聖女叙任式② —婚約破棄—
ヒナの聖女叙任式は厳かに執り行われた。純白の聖衣を纏ったヒナが、ヒルキア国王と王后、そしてヨハンの前で跪き、国王の手から聖笏がヒナへと授けられると、会場内は拍手喝采で沸き起こった。
「これで魔王にも対抗できますな」
「聖女様のお力があれば安泰です」
「ヒルキアの未来は明るい」
「聖女様のご加護が賜ります様」
招待客達は口々にヒナを称える言葉を吐き、蒼壱と華はそれを耳にしながら不満に思ったものの、拍手をした。
「なんか、皆自分の身の事なのにヒナに頼り過ぎじゃない? ヒナがか弱い女の子だってこと、忘れてるっていうか、考えない様にしてるっていうかさ。頭きちゃうなぁ」
華はそう言いながら壇上に居るヒナを見上げた。背も低く華奢なヒナの身体には聖笏が大きく見える。
「妄信的だよね。まあ、どうせゲームのストーリーでしかないわけだし、皆ただのモブだよ。気にする事なんかないさ」
蒼壱は明らかに苛立っている様だった。自分が想いを寄せる女性の肩に、重すぎる程の重圧をたった今課せられた上、それを当然の様に周囲は称賛しているのだから無理も無い。
そんな蒼壱の様子を見て、華は少しだけ安心した。魔王になったとはいえ、蒼壱は蒼壱だ。誰よりも思いやりがあり、間違った事を良しとしない自慢の弟。猪突猛進型の華とは違い、冷静に考え抜いて判断しながら、いつも適格な行動をとる蒼壱だ。
「そういえば、フォルカーとミゼンの姿が無い様だけれど……」
蒼壱が不思議そうに辺りを見回しながら言った。
「あれ? まだ戻ってないんだ? あの二人なら、中庭で仲良さげに話してたから、置いてきちゃった」
——仲良さげって、それは華の勘違いな気がするけど……。
「この後はダンスパーティーだよね? ヨハンはいつ華との婚約破棄を公表するつもりなんだろう?」
蒼壱の言葉に華はムッとして唇を尖らせた。
「嫌な言い方! 私とじゃなく、ハンナとでしょ!?」
「ああ、まあそうだね」
蒼壱は軽く流しながらも、——そうは言っても婚約破棄されるのは華じゃないか——と心の中で続けた。
華が傷付く姿を見るのは正直辛い。だが、ヨハンへの想いは断ち切るしか無い。
複雑な気分で唇を噛みしめていると、華が突然手をぶんぶんと大きく振り回した。蒼壱がぎょっとして顔を上げると、ヒナがこちらを見ている様子が伺い知れた。
「聖女ヒナ!! 素敵っ! カッコイイ!!」
元気に叫ぶ華の腕を慌てて引き、蒼壱は顔を真っ赤にした。
「華! 何やってるのさ!?」
「何って、応援?」
「止めてよね、恥ずかしいからっ!!」
「えー? どうして?」
蒼壱に窘められている華を見て、ヒナはくすくすと笑った。集まっていた貴族達からも失笑が漏れ聞こえ、蒼壱は増々顔を真っ赤にした。
国王が咳払いをすると、宰相であるランセル公爵が申し訳なさそうに「静粛に!」と、声を放った。
会場内が静まり返り、いよいよヨハンとハンナの婚約破棄が告げられるのだと分かった。華は緊張の為唇を噛み、震えを押えようと、ぎゅっと拳を握り締めた。緊張と不安で押しつぶされそうな気を紛らわせようと、先ほどは敢えて元気に振舞ってみせたのだ。
それでも、脳裏に浮かぶのはヨハンとの思い出ばかりだ。
——こんなに心が痛いなんて。ヨハンの事が好きだなんて、気づかなければ良かった。悪役令嬢って、損な役回りだよね。どんなに頑張ったって、絶対に報われない立ち位置なんだもの。
チラリと国王の隣に居るヨハンへと視線を向けた。彼は何処を見ているのか、真っ直ぐと視線を向けたまま、華の方を見る事無く、微動だにせずにきゅっと口元を真一文字に結んでいた。
いつものヨハンだ。真面目過ぎる程に誠実で、決して揺るがない強い意思を持つヒルキア王国第一王子。華はヨハンがこちらを見ない事をいいことに、じっと見つめた。
——かっこいいね、ヨハン。私、これから婚約破棄されちゃうのに、バカみたいだけど。でも、凛々しくて真っ直ぐなヨハンが好き。私がこの世界に居る限り、必ず貴方を護り抜くからね。
壇上で国王がゆっくりと唇を動かした。
「皆に伝えねばならぬことがある。それは、ヒルキア王国第一王子ヨハン・グレイナス・ジェローム・ヒルキアと、ハンナ・ランセル嬢の婚約についてである」
——少しの間だったけど、偽物とはいえヨハンの婚約者になれて良かった。
国王の言葉を聞きながら覚悟し、華は唇を噛みしめて俯いた。
「この度、二人が……」
「正式に、婚姻することを、ここに公表する」
王の言葉に被せる様に、ヨハンが大きくハッキリとした口調で言った。
王と宰相は驚いてヨハンへと視線を向けたが、ヨハンは真っ直ぐと視線を前方に向けたまま、毅然として手を掲げた。
「聖女叙勲式というこの場を借りて、祝い事に便乗する様な形となってすまぬが、共に祝ってくれると有難い」
——嘘……ヨハン、今何て……?
招待客達はわっと沸き上がり、拍手とお祝いの声が会場内を埋め尽くした。
「ヨハン第一王子殿下、おめでとうございます!」
「ハンナ嬢、おめでとう!!」
「なんと素晴らしい日なのでしょう!」
華は唖然として祝福に包まれながら壇上のヨハンを見上げた。ヨハンはふと華へと視線を向けると、生真面目な表情を柔らかく崩し、笑みを向けた。
——え……。私、どうしたら……。
「ハンナ嬢、皆が祝福してくれたぞ。さあ、私の元へ」
ヨハンが手を差し伸べ、華は拍手に送られる形で壇上へと上がった。手を取り合う二人に会場中からお祝いの言葉が浴びせられた。
「ヨハン、どういうこと……?」
恐る恐る聞くと、ヨハンはエメラルドグリーンの瞳を華へと向けてニコリと微笑み、そっと華に耳打ちした。
「私は、何があろうとも決してそなたを離さぬと誓ったはずだ」
「でも、王位継承権が……!」
「案ずるな。ほら、ここからはそなたとヒナ嬢の計画通りだ」
「私にも便乗させてください!」
ヒナがすっと手を挙げてそう言うと、ポカンとしている蒼壱を見下ろした。
「蒼壱様! 私と結婚してください!!」
会場内が更に沸いた。
蒼壱は暫く状況がつかめずに唖然としていたが、顔を真っ赤にしてたじろいだ。周囲から「稀代の英雄、アオイ・ランセル卿は初心だ」と囃し立てられ、蒼壱はごくりと息を呑んだ。
——待って!? アオイルートじゃなくなったはずだよね!? こんなの、ゲームのストーリーには無かったし、一体どうすれば……!!
混乱する蒼壱は周囲から注目され、増々混乱していった。
ヨハンが華へとそっと耳打ちする。
「ヒナ嬢がアオイと婚姻を結ぶならば、誰も異を唱えはしまい。アオイは稀代の英雄。私より皆にウケが良い。そなたもそれを狙っていたのだろう?」
確かにヒナと打ち合わせをし、この聖女叙任式でヒナから蒼壱にプロポーズする段取りだった。
「でも、ヨハンとの婚約破棄は……」
「二度も命を助けられたそなたを、私が手放すと思うか?」
——え……? 私がアオイだって、気づいて……!? 一体何時から!?
ヨハンは咳払いをすると、「ほら、アオイに声を掛けてやらなくて良いのか?」と促した。蒼壱は完全にパニック状態になっており、オロオロとしていた。
今回自分はただの脇役で、見守る事に徹する予定であったのだから無理もない。
「蒼壱、ヒナが応えを待ってるよ!」
華が壇上から急かし、蒼壱は苦々し気に見つめた。
「ちょっと待ってよ、華の作戦ってこと!? 女の子にプロポーズさせるだなんて、そんな間抜け酷くない!?」
思わず言った蒼壱の台詞に、会場中が笑いに包まれて、蒼壱は顔から火が出そうな程に熱くなった。
——ああ、もう!! 間抜けもいいところじゃないかっ! 華の馬鹿!!
蒼壱は唇を噛みしめて壇上を見上げた。
緊張した面持ちで蒼壱の答えを待つヒナと、その背後で幸せそうに微笑む華の様子が目に映る。
蒼壱は、まるで夢でも見ているかのような光景だった。手を伸ばせば、自分が求めている全ての幸福が手に入るのだから。例えまやかしの幸福であったとしても、心を惹かれたヒナと、大切な家族である姉がそこに居る。
そう、ほんの少しで手に入る。頷いて、一言「俺もヒナが好きだ」と言うだけで良いのだ。
——でも……これはハッピーエンドなんかじゃない……。
蒼壱は苦々し気に俯き、ヒナから視線を外した。
——華、俺達はいつまでもこの世界には残れないんだよ。
蒼壱がぎゅっと拳を握り締めた時、つんざく様な悲鳴が聞こえた。ハッとして顔を上げると、肩に矢を受けたヨハンの姿があった。




