風は運ぶ④
二月の初めにスタシラを送り出すと、<月の宮殿>はどこか寂しくなったような気がした。大王ダリウスは宮廷を華々しく飾る質ではないため、数少ない華であった王妹の不在が大きいのだろう。
妹を蛮族に売り渡した、などと陰で言われていることは知っている。それでも待望した和平が実現するならやむを得ないと、自分に言い聞かせる。大王はそんなことを繰り返していた。
こういう時にクシャがいない。スタシラに付けて北にやってしまったのだから当然だが、ナヴィドまで特使にして西に行かせた。何かをこぼす相手がいないのは、もどかしい。
(クシャに至っては半年は戻らぬか)
嫁ぎ先のスキティア王国は山を越え草原を抜け、北の果てに都を構える。帝国からすれば最果てのような場所だが、草原の民はたくましく生き抜いているようだ。
(草原に入る頃には春が来ているだろう)
義妹の幸せを願う気持ちとは裏腹に、どこか遠ざけたような気持ちが拭えない。あの大后の実子であり、自身の義妹。しきりに義母との和解を求めてきた女。
「陛下、失礼いたします」
執務室に宰相のフシュマンドが入ってきた。手には書簡が握られている。
「東のカンダス州で不穏な動きがあると、密告が」
「カンダス……いつか来るとは思っていたが」
帝国の東部は険しい山地が続いているが、それを越えた先にバーラタ地方という別世界が広がっている。その一部カンダス州には帝国の太守が置かれ、帝国領東の果てとなる。
果てとは言ってもバーラタは豊かな地であり、カンダス州から送られる貢納金に交易品は帝国にとって重要な富であった。
「太守のキアンが謀反か」
「彼の地で自立して独立国を築く腹のようです」
「奴め、帝国の力が弱まっていると見ての反乱か」
「東の果てまで兵を送る余力は無い、と踏んでいるのでしょうな」
それは半分事実だが、不可能ではない。問題は太守の反乱が帝国各地へ飛び火しないかということだ。
(今は兵乱は避けたい……)
思案するダリウスはもう一度密告の内容を読み返す。
「この密告者のマニマニという者は、たしか」
「太守キアンの弟でございます」
「兄の企みを弟が密告か。一枚岩ではなさそうだ」
「そのことですが、この密告をもたらした使者が私に言伝を」
――兄の寝所へはいつでも入り込めます。
「……口頭でか」
「はい」
マニマニは、自分なら兄キアンを暗殺できると匂わせているようだ。
「報酬は次の太守の座といったところか」
呆れてしまいそうだが考えどころである。事態がここまで進行しては平和的解決は見込めない。かといって、西で大戦を終えたばかりの帝国に余裕は無い。
(最悪なのは、キアンがバーラタ地方の国々と手を結んで抵抗し、攻めあぐねているうちに他方で異変が起こることだ)
「陛下、この件は私にお任せいただけませんか?」
フシュマンドの疲れたような目に静かな光が見えた。
「どうするつもりだ?」
「まずマニマニに手を下させます」
「だが弟の方も信用できるかどうか。頭がすげ替えられるだけかもしれん」
「ですので、いくつか小細工を弄します」
少し考えてダリウスは宰相に一任した。この男の政治的能力は申し分無さそうだが、裏の面がどれほどのものか、見ておきたい。
(これからは、こういう男を使えるようにならなければ)
そうしてダリウスは新たな謀略を進めることとなる。少年の頃に憧れた至尊の位とはかけ離れた姿に自嘲を禁じえない。
クシャたち旧友たちにこんなやりとりを見せたら何と言うだろうか。それでも黙って付いてきてくれるだろうか。
(お前の真っ直ぐな様が少し羨ましいよ、クシャ)




