2:辺境の魔術師①
アリアナ帝国の帝都スーシャは領土を貫く「王の道」により、広大な大陸の各地と結びついている。情報の伝達や軍隊の移動にとどまらず、東西様々な人と物が行き交い帝都に集まることから、スーシャは帝国の都というだけでなく、商業、文化の中心でもあった。
大王ダリウスによる突然の政変はこの都を震撼させ、やがて国中へと波及していった。当初は驚きと不安が人々を覆ったが、それも数日経てば落ち着きを取り戻す。市場には様々な人種の人が溢れ、門を商人たちがひっきりなしに通っていく。市民生活への影響は少ないようだった。
大将軍アシュカーンが直々に軍を指揮して鎮静に当たったことが大きい。誅殺された貴族の邸宅はすぐに包囲され、動乱の芽は素早く摘み取られたのだ。
一方で大王はひたすら血を求めたわけではない。誅殺されたのは貴族たちの中でも派閥の中枢にいた者たちまで。すなわち国政を牛耳ろうと暗闘に明け暮れていた奸臣たちである。彼らのほとんどは先代の大王に反逆した輩で、同時に暗殺についても嫌疑――と敢えて表現する――がかかっている。許すわけにはいかなかった。
その他、不正の明らかな者たちも摘発した。罪の重い者は官職を剥奪した上で庶民に落とし、それ以下の者たちには目をつむった。官吏や軍人にも多くの貴族出身者がいるため、一度に大量の罪人を出せば国家運営が破綻してしまう。
また、各地の州太守たちも大貴族が多く務めるが、これらは留任したまま改めて忠誠を誓わせる使者を送った。この機に蠢動されれば再び内乱を招きかねない。混乱を最小限にして国難を乗り越える必要がある。
「帝都周辺に不穏な動きはございません、陛下」
大王の住まう<月の宮殿>、陽光降り注ぐ庭園にて大王ダリウスと大将軍アシュカーン、そして宦官が一人佇んでいた。
「苦労をかける、将軍」
「なんの、この老骨がお役に立つならば、どのようなご命令でも」
ちらりとアシュカーンは視線を走らす。大王の宦官はうつむき気味で一言も発しない。顔には仮面がつけられていて表情は伺えなかった。
あの日、貴族たちを誘い込み誅殺した時より、大王の宦官たちはみな揃いの仮面を身につけるようになった。アシュカーンなどは特に意識してこなかった相手だが、にわかに得体の知れない存在と化して見える。
「ところで陛下。太后様は如何に……」
「あの方には離宮に退いてもらった。しばらく軟禁という形になるが、不自由はさせないつもりだ」
その言葉にアシュカーンは少しホッとした。彼にとっては太后も永らく忠誠の対象だったわけであるから。
だが実質的に、太后の国政への関与を排除したということになる。貴族勢力も後退し、大王の親政が始まろうとしていた。
「将軍には余を支えてもらいたい。頼りにしているぞ」
「もったいなきお言葉。……しかし、陛下があのような計画を巡らせていたとは露知らず」
「そなたに告げなかったことは許せ。このナヴィドが言うには」
ダリウスがそばに立つ宦官に水を向けた。
「将軍の周囲は常に貴族たちの監視がついていてな。接触するのは避けていた」
「ははぁ」
アシュカーン自身、その気配は感じていた。だがこの宦官が監視を見破っていたという話が、その役割を暗示しているかのようだ。
(この宦官は諜者か……)
そして大王の謀臣も兼ねている。老将には複雑な気分だった。
いくつかの案件について諮問を受けた後、アシュカーンは退出していった。庭園に残された大王と宦官は風の中でしばし沈黙する。
「ここまで来るのに七年かかった」
「はい……」
大王ダリウスが戴冠してより七年。それは宦官のナヴィドとともに雌伏を重ねてきた日々だった。
大陸歴一〇三五年、先王アルシヤが大貴族たちの手で毒殺された。だが貴族たちはすぐさま新たな大王を担ぎ上げたわけではない。
当時、王室の主だった血筋は病や暗殺によって多くが途絶えており、嫡流の大王を擁立することもできない状態となっていた。
そもそもこの弑逆は、大王アルシヤによる貴族排除の謀議に対する緊急手段のため、新王の候補も決まっておらず選定は難航した。
この機に素早く動いたのが、殺された大王の母アンビス太后だった。太后は我が子の死に悲しむだけ悲しむと、王室でも古い傍流の家を調べ上げた。その家は没落していたが、ちょうどよく適齢の若者を見出すと、太后の養子として迎え入れて大王に据えた。これがダリウスであった。
一介の庶民同然であったダリウスは大王に必要な教養と作法、兵法や剣術と様々な知識を叩き込まれたが、一方で国政への関与は一切許されなかった。宮廷では太后と貴族たちの闘争が続き、毎日のように讒訴疑獄弾圧粛清の多重奏が奏でられる。
淀んだ宮廷の内をダリウスはことさら害の無い無知な若者として振る舞った。代々の王たちの末路を知るダリウスの処世術だったが、それは同時に奸臣たちを油断させる演技ともなった。
そんな大王の傍らには常にナヴィドがいた。元は太后付きの宦官であったが、大王が即位すると側に配置されることとなった。二人はほどなく国情への憂いを共有するようになり、密かに王権の復活に向けた計画を練り始めることとなる。
「大変なのはこれからだ」
大物は排除したがそれで全てが上手くいくわけでもない。州太守たちは未だ多くの富と軍事力を保持している。太守の座はいつからか公然と世襲されるようになり、特権階級を生み出してしまっていた。
この巨大な利権構造とどう向き合うかは歴代大王にとっての重しであった。
「陛下。いくつか報告が来ていますが、ファルザード卿の動きが怪しいようです」
レミタスの戦いで敗北したファルザードは、自らの領地に逃げ込んだ後、都での変事を知ることとなった。これをどう解釈したのか、大王の使者が訪ねても会えないという。
「おおかた、自身も粛清されると警戒しているのでは……」
「余はあの者まで責める気は無いのだが」
ファルザードの父は先王への反乱、及び暗殺の中心人物であったと見られる。だがファルザード自身はそのとき年若く、関与していたとは思えない。その父君も太后の反撃で暗殺されたことであるし、彼までは罰しないつもりでいた。
「引き続き接触を試みよ」
「ははっ。それと、陛下が探しておられた人物が見つかりました」
「どこにいた?」
「ダアイ州、北辺の守備隊付き魔術師として」
「なかなか僻地に飛ばされていたな」
ダリウスは情勢の安定化を図ると同時に、新体制に向けて人材の登用を急速に進めていた。
「そやつを都に呼び戻す。急ぎ手配をさせよう」
「はっ。この男はどのような人物でしょうか?」
「腕の立つ魔術師、そして信頼できる我が友だ」
「友……」
ナヴィドの目に映る大王の表情は昔を懐かしむような穏やかなものとなっていた。