牽制
「痛っ!!」
突然、ミゼンが悲鳴を上げた。華がハッとして見ると、ミゼンの背後には息を切らせて怒り狂うフォルカーの姿があり、ミゼンの房のついたピアスを力任せに引っ張っていた。
「おい! なに兄貴の婚約者相手にいちゃついてやがんだ!?」
ミゼンが耳を押えながら眉を寄せた。
「アオイといい、貴方といい、それは引っ張るものではありません! 離してくださいっ!」
フォルカーがパッと手を離すと、ミゼンは不貞腐れた顔をしながら耳たぶを撫でた。
「引きちぎれたらどうするんです!?」
「知ったことか!」
フォルカーは怒鳴りつけると、華を強引にミゼンから引き離して無事を確かめた。急いで駆けつけたのか、額には汗が浮かんでいる。
「未遂で終わったか? 変な事されてねぇよな!?」
「未遂って、何が?」
不思議そうに小首を傾げた華を見て、フォルカーは「今キスされそうだったじゃねぇか!!」と、声を上げた。
「へ!? え!? いや、そんなはずないよ」
「あ!? そんなはずないだぁ!?」
「だって私、ハズレだし」
「何がハズレだ!?」
フォルカーは華の鈍さ加減に苛立ち、思いきり顔を顰めた。
「ったく! ちっとは自分を大事にしろって! 曲がりなりにも公爵家のご令嬢が、こんな夜更けに家族や婚約者でも無い男と二人きりになってんだから、警戒しろって言っただろ!?」
「ミゼンはマブダチだもん。警戒する必要なんか無いと思うけど」
「華がそう思ってたって、こいつがそう思ってねぇってこった! 大体、華は男に対しての警戒心が無さ過ぎる。いくら色恋に無頓着だって言ったって、限度があるだろうが! 公爵家の教育は一体どうなってんだ!?」
華はムッとすると、頬を膨らませて立ち上がった。
「フォルカーこそ!! 私のファーストキス奪ったくせにっ!!」
その言葉に、ミゼンは瞳をまん丸にして驚き、フォルカーはたじたじと慌てふためいた。
「お……! あれは!! いや、事故だったからラッキーで勢いづいたっていうかだな!?」
「勢いであんなキスするような人になんか言われたくないんだけど!?」
「あんなキス……?」と、ミゼンがこめかみの血管をひくつかせながらフォルカーを睨みつけ、フォルカーはつっと目を逸らした。
「いや……そうそうチャンスなんか無ぇだろうし……」
「誰彼構わずあんな事する人だとは思わなかった!」
「違う!! それは断じて違うっ!! 別に誰にでもってわけじゃねぇよ!」
「一応私だって女の子なんだからね!? ファーストキスへの夢くらいあったんだからっ! それなのにいきなりっ……」
華が顔を真っ赤にして口を噤み、ミゼンが怒りを露わにフォルカーを睨みつけた。
「いきなり、何をしたんです?」
「ちょっとその……ちょっとだけだなぁ……?」
「ちょっと!? あれのどこがちょっとなの!? 思いきり舌が……」
「だぁああ!! 待て待て! 分かった! 責任は俺が取る!」
「どう責任取るつもり!? 返してくれるの!?」
「返す!?」
「ファーストキス!! 返してよっ!」
「そ、そいつは無理だが……でも、責任はちゃんと取る!」
フォルカーはサッと華の前に跪くと、真剣な眼差しを向けた。
「華。俺と一緒にハリュ……」
「いただけませんね、ハリュンゼン第一王子殿」
ミゼンが割って入ると、腕を組んでフォルカーを見下ろした。
「貴方こそ、兄上の婚約者相手に何を言うつもりやら」
ミゼンに殺気の籠った笑みを向けられ、フォルカーは「うっ……」と怯んだ。
「この事が公爵や国王陛下に知れたならばどうなると思っているのですか!? というよりも僕が赦せないので、今すぐ貴方を消し炭にしてしまいたいくらいなのですが」
ゆらりとミゼンの手に魔術で繰り出された炎が浮かび上がり、フォルカーは思わず立ち上がって弁解に努めた。
「……ま、まあ、お前の言い分は尤もだ。少し焦っちまったのも認める。悪気は無かったんだが」
「悪気が無いで済まされるとでも?」
「ほっぺたにキスを貰う予定がはずみで唇に当たったんだ。そうなっちまったら止められるか!?」
ふとそのシチュエーションを想像して、ミゼンは眉を寄せた。
——止め……られるはずがない!
と、考えて悔し気に拳を握り締める。
「そもそも貴方は兄上に首輪を付けられている状態のはず。単独行動は赦されていないというのに、何故こちらへいらっしゃるのですか? 事と次第によっては……」
「これはヨハンの指示だ」
「ほう? 俄かには信じられませんね」
「別にお前に信じて貰わなきゃならない義理はねぇな」
「無礼にも程がありますよ、ハリュンゼン第一王子殿。少しは言葉遣いを直したら如何です?」
「ご忠告どうも、ヒルキア第二王子殿。公の場ではそうするさ」
フォルカーはため息を吐きながら、ミゼンを睨みつけるように見つめた。華の前で二人が牽制し合う様に睨み合い、華はどうしてこの二人は仲が悪いのだろうと不思議に思った。
が、ヒナが魔物に攫われた事を思い出し、ハッとしてフォルカーの服を引っ張った。
「フォルカー、ヒナを助けに行ったんじゃなかったの!? どうしてここに居るの!? ヨハンの指示ってどういうこと!?」
フォルカーは自分の服を引っ張る華の手を優しく取ると、頷いた。
「ああ。俺もヨハン達と合流し、ヒナ嬢を助けに行く予定だった。だが、華がこいつを探しに行ったと聞いて、ヨハンの奴が取り乱してな……」
フォルカーはその時の状況を思い出した。
馬を止め、ブツブツと言葉を呟くヨハンに、「おい、急がねぇと!」と、急かした。フォルカーはヒナを助け出した後、一刻も早く華の元へと向かいたいと思っていたのだ。こうして立ち止まっている時間が惜しくて堪らない。焦りが苛立ちを露わにし、煮え切らない様子のヨハンに怒鳴りつける様に声を発した。
「腑抜けてる暇はねぇぞ! しっかりしろよ!!」
ヨハンは困惑した色でフォルカーを見つめた。
「すまぬ、フォルカー。頼まれてはくれまいか」
「あ!? こんな時に何をだよ!」
「ハンナ嬢の護衛をだ。彼女は単身ミゼンの元へと向かったのだろう? 私が駆け付けたいところだが、今は聖女救出の任がある故行くことは叶わぬ」
まさかヨハンがそんな事を言いだすとは思いもよらず、フォルカーは一瞬耳を疑った。
「馬に神聖魔法を付与しよう。そなたの馬は疲れ知らずとなるはずだ」
「お前、神聖力はヒナ嬢救出の為にも残しておかなきゃならねぇんじゃ……?」
「分かっている。だがこの程度ならば問題無い」
ヨハンが詠唱すると、フォルカーの馬が僅かに光を放った。困惑し、フォルカーはヨハンを見つめたが、これ以上時間を無駄にする訳にはいかない。
「……分かった。任せろ!」
そう言って、フォルカーは馬の腹を蹴り、ヨハン達とは逆の方向へと走らせて、華の元へと向かったのだ。
フォルカーは華を見つめると、小さくため息をついた。
「……兎に角、二人共無事で良かった。華を公爵邸に送ったら、俺もヒナ嬢を助けに戻る」
「わざわざ送ってなんかくれなくても平気。私の腕っぷしは知ってるでしょ?」
「その恰好で言われてもな……」
ドレス姿の華は、護身用に短剣は持ってきたものの、動きづらい為いつものような動きができないことは容易に予測できた。
「ヒルキアの王都は比較的治安が良いとはいえ、公爵令嬢をたった一人で帰す訳にはいかねぇさ」
「あー……でも、私こっそり抜け出して来ちゃったから、戻るのもこっそり戻らないと……」
「だと思ったぜ。まあ、上手くやるさ」
ミゼンへと視線を向けると、フォルカーは「お前はどうする? ここに残るのか?」と、声を掛けた。ミゼンは放っておいてくれとでも言いたげに肩を竦めて見せて、フォルカーは僅かに頷いた。
「これだけは言っておくが、お前の事もヨハンは心配していた。あまり兄貴を困らせるなよ」
「ミゼン」
華はミゼンを見つめると、ニッと笑みを浮かべた。
「明日、また王宮でね!」
笑みを浮かべる華を見つめ、ミゼンは困った様に微笑んだ。
「……分かりました。華の好きなスコーンを用意しておきます」
「やった! 期待してる!」
華を愛しそうに見つめるミゼンの視線に、フォルカーはうんざりしてため息をついた。
——ったく、華の男誑しは天性だな。あれで自覚が無いってんだから……。
「さあホラ、行くぞ」
フォルカーに促され、華は館を後にした。馬に跨って振り向くと、二階のテラスにミゼンの姿が有り、名残惜しそうに華を見つめていた。
——ミゼン、大丈夫かな……?
「華」
フォルカーは華の名を呼ぶと、促すようにゆっくりと馬を走らせた。華もフォルカーに続いて馬を走らせると、フォルカーは小さくため息を洩らした。
「どうか、俺を嫌わないでくれ……」
消え入りそうな声でそう言ったフォルカーに、華は小首を傾げた。
「フォルカー? 何か言った?」
「いや、こっちの話だ。さあ、行くぞ」
先導するフォルカーの背を見つめながら、華は不思議に思ったが、今は急いで公爵邸に戻り、フォルカーをヒナ奪還作戦へと返さなければと考えて、それ以上の詮索は控えた。




