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ヤキモチ

 行方を(くら)ませた蒼壱に公爵は頭を悩ませたが、仕方なく『ハンナの体調が優れない』と王宮に伝えた。蒼壱の思惑通り、華はアオイ・ランセルとして過ごす事を余儀なくされ、フォルカーとの婚約の準備も見送りとなった。


「俺としては残念無念だが……」


 フォルカーは稽古場で剣を振るう華を見つめながら呟く様に言った。


「無理強いする気は最初から無いから、別にいいさ。いつまでだって待つからな」


そう言って腫れあがった頬を撫でているので、華は不思議そうに小首を傾げた。


「その頬っぺた、どうしたの?」

「あー、ヨハンの奴にぶん殴られた」

「は!? どうして!?」


華が素っ頓狂な声を上げると「当然だ!」と、憤慨しながらヨハンが稽古場へと入って来た。


「他人の婚約者を奪おうとする不届き者に、制裁を加えたのだ」

「仕方ねぇだろ!? お前のとこの国王陛下も宰相閣下もそれを望んでたんだからよぉ!」

「……ふーん。フォルカーは仕方なくハンナにプロポーズしたんだ?」


華が冷たく言うと、フォルカーは大慌てで首を左右に振った。


「んなワケねぇだろ!? タイミングに対して『仕方なく』ってだけで、俺は元々嬢ちゃんにぞっこんだっ!!」

「もう一度殴られたいのか?」


ヨハンに凄まれて、フォルカーはサッと両手で顔を護った。


「止めろって! 一回は俺も悪かったから甘んじて殴られてやったが、二回も殴られてやるほど甘くはないぜ!?」


華はクスクスと笑うと、フォルカーを見つめた。


「ホント、折角の男前が台無し。ちゃんと冷やした方がいいよ」


華のその言葉に、「え? 男前って、照れるなぁ」とフォルカーが嬉しそうにへらへらと笑い、ヨハンはピクリと眉を吊り上げた。


「……何故だろうか。ボコボコにそなたを殴りたくなってきた」

「ひでぇっ!! なんなんだよ、ヨハン!!」


ツンと鼻先を上げてヨハンはフォルカーから顔を背け、その様子を不思議そうに見つめていた華にニコリと優しく微笑みかけた。


「鹿革の手袋はまだ傷んではいないか? また新しいものを作らせようか?」

「へ!? あ……大丈夫だけど」


——なんだか、ヨハンと話すのはちょっと気まずい。婚約破棄の後、『信じてない』って言っちゃったし……。


「そうか、いつでも申せ。そなたの為にならば何頭でも鹿を狩って来よう」

「ちょっと、乱獲禁止っ。鹿が可哀想じゃないっ!」


 華の言葉にフォルカーがぷっと噴き出して笑い、ヨハンに睨みつけられて慌てて目を逸らした。

 華はやれやれと肩を竦めると、汗を拭き、稽古用の剣を置き場に立てかけた。


「私、ミゼンの様子を見に行って来るね」

「何故だ!?」


すかさずヨハンが大きな声で咎め、華は思わず眉を寄せた。


「……何故って、昨日の魔物討伐で怪我をしてたじゃない。だからお見舞いに」

「それならばヒナが治療をした。私も見て来たが何も問題は無い。行く必要などない」

「良くなろうと何だろうと、怪我したことは事実じゃない。様子見に行って来るよ」

「ならぬ!」

「は!? どうして!?」


華が頬を膨らませ、ヨハンもムッとした様に華を見つめた。


「そなたは今から私と剣の稽古をするのではないのか!?」

「ヨハンが遅れて来たんじゃない」

「それは、昨日の報告書も作っていたので、公務が忙しかったからだ」

「忙しいのはそうかもしれないけど。私はミゼンのところに行くよ」


華はヨハンから顔を背けると、王宮の中へとパッと駆けて行った。二人の様子をフォルカーはポカンとしながら眺めており、苦笑いを浮かべて頬を掻いた。


「ヨハン、お前。ひょっとして気づいたのか?」

「何をだ?」

「……俺にそれを言わせるか?」


ヨハンは不機嫌そうに眉を寄せると、フォルカーを睨みつけた。


「そもそも、そなたも二人が入れ替わっていた事実に気づいていながら何故私に言わなかった!? それが腹立たしくてならぬ!!」

「言えるか!? どうせお前のことだから、『王家を欺いた不敬罪で罰する!』とか言い出しただろうがっ!!」


ぐっとヨハンは怯んだ様に身を退くと、溜息を吐いてその場へと座り込んだ。


「確かに、そなたの言う通りだ。私は大バカ者か!?」

「……まぁ、頭は固いな? 大体、嬢ちゃんの言葉遣いや声質だって、どう聞いても女の子じゃねぇか。つまり、それにも気づかない程にお前は婚約者に興味が無かったって事だな」


ヨハンは片手を額に当てると、悔し気に歯を食いしばった。そんなヨハンの表情を見るのは初めてだった為、フォルカーは込み上げる笑いを必死に抑えたが、耐えきれずに噴き出した。

 笑いだすフォルカーをキョトンとして見つめ、ヨハンは恥ずかしそうに頬を染めた。


「何故笑う!?」

「いやぁ、冷血王子と呼ばれたお前が、そうも顔色をコロコロ変える様子が面白くてな」

「ぬかせ! 一体いつから気づいたのだ? アオイ・ランセルがハンナ嬢であると」


フォルカーは困った様に眉を寄せると、言いづらそうに「最初からだ」と言葉を吐いた。


「街で初めて会った時に気づいた」

「何故だ!?」

「何故って……俺はお前の様にアオイ・ランセルとしての彼女に面識が無かったわけだし、それに屈んだ時に嬢ちゃんの胸が……」


フォルカーはそこまで言って口を噤んだ。ヨハンは小首を傾げると、「胸がどうしたというのだ?」と、フォルカーに詰め寄った。


「あー……稽古の後に適当に着替えて街に来ちまったんだろ。小ぶりだったがばっちり良く見え…」


ガン!!!!


「$“&%☆△!!!!」


声にならない声を上げ、稽古用の剣の柄でヨハンに殴られた頭を、フォルカーは両手で押さえた。


「貴様!! 手討ちにしてくれるっ!!」

「事故だったんだって!!」

「問答無用だ!!」


 いきり立つヨハンを見つめ、フォルカーは苦笑いを浮かべた。

——こいつ、俺が華とキスしたって知ったら発狂するんじゃ……? 余計な事は言わないに限るな。


 ヨハンに殴られた頭を擦りながらため息を洩らし、フォルカーは渋々口を開いた。


「ったく、んなモンいつだって正々堂々相手してやるが、まずは俺の話を聞けよ。そもそもお前が嬢ちゃんに興味無さげだったんで、公爵と交渉したんだ」

「ランセル公爵と? どのような交渉をしたというのだ?」


フォルカーは稽古用の剣を手に取ると、「手合わせでもしながら話そうぜ?」と、ニヤリと笑った。ヨハンは不機嫌そうにフォルカーを睨みつけ、「受けて立とう」と、剣を構えた。


「師に見つかれば叱責を受けることになるだろうが、構わぬ。このままでは私の気が収まらぬからな」

「そうこなくっちゃな!」


フォルカーが剣を素早く振り下ろすと、ヨハンはいつもならば避けるというのに、敢えてその剣を剣で受けた。激しい金属音が稽古場内に反響する。


「相変わらず馬鹿力だな」

「『馬鹿』は余計だ。ハリュンゼンは女王国家だ。王配として女王を守る役目も担う俺は、生半可な鍛え方なんざしてねぇのさ。ガキん頃から甘えなんか許されなかったし、六歳で剣一本だけ持たせて山に捨てられた。無事帰って来れなきゃ俺の居場所はねぇってな!」


ヨハンはフォルカーの剣を受け流すと、今度は自らが剣を振り下ろし、フォルカーがそれを剣で受けた。


「私とてヒルキアを担う者として、鍛錬に手を抜いた覚えはない!」

「言うだけやれるのは知ってるさ。だが、神聖力を使わなくて大丈夫か? 今までお前が生き残れたのは、その力のお陰だろう?」

「ハリュンゼンの者が、そなたを毒殺しようとしなくて幸いだったな!」


ぐっとフォルカーが力を込めてヨハンの剣を弾き返すと、ヨハンはトンとステップを踏んで後方へと下がった。フォルカーはどっしりと剣を構えると、どこからでもかかってこいと顎を僅かに動かし、ヨハンを挑発した。


「ランセル公爵と、一体どのような密約を交わした?」

「嬢ちゃんが額を怪我した時にな。邸宅に送って行って、公爵に挨拶を交わした」

「……なるほど」


ヨハンは素早くフォルカーへと切りかかり、フォルカーは力任せにそれを剣で弾き返した。凄まじい力を受けて、ヨハンの手がビリビリと痺れる。


「公爵からの提案というわけか」

「そういうことだ。俺から申し入れた訳じゃない。顔に傷をつけちまった彼女の事を、公爵も心配だったんだろう。それに万が一お前にバレて断罪なんてことになっても、ハリュンゼンという逃げ場が出来るわけだからな」

「しかし、そなたはそうなると分かっていてハンナ嬢を送り届けたのだろう? つまりは公爵からの提案も、そなたの計算のうちということだ!」


ひゅっと繰り出したヨハンの素早い突きを、フォルカーは僅かに身を滑らせて避けた。


「ああ、分かってたさ。一目見た時から欲しいと思った」

「他人の婚約者を奪おうとは、汚い男だ!」


水平に剣を振るったヨハンの攻撃をいとも簡単に剣で弾き返すと、フォルカーはニッと笑った。


「友達にひでぇこと言うなよ」

「誰が友なものか!!」


ヨハンは苛立ちながら剣を振るい、フォルカーに何度も切りつけたが、その度にフォルカーは難なく剣で受けて弾き返した。


「友達が少ねぇお前の唯一の友人が俺だろ?」

「ぬかせ!!」

「お堅いのも結構だが、それだけじゃ見落としがあるって分かったか? 頭ってのは柔らかい方が物事は上手くいく」

「そなたの様に軽々しくては、信頼は生まれぬ!」

「良く言うぜ。俺の事、信頼してくれてるんだろ?」

「しておらぬっ!!」

「おいおい、信頼関係がなかったら、今俺達がやってることは何だ? 決闘か? お前は俺を殺そうとしねぇし、俺もお前を傷つけない。だろ?」


凄まじい金属音が鳴り響き、ヨハンの手から剣が弾き飛ばされた。カツン! と音を発して地面へと剣が叩きつけられて、ヨハンは悔し気に歯を食いしばった。


「……なぁ、ヨハン。嬢ちゃんは俺のことなんざ、ただの友人程度にしか思っちゃいねぇ。どんなにか俺が必死になって口説こうと、その感情を覆す事なんか出来ねぇのさ。お前が本当に護る気があるなら、もう少し頭を柔らかくしてみたらどうだ?」

「私にどうしろと言うのだ!」

「意地張ってんじゃねぇよってこった!」


フォルカーはどっかりとその場に座ると、頭を掻いてうんざりとしたようにため息を吐いた。


「使えるモンは何でも使え! 俺は嬢ちゃんの幸せを何よりも望むし、お前の友人なんだぜ? これ以上の便利な奴、他に居るか!?」


フォルカーの言葉に、ヨハンはエメラルドグリーンの瞳を見開いて戸惑う視線を向けた。


「……フォルカー、そなた、私に協力してくれるのか?」

「ダチだって言っただろ? 俺がお前の敵に回った事なんかあるか?」

「しかし、そなたも彼女を好いているというのに」

「だからだよ。腹立つよなぁ、ほんとに。俺ってめちゃくちゃ良い奴じゃねぇか?」


 ヨハンは唇を噛みしめて俯くと、その場に座った。


「……すまぬ。どうすれば良いのか分からぬのだ。私は今までこのような気持ちを持った事がない。彼女を想う度、身体の自由がままならぬ程におかしくなる。これは正常なことなのだろうか」


恥ずかしそうに顔を赤らめ、ぎゅっと固く拳を握り締めながら言うヨハンを、フォルカーはあきれ顔で見つめた。


——こいつと恋バナする気なんか無いんだが……。


「まあ、それだけ嬢ちゃんが魅力的だってこった。婚約者を心から愛せてラッキーじゃねぇか」

「しかし、ハンナ嬢との婚約破棄は免れぬ。父上はヒナ嬢の聖女叙任式で公に公表する予定のようだ」

「お前も剣技大会の叙任式で嬢ちゃんとの婚約破棄を発表する気だったよな? あの時どうして止めたんだ?」

「それは、アオイがヒナ嬢に……」


そう言いかけて、ヨハンは思わず顔を赤らめた。


「フォルカー、まさかそなた、私にアオイと同じことをしろと言うのか!?」


——公然でアオイがヒナにしたように、ハンナ嬢にキスを……!?


「まぁ、そいつは最終手段だな。……なに嬉しそうにしてんだ?」

「嬉しそうになどしておらぬ!!」


顔を真っ赤にしながら喚く様に言い放つと、ヨハンは両手で顔を覆った。


「そのような事が私にできると思うか!?」

「……できねぇだろうなぁ。つーか、止めてくれよ? お前のキャラじゃないし、いくらなんでも妬ける」


 フォルカーはその場にゴロリと寝そべると、空を見上げた。ゆっくりと流れていく雲を見つめながら、溜息を吐く。


「俺、何しにこの国へ来たんだろうな……」


呟く様に言ったフォルカーに、ヨハンは「すまぬ」と、小さく言った。

 ヨハンも空を見上げた。随分と高い位置に、細い雲が筆で引いた様に描かれているのを眺めていたが、脳裏に映る華の顔を思い浮かべたが最後、ヨハンの目には空も雲も映らなくなった。


——ミゼンの元に行かせたくも無かったが、それを止める為の理由が私には見つからぬ。これほどまでに思考と心が噛み合わない思いなど、今まで経験したことなどなかった。


「……これは、一体どういう事ですかな?」


 呆れた様子の図太い声にハッとしてヨハンが振り向くと、稽古場の出入口に筋肉質な白髪交じりの男が立っており、折れた剣と放り投げられた大剣を唖然とした様子で眺めていた。

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