魔王誕生
アスモデウスの攻撃をその身にまともに受け、ヨハンは気絶しているのか微動だにしなかった。とはいえ、神聖魔法でその身を辛うじて護っていた様で、凄まじい斬撃であったにもかかわらず、四肢が引きちぎれる様な状態では無かった。ヒナの治癒魔法があれば何とかなるはずだと冷静に考え、蒼壱はヒナへと駆け寄って両手につけられた拘束具の鎖を剣で断ち切った。
「ごめん。もう大丈夫だから。助けに来るのが遅くなってすまなかったね。怖い思いをさせてしまって、本当にごめん」
蒼壱が優しくヒナの頭を撫でてやると、ヒナは泣きながら蒼壱に抱き着いた。宥める様にヒナの背を撫でながら、蒼壱は自分の不甲斐なさに唇を噛みしめた。
——俺が油断しなければ、ヨハンは怪我をせずに済んだのに……。
「ヒナ、ヨハンの治療を頼めるかな……?」
蒼壱の腕の中でヒナが頷いた。蒼壱はヒナを支えながらヨハンの側へと行き、ヒナは床に跪いてヨハンに治癒魔法をかけた。
「良かったわ。せめて治癒魔法が役に立って。私が攫われた事で皆に迷惑をかけてしまったもの」
ヒナはヨハンの治療を終えて、悲し気に言った。ヨハンの怪我は体中の骨が複雑に折れている酷いものだったが、幸いにしてヒナの治癒魔法で綺麗に治す事が出来た。
後は目を覚ますのを待つだけだ。
「ヒナが自分を責める必要なんかない。ヨハンが怪我をしたのは俺の油断が招いたことだよ」
蒼壱は心からヨハンに申し訳なく思って唇を噛みしめた。
——大嫌いな奴だけれど、俺のせいで重症を負わせるだなんて心苦しいことこの上ない。あんなところで油断するだなんて、俺はなんてバカだったんだ!
罪悪感と自分に対する苛立ちでぎゅっと拳を握り締める蒼壱を見つめ、ヒナは小さく言葉を吐いた。
「私が居た世界だと、剣とか魔物だとか聖女だとか、そんなものは無かったのに……この世界は怖いことだらけだわ」
ヒナは泣いているのか肩を震わせていた。
——分かるよ、ヒナ。俺や華も本当は君と同じなんだって話せたら、どんなにかいいだろう。けれど、君もまたゲームの中のキャラクターなんだ……。
「……元の世界に帰りたい?」
蒼壱の言葉にヒナは頷くと、ポロリと涙が零れ落ちた。彼女の手を握り、蒼壱は微笑んだ。
「大丈夫。いつか帰れる日が来るから」
ヒナを元気づけようとそう言いながら、蒼壱の胸は張り裂けそうな程の強い罪悪感に襲われた。
——嘘だ……! あの乙女ゲームのエンディングでは、どの攻略対象と結ばれるかというだけで、ヒナが現実世界に帰るようなストーリー展開は微塵も出てこなかった。ヒナは、仕方なく攻略対象を選ばざるを得なかったんだ。
……最悪だ。この世界のキャラクターにとって、全てがバドエンドなんじゃないか。
ヒナがアオイルートでエンディングを迎えたとしたら……?
俺も華も現実世界に帰ったとしたら……?
残されたこの世界のキャラクターは……
「ああ……」
蒼壱は思わず口を押えた。
「アオイ様?」
不安気にヒナが蒼壱を見つめた。
「ごめん、ほんとにごめん。ヒナ!!」
ヒナをぎゅっと抱きしめて、蒼壱は瞳を閉じた。胸の痛みに必死に耐えている蒼壱に、ヒナは戸惑う様に声を発した。
「どうしたの? アオイ様、私が帰りたいなんて言ったから……?」
「そうじゃないよ、ヒナ。そうじゃない」
——乙女ゲームに存在するバドエンドは、唯一ヒロインが誰とも恋人同士にならないというものだ。俺と華はバドエンドになると現実世界に帰れない可能性が高いから、アオイルートを進める事にしたけれど……。
バドエンドになることこそが、唯一、この世界のキャラクター達にとってのハッピーエンドなんだ。
俺と華は、このゲームのヒーローでもヒロインでもない……。いずれ居なくなる俺が、ヒナの心をただのゲームの世界だからと翻弄するだなんて事は、赦されない事だったんだ。どうしてそんな当然の事を考えなかったんだろう。
今目の前に、彼女は存在しているというのに……!
けれど、俺や華が現実世界に帰る為には、バドエンドを迎えるわけにはいかない。それなら、今から軌道修正をしなければならないだろう。現状はこうして中ボス戦イベントが発生しているのだから、ヨハンルートにする事が適切だ。
最初から、ヨハンルートにしていれば良かったのに、俺の身勝手さでヒナを傷つけてしまった……!
「せめてこの世界に居る限り、君を守るよ」
——ヒナを護る。その為に俺が出来る事は何でもしなければならない。公爵がヒナから身を退けと言ったのも、当然の事だった。全てのキャラクターは、ハッピーエンドに向けて行動しているのだから。異質なのは、俺と華だけだ。
「……この世界、か」
アスモデウスが静かに言葉を吐き、蒼壱はハッとしてヒナを自分の後ろへと下がらせて剣を構えた。青白い顔を蒼壱に向け、アスモデウスが僅かに唇の端を持ち上げた。
「案ずるな。貴様たちに危害を加える力は残されてはおらぬ」
「それなら口を噤んでいろよ」
嫌悪感露わにアスモデウスを睨みつけながら、蒼壱は歩を進めた。
「我の存在とは道化に過ぎぬ。しかし、それは貴様も同様だ」
「俺とお前が同じだって? 全然言っている意味がわからないな」
アスモデウスの側へと来ると、蒼壱は睨みつけながら剣先を向けた。
「いいや、貴様は理解しているはずだ。自分の『この世界』にとっての立場をな」
その言葉に、蒼壱はドキリとした。アスモデウスは蒼壱の反応を見て、僅かに鼻を鳴らした。
「我が送ったメッセージは受け取ったか?」
——『反発せし聖と魔は惹かれ合う』
「『魔』とは、何か? それは、所詮『聖』にとっての脇役に過ぎぬ。しかし必要不可欠な存在なのだよ」
——悪役は、主人公たちの為に必要不可欠なんだと言っているのか……?
「だから何だ。お前の言う事なんか大した情報でも何でもない。既に気づいてるよ」
「ほう? このままでは『魔王が生まれぬ』と、言ったら、どうか?」
アスモデウスの言葉に、蒼壱はヒヤリと背筋が凍り付いた。
——魔王が、生まれない……だって? それは、このゲームのクリアができないという事か? 確かに、魔物討伐イベントの発生頻度が嫌に少ない。つまりそれは、ヨハンルートの主ストーリーといえる、魔王討伐が不可能だと言うことの前触れだった……?
「お前の言うことなんか、当てになんかできるものか!」
蒼壱は困惑を打ち消そうと声を荒げた。しかし、アスモデウスは真っ赤な瞳をすっと閉じ、首をゆっくりと左右に振った。
「よもや、無駄な事を言う理由もあるまい」
そう言い残すと、アスモデウスは口を閉ざした。
アスモデウスという中ボスは、確かに魔王の誕生を告げる役目を持ったキャラクターだ。もしも魔王が生まれないままヨハンルートになったのだとしたら、俺と華は、現実世界に帰れない……?
……いいや、そうじゃない。アスモデウスがそんな事を理解できるはずがないんだ。そうじゃなく、こいつが言いたいのは……
ゾワリと、蒼壱は体中の毛が逆立つような感覚を味わった。
「アオイ様。良かったじゃないですか、悪者が生まれないのなら、それに越したことは無いでしょう?」
微動だにしない蒼壱に、ヒナが戸惑う様に声を掛けた。
……『反発せし聖と魔は惹かれ合う』
「アオイ様?」
——アスモデウスの言う事が本当なら、ヒナと俺が惹かれ合うのは必然だった……?
……何故、アオイルートでは魔王が登場しないのか。ひょっとして……
「う……」
ヨハンが呻き声を上げて瞳を開き、ヒナは「ヨハン様!」と、嬉しそうに声を上げた。
「良かったわ! 気が付いて」
「……ヒナの治癒魔法か。すまぬ、世話をかけた」
蒼壱はぶつぶつと呟いており、その様子をヨハンは怪訝な眼差しで見つめた。
「アオイ……?」
ヨハンは立ち上がり、蒼壱の側へと赴くと、「一体どうした?」と言って、蒼壱の肩に触れようと手を伸ばした。蒼壱はその手をパチリと弾くと、「なんでもありません」と、ヨハンに視線を向けずに言った。
「……ふむ、まあ良い。聖女奪還は無事終えた。王宮へ帰還しよう」
「いいえ」
蒼壱は首を左右に振ると、ヨハンの側から離れた。
「俺は戻らない。ヨハン、悪いけれど、ヒナを先に送って行って。俺はまだコイツと話しがある」
蒼壱が剣先でアスモデウスを指して言うと、ヨハンは眉を顰めた。
「ならば私も残ろう」
「いや、止めを刺す姿をヒナには見せたくない。頼むよ、ヨハン」
ヨハンは渋々頷くと、アスモデウスへと視線を向けた。
「あの者はもう瀕死であろうから、よもや何の抵抗もできぬとは思うが、用心せよ」
蒼壱が頷く様子を見届けて、ヨハンはヒナを連れてその場を後にした。
蒼壱は、二人が立ち去ったのを確認すると、アスモデウスの前へとゆっくりと赴いた。唇を噛みしめて、込み上げる感情を必死になって抑えながら、剣で身体を壁に打ち付けられているアスモデウスを見下ろした。
「……理解したようだな?」
アスモデウスの言葉を聞き、蒼壱の瞳から涙が溢れ、頬を伝った。
ぽたり、と床へと零れ落ち、灰色の石造りの床が濃く色を落とした。
「……本当に……?」
蒼壱の問いかけに、僅かに頷くアスモデウスの姿が幾重にも重なり、蒼壱は泣き崩れそうになるのを必死になって耐えた。
「悲観する理由は何だ? いずれにせよ、お前はこの世界を捨てるというのに」
「そうだよ。俺は! 俺と華は現実世界に帰るんだ!! ……でも、こんな……!!」
「受け入れよ」
アスモデウスが言葉を放つと、蒼壱の身体を凄まじい激痛が襲った。呻き声を上げる蒼壱の頭部には禍々しい巨大な角が生え、背には漆黒の翼がバサリと音を立てて伸びる。
蒼壱は悲鳴を上げ、その場に膝をついた。
——何故、アオイルートでは魔王や中ボスが出現しないのか……。
それは、アオイ・ランセルこそが魔王だからなんだ……。
俺と華はこの世界の主人公でもヒロインでもなければ、脇役ですらない。最初から『悪役』だったんだ。
アスモデウスが残された腕をすぅっと伸ばし、蒼壱へと白い仮面を差し出した。それは、この世界の魔王が常に身に着け、顔を隠していた仮面だった。
華が『魔王ってどんなだっけ?』と、言った事を思い出しながら、蒼壱は苦々し気にその仮面を見つめた。
「魔族の王よ、そのお姿を一目拝謁できる喜びをお与えくださり、光栄……」
アスモデウスが言い終わらないうちに、蒼壱は長く伸びた爪を振るい、アスモデウスの首を斬り落とした。そしてピタリと動きを止めたままのその手から仮面を受け取ると、自らの顔へと当てた。
割れたガラスにその姿が映し出される。頭部に角を生やし白い仮面を被り、背に艶やかで立派な漆黒の翼を生やした男の姿。
それは間違いなく、このゲームの魔王の姿だと蒼壱は確信した。
——こんな姿、華が見たら怖がるだろうな……。華のそんな顔なんか見たく無い。俺、絶対に傷付くから。
蒼壱は唇を噛みしめて俯いた。
魔王として討伐されたら、俺は現実世界に帰る事ができないだろう。それでも、華が帰れるのなら……。
華……。きっとものすごく怒るし、泣くだろうけれど……ごめん……。
蒼壱は漆黒の翼を広げ、朽ちたテラスを蹴り、闇夜へと飛び立った。
フォルカーが廃城へと駆けつけ、門の側でヨハンとヒナの二人と合流した。
「よぉ、ヨハン。ちゃんと言いつけ通り、ハンナ嬢を邸宅まで送って来たぜ?」
「手間をかけてすまなかった。彼女は無事だったか?」
「まあ、問題ねぇ……待て、なんだ? あれは……」
廃城から飛び立つ化け物の姿を見つめ、フォルカーが呟いた。ヨハンもそれを見上げ、眉を顰めた。
「魔王が、誕生した……?」
ミゼンもまた、廃城へと一人駆けつけており、大木の枝に腰かけながら飛び立つ化け物の姿を認めていた。




