8:ドレス島沖の海戦①
大陸歴一〇四三年、六月。パラス市はじめ都市連合の各都市は不穏な空気のまま初夏を迎える。
民会には連日多くの市民が足を運ぶが、この日は特に深刻な顔が並ぶこととなった。
「連合理事会の決議により、各都市へ追加の派兵と物資の供出が要請された」
リデア半島の戦いは続いている。激しい衝突こそ互いに避けていたが、最近になって状況が変化した。
「帝国軍は後続の軍が合流し、その数は十万近くになると推測される」
「多いな……。かつての“大戦”以来そうそう無かったことだぞ」
「それだけこの反乱を許す気は無いということだろう」
出席した市民たちは雲霞のごとく押し寄せる帝国軍を思い浮かべた。アリアナ人に多い髭面や剽悍な騎馬軍団。そして魔術師たち。
「戦況を整理しよう」
勢力を増した帝国軍は部隊を大きく展開し始めた。
まず主力軍を街道の要衝まで前進させ、そこにいくつもの野戦陣地を築いた。都市連合軍を睨む位置取りだ。
また予てより南側からレミタス市を牽制していた別働隊も、同様に陣地を築いて腰を据えている。これらの陣地はいつの間にか土手に堀まで備えており、さながら砦のようだという。簡単には抜けそうにない。
半島南の海には帝国の艦隊が居座っていた。この艦隊と別働隊、そして主力部隊は線でつながっている。
そして問題なのは、もう一つの別働隊までが現れたことだ。数に物を言わせる帝国は、都市連合を釘付けにしながら一軍を北上させた。
反乱によって陥落した都市のうち、一つだけ北部に孤立した町がある。テウクロア市がそれで、帝国はまずこの町を奪還するつもりのようだ。
「テウクロア市からは救援要請が出されている。今回新たに編成する軍は、この町を防衛するために出撃する」
「だが壮年の兵士たちはすでに多数が渡海した。年寄りの兵士ばかりで救援に行かせるのか?」
アリアナ帝国に比して人口の少ない都市連合である。動員兵力はいずれ限界に達するだろう。それは物資、武器類も同様だ。
「だが放置すれば解放の芽が一つずつ潰されてしまう」
「多少の犠牲はやむを得まい。帝国の支配を打破するためだ」
「指揮官は何をしているのか。チベ市に主導させたのが間違いだったのだ」
「今はそんなことを論じても仕方がないだろう」
議論はやや迷走しつつ、予備役の兵士たちを招集して一軍を編成する案がまとめられる。
それとは別に、帝国に対して和平案の提出が改めて討議された。
「すでにチベ市から和平が打診されたが、帝国のアシュカーンはこれを突っぱねた」
その和平案は条件として、反乱軍の解放した都市の独立を帝国が承認することを掲げている。帝国の宰相にして討伐軍指揮官アシュカーンはこれをにべもなく拒絶した。
「それは予想されていたことだ。独立が無理なら譲歩して、自治権を認めさせられないだろうか?」
「ここで妥協してはならん。帝国は我々以上に苦しいはずだ」
「向こうもそう思っているだろうな」
紛糾する中、和平派の重鎮であるマヌエル執政官も当然意見を求められる。
「こういう時こそ和平派の君たちが帝国との橋渡しを務めるべきだろう」
こうした声にマヌエルは即答せず物憂げに応じるだけだった。
「戦況に変化が起きるまで、和平も進展しないだろう」
どちらが戦いを有利に進め、どちらがより和平を望むか。それは時が経たねば分からない。
この議場にあってマヌエルと同様に口数少ないのは、同じく執政官のクレオンだった。
(テオドロスは「海軍が重要」と言い、提督の人選まで口にした……)
だがそのテオドロスが指名したサンダー提督は、連合艦隊を味方の勢力圏内で忙しなく動かすばかりだと聞く。帝国艦隊に挑むような素振りは現状見られない。
そもそも数に差がある。海軍も増派したいところだが、予想通り南のトゥネス自治領が蠢動していて手が回りそうにない。
テオドロスが言った言葉を思い出す。「百を二百に、二百を三百に……」。
(彼が信用できるかどうか、この戦いで分かる)
そして信用が裏切られたときには、都市連合は手痛い敗北を喫している恐れがある。クレオンは寿命が縮む想いで戦況を見守るしかなかった。
***
都市連合の誇る三段櫂船。サンダー提督はその勇ましい姿を見るのが好きだった。風の弱い内海では帆に頼るより人の手で漕ぐほうが速い。艦の両舷に並ぶ櫂の列はさながら槍兵の戦列のごとく、それらが一斉に水をかく力強さが誇らしい。白海の支配者を自認するヘラス人の象徴だと思っている。
彼に言わせれば、帝国は海を知らない。トゥネス自治領は海を愛していない。ヘラス人こそが白海の交易と戦争を制するのだと強く信じている。
「提督、分艦隊の集結が完了しました」
「おう、ご苦労さん。追って指示を待つように」
都市連合が戦場に揃えた艦隊は一九〇隻ほど。大型の三段櫂船を中心に、中型艦、補助用の小型艦、輸送艦など。
多くはない。対して帝国の白海艦隊はすでに三〇〇隻以上確認されている。パラス市で最も海戦に秀でると自信のあるサンダーだが、数の上では圧倒されていると認めざるをえない。
――戦機が熟するまで、けして危険を冒さないように。
サンダーを推薦したテオドロスが出撃前に言ったことだった。
時期が来るまで帝国との衝突を避けるため、サンダーはいくつかの小細工を弄してきた。艦隊を突出させて牽制した。広く展開して数を誤認させた。神出鬼没に出現させて、敵の意表をついた。
とにかくこちらの総数を気取られぬよう努め、ひたすら海上輸送路を維持してきたのだが、それも限界に近い。帝国の艦隊が徐々に圧力を強め、小競り合いの陣取り合戦が頻発するようになった。
そんな折、テオドロスから使いが来て様々な指示を伝えてきたのだった。
(いよいよ俺の出番というわけだ)
戦争の帰趨を左右する局面に心躍る。サンダーは旗艦の船首に据えられた女神像に微笑んでくれるよう片目を閉じてみせた。




