ミゼンの告白
月明かりで照らし出される白亜の巨大な建造物は、堅牢そうな外門の鍵が外されており、華は馬から降りて門を少しだけ開き、その身を滑らせた。
——流石ゲームの世界。行先なんかよく分かんなかったけど、馬が勝手に案内して辿り着いちゃった。ここにミゼンが居るので間違い無さそうだけれど……。
目の前に広がる庭園は、よく手入れがされているものの、人気が無く不気味さを感じる。華は不安になりながらソロソロと足音を立てないように進み、薔薇のアーチを潜り抜けて、水が止まっている噴水の横を素通りし、館の扉へと続く階段を数段登った。
通常であれば、外門の前には警備をする兵士が立っている事だろう。しかしここは使われなくなって随分と経つ。定期的に手入れをされているとはいえ、外から見える庭こそ見栄え良くしているものの、扉は砂埃が付着し、押し開くと館内から埃っぽい匂いが微かに鼻についた。
「ミゼン?」
華の声がロビーに響いた。小声で言ったつもりがやけに響いたので少し驚いたが、応答が無かったため、ランタンの灯りで照らしながら、華はそっと館の中へと足を踏み入れた。
——お化けとか、出てこないよね……?
カーペットの上を歩きながら辺りを照らすと、巨大な人の顔が映り、華はぎょっとして足を止めた。それは、ロビーに掲げる様に飾られていた誰かしらの肖像画で、不機嫌そうな顔で豪華な衣装を身に纏った男性が、ジロリとこちらを睨みつけている。
——びっくりさせないでよ!! 心臓が止まるかと思ったじゃないっ!
「ミゼン、居るなら出て来て。私、お化け屋敷とか苦手なんだけど……」
震える声でそう言ったが、応答が無く、華は仕方なく更に奥へと脚を踏み入れた。
長い廊下を歩いて行くと、窓に反射する自分の姿にドギマギし、華の緊張はピークに達していた。
「ミゼン~。お願いだから早く出て来て。ホント、怖いんだけど……」
涙目になりながら歩いて行くと、華の右足の下でピシリと音が鳴った。何かを踏みつけた感触が伝わり、華は硬直した。
——今、何か踏んだ……ひょっとして、虫……?
「いやあああああああああああああああああああああああっ!!!!!」
華の断末魔の叫びが館中に轟き、窓がガタガタと振動した。
——どうしよう!? 一匹いたってことは他にも居るよね!? さっさとここから出なきゃ!! ああ、でもロビーに戻る途中にも居るかも!! っていうか虫なのかどうか確認するのも怖いっ! 無理っ!!
「うわああああああん!! ミゼン、助けてぇ———!! 死んじゃうっ!!」
完全にパニック状態になりながら泣き喚くと、『パチン』と指を鳴らす音と共に、館内の灯りが一斉に灯った。
「華? 一体どうしたのですか!?」
慌てた表情を浮かべながらミゼンが駆け付けて来ると、華は涙と鼻水でぐちょぐちょになった顔のままミゼンへと抱き着いた。
「虫踏んじゃったかもっ!! 見て!! 私自分で確認できないっ!!」
ミゼンに抱き着いたまま華が右足の膝を曲げ、靴の裏を見せた。ミゼンは失笑すると、「虫ではありません」と言って、華の背を優しく撫でた。
「どこかの装飾が老朽化して落ちた、破片か何かを踏んだのでしょう。大丈夫です」
「ほんと……?」
「はい」
「うあ……死ぬかと思った……」
へたりと脚の力が抜けて崩れ落ちそうになった華を、ミゼンが慌てて支えた。
「魔物相手にも億さない貴方が、虫が苦手なところは以前と変わらないのですね」
「腰が抜けちゃった。なにこれ、全然脚に力が入らない!」
ミゼンは愛嬌のある笑みを浮かべると軽々と華を抱き上げた。
「ごめん、なんか……探しに来ておいて迷惑をかけちゃって」
「いえ、役得です。まさか探しに来てくれるとは思いもしませんでした」
ミゼンは華を抱き上げたまま歩を進め、ロビーへと戻ると、二階へと続く階段を上った。
「ごめん、重いよね……剣の稽古で筋肉ついてきてるし」
恥ずかしそうにする華に、ミゼンは穏やかな笑みを浮かべながら首を左右に振った。
「貴方を重いと思う程やわでは無いつもりです」
二階にある大きな扉の前にミゼンが立つと、すぅっと勝手に開いた。恐らく魔術を使ったのだろう。華を抱き上げたまま足を踏み入れると、パッと明かりが灯り、部屋の中が照らし出された。豪華絢爛な装飾が施された家具が置かれ、中央には天蓋付きのベッドが据えられている。
ミゼンは華をベッドの上へと座らせると、自分はその下で膝を付き、華を労わる様に手を握った。
「体調は大丈夫なのですか?」
「うん、全然平気。どうして?」
「どうしてって……毒を飲んだのでしょう?」
「ああ、うん。でも大丈夫。私、頑丈だから!」
哀し気に瞳を細め、ミゼンが華の頬に触れた。
「本当に、貴方はいつも無茶ばかりしますね。貴方が亡くなったと聞き、どんなにか我が身を呪ったことか知れません」
「どうしてミゼンが自分を呪うの? 何も悪くなんか無いじゃない」
「貴方は王位継承権争いに巻き込まれたのです。それは僕の責任です」
「ああ、ヨハンが飲むはずだった毒を私が飲んじゃったから? でも、ミゼンに責任は無いじゃない」
キョトンとしている華を見つめるミゼンの瞳から涙が零れ落ちた。
「僕という存在があるからこそ、王位継承権の争いが起こるのです」
「え……?」
ミゼンの頬を伝う涙が、彼の顎先から落ちてカーペットにポタリポタリと染みこんだ。
「僕は……生まれなければ良かったんです……」
ミゼンの言葉を聞き、華はドキリとした。強張る唇を動かし、華は慌ててミゼンの手を両手で包み込む様に握ると、「そんなこと言わないで!」と言った。
「恐らく皆が僕を疎ましく思っている事でしょう。争いの種である僕の存在は厄介でしかありませんから。兄上もきっと……」
「ミゼン……!!」
華の瞳からも涙が零れ落ちた。ミゼンの手を握る華の手が震える。
「お願い、そんな事言わないで!」
「ですが、事実なのです。僕は……」
「ダメ! 絶対そんな風に思ったりなんかしたらいけないの! 私も、ずっとそう思ってた。私なんか生まれなければ良かったって!」
華の言葉を聞き、ミゼンは驚いて瞳を見開いた。華は必死の思いで言葉を続けた。
「蒼壱の身体が弱いのは、私が蒼壱の健康を全部奪っちゃったからなんじゃないかって。蒼壱は、私のせいであんな風に生まれたんじゃないかって思ってたの。だから、その分蒼壱を護らなきゃって、そう思って……」
手の甲で華は瞳を擦り付けると、再びミゼンの手を両手でぎゅっと握りしめた。
「でも。私、友達や、蒼壱や大切な人が沢山居て、それだけで本当に生まれて良かったって思うの。ミゼンもその大切な人の一人だよ。だから、上手く言えないけど、ミゼンが生まれなきゃ良かっただなんて思ってたら、私は凄く悲しいよ!」
戸惑う様な瞳を華に向け、ミゼンは眉を寄せた。
「華……だからアオイと入れ替わっていたのですか? 彼の身体が弱いから、それに責任を感じて……?」
「だって、私は蒼壱の姉さんなんだもの。そんな時くらい頑張らなきゃ役立たずでしょう? 私のせいで蒼壱は……」
華の言葉を聞いてミゼンが首を左右に振った。
「僕も、華が生まれなければ良かったなどと思っているのは、悲しいです。僕にとって貴方は大切な人ですから!」
「……ありがとう。ミゼン、ごめんね。私、蒼壱みたいに頭が良くないから、上手く言えないけど」
華は瞳を閉じると、両手で握りしめたミゼンの手を自分の額へと当てた。
「私、ミゼンがいなくなったら嫌だよ。凄く寂しくて悲しい。だから家出なんか止めて帰って来て。皆心配して探してたんだよ?」
ミゼンは困った様に笑みを浮かべると、「家出ではありません。ここへはお墓参りに来たのです」と、ため息交じりに言った。
「お墓参り?」
「幼少の頃、僕と兄上は仲の良い兄弟でした。兄上の母君である前王后陛下は本当に慈愛に満ちた方で、生前はこの離宮に僕を招いてくれ、兄上と分け隔てる事なく可愛がって頂きました」
ミゼンは房のついたピアスを指さすと、「これは、前王后陛下の手作りの品なのです」と言って、大切そうに指で撫でた。
「兄上と僕に揃いで作ってくれたものです。兄上はもう、捨ててしまったのかもしれませんが」
溜息をつき、ミゼンは眉を寄せた。
「前王后陛下がお亡くなりになられてから、兄上は人が変わった様に僕を避ける様になり、殻に閉じ籠ってしまいました。感情を一切顔に出さず、人と必要以上に係わりを持たない冷血王子と揶揄される様になったのです。昔は泣き虫だったのですよ? 想像できますか?」
「……ヨハンが、泣き虫?」
華はふっと微笑んだ。
——私が毒を飲んだ時、泣いてくれたっけ……。
「今の兄上からは想像がつかないでしょう? ですが、アオイに扮した貴方と初出征に赴いたあの日、兄上は、矢に射られた貴方を悼み、涙を零したと聞きました」
——え……? あの時も泣いてくれていたの? 全然知らなかった!
戸惑いの表情を浮かべる華を見つめ、ミゼンは寂しげに眉を寄せた。
「僕は、貴方こそが、兄上の凍り付いた心を解かす事のできる唯一の人だと思ったのです。僕にとって兄上は前王后陛下が残された大切な方。王位継承権を巡って争う気など無いのです。兄上を支えるべき立場の僕が争いの種になるならば、僕は居ない方がずっと良いと考えました」
華が否定の言葉を吐こうとすると、ミゼンは頷いてニコリと微笑んだ。
「ですが、僕が居なくなっては兄上は泣いてしまうかもしれませんから。ですから、憎まれながらも支え続けなければなりません」
——ヨハンとミゼン、二人の間に、そんな事情があっただなんて……。
華は、ミゼンの話を聞きながら、改めてゲームでは語り切れない設定の深さを考えた。しかし、それならばミゼンルートでヒナを手に入れる為にミゼンが引き起こした、ヨハンに対する所業は説明がつかない。
「……ミゼン、お墓参りってことは、ここにヨハンのお母さんのお墓があるの?」
ミゼンは優しく微笑むと「いいえ」と寂しげに言った。
「本当のお墓は王宮の墓所にあります。ですが、僕と兄上と、前王后陛下が過ごした思い出は、この離宮にのみ存在しています。僕を、実の母よりも大切に、慈しみ愛情を注いでくれた前王后陛下との思い出の場所なのですから。あの方は、何よりも国母としてヒルキアを愛していました」
——ヒルキアを……。国母として……。
華は、ミゼンの言葉を心の中で反芻し、そして気づいた。
——そっか。ミゼンは、ヨハンのお母さんが愛した『ヒルキア』を護りたいんだ。
ミゼンルートの場合、ヒロインであり、聖女でもあるヒナはヒルキアにとって必要不可欠な存在だから、ヨハンを差し置いて彼女に恋をした以上、ヒルキアの国王にならざるを得ない。何よりもヒルキアの事を大切に思うミゼンだから、ヨハンを引きずり下ろすしか無かったんだ……。
でも、だとしたら、蒼壱の事も敵視してるって事なのかな?
チラリとミゼンを見つめる華の視線に、ミゼンは困った様に眉を下げた。
「全く、華は考えている事が顔に出過ぎです」
「へ!?」
「稀代の英雄と称賛される程に名声を上げたアオイが、聖女と婚姻するのは、ヒルキアにとって有益となりますから、僕は反対する気がありません」
華がホッとするも束の間、ミゼンは「ですが」と言葉を続けた。
「ですが、ハリュンゼンの王子は違います。あの男にはすぐにでもこの国から出て行っていただきたいですね」
ミゼンの言葉に、華は小首を傾げた。
「確かに、フォルカーはハリュンゼンの女王様候補を探しに来てるんだもんね。でも、フォルカーはアオイからヒナを浚ったりなんかしないと思うけど。自国の為でも、強引な事するタイプじゃないもの」
「僕が心配しているのはヒナ嬢の事ではありません。華のことです!」
華は瞳を見開くと、「へ!? 私!?」と、素っ頓狂な声を上げた。
「悪役の私なんか誰も欲しがらないでしょ!?」
「……悪役?」
「あ、違った。悪役令嬢ね? どうせ私はハズレだし」
「何を言っているのです!?」
ミゼンは呆れた様に眉を寄せると、華の両肩をトンと叩いた。
「ハリュンゼンの王子は、公爵と密約を交わしました。貴方がもしも兄上から婚約破棄された場合、ハリュンゼンへ嫁がせると」
華はミゼンの言った言葉が直ぐには理解できず、暫く呆然とした後、「ほえ!?」と、間抜けな声を上げた。
「私が……フォルカーの!? ええ!? どうして!?」
驚愕の表情を浮かべる華に、ミゼンは困った様にため息を吐いた。
「公爵は、ハリュンゼンとの同盟を強固なものにする為、貴方をハリュンゼンの女王として送り出す事が有益であると考えているのでしょう。しかし、僕はそうは思いません。僕は、王家の盾であるランセル公爵家を国外に出すことこそ、ヒルキアにとって不利益であると考えています」
ミゼンはじっと華を見つめた。
——公爵の考えを阻止する。その為には、兄上が華との婚約破棄をしなければいい。
しかし、もしもそれが叶わないのなら……
「僕はなんとしてでも、貴方をハリュンゼンに嫁がせることを阻止したいのです。兄上が貴方との婚約を解消するのであれば、僕が……」
ミゼンはそこまで言うと口を噤んだ。
——華を護る為には、行方を晦ませている場合ではない。僕はなんと疎かだったのだろう。僕を王にしたいが為に母上が起こす策に、華が巻き込まれてしまうことで動転してしまったが、覚悟を決めなければヒルキアにとって不利益となりかねないというのに。
華は予想だにしない情報量に困惑し、頭を抱えたくなった。
——ひょっとして、私が悪役じゃなくなっちゃったから、ストーリーがおかしくなっちゃってる!? もし高飛車でヒロインを虐めるような悪役令嬢ハンナのままだったら、ヨハンはそれを理由に心置きなく婚約破棄をしただろうし、公爵もハリュンゼンに娘を嫁がせようだなんてせずに、どこぞの貴族と結婚させてたんじゃ……?
「えーと、私、どうすればいいの!?」
混乱している華を見つめ、ミゼンは優しく微笑んだ。その表情を見て、華はハッとしてミゼンの手を握った。
「ミゼン! 私の話はともかく! あんたは大丈夫なの!? そもそもミゼンが家出したから心配になって迎えに来たんじゃない!!」
華に潤んだ瞳を向けられて、ミゼンは少し戸惑った様に瞬きをした。
「大丈夫です。消えようと思っていましたが、気が変わりました」
「……ホントに?」
「はい。ですが、母上の代わりに謝罪させてください。危うく貴方の命を奪ってしまうところでした」
「ミゼンが謝る必要なんか無いよ。それに生きてたんだから良いじゃない」
「良くなんかありません。貴方が亡くなった時、どれほど……!!」
——どれほど、絶望したことか。どれほど、自分を呪ったことか……。
「あはは。でも確かにあのお茶を二度と飲むのはご免だね。死ぬほど不味かったもの」
——現に死んじゃったし。
「華、あの……」
ミゼンが少し照れた様に頬を染めた。そんな表情を浮かべている彼が珍しいと思い、華は少し驚いて「なに?」と、小首を傾げた。
「抱きしめても、良いですか?」
「ひょ!?」
色気の無い声を上げた後、華は「べ、べつにいいけど」と言ったが、なんで『いいけど』なんて言った!? 全然良く無くない!? と、動揺した。
だが、いくら動揺したところで了承したのだから後の祭りだ。ミゼンはすっと両腕を伸ばすと優しく華を抱きしめた。
ミゼンから甘い香りがほんのりと漂う。トクン、トクンと心臓の鼓動が聞こえる。それが自分の音なのかミゼンの音なのかが分からない。
——どうしよう!? なんだか緊張して汗ばんできちゃった。ミゼンは香水でもつけてるのか、良い匂いがするけど、私、ひょっとして臭いんじゃ!?
「華……」
ミゼンが静かに華の名を呼んだ。
——やっぱり臭い!?
華が恐る恐る顔を上げると、ミゼンが潤んだ瞳で見つめており、『おお、美形……』と、華は見惚れてごくりと息を呑んだ。
「僕は完全に貴方の虜となりました。貴方は僕のこの命を救い、導いてくれる女神です。貴方が願うのならば、僕は全てを手に入れてみせます」
——え? ミゼン、それって、ミゼンルートでヒロインに言う台詞じゃ……?
ミゼンの手が華の頬に優しく添えられ、彼はそっと顔を近づけた。




