レミタスの戦い③
「追撃は無用。我々の戦いはまだ終わっていないのですから」
ヘラス都市連合軍は勝利の余韻に浸ることもなく兵を撤収させた。常であれば敵を叩ける時に叩くのが常道だが、彼らの本来の目的はレミタス市を攻め落とすことにある。
今は城外に抑えの兵を置くだけに留めているが、本隊が合流すれば攻城戦が再開される。この場は兵力を温存することを選択した。
「それよりも、戦利品の中から敵が遺棄した旗など集めさせるように。それを見せれば、レミタス市の将兵も助けが来ないという現実を理解するでしょう」
幕営の中で指示を出すのはパラス市の将軍にして連合軍総司令官、テオドロス。今年で二十七歳という年齢は将軍として若く、総司令官としては異例とさえ言える。
涼しげで落ち着きのある風貌はどちらかと言えば哲人のようでもあるが、鍛えられた肉体と油断の無い気配は、居並ぶ歴戦の諸将と比べても見劣りしない。
「それにしても見事な勝利でした、司令」
連合軍は帝国軍の右翼を突き崩すと、そのまま残る左翼を半包囲して潰走させた。この勝利の決め手となったのが、テオドロスの手配させた二つの武具であった。
「これが“魔導の兵器”……」
それは見慣れぬ紋章が施された盾と、筒状の“魔導砲”と呼ばれる武器だ。盾は帝国の魔術を打ち消し、魔導砲は炎を放つ不思議な力を持つ。
「素晴らしい兵器だ。司令よ、我が都市にも売ってはくれぬか?」
「生憎とまだ数が揃えられません。盾も前衛に配備するだけで精一杯でしたからね」
魔導砲はまだ百丁といったところでしかない。だが新しい兵器に他都市の将軍たちは興味深く見入っていた。
「戦力を左翼に集中したのも正解でしたな。帝国の指揮官が尻尾を巻いて逃げよった」
「ええ。ですが勝負を決したのはラケディの軍隊や、連合各都市の将兵たちの力です」
「フン……」
テオドロスの世辞にラケディ軍の指揮官アリストン王は鼻を鳴らした。
(あのような物に頼って戦をするなど)
柔弱なと言いたげだが、称賛されて悪い気はしないので何も言わなかった。
「さて、これで残るはレミタスを攻め落とすだけですが」
「後顧の憂いも無くなったことだ、あとは力で叩き潰せばよい」
「いえ、その必要も無いでしょう」
テオドロスの発言に将軍たちは訝しんだ。
「熟れた果実はいずれ落ちる」
翌日に野営地を引き払った連合軍は、レミタス市を包囲する陣地へ合流すべく移動を開始した。
***
テオドロスが言ったとおりになった。連合軍が市の包囲を再開すると、間もなくレミタス市のほうから降伏の使者をよこしてきた。連合軍の将軍たちは再び感心した目でテオドロスを見やる。
「こうなることまで読んでいたわけか」
「あの町は元々ヘラス人の入植地です」
ここリデア半島の西岸は彼らヘラス人が多くの都市を築いた地だった。しばらく帝国の軍門に降っていたが、市内には都市連合寄りの住民が以前多い。テオドロスは事前に市内の有力者へ密使を送り、周囲の説得や工作を依頼してあった。目と鼻の先で帝国の援軍が打ち砕かれたことで、城内の空気が一挙に開城へ傾いたという次第である。
「堅固な城です。力攻めするよりも兵の損耗を抑えられますから」
レミタス側の使者も交えた軍議で、テオドロスたちは降伏の条件を詰め始めた。
「まず市内に駐屯していた帝国の将兵は退去させます」
「捕虜にしないのかね?」
「安全の保証を条件に説得へ応じてくれたので、約束は守ります」
城を出たあとのことは知らないが、とは付け足さなかった。不満そうな表情の者もいるが意に介さない。退去した将兵はこれより本国へ自力で帰らねばならず、敢えてその背を討とうとテオドロスは思わなかった。
「市の掌握は町の有力者の手に預け、正式な処遇は本国で決めていただく。徴用された市民兵はそのまま守りにつかせるが、連合軍の部隊も一部駐屯させる。以上の条件を城内に伝えられよ」
「寛大な処置に痛み入ります」
「司令!」
話が進む中、伝令の兵士が幕営に駆け込んできた。
「ラケディ軍の兵士が城内に入ってしまいましたが、いかがいたしましょう……」
「ああ、我が兵士が先に稼ぎへ行ってしまったか」
アリストン王の言う“稼ぎ”とはつまるところ略奪である。
「それくらいの権利はあろう。我が軍が最も激しく戦ったのだからな」
「王よ、直ちに兵を城外へ退去させていただきたい」
テオドロスの言葉に場が静まり返った。アリストンは一瞬きょとんとしていたが、すぐにカカカと笑い声を上げる。
「心配するな、皆の分までは獲らぬ。そうだ他の部隊も奪いに行けばいい」
「勘違いされるなラケディの王よ。レミタス市民への略奪、暴行、殺人の類は一切許さぬ。私の許可無く城内に入る軍は敵とみなす」
幕営内の諸将が一様に真顔となった。何を言っているのかと。戦争で勝利した者が敗者から奪うことは当然の権利とされていた。それでこそ血を流す甲斐があるというもので士気も上がる。
アリストンは徐々に表情を険しくし、額には血管が浮き出る。精強無比と言われるラケディ軍の大将は伊達でなく、彼自身も無双の戦士である。隣に座る将軍はこの緊張状態に顔面蒼白になってしまった。
「小僧、誰に向かってものを言っている?」
「ラケディ市の王アリストン、貴殿こそ分かっているのか。私は連合軍の指揮を任されたものであり、軍律を定め、それに反する者を罰する権利と義務を負っている。もう一度言う、兵を退かせよ」
その発言でアリストンは席から立ち上がり、いよいよ一触即発かと思われた。だがテオドロスの背後に静かに歩み寄る人影がある。
その精悍な若者はテオドロスの配下だが、肌の黒さは南方のリビュアかヌビア系であることを物語る異質な存在だった。
「奴隷風情が!」
アリストンの怒号を浴びても男は怯む素振り無く、上官を護るようただ静かに視線を受け止める。
重苦しい静寂。諸将と使者の息を呑む音が聞こえそうである。
「……よく言うたわ」
先に口を開いたのはアリストンであった。
「兵を退かせる。それでよかろう」
言い終えると足音高く王は退出していった。
「ガトー」
「はっ」
「私が言ったことを全軍に布告せよ。許可なく市内に入ることは許さぬ。反する者は叩き出せ、従わなければ殺しても構わぬ」
ガトーと呼ばれた褐色の戦士が幕営を出ていくと、ようやく緊張した空気が緩んだようだった。
「勘弁してくだされテオドロス殿。アリストンは獅子をも殺す猛者なのに」
「寿命が縮むかと思うたわ……」
将軍たちは胸をなでおろすが、当のテオドロスはまるで意に介さぬ風で悠然と構えている。その姿に感心する者、不満を覚える者、品定めする者と想いは様々だが。
大陸歴一〇四二年、四月十日。レミタス市はヘラス都市連合に降伏しその支配下に置かれた。