1:レミタスの戦い①
日が中天にかかるころ、ようやく部隊の布陣が完了しようとしていた。槍を持った歩兵が、弓兵が、騎馬隊が大地を踏みしめる。帝国軍の二万を超える将兵が隊伍を組み平原を埋め尽くす様は確かに壮観だった。
「ファルザード様、報告です。敵も布陣を済ませた様子」
幕僚が司令官であるファルザードに報せた。平原のはるか向こうで別の軍勢が待ち構えている。これまでも数度に渡って敵、ヘラス都市連合の軍を偵察させてきたが、多く見積もっても二万に達しないことが確認されている。
「やはり、レミタスを包囲するために部隊を分けざるを得なかったのでしょう」
幕僚の見解にファルザードも頷く。
ここ、エウリシア大陸において広大な地域を支配する「アリアナ帝国」。その西方の都市国家群によって構成される「ヘラス都市連合」。両者はこれまで幾度もの攻防を繰り返し、互いに多くの血を流してきた。
そして今、因縁の係争地の一つであるレミタス市を都市連合の軍勢が包囲している。だが、この攻囲軍は攻めあぐねて時を費やし、ファルザードの援軍が駆けつけることができた。
連合としては城内と背後の帝国軍に挟まれるのを避けるため、部隊を割ってでも平地で決戦に臨むことを選んだのだろう。
(我が帝国軍は二万三千……)
兵数ではいくらか上回っているが、ファルザードは気を緩めはしなかった。都市連合の軍には精鋭も多く、帝国は過去に幾度も煮え湯を飲まされている。統率の取れたヘラス人の戦闘力は評価が高く、アリアナ帝国や他の地域でも傭兵として重宝がられているほどだ。
だがそれ以上に、彼にはこの戦いで負けられない理由があった。
司令官のファルザードは今年で二十四歳。颯爽とした美男子で、体力と気力の充実した若者だ。すでに一軍を率いる彼は、同時に帝国でも有数の大貴族、その当主でもある。父は帝国を主導する勢力家であったが、三年前に暗殺者の手にかかってしまった。
悲しむ暇もなく当主の座を継いだファルザードだが、状況は思わしくなかった。父の率いた派閥は求心力が低下し、それに乗じて対抗勢力からの切り崩しを受け、分裂の危機に直面している。
(特に問題なのは太后と王族だ……)
先王の母であるアンビス太后は国母と称して国政に度々介入しようとする。帝国内部で繰り広げられる権力闘争は、ヘラス都市連合との抗争に劣らず根深い。長い歴史を紐解けば血文字で記されるべき暗闘が嫌というほど滲んでくる。ファルザードは戦場と宮廷、二つの戦いを同時に勝ち抜かなくてはならなかった。
「全軍、整いました」
「うむ」
ファルザードは整列した将兵を一望し、片手を高々と掲げ、下ろす。
「前進!」
前衛から一列ずつ歩を進め始め、全軍が一匹の獣になったようにゆったり動き出す。大群の足音が、衣擦れが、武器や鎧の擦れ合う音が幾重にも重なり空間を埋め尽くす。
やがて地平の先にヘラス都市連合の陣容が見えてくる。自慢の長槍と盾で固めた重装歩兵を中心に、一万数千の軍勢が待ち構えていた。
「懲りずに来たな、ヘラスのハリネズミども」
己を鼓舞するような語気だが、ファルザードの声はやや上ずっていた。戦いが迫る緊張と高揚が綯い交ぜになった声だ。若さにそぐわぬ重責を負う彼だが、万余の軍勢を率いた経験は未だ無い。普段は自信に満ちた若者も、今は大戦を目前にして人並みに恐れを抱き、そして呑まれまいと戦っていた。
「停止せよ!」
両軍、互いに十分な距離を置いて動きを止める。
帝国軍は本隊を右翼に置いた。足元は小高い丘になっており戦場を多少なりと俯瞰することができる。連合の布く横列陣は少し短い。帝国軍が平原いっぱいに隊列を伸ばしているのに比べ、やや厚みを持たせた陣形になっている。
「両翼から押し包めば、勝てますな」
「油断するな」
幕僚に釘を刺すファルザードだが、彼自身この戦いで負ける気はない。
彼は戦場経験こそまだ少ないものの、父の代から仕えている幕僚たちが支えてくれる。鍛え上げられた直属軍がいる。そして何より自信を与えているのは、アリアナ帝国が誇る独自の戦法によるところが大きい。
「魔術師たちを前に!」
***
「――数日中といったところか」
男が地図に視線を落としている。軍の配置を示すコマが各所に置かれ、そのうち一つをつまみ上げレミタス市のあたりに動かす。
「こちらも手筈どおりに進めよ」
指示を受けて周りの部下たちが頭を垂れる。その顔には仮面がつけられていた。
***
女は書類に目を通しながら、召使いの持つ水割りを受け取った。
「ありがとう」
風が吹き栗色の髪をなでた。この風はどちらへ向くか、女は占うように書類の束を放り出す。
「見させてもらうわ、若き英雄のお手並みを」
大陸歴一〇四二年、四月七日。レミタス市近くの平原でアリアナ帝国軍とヘラス都市連合軍は対峙した。