づいてたの!? じゃあ、女装も完全にバレてたってこと!? うっわ、はっずっ!!


「独りぼっちで不安で堪らなかった私を、アオイ様はいつも助けてくれたし、優しくしてくれたわ。そんな人を好きにならないはずがないでしょう?」


蒼壱はカッと顔を赤らめると、ガシガシと頭を掻いてヒナから離れ、部屋の端に置いてある椅子へと掛けた。シンプルで何の装飾も無い椅子だが、頑丈そうな作りだ。


「……そういうの、止めてよ。本気にするかもしれないじゃないか」


蒼壱は動揺する自分を落ち着かせようとしてそう言うと、ふぅとため息をついた。女装する男だなんて、変態以外の何者でもない。ヒナに対する淡い恋心は完全に砕け散り、灰になってサラサラと風に舞っていく様な絶望感を味わっていた。


「酷いわ! 本気なのに。アオイ様は私の事が信用できないって言うのかしら!?」


ヒナは傷ついた様に瞳を潤ませて蒼壱を見つめた。ドキリとして蒼壱は視線を逸らし、自分を落ち着かせようとコホンと咳払いをした。


「いや、ちょっと待って? 魔王に恋する聖女様だなんて、聞いた事無いよ。しかも女装する変態だよ? 自分の言ってる事解ってないでしょ?」

「あら、皆相手の事なんて良く知らないで好きになるんじゃないかしら?」


——まいったなぁ……。彼女、思ったより口が達者だぞ……。


 困った様にため息をついた蒼壱に、ヒナはニッコリと微笑んだ。流石ヒロインというべきか、思わず心臓がときめく程に眩い笑顔だ。


「アオイ様は、本当に優しいわ」

「……は? どうして!?」

「私ね、考えてみたの。もし自分が魔王だったらどうしたかしらって」


ヒナは聡明そうな瞳を蒼壱へと向け、困った様に眉を下げた。


「華から聞いたの。アオイ様と二人、現実世界からゲームの世界に来ちゃったわけなのでしょう? それなら、この世界を大切にする義理なんか無いんじゃないかって。元々この世界の人間じゃないのだもの。どうだっていいことだわ」


ヒナの言葉に蒼壱はドキリとした。恐らく自分が一度考えて破棄した事と同じ考えを、彼女は今言おうとしていると気づいたからだ。


「待って、ヒナ。ひょっとしてそれは……」

「魔王らしく、ヒーローとヒロインを殺してしまえば直ぐにバドエンドになって、二人は現実世界に帰れるかもしれないわ。それが二人にとって、一番デメリットが無くて、手っ取り早い方法なはずでしょう?」


 ズバリと言い切るヒナを前に、蒼壱は戸惑いながら乾いた笑いを発した。


「……華には、きっと想像すらできなかったルートだと思うけれどね。確かに一度だけ考えた事があるよ。でもまさかヒロインの口から聞く事になるとは思わなかったけれど」

「どうして実行しなかったのかしら? アオイ様の力があれば簡単だったはずでしょう? 稀代の英雄として、ヨハン様に近づく事だって簡単に出来たはずですもの」


押し黙る蒼壱に、ヒナは細い腕を伸ばしてそっと優しく抱きしめた。


「そうしなかったのは、アオイ様が優しいからでしょう?」

「違う、俺が不甲斐ないからだ! 本当は解ってたさ。けれど出来なかった。早く現実世界に帰らなきゃ。華を帰さなきゃって思ってたくせにさ!!」


 声を震わせる蒼壱を抱きしめながら、ヒナが静かに言った。


「私が、アオイ様にとって本当にゲームの中の住人でしかないのなら、殺す事なんて簡単に出来たことだと思うわ。だから、アオイ様はひょっとして私を想ってくださっているのかしらって。それならきっと、壇上から飛び降りる私を助けてくれるはずと思って賭けたのよ」


 ヒロインの死を望んでいるのならば、助けないはずだ。ヒナは命を張った行動に出たのだ。


 優しく蒼壱の頭を撫でながら、「駆けは、私の勝ちよね? そうでしょう? アオイ様」と、ヒナは言い、瞳から涙を零した。

 自分がゲームの登場人物でないのなら、蒼壱にとって自分の存在価値など無いに等しい。それでも諦めきれないこの気持ちを、ヒナは命を賭す事で確かめたのだ。

 蒼壱は彼女にそんな行動をさせてしまった自分を悔いた。


「……どうしたら、君や華を傷つけずに現実世界に帰れるか。そればかりを考えていたんだ」


——本当は不安で押しつぶされてしまいそうだった。華だけはどうにかして帰さなきゃって……。


「賭けは確かに君の勝ちだよ。俺は君を傷つける事なんかできない。ゲームの中のキャラクターだって解っていても、好きになっちゃったんだから。それなら俺ができることは一つだけだ。魔王として殺されてエンディングを迎える事」


 ヒナを殺す事など蒼壱にはできはしない。それならば、自分が殺されるしかない。そうでしか、このゲームのエンディングを迎える事が出来ないのだから。

 華だけは、絶対に現実世界に帰すのだと、蒼壱は強い決心の元、ニコリとヒナに微笑みかけた。


「結局、傷つける事になっちゃってごめん」


 ふわりとした心地の良い光が蒼壱を包み込む。ヒナが神聖魔法を蒼壱に掛けたのだ。


「……ヒロインに殺されるなら本望だよ」


一切の抵抗をせず、蒼壱は神聖魔法に包まれながら瞳を閉じた。

 このまま消えてしまえばどうなるだろうかと、考える事にももう疲れてしまった。


 ただ、恋した人の腕の中にこうして居る幸せを味わいたい。ここがゲームの世界であろうと、夢であろうとどうでも良い。


——俺は、ヒナが好きだ。それだけが揺らぎようのない事実なんだ。幻や偽りしかないこの世界で、強く痛い程に刻み付けられた感情なんだから。


 ゲーム上の魔王の気持ちなんて、考えた事無かったけれど。ヒーローやヒロインに殺される気持ちは、やるせないようでいて、自分という主人公の終わりを彩る最高の演出なのかもしれない。


「華が教えてくれたの。アオイ様の角が欠けているって」


ポツリと呟く様に放ったヒナの言葉に瞳を開いた。


——角が欠けて……? この姿で鏡なんて見ないから気づかなかったな。でも、そんなこと、どうでもいいことじゃないか。


「触れてみてくださるかしら?」


 ヒナに促され、億劫そうに頭部へと手を伸ばした。が、あるはずの角が消えている事に気づき、蒼壱はハッとして両手で頭部をまさぐった。


「あれ? 角が……」

「私の神聖魔法を受けた時、恐らく消えたのかと思ったのよ。だから試してみたの。上手くいったわ」


ふと見ると、背に生えていた漆黒の翼も完全に消えていた。蒼壱が驚いてヒナを見つめると、彼女は優しく微笑んだ。


「やっと役に立てたわ! アオイ様。貴方はもう、魔王なんかじゃないわ! 悪役じゃなく、私のヒーローなんですもの!!」


 そう言って宝石の様な涙を瞳に浮かべたヒナを、蒼壱は思わず抱きしめた。


「アオイ様……?」

「ごめん」


戸惑うヒナを抱きしめながら、蒼壱は言葉を放った。


「俺……。諦めてたのに」


 自分が魔王であると分かった瞬間、絶望に包まれた。


ハッピーエンドはあり得ないのだ、と。


「諦めるって、私を?」


蒼壱の腕の中で頷く様子をその身で受け、ヒナは唇を噛みしめた。


「ごめん。本当に弱くて嫌になる。ヒナも華も皆強くて運命に抗おうと懸命だってのに。自分さえ犠牲になれば、丸く収まるんだって早々に諦めてしまったんだから」


蒼壱は「けれど……」と続けると、ヒナを見つめて笑みを向けた。


「もう諦めない」


ヒナは身を乗り出して蒼壱の唇にキスをした。


アオイルートが成立したのだ。

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