9:戦雲の行方①
伝令兵は総司令官アシュカーンの前で身を固くしていた。帝国随一の宿将が深刻そうに沈黙している。その原因をもたらした己の報告が恨めしくなった。
「……仔細は分かった。この者に水と食事を与えよ」
「はっ」
すっと力が抜けて崩れ落ちる伝令兵。ここまで駆け通しなうえ緊張を強いられていたのが、一気に解放されて立っていられなくなった。その兵士が退出すると、老将の表情は一層陰鬱なものとなったのだが。
「……軍を下がらせる」
「いずれの部隊を下げますか?」
アシュカーンは幕僚に対し、地図上の戦略図を示した。
「北の攻城部隊、南の別働隊。この二つを後退させる。最寄りの拠点で待機させよう」
「ですが、北のテウクロアはあと少しで落ちる気配です。ここで諦めては苦労が水の泡となりましょう」
「状況が切迫している。好転するまで兵を損なうことは避けねば」
スファードでの激突以来、帝国軍は一つずつ地歩を固めて戦況を有利に運んでいた。それが立て続けに問題が生じ、徐々に後手に回らされている。その感触がアシュカーンには不快で不気味だった。
「それと前線の野戦部隊には、軽挙妄動を慎むように伝令を出せ」
「各部隊へ速やかに向かわせます」
今は耐えるべきときだ。長期戦は覚悟の上。必ずや帝国に、大王に勝利をもたらす。
「……魔術参謀は前線に行っていたな」
しかし、事態はアシュカーンの想像より速く、危険に進行していた。
「連合の大規模な部隊だと?」
「はい。三万以上の大軍が東へ向かったと」
物見の報告に帝国軍のイラジ将軍は訝しんだ。都市連合の渡海してきた兵数が推定で四万前後と見られる。そのうち大半を動かしてきたことになるが、あまりに大胆に思われた。
だが同様の報せが続いたことにより、連合軍の動きと規模が確かなものであると認めざるを得なかった。
「敵の狙いは我らの別働隊を討つことでしょう」
それ以外には考えられなかった。今までにない行動に野戦軍の諸将は色めき立つ。
「今、奴らの拠点レミタスは手薄です。攻めれば落とせるのでは?」
「さすがに城壁は破れまい。それより別働隊を救援すべきだろう」
「左様。上手くすれば敵を挟み撃ちにできる」
出撃を主張する将軍が多かったが、司令官のイラジは考え込む。
「魔術参謀殿、東の陣地の守りは問題無いか?」
呼ばれてクシャが顔を上げた。ここの陣地もそうだが、別働隊が駐屯する陣地もクシャが下地を造ったものである。彼の土魔術で堀を穿ち、土台を築いた後、岩を積む、柵を立てるなどして守りを固めた。なればこそ敵の眼前に速やかな建築が可能となったのだ。
都市連合軍を封鎖しつつ、一つずつ拠点を落としていく。それがアシュカーンの基本戦略だった。
「防備に問題はありません。ですが、敵が出撃してきた以上は勝算なり狙いなり、あるのかもしれません」
「切っ掛けは海戦での勝利か……」
クシャとイラジは同じ懸念を抱いていた。今や連合艦隊は白海を自由に行き来できる。別働隊の背後に兵を上陸させることすら可能なのだ。
「別働隊が危険なればこそ、我らが出撃して連合の背後を討ちましょう」
「まず落ち着け」
イラジが諸将をなだめる。彼は将帥の中で年長なため前線指揮を任されていたが、少壮気鋭の将軍たちをまとめるのに正直苦労していた。
「我らを陣地から誘い出す罠かもしれない」
「どのような罠が?」
「ヘラス人に聞くがよい。いずれにせよ情報が足りぬ」
結局イラジは、別働隊が勇戦することに期待し、騎馬部隊を援護に出すに止めた。
だがしばらくすると、送り出した騎馬隊が大急ぎで帰投してきた。
「別働隊は敗走した模様!」
「何だと、早すぎる!?」
日数から言ってなんら抵抗できずに敗けたことになる。
これには事情があった。クシャたちが心配したように都市連合の艦隊が動いたのである。
都市連合のサンダー提督は帝国別働隊の後背沿岸部に船を着けると、兵を上陸させ、夜陰に乗じて奇襲を仕掛けた。
帝国の陣地は西に注意が向いていたため、背後への備えは甘かった。
ここでも活躍したのは魔導砲である。夜の闇を数百の火球が切り裂き、帝国の防護柵や幕営を次々と炎上させた。
帝国別働隊は夜明け頃に混乱を収集したが、それに合わせるように都市連合の軍勢が圧力をかけてきたため、陣地を捨てて後退する道を選んだのだった。
労せず勝利した都市連合軍は、陣地を占拠せずに破却し、悠々と引き返してレミタスに帰還した。帝国軍ではこれを攻撃するよう主張する声もあったがイラジが制止していた。
「無策で戦うわけには行かぬ」
彼は都市連合の精鋭が侮れないことを知っていたため、アシュカーンの構築した戦略を守った。そんなイラジをあざ笑うかのように都市連合は次の動きに出る。
わずかな休息の後、都市連合軍は再び出撃した。今度は北である。
「まさか、北の攻城部隊を討つつもりでは?」
「我々を素通りしてか、馬鹿にして!」
今回はイラジも立ち上がった。いきり立つ諸将の勢いを止められそうにないし、何より戦略が瓦解しかねない。
陣地に守備兵を残して出撃。できるだけ多くの兵を連れて発った。都市連合の側も相当数が動いているため半端では勝てない。
スファードの本営と攻城部隊には現状を知らせるため伝書鳩を放っておいた。後で叱責を受けるかもしれないが、イラジは北を目指す。
(敵の狙いは……)
帯同したクシャは不安を拭い去れないが、作戦を止めるだけの説得力も持ち合わせない。イラジたちが進軍して数日、遠くに都市連合の軍勢を捕捉した。こちらに気づいたのだろう、高地に陣取って待ち構えている。
(会戦になるだろうか)
駆け引きが始まると思い身構えたが、帝国軍に急報が届く。
「我が軍の陣地が襲撃されただと?」
報せをもたらした伝令兵はボロボロで息も絶え絶えといった様子だ。それでもイラジは苛立ちと不安をこめて詰問する。
「守備隊は何をしていたのだ!」
「それが、都市連合は万を超える軍で攻め寄せて来まして……」
「馬鹿な、どこにそんな兵力が?」
都市連合軍の大半は眼前にいる。残りは現地の反乱軍ばかりのはず。
「反乱軍など装備も練度も低い弱兵ではないか」
「それが……襲ってきたのはラケディ軍だったように思われます」
「何だとっ」
「それに黒人の兵もいました」
「まさか、パラスのテオドロス軍か?」
帝国の諸将は蒼白になった。都市連合の最精鋭部隊が目の前ではなく背後に潜んでいたというのだ。
「そういうことか……」
クシャは敵がいる北の空を睨んだが後の祭りだった。




