ドレス島沖の海戦②
その日、朝日が昇るのを待ってドレス島から船を出した。アリアナ帝国軍、白海艦隊三四〇隻。その勇姿に日を浴びて、波を掻き分けながら進む。
目標はヘラス都市連合艦隊。敵の位置は偵察隊が捕捉している。
「ここで決着をつける」
白海艦隊を指揮するダヴドは司令官となって半年と少し。だが長年在籍したこの艦隊は手足のように動かせると自負している。
元々、白海艦隊の司令官は大貴族出身の男だった。帝国の実権を握るファルザードの一族、その親戚だ。しかしファルザードの反乱時、その司令官は反乱に加担しようとしたのだ。
ダヴドと兵士たちは反発した。司令官を説得して帝国に帰服させようと試み、やがて脅迫的に迫り、結局武力で討ち果たす結果となった。
それが大王から武勲と評価され、後任の司令官に任じられた。その信任に応えたい。
太鼓の音に合わせて櫂が一斉に動く。帝国の主力となる艦も都市連合と同様、三段櫂船である。ただし造りや運用法には差異が見られた。
帝国艦隊が魔術戦からの白兵戦を重視するのに対し、都市連合の三段櫂船は船首に立派な衝角を備え、船ごと突撃する戦法を好む。
また帝国艦の漕手は多くが奴隷であるが、都市連合の艦では市民の手で櫂を漕ぐ。そして悔しいことに、ヘラス人のほうが建艦、操船等の技術に分があるのだった。
(だが対策は考えてある)
帝国艦隊はかつての“大戦”で都市連合の艦隊に大敗した。それ以来、永い時をかけて艦を工夫し、戦術を吟味してきた。
やがて水平線の向こうに小さな船影が見えた。その数は次第に増えていき、都市連合の艦隊が近づいたのだと分かる。
(やはり数は多くない)
当初、ダヴドは都市連合の海上戦力を多く見積もっていた。よって敵を牽制しつつ、リデア半島で戦う陸軍の支援に専念してきた。
その認識はしばらく変わることはなかった。敵が積極的に、時に大胆に動くため、その戦力が少ないなどと思いもよらなかったのだ。
都市連合のサンダー提督の狙いがそこにあった。少ない艦艇数を多く見せることで帝国の足を止める。その意図はある程度功を奏した。
だがダヴドは徐々に敵との距離を詰め、威力偵察を繰り返すことで真実に近づいていったのだ。
(せいぜい二〇〇隻弱しかいない)
トゥネス自治領との兼ね合いで大艦隊を編成できなかったのだろう。そうと分かれば迷いはない。討伐軍総司令官のアシュカーンにも許可を得て、ついに積極攻勢に出た。積年の屈辱を晴らす時だ。
「魔術師たちに用意させよ」
口火を切る魔術戦は帝国のお家芸だ。風と水の大掛かりな術式を構築させると周囲の空気が変わる。
風は追い風となり、潮の流れも船を前へ押し出す。海の戦いでは風上を制するのが基本とされるが、帝国艦隊にとっては己のいる場所が風上となる。
互いに相手を視認した時点で戦いは静かに始まった。『ドレス沖の海戦』と呼ばれることになる戦いである。
「奴らを海に沈めて、ヘラス人どもを半島の迷子にしてやれ!」
まず帝国艦隊が機動戦を開始する。数で勝る戦力を左右に展開して押し包む構えだ。
対する都市連合艦隊は縦列陣形のまま距離を詰めてくる。
(こちらの艦列、どこかを破りに来るはずだ)
ダヴドはそう読んだ。でなければ半包囲されるのを待つだけである。そして予想通り、都市連合は旋回して片翼に狙いをつけた。
形で言えば円を描く帝国艦隊に対し、都市連合の艦隊が錐のように突き進む格好である。
「中央艦隊、速度上げろ!」
この時のためにダヴドは、魔術師を中央の部隊に集中して乗船させていた。敵の動きに合わせて突出し、その横腹に魔術戦を仕掛ける算段。
(何だ……?)
ダヴドは違和感を感じていた。目に映る都市連合の艦艇が想定より多い。というよりも“何か”がいる。やがて旋回した三段櫂船の陰から小型の船が多数前進してきた。
まるで親鳥を取り巻く雛鳥のような矮小な存在だが、嫌な予感がした。
「提督、奴ら攻めてくるつもりでしょうか?」
「……」
「我が艦隊はいずれへ攻撃を?」
幕僚の言葉が耳に入らない。ダヴドは目を凝らして敵を見た。
戦闘用ではない。連絡に使うような小型船だ。中型以上の艦に積んであったなら、あれだけで一〇〇艘はあるか。
怪しんでいる間に距離が詰まり決断を迫られる。
「敵三段櫂船に攻撃を――」
言いかけてダヴドの頭に何かが弾けた。
「いや、転進! 敵艦隊と距離を取れ!」
その指示は不可能だった。帝国艦隊は風と波に乗り敵に邁進している。急ぎ転舵するが間に合わない。
波間で身悶えする巨艦。その隙間に滑り込むように都市連合の小型船が突っ込んだ。
火が見えた。空中をおびただしい数の火球が飛び索具や帆が炎上する。
「誰でもいい、伝令の船を陸上の味方へ! 艦隊は撤退する!」




