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先見の明

 ランセル公爵家の邸宅に戻った華を、使用人達と公爵夫人が涙を零しながら出迎えた。


「ああ、ハンナ! 私の可愛い子! 貴方が亡くなったと聞きどれほどに驚いたことか!」


——分かった! もう、分かったからっ!

 華は公爵夫人に禿げるのではないかという程に何度も頭を撫でつけられ、あばらが折れるのではないかという程にぎゅっと抱きしめられた。


「お……お母様、私、疲れたので部屋に戻ります……もう一度死んじゃいそうですわ」

「ゆっくり休みなさい。暫くは王妃教育も休んで、身体を大事にしなければなりませんよ」


 やっとの事で開放されて部屋へと行くと、華はベッドの上へとダイブして「うはぁ! 疲れたぁ!!」と叫んだ。


 扉がノックされ、蒼壱が不機嫌そうな顔をして部屋へと入って来ると、「叫び声が廊下にまで聞こえてるよ」とため息を吐いた。


「全く、疲れたどころの騒ぎじゃないよ。本当に心配したんだからね!?」


 蒼壱が腰に両手を当ててうんざりした様に言うと、華は「ごめん」と謝りながら起き上がり、ベッドの上で胡坐をかいた。


「それで? 毒の味はどうだった?」


 蒼壱に嫌味を言われ、華は「最悪だった!」と、悲鳴交じりに、両手の指をワキワキと動かして言った。


「毒だって分かったのに、どうして飲んだりなんかしたのさ? 適当な理由つけて飲まなきゃ良かったのに」

「だって! 王后が勧めたお茶を第一王子のヨハンから奪い取ったんだよ!? 飲まずにどう対処したら良かったの!? 不敬罪だって公爵家に迷惑かける訳にもいかないしっ」


必死に弁解する華をシラケた目で蒼壱は見つめると、「手が滑ったとか言って落とせば良かったじゃないか」とサラリと言い、華は「その手があったかー!!」と叫んだ。


「王后だって俺にお茶をかけたんだ。その位でしょっぴけないだろう?」

「死ぬよりは怒られた方がマシだった!!」

「全く、馬鹿正直にも程があるよ。こんなやられっぱなしの悪役令嬢なんて居る!?」

「……ここに居まーす」


華はそう言いながらボスンと枕へと背を預けた。


「それにしても、王后ってどうしてヨハンを殺そうとするんだろう。ヨハンはたった一人で子供の頃から戦ってたんだって思ったら、なんだか可哀想になっちゃって」


華の言葉に蒼壱は肩を竦めると、「そりゃあ、実の息子のミゼンを王様にしたいからじゃない?」と、言ってため息を吐いた。


「蒼壱、王后の最期って、結構えぐかったよね? 乙女ゲーとは思えないような」

「ああ、王宮に攻め入って来た魔物に殺されるんだろう? 因果応報ってやつだし、同情する気にはなれないけどね。手違いとはいえ、華に毒なんか飲ませるだなんてさ!」


蒼壱は心の底から怒っている様で、膝の上で作った拳が強く服を握り締め、震えていた。


「俺がしっかり気を付けていれば、華を危険な目に遭わせずに済んだのに。王妃教育に割り込んできた時にもっと警戒すれば良かったんだ。本当にゴメン……」

「ちょ! ちょっと、蒼壱! 蒼壱のせいじゃないからっ!!」


華が慌てて起き上がると、「ぎゃ! コルセットが刺さった!」と、悲鳴を上げた。お腹を擦る華を苦笑いしながら見つめると、蒼壱はすまなそうに言葉を発した。


「ねぇ、華。またコンティニューしたの?」

「……うん、そうなんだけど」


 華は困った様に微笑んだ後、小さな声でボソリと言った。


「前は気づかなかったんだけどさ。ハートマークが減ったの……」

「ハートマーク?」

「うん……コンティニューの『Yes』を選択したら、ハートマークが『×2』から『×1』になったんだよね」


 蒼壱は華の話を聞いて、サッと青ざめた。


「それってひょっとして、コンティニューの回数に制限があるってこと?」

「そうみたい! どうしよう、蒼壱!! 0になったらどうなっちゃうんだろう!!」


 涙目になって言う華を見て、蒼壱は落ち着こうと深呼吸をした。

——コンティニュー回数が『0』の状態で死んだ場合、ひょっとして片方だけがゲームの世界に取り残されてしまうんじゃないか……?

 ……だとしたら、残るのは俺だ。もしも『0』になったのなら、その時点で俺は危険を避け、死なないようにするしかない。華が死ねば、華だけは現実世界に戻れるんだから。


「蒼壱」


 華がじっと蒼壱を見つめて言った。


「妙な事、考えてないよね?」


蒼壱は取り繕った様にニコリと笑うと、首を左右に振った。


「とにかく、回数制限があると分かった以上、これからは更に慎重にならなきゃだめだよ。華、ヨハンを守って死ぬのはもうお願いだから止めてよ?」

「私も好きで死んだわけじゃないんだけど……」


 華は膝を抱えて座り直すと、チラリと蒼壱を見た。

——どうして蒼壱は、ヨハンの告白を遮ったんだろう……? ハンナとヨハンが上手くいけば、ヒナをアオイルートにし易いはずなのに。ハンナとの婚約破棄を阻止する為に、剣技大会の授賞式でヒナにあんな行動を取ったんじゃないの?


「華」


不満気な様子を察して、蒼壱がため息交じりに華の名を呼んだ。


「俺達の目的は、あくまでも『現実世界に帰る事』だよ。ゲームオーバーなんてするわけにはいかないんだ。本当に、気を付けて?」

「う……うん」


華が慌てて頷くと、蒼壱は小さくため息を洩らした。


「ゲームのクリア条件をもう一度整理しようか」


 蒼壱はソファの上へと腰かけると、手を組んで考え始めた。


「このゲームのストーリー上、魔王を討伐し、ヒロインと攻略対象が結ばれる事でエンディングを迎えるんだ。アオイルートなら中ボス戦イベントは発生しないはずだけれど、ヨハンルートもまだありえるから油断はできない。中ボス戦の準備は整っているからいいとして、魔王討伐の事も今から考えていかなきゃ」


華は苦笑いを浮かべると、「考えろって言われても」と、頭を掻いた。


「私には、剣の稽古を頑張る事くらいしかできないんだけど。魔王ってどんなだっけ?」


二人の脳裏に、頭部に角を生やし白い仮面を被り、背に艶やかで立派な漆黒の翼を生やした男が思い浮かんだ。


「確かに魔王は印象薄いよね。結局乙女ゲーだから、魔王討伐なんかサブストーリーで、メインは恋愛って事なんだろうけれど」


蒼壱の発言に、華は頷いた。


「中ボスの方が強かったくらいだもんね」

「中ボスは敵キャラの中でも重要なポジションだからね。あの戦闘の中で、魔王の復活が告げられるんだから」


華は必死に思い出そうとして、小首を傾げた。


「名前、何だっけ? なんか長い名前だったような気がするけど」

「アスモデウスだよ」

「蒼壱、よく覚えてるねっ!」

「攻略に随分と手こずったもの。攻略方法さえ分かっちゃえばなんてことなかったけれど」

「じゃあ、また攻略対象を……」


 華が言い終えないうちに、何やら邸宅のロビーから騒ぐ声が聞こえた。華と蒼壱は顔を見合わせて部屋から出ると、階段の上からそっとロビーを覗き込んだ。


 王宮の騎士数人に詰め寄られる様に公爵が話している。温厚な公爵が珍しく苛立っている様に見え、蒼壱は華を階段の上に残し、一人ロビーへと下りた。


「何かあったのですか?」


 蒼壱の姿を認めると、公爵は「ハンナの様子はどうだ?」と心配そうに言い、「特に問題はありませんが、念のため休んでおります」と蒼壱は返した。

 騎士達が蒼壱へと視線を向け、少し改まった様に頭を下げた。稀代の英雄と称されるアオイに、騎士の誰もが敬い、憧れているのだということがその所作からも伺い知れる程に、尊敬の眼差しが向けられている。


「第二王子が行方を(くら)ましたそうだ」


 公爵の言葉を階段の上から聞いて、華は小さく「え」と声を洩らした。

——ミゼンが、家出!?


 蒼壱は華が階段の上に隠れている事を悟られまいと、わざと咳払いをすると、「確かですか?」と聞いた。騎士の一人が頷くと、困った様に眉を寄せた。


「茶会の件で、珍しく第二王子殿下が王后陛下に詰め寄ったのです。そしてその後、厩舎から第二王子殿下の愛馬が消えておりました。執務もやりかけのままで、食事にもいらっしゃいませんでした」


——ミゼンのバカ! 今まで大人しく王后の言う事利いていたじゃない!! どうして反抗なんかっ!


「この者達は第二王子殿下がハンナの身を心配し、当家に来たのではと探しに参ったのだそうだが、私としては娘をこれ以上厄介事に巻き込ませたくはないのでな。ハンナとの面通りを断っていたところだ」


 公爵の言葉に蒼壱は頷くと、「姉上は何も知らず、休んでおります」と答えた。


「本来であれば、アオイにも第二王子殿下の捜索に加わって貰いたいところだが、ハンナの件もあるのでな、暫くはハンナの側についてやっていて欲しい」

「しかし、公爵!」


反論しようとした騎士達に「ならぬ!」と、公爵は声を荒げると、蒼壱の肩をポンと叩いた。


「我が公爵家は第一王子派でもある。故に今回の捜索には当家は一切関わらぬ! アオイ、お前も肝に銘じよ」


——なるほど、それで言い争って聞こえたのか。俺個人としては中立派にしておかなければ、今後の動きに支障を来すだろう。ヨハンの味方をする気なんかさらさら無いし。

 蒼壱はそう考えながら階段をチラリと見た。するとそこには華の姿が無く、蒼壱は唖然とした。


——嘘だろ!? 華、ミゼンを探しに向かっちゃったのか!? 子供の家出でもあるまいし、そこまで心配する程の事じゃない。ミゼンは魔術に長けているんだから、ちょっとやそっとでやられるような奴じゃないのに!


「聞いているのか? アオイ」


 公爵に再び肩を叩かれて、蒼壱は思わず「はい!」と、やたら元気に声を上げ、しまったと思った。これでは自分も公爵と同じく第一王子派なのだと宣言したも同然だ。つまり、ヨハンがハンナを妃に迎えたいという希望を否定するのは、公爵家の意に反する事となる。


——厄介な事になった。ヨハンが華に結婚を申し込んだのなら、俺は立場上受け入れるしか無くなってしまった。


 騎士達は『稀代の英雄アオイが公爵の意見に賛同するのなら、致し方ない』と、頷き合うと、啓礼をして去って行った。


「宰相の私よりも、お前の言う事の方が騎士達はよく聞くな」


 公爵は嬉しそうにそう言うと、満足気に頷いた。自分よりも息子の意見を優先されたというのに喜ぶとは、親ばかにも程がある。


「父上は、ヨハン第一王子殿下が伴侶としてヒナを選んだ場合、姉上をどうするおつもりですか?」


 公爵は「ふむ」と、チラリと蒼壱を見つめると、「お前のシスコンにも困ったものだな」と肩を竦めたので、蒼壱は声を出す事も忘れ、口をパクつかせた。


「そんなにハンナと離れて暮らすのが嫌か? 仲がいいのは良き事だが、お前もそろそろ婚約者を持たねばならぬぞ?」

「話をすり替えないでください!」

「ヒナ嬢と恋仲なのではないのか? 公の場以外で二人が仲良く寄り添う姿を見ておらぬが、何を考えている?」


蒼壱はため息を吐くと、俯いた。


「彼女とはそういう関係ではありません。ヨハン殿下が、姉との婚約破棄を公表するつもりでいたので、それを阻止する為の行動だっただけですよ」

「相手はそうは思ってはおらんだろうがな。それどころか、公爵家の立場も危うくなる」

「……どういう意味です?」


眉を寄せた蒼壱に、公爵はフンと鼻を鳴らし、「少し話そうか」と執務室へと促した。


 この世界にトリップした後、何度か足を踏み入れた事がある公爵の執務室は、綺麗に整頓されている本棚や室内とは裏腹に、机の上は嫌に乱雑で散らかり放題だった。

 綺麗好きの蒼壱としては、ヒルキアの叡智とも言われる公爵の机の上が、こうも雑然としていてはよくないと注意したが、公爵は「これが落ち着くのだ」の一点張りで、決して片付けようとはしなかった。


 執務室内の応接用のソファへと座るようにと促され、一体何の話をする気だろうと蒼壱は不安に思いながら掛けた。

 執務室のソファは座り心地が悪く、破損しているのかでこぼことしていた。チラリと公爵を見ると、申し訳なさそうに笑いながら、「そこで寝てしまう事が多くてな」と、ソファがくたびれている理由を口にした。


 公爵も蒼壱の正面へと掛けると、疲れた様に顔を撫でつけ、溜息を吐いた。


「アオイ。ヒナ嬢を、ヨハン第一王子殿下へ譲りなさい」


ひゅ……と、蒼壱の喉を空気が音を立てた。


「父上、言っている意味が……」

「茶番で国は守れぬ。聖女をハリュンゼンに渡すくらいならば、ハンナを送った方がヒルキア王国にとって痛手は無い」

「待ってください! 父上は姉上をヨハン第一王子殿下の伴侶にしたかったのではないのですか!?」


 公爵は冷たい視線を蒼壱に向けた。その視線に、蒼壱はゾクリと背筋を凍り付かせた。怒りと、強い非難が込められたその目は、間違いなくヒルキアの叡智と謳われるオルヴァ・ランセル宰相だ、と納得せざるを得ない程に計り知れない知性が込められており、恐怖すら感じた。


「お前達が入れ替わる事は私にとってかなりの誤算であったが、それによりハンナが婚約を破棄されるのであれば好都合であると思っていた」

「……最初から、姉上の婚約破棄を望んでいたのですか!?」

「私は予てからハンナには甘やかすだけで、まともな教育を受けさせては来なかった。我がランセル家は王家の盾だ。その意味を理解しているか? アオイ」


蒼壱はすぅっと血の気が引いた。


「俺が王家の盾であることは理解しています。ですが、姉は一体何のための盾です!?」

「王家に悪い虫が寄り付かぬようにだ」


——悪い虫……? 他の令嬢の事か!? それじゃあ、公爵は聖女を王家に迎えさせる為に準備していたとでも言うのか!?


「ヒナが現れるか知りもしなかった貴方が、どうしてそんなことを!?」


公爵は蒼壱の言葉に笑うと、「まるでお前は全てを知っていた風な物言いをするな」と肩を揺らした。


「ヒナ嬢の事は天からの恵みであると思っているとも。だからこそ、お前の伴侶として迎え入れる訳にはいかぬのだ。我がランセル公爵家は王家の盾。立場を弁えなければならぬ」


——ヒロインがどの攻略対象とエンディングを迎えようと、悪役令嬢ハンナがヨハンに婚約破棄されることは免れなかった。その理由はこれだったのか……?

 公爵は、ヒルキアの王室にランセル家の血を入れる気が無かったんだ。

 王家の盾という立場を護る為に。つまりは、王家を護る為に……!


 蒼壱はぎゅっと拳を握り締めた。その様子を、公爵は静かに見つめていた。


——目的を見誤るな。俺の望みは、華と現実世界に帰る事だ。その為には、アオイルートでなければならない理由なんか無い。ヨハンルートになれば、華がヨハンを諦めるのに好都合じゃないか。


 それなのに、どうしてこんなにも心が苦しいんだろう……。


「……わかりました。父上の仰せの通りに」


 公爵はすっと立ち上がると、蒼壱の肩を励ます様に何度か叩き、部屋から出て行った。

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