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ヨハンの告白

「まさか……」と、ヨハンは華を覗き込んだ。


——そなたは私を庇い、常に助けてくれたあの『稀代の英雄アオイ・ランセル』なのか……?


「とあ――――ッ!!」


ゴチンッッ!!


 ヨハンは突然の衝撃に額から火花が散ったかと思う程に目がチカチカとし、思わず(うずくま)った。


「……あれ? ここ何処??」


 叫び声を上げながら飛び起き、ヨハンに盛大に頭突きを食らわせて、華はキョロキョロと辺りを見回した。豪華な家具に天蓋付きのベッドはシンプルで、ランセル家のごてごてとした物とは違うな、と小首を捻る。


「やばっ! 記憶喪失!?」


——ぐびっと毒入りのお茶を飲み干したのは覚えているけれど!!

 と、ベッドの下で蹲って額を押えているヨハンに気が付いて、華は「あれ? ヨハン……」とポツリと呟いた。


「どうしたの? そんなところで何してるの?」

「そなたは石頭か!?」

「へ!? 確認したことないけど、そうなのかな? でもどうして?」


 ヨハンは額を擦りながら立ち上がると、溜息をついてベッドへと腰かけた。じっとエメラルドグリーンの瞳で華を見つめるので、華ははにかんで顎を引いた。


「……な、何?」

「具合はどうだ? 毒を飲んで倒れたのだぞ?」

「あ、お茶? うん、大丈夫。全っ然平気。めちゃくちゃ不味かったけど。もう二度と要らない」

「そういう問題ではなく、身体のどこにも異変は無いのか!?」

「な、なんともないよ!」

「いや、しかし。心臓が確かに止まっていた気がしたが……」


 ヨハンは心配そうに華の手を握った。その温もりを確かめて、華の頬に触れた。


「間違いなく生きている様だが……ふむ……?」

「死んだ様に見えただけじゃない? 私、寝るとなかなか起きないし!?」

「そなたは心臓を止めて眠るのか?」

「そ、そう! 癖なの!!」


 苦し過ぎる言い訳というより、無理があるなと思いながらも、華は「たはは」と笑った。


「私、ちょっと変わってるから! 気にしないで。平気だから、ヨハン……」


 ヨハンの瞳が潤んでいき、華はぎょっとした。


「よ、ヨハン?」

「何故あのような行動に出た?」

「何故って、何が?」

「私を庇ったのだろう!!」

「あー、だって、私はヨハンを護るって決めたし。ランセル家は王家の盾なんでしょ? そんな、心配しなくても平気だよ。無事だったし」


 華は自分がハンナの恰好をしていることを忘れ、そんな台詞を吐いた。すると、ヨハンがぱっと華を抱きしめた。想像だにしなかった事態に華は「ひょ!?」と、色気の無い声を上げ、思いのほかずっと逞しいヨハンの体つきにドキドキと心臓が鼓動した。


挿絵(By みてみん)


「よ、ヨハン!?」

「私を庇おうなどと、そんなことはしなくても良い! そなたは女性だろう!」

「へ!?」


——やば。私、ハンナの恰好してたんだった。っていうか、ハンナ相手なのに、ヨハンがアオイの時みたいな思いやりある態度だったから……!


「良いか、私は守護の神聖魔法を予め自分にかけていたのだ。あの程度の毒ならば苦しみはするが死にはせん。二度と私を庇うような真似をする必要はないっ。分かったか!?」


ヨハンの言葉を聞き、華は眉を寄せた。


「待って。そんなの変。だって……苦しいんでしょ?」


 華の言葉にヨハンはハッとして瞳を見開いた。


「死ななくたって、苦しいのに。ヨハンは一人で耐えるんでしょ?」


——ヨハンは、ゲームの中の人かもしれないけれど、それでも心がある。


「心だって傷つくのに。そんなの、黙って見てなんか居られないよ」


 ヨハンは動揺したように震える声を発した。


「……私はヒルキアの王位を継ぐ者だ。傷ついてなどいられぬ」

「ヨハン。どんなに強い人だって、心に傷はつくよ。ちっともおかしいことなんかじゃないよ。傷ついたら痛いし、悲しくだってなるでしょう?」

「そのようなことを気にしていては、国を治める事などできぬ!」

「心が無い人がどうやって皆の事を思いやれるの? 冷たいって思われちゃうんだよ?」

「例え皆に冷酷だと言われようとも構わぬ。私はヒルキア王国を、民を護る義務がある! 弱音など吐いてはおれぬ!」

「弱音を吐く事は恥ずかしい事じゃないよ。傷つく事だって当然なんだから、恥ずかしい事なんかじゃない。その為にランセル家が居るんじゃないの? ヨハンを支える為に私も蒼壱も頑張ってるのに。ヨハンは私達が要らないの? 独りぼっちの方がいいの?」

「私は……」


「どうして一人で居たがるの? お願いだから、もっと私達を頼ってよ。一人で悩む必要なんか無いでしょう?」


 華の肩にポタリとヨハンの涙が零れ落ちた。ハッとしてヨハンを見つめようとする華に、ヨハンは「見るな!」と言って、抱きしめる力を少し強くした。


 ヨハンが震えている。華はヨハンの背を優しく撫でた。


「どうしたの? ヨハン、何か怯えてるみたい」

「大切な人を失うのが怖いのだ……」


 ポツリとヨハンが呟く様に声を放った。「大切な人?」と、華が訊くと、ヨハンは静かに頷いた。


「……私の母上は、私がまだ年端も行かぬ頃に亡くなられた。そなたの様に、私の前で血を吐き、苦しみを押えながらも私を案じて笑みを浮かべてな。私はその時悟ったのだ。国を治める者として、大切な者を亡くしても泣く事は赦されぬのだと。ならば、大切な者など居なければ良い。そう思った」

「だからハンナを避けたの?」

「そなたが私を好いてくれるのが辛かった」


『はぁ!? 私がいつ!?』と、言いかけて、ああ、悪役令嬢ハンナはヨハンにぞっこんだったんだっけ、と顔を真っ赤にした。


「最近では嫌われている様に思えたが」

「べ、別に嫌ってなんかっ!」

「ミゼンに心を移したのかと思ったが、そうではないのか?」

「違っ! ミゼンはマブダチだもんっ!」

「……マブダチ?」

「そう! あいつ、結構いい奴だし! あ、最初大嫌いだったんだけど。魔物討伐でアオイの事を助けてくれたしね」

「……そうか」


ふっとヨハンが少しだけ笑った。

——あの時、ミゼンが何故アオイを追って出征したのかがやっとわかった。アオイがハンナであることに気づいていたからなのだろう。ミゼンが腹を立てている風だったのは、私がそれに気づきもせず、ハンナを戦場へと送り出したから……。


「ミゼンは、そなたの事を支えてくれていたのだな」

「うん。沢山助けられたよ。だから、頼りになるマブダチなの」

「ミゼンと会話すべきだったのに、私はどこか意地を張っていた。そなたに心配をかけてしまってすまなかった」


華はホッとしたのも束の間、『あれ!? っていうか私なんで抱きしめられてるんだっけ!?』と狼狽えた。


「あ、あの……ヨハン」

「なんだ?」

「えっと、そろそろ放してくれると助かるんだけど……ちょっと、その……恥ずかしいし……」


ヨハンはハッとした様に慌てて華から身を離すと、「すまぬ!!」と言って顔を赤らめ、背けた。


 二人共押し黙り、気まずい空気が流れる。


「と、とにかく、無事で何よりだ」

「う、うん。ありがと! ヨハンも無事で良かった!」


 部屋の扉がノックされ、華はその音に驚いて「わ!」と、叫んだ。ヨハンがすまなそうな顔をしながら返事をすると、大慌てで蒼壱とフォルカーが室内へと駆け込んで来た。


「華!! 死んだって聞いたんだけど!!」


蒼壱は完全に取り乱し、血相を変えて半泣きしながらベッドの上に飛び乗ると、ヨハンをドン! と突き飛ばして華の無事を確認しだした。


「顔色……は、平気だね? 具合は悪く無い? どこか痛いところは? 気持ち悪くない?」

「蒼壱、大丈…」

「ハンナが血を吐いて死んだって、王宮中大騒ぎだよ! ランセル家にも早馬が飛んだし、王宮に来てた公爵は知らせを聞いて気絶したって!!」


——げ。思ったより大事になっちゃってる。

 華は青ざめて、蒼壱は「顔色悪くなった!」と悲鳴を上げた。


 蒼壱に突き飛ばされてベッドから落ちたヨハンが、頭を押えながら起き上がると、フォルカーがヨハンに手を差し伸べた。


「立てるか? ヨハン。まぁ、嬢ちゃんが無事で何よりじゃねぇか。全く、肝を冷やしたなんてもんじゃない」

「ヨハンのクソ野郎の為に華が死ぬ事なんか無いんだからね!?」


蒼壱の言葉にヨハンはグサリと胸を痛めて、「そ、そうだな」と乾いた笑いを洩らした。


——アオイが分からぬ!! どっちが本物のアオイなのだ!?

 と、ヨハンは混乱しながら華と蒼壱を見つめた。


——ともかく、二人が入れ替わっていた事実が王に知れたのなら、由々しき事態となるだろう。ランセル公爵家は王家を偽った者として爵位を剥奪される恐れもある。今は私の胸に留めて置かねばならぬ。

 と、ヨハンは考えて、蒼壱に心配されて戸惑う様子の華を見つめた。

 いつもとは違い薄化粧であることに今更ながらに気づく。意志の強そうな大きな瞳。ほんのりと色づいた唇。細い首筋や肩に、華奢な手指……。


 そなたを守るべきは、私の方だったというのに……。


 ベッドの横に膝をつき、ヨハンは華に向かって手を差し伸べた。その様子を皆ポカンとして見つめ、ヨハンは一体何をし出したのだろうかと思った。


「ハンナ嬢。私はもう逃げるのを止めようと思う」

「……逃げるって、何から?」

「自分の運命からだ」


 エメラルドグリーンの瞳を華に向け、ヨハンは懇願するように眉を寄せた。


「私はそなたを護ると誓う。この身をそなたに捧げよう。私と、一生を共に歩んで欲しい」


 シン……と、その場が静まり返った。


 華はポカンとしてヨハンの言った言葉を脳内で反芻し、ハッとした。


——あれ? ちょっと待って、ヨハン。そのセリフ、ヨハンルートになった時にヒロインに言うセリフじゃなかった?

 華はゲームのストーリーを思い出して、たらりと冷や汗を垂らした。


 蒼壱もヨハンのそのセリフがヒロインに向けてのセリフだったことに気づき、眉を寄せた。

——冗談じゃない。華をゲームの世界に取られるわけにはいかない。俺達は現実世界に帰るんだ。これ以上気持ちを翻弄されて堪るか。


 蒼壱は華の手を取ると、「行こう」と強引に引っ張った。


「皆心配しているから、直ぐにでも元気な様子を見せてやらなきゃ」

「う、うん。でも、蒼壱……」

「待たせちゃだめだよ。ホラ」


戸惑う華を「早く!」と半ば強制的に部屋から追いやった後、蒼壱はヨハンを睨みつけた。


 ヨハンは唇を噛み、真っ直ぐにエメラルドグリーンの瞳を蒼壱に向けていた。


「殿下。申し訳ないけれど、姉との婚約を破棄してください。これ以上姉を危険に巻き込みたくはありませんから」

「それはできぬ」


きっぱりと言い切ったヨハンに、蒼壱は眉を寄せた。ヨハンは蒼壱を見つめたまま、更にはっきりとした口調で言葉を続けた。


「ランセル公爵も此度の件で、王家にハンナ嬢との婚約破棄を申し入れるだろう。だが、受け入れるつもりはない」

「待ってください。貴方は姉を好いていないはずですが。何故拒否されるのです?」


 蒼壱の話し方を聞きながら、ヨハンは成程と心の中で納得した。毎回というわけではないにせよ、姉弟で度々入れ替わっていたのだろう、と。しかし、ヨハンの中で腑に落ちないのは、アオイの騎士としての優秀さだった。

 初出征の日、ハンナ嬢に救われたのだとしたら、彼女は随分と腕の立つ騎士であるということになる。


——それでも、あの首の矢傷は確かに私を庇ってのものだった。


 つまり私は、彼女に二度も命がけで護られたということになる。一度目は戦場で。二度目はつい先ほどだ。


 ……なんということだ。


 ヨハンの脳裏に華と過ごした時間が鮮明に浮かび上がった。そのどれもがヨハンの中で強く印象付けられ、アオイを信頼するきっかけになった出来事ばかりだった。


——彼女を失ってなるものか……!!


 ヨハンは真っ直ぐと蒼壱を見つめた。蒼壱は敵意むき出しでヨハンを見つめており、その様子に改めて何故今まで二人の入れ替わりに気づかなかったのかと、自分を恥じた。

 それほどに、ハンナに対して興味を示さない様にと、敢えてそうしていた自分の愚かさに苛立ちを覚える。


「殿下、姉と婚約を解消してください!!」

「いいや、ならぬ」

「何故ですっ!!」

「無論、彼女を愛しているからだ」


 ヨハンの言葉に蒼壱はカッとなり、睨みつけた。


——こいつ、イカレてる。俺と華が入れ替わった事にも気づいていないくせに、どの口でそんなことを言うんだ……!!


「姉を愛しているのならば尚の事、婚約を破棄して頂きたい。分かっているのですか? 姉は今日、毒殺されかけたんですよ!?」

「できぬと言ったはずだ。アオイ、これは私とハンナ嬢との問題だ。そなたには関係ないことだ」

「!!!!」


 いきり立つ蒼壱とヨハンの間にフォルカーが割って入ると、「まあ、ちょっと落ち着け」と、溜息を吐いた。


「嬢ちゃんが死んだって聞いて皆気が動転してるんだ。今この話をするのは止そうぜ? 大体、お前らだけの話で決まることじゃない。だろ?」


落ち着かせようと肩に触れたフォルカーの手を払いのけると、蒼壱はさっと部屋から出て行った。

 その様子を眺めながら、フォルカーは成程と察した。


——アオイは、嬢ちゃんを誰にも渡さねぇ気か。ヨハンの気持ちが嬢ちゃんに向く事を、アオイは望んでいないんだな。ヨハンとの婚約を破棄させないようにとヒナを自分の恋人だと知らしめておきながら、一体どうして今度はそんな行動に出るのか、矛盾だらけだ。

 何か、深い訳がありそうだな……。


 フォルカーはむぅと唸り声をあげ、首を捻った。

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