王后のお茶会
——最悪、最悪最悪っ!!
華は顔を真っ赤にしながらドレスの裾を掴み、急ぎ足で廊下を歩いていた。
先ほどフォルカーにされたキスの感触が唇に残る。少しその時の状況を思い出しただけで心臓が爆発しそうなほどに強く鼓動した。
——うう……苦しい、私死ぬかも。なんなのこれ? フォルカーのバカっ!
「ハンナ、大丈夫? 着替えが遅かったから、心配になって見に来ちゃった」
ヒナが駆け寄ると、華のドレス姿を見て嬉しそうに微笑んだ。
「凄い! ハンナ可愛い! いつものドレスも素敵だけど、とっても似合ってるわ!」
「そ……そお?」
照れながら頭を掻こうとし、折角フォルカーに整えて貰った髪を台無しにしてしまうなと華は手を下ろした。手を下ろした後、フォルカーのキスを思い出し、無償に髪をぐしゃぐしゃにしたい衝動に駆られ、必死になって抑えた。
「じ・れ・ん・まぁ~~~~っ!!」
「大丈夫? 具合でも悪い? 顔が真っ赤だけど」
ぷるぷると震える華をヒナが心配そうに見つめ、「ううん!? ぜんっぜん平気!」と、引き攣った笑みを向けた。
「王后陛下がお庭で待ってるわ。どうしてもお茶会をしたいみたい」
「うわぁ、強引だなぁ」
「これ以上待たせるとお怒りになりそうだし、早く行きましょ」
ヒナは華の手を取ると、ニコリと笑った。ふんわりと香水の匂いが鼻を擽る。歩き方も軽やかで、女の子らしく上品だ。
——ヒナって可愛いな。性格もいいし、まさにヒロインに打って付け。それに比べて私は……。
「ハンナ、ちょっと背が縮んだ?」
「え!? あ、今日はヒールが低いから!」
「そっか。この世界の服って足元が見えないから分からなかったわ」
機嫌良さそうにニコニコと笑っているヒナを見て、華は恥ずかしそうに俯いた。
「あ、あのさ。ヒナは、ファーストキスっていつ?」
華の質問に、ヒナはカッと顔を赤らめた後、小声で恥ずかしそうに言った。
「剣技大会の、アオイ様とのキスがファーストキスだったの」
「ええっっっ!?」
華は素っ頓狂な声を上げた。
——なにそれ!? じゃあ、ヒナにとってのファーストキスは事故みたいなものじゃない!? あんな、大勢の前で突然だなんてっ! それに比べたら私はマシなほうかな?
……うーん、マシなのかなぁ?
華が難しい顔をしていると、ヒナは慌てた様に両手を振った。
「あ、でも! 全然嫌じゃなかったわ! 私は、アオイ様の事が好きだからっ!」
——『好き』か。
と、華は考えて、火照った顔を冷やそうと、両手で両頬を押えながら考えた。
私、フォルカーの事嫌いじゃないけど、恋愛対象として見た事なんて無かった。確かにイケメンだし、良い奴だし、気が合うんだけど……。
『好き』と、『友達』の境界って一体何!?
「ヒナは、アオイのどんなところが好きで、恋愛対象になったの?」
「え!?」
ヒナは増々顔を赤らめて、恥ずかしそうに唇を噛んだ。
「あの、ね。ハンナには言っちゃうけど」
『なになに!?』と、聞きたくなったのをぐっと堪えて、華は落ち着いた風を装ってニコリと笑みを作った。
「アオイ様は、いつの間にか憧れのヒーローって感じで! 素敵過ぎて全てにおいてパーフェクトで直視できないくらいなのっ!」
——蒼壱はアイドルか何かなの!?
と、華は苦笑いを浮かべたが、ヒナが設定上現実世界から来たヒロインならば、この世界の攻略対象達がどれもアイドルの様に見えるのは無理もないと思った。煌びやかな刺繍の施された騎士のコートなど、日常生活で見かける服装ではない。
それならば、ただの憧れではなく、恋愛対象として思ったのは何故なのだろうかと華は考えた。
「蒼壱を恋愛対象に思ったきっかけって何だったの? 剣技大会のキスがきっかけ?」
ヒナは「そうじゃないわ!」と首を左右に振ると、頬を赤く染めたまま幸せそうに言った。
「ヨハン様の生誕祭でのダンスかな。息ピッタリに合わせてくれて、優しくて最高のエスコートだった。夢の中に居る気分だったわ!」
——そりゃ、息もぴったりだよね。王妃教育で普段から蒼壱と踊ってるんだもん……。
「蒼壱って頼りになるでしょ?」
「うん、すごく! アオイ様って、ハンナに似て綺麗で女性みたいな顔立ちなのに頼もしくて。それでいてとっても優しいんだもの。そんな素敵な人と同じ屋根の下で過ごしてるって思うと、私恐縮しちゃう! 剣技大会でキスしてくれたって事は、アオイ様も私と両想いって事なのかな!? 確認できなくて、ずっとそわそわしちゃってるのっ!」
ヒナの言葉に、華はズキリと心が痛んだ。純粋で優しくて可愛いヒナは、まさか蒼壱が現実世界に帰る為にしている行動だとは微塵も思ってはいないだろう。
——蒼壱は、現実世界の加賀見妃那が好きなんだもの、こんな風にヒナの気持ちを惑わすなんて、酷い事だよね……?
「ハンナ? ひょっとして怒ってる? ごめん、私失礼な事言っちゃったかな。アオイ様はハンナの弟だもん、いい気持ちしないよね」
「ううん!? 全然っ! ヒナに気に入って貰えて蒼壱は果報者だなって思って!」
慌ててそう言った華に、ヒナはホッとしたようにため息をついた。
「良かった。私、ハンナの事も大好きだもの」
「ありがと、私達、マブダチだね!」
「……まぶだち? いつもおしとやかなハンナが、今日はなんだから男の子っぽいのね」
——う。やっぱり蒼壱より男らしいのか、私って。
「お、王后陛下とのお茶会だから、頑張らなきゃって気合入ってるの!」
「ハンナったら、王后陛下のお茶会にはしょっちゅうミゼン様と参加してたんじゃないの?」
「あ……えーと、ヒナと一緒に参加するのは初めてだし!?」
華はヒナに聞こうと思っていた『好きと友達の境界線』の話をするのは控えた。ヒナの気持ちを弄んでいるような気がして、罪悪感でズキリと心が痛む。
——私達が現実世界に帰る為には、仕方の無い事なんだよね……? でも、決して正しい事じゃないよね……?
お茶会が開催されているらしい庭へと向かうと、使用人達が出迎えると思いきや、緊張した面持ちで立ち尽くしていたので、二人は不思議そうに顔を見合わせた。
「何かあったのかな?」
華はひょいと庭に顔を出して様子を伺った。
ピンと張り詰めた空気の中、優雅に扇子を仰ぐ王后の姿が見える。その前にはヨハンが膝をついており、華は眉を寄せた。
——ヨハン? 興味無いって言ったくせに、どうしているの!?
「……どうか、ご容赦ください」
膝をついていたヨハンが絞る様に言葉を放った。王后はつまらなそうにフンと鼻を鳴らした後、華とヒナの二人が来ている事に気づき、にこやかに笑みを作った。
「あら、待っていたのよ。ハンナ嬢、ドレスが良く似合っているわ」
王后の言葉に執事がハッとして二人をテーブルへと案内し、華は跪いたままのヨハンを心配しながらも案内に従った。
「二人にお茶を注いで。さあ、お茶会を始めましょう」
王后は完全にヨハンを無視している様だった。ヒナは戸惑いながらも強行しようとしている王后の言葉に従い、椅子へと腰かけた。
人一倍正義感の強い華は、王后の態度が気にいらないと思い、席に掛けずに立ったままだったので、王后は僅かに眉を吊り上げた。
「ハンナ嬢? どうしたのですか?」
「ヨハン殿下が膝をついているのに、私だけ椅子に掛ける事なんかできません」
華はそう言うと、ヨハンの側へと向かった。ヨハンはハンナもまた自分の存在を無視するだろうと思っていたので少し驚いたが、顔を上げずに唇を噛みしめた。
「一体何があったの? ヨハン、どうしてここに来たの?」
「ヨハンはこのお茶会が気にいらないそうよ」
王后が扇子を扇ぎながらそう言った。
「陛下。どうかご理解頂きたいと申し上げているのです。ヒナ嬢は聖女であり、客人です。試すような真似をするのは我が国の品位を疑われます」
「貴方如きが私を叱責しようというのですか?」
「そうではございません。だからこうして膝をついて願い出ているのです」
——なるほどね。ヨハンはヒナを庇いに来たんだ。
でも、少しはハンナの事を気にしてくれたっていいじゃない。一応、婚約者なんだし……。
華は隣で膝をついているヨハンを見つめながら、ズキリと胸が痛んだ。
「では、貴方も同席なさい。そうすれば気が済むのでしょう?」
王后は含み笑いを洩らしながらそう言った。華の隣でヨハンがぎゅっと拳を握りしめる音を発した。僅かに肩が震えているようにも見える。
「……わかりました」
ヨハンはすっと立ち上がると、膝についた土を払うこともせず、華を無視してテーブルへと向かった。華は一人その場で取り残された状態となり、王后が「ハンナ嬢もお掛けなさい」とニコリと微笑んだ。愛嬌のある笑みが、成程ミゼンの母親だと思いながら、華も席へとついた。
「さあ、冷めないうちに頂きましょう」
カップにお茶が注がれていく。華はチラリと目の前に座るヨハンを見つめた。彼は華に視線を向けることなく、緊張した面持ちで自分の目の前に注がれるお茶を見つめていた。
正直なところ、ヨハンに素っ気ない態度を取られて傷ついていた華だが、ヨハンの様子がどうも不自然に思えた。
——おかしいなぁ……なんだか変。ヨハンはここまで嫌な奴じゃないと思ったけど、どうして……?
ふわりとお茶の香りが漂う。ヒナが場を和ませようと「良い香りのお茶ですね!」と、微笑んでカップに口を付けた。華も「そうね。いい香りだね」と、ヒナの気持ちを汲んでそう言いながら一口飲んだ。
「あら、ヨハンはお気に召さないのかしら?」
王后がカップを見つめたままのヨハンに声を掛けた。ヨハンはため息をついて「いいえ」と、一言言った後、カップに指をかけた。
そのやりとりに違和感を覚え、華は小首を傾げた。
——あれ? 王后って、ヨハンのお母さんを毒殺したんじゃなかったっけ……?
華の脳裏に嫌な予感が過った。
意を決した様にカップに口をつけようとするヨハンを見つめ、華は咄嗟に「待って!」と声をかけた。
ただでさえ緊張していたその場が、まるで凍り付いたようにも思える程に静まった。ヨハンはジロリと華を見つめた後、そのままカップに口をつけようとした。
華は、席を立ち腕を伸ばすと、ヨハンからカップを奪い取った。
「……ハンナ?」
ヒナが困惑した様に眉を寄せながら言った。王后は愛嬌のある笑みを華に向け、「どうかしたのですか」と声を放った。
「あ……えっと、こっちの方が美味しそうだなって……」
「ハンナ嬢……?」
眉を寄せ、ヨハンが怪訝そうに言った。華は奪い取ったカップを見つめ、自分のカップに注がれたお茶とは明らかに異なる香りに鳥肌が立った。
——ヤバイ。これ、絶対毒が入ってる……!
「無礼だぞ、ハンナ嬢。私の茶を奪うとは何事だ?」
「でも、ヨハン……」
どうすべきかと困り果てて、華はヨハンを見つめた。王后のお茶会に招かれて、そのお茶を飲まないことがどれほどの無礼かは華にも分かった。ヨハンは華の瞳を真っ直ぐと見つめ、頷いて手を伸ばした。
——ヨハンは、王后が自分に毒を盛ると分かっていたから、この場に駆けつけるのを拒んだ。それなのに、来てくれた。お母さんを殺した仇の王后に跪いてまで。
……誰の為? 蒼壱の為? ヒナの為? 少なくとも、ハンナの為じゃないんだよね……?
「それを私に返せ、ハンナ嬢」
——でも、返したら……。
「私ならば大丈夫だ」
ヨハンは緊張した面持ちで華を見つめていた。恐らく華が毒の混入に気づいた事を察知したのだろう。それでも自分が飲むから寄越せと言っているのだ。
ぎゅっと唇を噛みしめながらヨハンを見つめる華は瞳が潤み、ヨハンの姿が二重に見えた。
——ヨハンは、このお茶を返したら、毒が入っていると知っていながら黙って飲んじゃう。王后からすれば、ヨハンの登場は予期せぬ幸いだった。もしかしたらそれを狙っていたのかもしれない。食事なら毒見役がつくけれど、こうしたお茶会では毒見役が居ないから。
ヨハンは、たった一人でこんな辛い仕打ちと戦っていたんだね……。
冷血王子だなんて、言ってごめんね、ヨハン。貴方は、周りを巻き込まないように、他を傷つけないようにと、ずっと孤独に戦い続けて来たんだね。
「返さない。ヨハン、ゴメン。私、ちっとも解ってなかった」
「……ハンナ嬢?」
——大丈夫。私にはいざとなればコンティニューがあるから。私、決めたんだ。ヨハンを護るって。どんなにか冷たくされたって、私はあんたを護ってみせる。
華は意を決してお茶を飲み干した。




