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悪役

 ヨハンと共に国王への報告をしようと王宮へと向かうと、ヨハンはしきりに華を心配して声を掛けた。


「怪我は無いか?」

「うん」

「痛いところなど無いか?」

「平気」

「疲れてはいないか?」

「……少し。じゃなく、すっごく疲れた」


——相変わらず蒼壱にはお優しいことでっ! ミゼンの心配したらいいじゃない! っていうか、今気づいたけど。あんたさぁ、ハンナとの婚約破棄を王様から言い渡されたのに、ハンナを追いかけもしなかったよね!? ほんとに好きなの!?


むっとした様子の華を、ヨハンは心配そうに覗き込んだ。


「どうした、やはり怪我をしたのではないのか!?」


 ヨハンは手袋を脱ぎ捨てると、慌てたように華の頬に触れた。


「怪我なんかしてないっ! 触らないでよ!」


ヨハンの手を振り払おうとする前に、ヨハンが「すまぬ!!」と言ってパッと華から両手を離した。顔を真っ赤にし、上ずった声で「そなたが心配でつい触れてしまった!」と言いながら慌てふためくヨハンを、華は白けた視線で見つめた。


——何その態度。意味不明なんだけど。っていうか、蒼壱を追いたかったのに、この人どうして邪魔したの!? もう、頭の中がぐちゃぐちゃでどうにかなっちゃいそう!

 ハンナは婚約破棄されることが決まって、それなのにすぐさまフォルカーとの結婚話。そしてヒナの初出征で魔王が初登場したかと思えば、ミゼンが大けがして、魔王の正体は蒼壱だっただなんてっ!!


「もう、わけわかんない。最悪……」


 華は瞳から涙を零し、手でそれを拭った。


「すまぬ……」


と、ヨハンが寂しげに言い、華は——別にヨハンが悪いわけじゃないんだけど——と思いながらも、フォローの言葉を掛ける気にはならず、零れ落ちる涙を手の甲で擦り付けた。


 ヨハンはハンカチを差し出すと、「陛下への報告は私からしておくから、今日はもう邸宅に戻って休め」と、優しく労わる様に言った。


「今日の戦いぶりも見事だった。だが、あまり無理をするな。私はそなたを失いたくはないのだ」


 エメラルドグリーンの瞳を潤ませて心から心配しているヨハンの様子に、華は心臓が締め付けられる様な苦しさを味わった。


——思いきり、泣き喚いて甘えられたらどんなに楽だろう。でも、私はアオイだから、それができないんだ。私がハンナなんだって知ったら、ヨハンはそうやって慰めてなんかくれないもの。


「ありがと、ヨハン。邸宅に帰るね。国王陛下への報告は悪いけど宜しく」


 華は掠れた声でそう言い残すと、ヨハンに任せて王宮を去った。


 馬を走らせ邸宅へと急ぎ帰還した。蒼壱がランセル家の邸宅に戻っている事を期待したものの、まだ帰って来てはいない様だ。憔悴しきった華を労わって、ディードがすぐに休む様にと寝室の準備を整えてくれた。


 灯りが落とされた室内のソファの上で蹲り、華は蒼壱の帰りを待った。月明かりが差し込む室内は青白く照らされ、静まり返っている邸宅の様子から、ディードが華の身体を気遣って配慮してくれているのだろうと伺い知れた。


 もう、何度目のため息だろうかと思う深いため息を吐いた時、邸宅のロビーから話し声が聞こえ、華は急いでソファから降り、部屋から飛び出した。


「蒼壱!!」


二階からロビーに居る蒼壱へと叫ぶと、蒼壱は使用人との会話を止めて華を見上げた。角も漆黒の翼も無く、普段通りの蒼壱の姿にホッとしたものの、蒼壱は華から視線を外し、階段へと向かった。

 華は蒼壱の元へと向かい、「ねえ、話があるんだけど」と、声を掛けたが、蒼壱は華の存在を無視するかのごとくズカズカと速足で自室へと向かった。


「ねえ、蒼壱ってばっ!」


 蒼壱は不機嫌そうな顔をしたまま、足を止めずに歩き続けた。

——華の話したい事だなんて、ヨハンとの婚約破棄のことだろう!? 現実世界に帰らなきゃならないってのに、そんなことにうつつを抜かしてる場合じゃないのに。


「うるさいな。公爵家のご令嬢が、こんな夜遅くまで起きてなんかいたらダメだよ」


蒼壱の言葉に、華はムッとして頬を膨らませた。


「はぁ!? 公爵家の令嬢って! 何、その言い方。蒼壱の帰りを待ってたんじゃないっ!」

「待っててだなんて頼んでなんかないよ」

「頼まれなくたって待つに決まってるじゃない、家族だもの! 弟の心配するのは当然でしょ!?」


華の言葉に蒼壱はズキリと胸が痛んだ。

——止めてくれよ。俺が魔王だって知ったら、悲しむだろう……?


「俺の事なんか、ほっといてよ!!」


 蒼壱は自室の扉を開くと、華を置いて部屋へと入って行き、バタリと扉を閉じた。


——華に知られるわけにはいかない。もし知られたら……もしも華に怖がられたりなんかしたら、絶対に立ち直れない。今までずっと迷惑ばかりかけてきたのに、ゲームの世界にまで来てこんな結末ってあんまりだ!!


 蒼壱の瞳にじんわりと涙が浮かんだ。

 物心がついたころにはいつも隣に居た姉との思い出が、脳裏に幾つも映し出されていく。


——こんなことなら、ゲームなんかやるんじゃなかった。

俺は、大切な双子の姉を失ってしまったんだから……。いつだってうざいくらいに一緒に居たのに、こんな……。


 こんな、くだらないゲームなんかのせいで!!


 もしもゲームをプレイする前に戻れるのなら、あのディスクを叩き割ってしまいたい!!


「ほっとけるわけないじゃないっ!!」


バン!! と、扉が開け放たれて、華が憤然としながら部屋へと入って来た。


「お母さんのお腹の中に居る時からずっと一緒だったのに、ほっとけるはずないでしょ!! なにがなんだろうと、蒼壱は私の弟なんだからねっ!?」


 瞳に涙を浮かべている蒼壱を見つめ、華はぎょっとして蒼壱の両肩を掴んだ。


「蒼壱!? どうしたの!? 怪我でもしたの!?」

「もう、ほっといてくれったら!!」


華の手を振りほどき、蒼壱は部屋の奥へと逃げ込む様に駆けた。「ちゃんと見せてよ!」と、華が追って来るので、堪らずにテラスの扉を開け、月明かりの下へと飛び出した。

 石造りのテラスに、青白い月の明かりに照らされた蒼壱の影が映る。


 禍々しい角が頭部に生え、背に巨大な翼を纏った影が……。


——なんだよ、これ……。影は本当の姿を誤魔化す事が出来ないのか……?


 華も蒼壱を追いかけてテラスへと脚を踏み入れて、愕然とした様子で自分の影を見つめる蒼壱の様子に気づいた。


 華の視線が蒼壱の影へと向けられる。


——見ないで、華!!


蒼壱は両手で自らの顔を覆った。

 恐怖で身体が震える。華の反応が恐ろしくて堪らないのだ。どう誤魔化そうかと必死に脳内で忙しなく考えたものの、何も思い浮かばずに唇を噛みしめた。


 悪い夢でも見ているようだ。絶望という夢を……


「やっぱりあれは蒼壱だったんだ。影は魔王の状態なんだね、不思議。自由に変身とかできるの?」


華の言葉に、蒼壱は「へ……?」と、間抜けな声を上げた。

 華は瞳を煌めかせ、まるで憧れのヒーローでも見つめる様な視線を蒼壱に向けていた。


「飛べるとか羨ましいけど、怖くないの? すっごく疲れそうだよね」

「華、俺が魔王だって気づいたの?」


恐る恐る聞いた蒼壱の言葉に、華はあっけらかんとした様子で頷いた。


「うん。飛んでるの見て直ぐ分かった」

「噓でしょ!? 俺、バレない様にめちゃくちゃ早く飛んだのにっ!」

「解るに決まってるじゃない! 私、蒼壱の姉さんなんだからっ!」


呆気に取られた蒼壱に華は、キラキラとした期待を込めた瞳を向け、「変身してみてよ!」と、まるで正義の味方の変身シーンをおねだりする子供の様にせがんだ。


「え……。嫌なんだけど……」

「いいじゃない、ケチケチしないで見せてくれたって!」

「いや、別にケチってる訳じゃないんだけど」

「だったら見せてよ!」


 蒼壱はなんだか少し恥ずかしくなりながら、パチリと指を鳴らした。その瞬間、蒼壱の頭部に角が生え、背から漆黒の翼がバサリと音を立てて伸びた。


「おおっ!! カッコイイ!!」


蒼壱は無性に恥ずかしくなり、漆黒の翼を折りたたんでテラスの縁へと腰かけた。華も縁へとよじ登ろうとし、「危ないって!」と、蒼壱に止められ、不満そうに唇を尖らせた。


「落ちたらどうするのさ!?」

「でも、蒼壱は座ってるじゃない」

「俺は翼があるから……」

「私の運動神経舐めてる? 落ちるはずないじゃない。わ!」


脚を滑らせて落っこちそうになった華を、蒼壱は慌てて抑えた。


「危ないって! 止めてよホントに!! っていうか、ちょっと待って。俺が怖くないの? こんな姿なんだけど……」


 華はきょとんとして蒼壱を見つめた。


「怖い? 蒼壱が? どうして?? 羨ましいけど」

「羨ましい!?」

「うん。仮面はダサいけど、飛べるし角もカッコイイじゃない。どうして怖いの?」


不思議そうに小首を傾げた華に、蒼壱はぶっと吹き出した。頭部に生えた角が月明かりに照らされて僅かに光を反射する。


「こんな角や翼が生えてるのに、怖くないの? 華って、変だよ」

「変って酷いっ! 別に怖くは無いけど……」


華は頬を膨らませると、蒼壱の頭にチョップをかました。


「でも怒ってる!! どうして黙ってたの!?」

「痛っ! 乱暴は止めてよ、華! 魔王のキャラクター補正があっても痛いものは痛いんだからさ!」

「どういうことなのか説明してっ!!」


ぷんすかと怒り狂う華を、蒼壱はため息を吐いて見つめた。


「全部は説明できないけど。何から知りたい?」

「何ソレ!? 秘密禁止っ! どうして魔王になっちゃったの!?」


蒼壱は苦笑いを浮かべると、「相変わらず単刀直入だなぁ」と、頬を掻いた。

——なんだか拍子抜けしたけれど、安心した。悩んでいたのが馬鹿らしくなるくらいだ。


「違うよ。魔王になったんじゃなく、元々騎士アオイ・ランセルは魔王だったんだよ」

「……え? ええええええっ!? どうして!?」


華が素っ頓狂な声を上げると、蒼壱は肩を竦め、すらすらと説明を始めた。


「アオイルートでは中ボス戦も無ければ、魔王討伐すら無い低難易度攻略だったよね? それは当然だったんだ。魔王がアオイ・ランセルだから、ヒロインがアオイと結ばれたなら、魔王は登場しない。する必要無いもんね」

「え……」


——最初から、アオイ・ランセルと魔王が同一人物だった……?


「じゃあ、ヨハンルートで魔王が雑魚なのってひょっとして……」


華が恐る恐る聞くと、蒼壱は力強く頷いた。


「そう。王家の盾として、ヨハンを傷つけるわけにはいかないから、アオイ・ランセルはわざとあっけなくヨハンに倒されたんだ。だから中ボスの方が強いってわけ」


華は愕然として両手で頭を抱えると、「乙女ゲー恐るべし!!」と、悲鳴の様に声を放った。


「じゃあ、蒼壱はヨハンにやっつけられちゃうの!?」

「ああ。恐らく今はヨハンルートだからね、仕方ないよ。そういうストーリーなんだから」


 眉を寄せ、華は唇を噛みしめた。どうにか魔王を倒さずにゲームをクリアできる道は無いだろうかと考えたのだ。


「……とにかく、今更ミゼンルートにもフォルカールートにもするわけにはいかないんだ。中途半端な状態だとバドエンドになりかねないからね」

「だからミゼンとフォルカーを狙ったの?」

「そういうこと。ついでにヒナの覚醒も狙ったんだ」


ふっと蒼壱が微笑む様子を、華は心配そうに見つめた。蒼壱は小さくため息を吐くと、「心配要らない」と言葉を続けた。


「キャラクター補正のせいか、この姿の時は気分がすごくいいんだ」


 禍々しく伸びた爪を揺らし、蒼壱はそう言った。華は手を伸ばすと、蒼壱の頭部に生えた角を思いきり引っ張った。


「痛っ!! 何するのさ、華!?」

「取れないの? これ」

「引っ張って取れるような物じゃないって!」

「あれ? 片方折れてるよ?」

「ああ、それは……いいから離してよっ!」


華がパッと手を離すと、蒼壱は不満気に唇を尖らせて角を撫でつけた。


「ヒナが覚醒したときに、神聖力で弾き飛ばされただろう? その衝撃で折れたんだよ」

「ふーん。じゃあもう片方も折っちゃえば?」

「酷い事言わないでよ!」

「あー、でもその真っ黒な翼は流石に取れないかぁ」


残念そうに恐ろしい事を言う華にゾッとして、蒼壱は「力づくでどうこうしようだなんて、恐ろしい事を言わないでよね!?」と、両手で自らの漆黒の翼を庇う様にしながら華から離れた。


「この姿はさっきの通り、アオイ・ランセルになれば戻るから、強引なやり方なんかしなくてもいいんだって!」

「あ、そっか。簡単に戻るんだ? 良かったぁ~!」


安心した様に言う華を、蒼壱は訝し気に見つめた。


「……何が良かったの?」

「何って……ハンナに角や翼が生えてたらおかしいじゃない」


キョトンとしながら言った華に、蒼壱もキョトンとし、二人は瞬きし合った。


「え? 待って、まだ俺がハンナにならなきゃいけない理由なんかあったっけ? ヨハンと婚約破棄したら、王妃教育を受ける必要なんか無くなるじゃないか。そしたら入れ替わる理由だって無いんじゃないの?」


華は僅かに顔を赤らめると、いじけた様に唇を尖らせた。


「……だって、ハンナはフォルカーのお嫁さんとしてハリュンゼンに行かなきゃいけないみたいだし。女王様候補だなんて、私に務まると思う!?」

「ちょっと待って、俺にだって女王様が務まると思う!?」

「思う」


 きっぱりと言い切った華に、蒼壱は慌てて「思わないだろう!?」と上ずった声を発した。


「大体、フォルカーは華がアオイ・ランセルになってることを知ってるじゃないか!」

「う? うん、知ってるけど。それがどうかしたの?」


不思議そうに小首を傾げる華を見て、蒼壱は嫌な予感を覚えながら言った。


「あのさ。フォルカーは俺じゃなく、華に告白してるんだって分かってる……?」

「どういう意味?」


——あ、やっぱり全然伝わってない……。

 と、蒼壱は苦笑いを浮かべた。まさか自分が本気で告白されるとは全く思ってもいないという華の鈍さ加減に、蒼壱はフォルカーを不憫に思った。とはいえ、何にせよ華は現実世界に帰らなけらばならないのだから、フォルカーの失恋は決定的なのだ。蒼壱はどの攻略対象に対してもフォローしてやる気などサラサラない。


蒼壱は溜息をついた後、「ま、いいか」と、肩を竦めて立ち上がった。


「ハリュンゼンに行く必要なんかないよ。つまり、ハンナが帰らなきゃいいんだから」


 蒼壱の言葉に華は小首を傾げた。蒼壱はバサリと漆黒の翼を広げると、煌々と輝く月を見上げた。


「俺が帰らなかったら、華はそのままアオイ・ランセルになっていればいいんだ。ハンナが居ないなら、婚約も結婚も無理だろう?」

「……ちょっと待って。帰らないってどういうこと!?」


蒼壱はトンとテラスの縁を蹴ると、漆黒の翼をはためかせて空へと舞い上がった。


「俺は、帰らなかった。ハンナは行方不明になったんだ。だから、華。暫くはアオイ・ランセルとして宜しく」


 華は慌てて立ち上がると、蒼壱を見上げて叫んだ。


「待って!! どこへ行くの!? 蒼壱っ!!」

「次のイベントはヒナの聖女叙任式だよ。恐らくそこでヨハンが、貴族達に向けて正式にハンナとの婚約破棄と、ヒナとの婚約を発表することになる」


——ハンナと、婚約破棄……。

 ズキリと華の胸が痛んだ。


「蒼壱、それでいいの? ヒナがヨハンと結婚しても、蒼壱は本当に平気なの?」

「……ヒナが好きなのは、騎士アオイになった華の事じゃないか」


その言葉に、華は瞳を見開いた。


——蒼壱も、傷ついてるんだ……。私と同じく、好きな人がお互い入れ違った相手の事を好きだから。


「蒼壱……」

「ヒナの聖女叙任式には俺もアオイ・ランセルとして参加するよ。華もハンナとして参加して、ヨハンとの婚約破棄を受け入れるしかない。上手い事その場でヒナとヨハンが婚約してくれたらいいけれど、今はヨハンとミゼンどちらが王位継承するか確定していないから、慎重に行動して、どうにかヨハンルートになるようにしないとね」


蒼壱はつらつらと早口に言葉を並べてそう言うと、小さくため息を洩らした。はためく漆黒の翼から数枚の羽根がヒラヒラと舞い落ちる。


「何度も言うけれど、俺達の目的は現実世界に帰る事だ。この世界で幸せになることなんかじゃない。俺も華も、悪役なんだから」

「……悪役?」

「うん」


蒼壱は頷くと、瞳に涙を溜めている華を見下ろした。


「主役を引き立てる為の悪役に過ぎないんだよ。俺達は、この物語の主人公じゃない。悪役令嬢であり、魔王なんだ」


ふわりと蒼壱は華に背を向けると、「大丈夫」と、小さく言葉を放った。


「現実世界に必ず華を帰すよ」


 そう言い残すと、蒼壱は漆黒の翼をはためかせ、あっという間に空の彼方へと飛び去った。

 翼を扇ぐ漆黒の魔物を、煌々と輝く月が照らし、華はその姿が見えなくなるまで見つめた。


——蒼壱。『華を帰すよ』って……。自分は………?


 拳を握り締め、華は瞳を閉じた。

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