激突③
帝国軍が迫ってくる。<王の道>を進み都市連合の軍勢を破るため。窮地にあるスファードを救援するため。
(何が<王の道>か)
都市連合ラケディ軍の司令官アリストン王は心の中で鼻を鳴らした。
百年前の“大戦”でアリアナ帝国は、大王自ら大軍を率いてこの道を侵攻してきた。だが都市連合の熾烈な反攻に遭い、無惨に敗北。敗残兵を連れて同じ道を引き返していったという。
今再び、都市連合と帝国が大掛かりな戦争を繰り広げる。アリストンは体中の血が沸き立つような高揚感を得ていた。
「さあ来い! <王の道>を貴様らの死体で飾ってやろう!」
馬上で檄を飛ばし、敵に向けて前進。帝国の部隊は弓兵と軽装歩兵を合わせた編成だ。射程内。帝国軍から殺意を乗せた矢が次々と飛ぶ。
ラケディ軍は盾をかざして密集体勢を取り、矢の雨を防ぐ。防ぎつつ歩み、次第に両者の距離は激突の間合いとなる。
「殺れぇ!」
号令一下、ラケディ兵が獣のような形相で突撃し、瞬く間に帝国兵を突き崩す。装備の差もあるが、駆り集められた帝国兵と、戦うために生きてきたようなラケディ兵では気迫が違う。
槍で突き刺す。槍で貫く。突け。衝け。突き破れ。
討たれた兵が折り重なって倒れる。帝国兵の身をもって舗装された<王の道>を踏みしだいて前進。やがて敵は絶望の表情を浮かべ敗走していった。
(もっと来い)
アリストンは殺し足りないと言わんばかりに前方を見据えた。自分にはこれしか無い。だから戦わせろと。
誇張というわけではない。民主政を敷く国が多い都市連合にあって、アリストンの持つ“王”の称号は古きものとなった。だが何のことはない。ラケディの王が持つ権限は戦うことだけで政治に口出しはできない。古くからそう定められていた。
国政においては議会が絶対的な権限を持ち、王は象徴に近い。故にアリストンが自らの存在価値を誇示できる場は、命の奪い合いにこそあった。
そんな王が舌打ちしたくなる敵が現れた。魔術師である。
帝国が繰り出してきた魔術師部隊が炎を手に浮かべた。対してラケディ軍は、パラスから貸与された“封魔の盾”を構えつつ後退。
打ちかかって殺してやりたい相手だが、ラケディ軍の役割は<王の道>を封鎖することである。突出しすぎて孤立しては元も子もない。
結局、魔術師たちは深入りしてこず三度目の衝突は終わった。アリストンは隊列を組み直した後、兵に休息を命じる。長い戦いになりそうだった。
だが後方から伝令が来て状況を叩き壊す。
「撤退だと?」
「は、はい。ラケディ軍には引き続き殿を務めていただければ……」
「っ……」
伝令兵には王の顔が獅子にでも見えたか、体を硬直させて返答を待っている。
帝国軍の別働隊を察知した都市連合軍は、橋頭堡たるレミタス市を守るために撤退を始めた。それを事後承諾で知らされたラケディ軍は、同時に殿軍を担う羽目になってしまった。
先鋒と殿軍は最も優れた部隊に任せるとはよく言ったものだが、それだけ危険を伴う配置ということだ。アリストンは司令部の引きつった表情が想像できる。
(ここが命の咲かせどころかもしれん)
アリストンは“大戦”の言い伝えを思い出す。あのとき後退を恥と考えたラケディの軍は、少数で帝国の軍に打ちかかり、抵抗を続け、全滅するまで戦ったという。そんな激しい尚武の気風をアリストンたちラケディの民は受け継いできた。
「陛下、伝令の兵が……」
「まだいたのか、帰らせろ!」
視線だけで殺せそうなアリストンの形相だが、ラケディの兵は耐性があるようで怯みながらも応じる。
「それが別の伝令でして。パラス軍からです」
パラス軍ではあるが、その兵は肌の黒い男だった。知るものであればテオドロスの率いる元奴隷兵だとすぐに気づく。
「主より言伝です。“戦機が訪れるまで早まられぬよう、お願いしたい”。以上です」
一瞬目をむいたアリストンはすぐに表情を歪める。心中を見透かされたような言葉に不快さを感じた。
(あの若造め……)
テオドロスの澄ました顔が脳裏に浮かぶ。あの面の皮の下で勝利に向けた策でも考えているのかと。
面白くはないが、まだ戦争は始まったばかりと言っていい。
「荷駄はいつでも動かせるようにしておけ」
***
ラケディ軍の頑強な守りを破れぬまま日が落ちてしまった。歩兵戦では敵わず、魔術戦も噂の盾で防がれている。一工夫欲しいところだが、今は魔術参謀のクシャがいない。救援しようとしているスファードの城内で賢明に守りを固めていることだろう。
<王の道>に沿って簡易の野営をしつつ、アシュカーンは考えた。予定通りに別同軍がレミタスを目指していれば、都市連合軍は気が気でないはずである。
「閣下、明日は我が軍に攻撃を命じてください」
「いや、自分にお任せを」
「お主ら落ち着かぬか」
マフターブたち若い将軍がラケディ軍と戦いたがるのを、イラジ将軍が押し留めていた。イラジは諸将の中では年長で、この軍では副将格に当たる。それでもアシュカーンに比べれば相当若いが。
味方が倒されても士気が高いのはいいが、彼我の実力をよく測ってもらいたい。そう思う自分はそれだけ老いたのかもしれないと自嘲した。
「モラードはいるか?」
「これに」
若い衆たちの中から呼び出された男を見て、将軍たちは怪訝な顔をした。モラード将軍が率いているのは戦車部隊である。
帝国では三、四頭の馬で兵車を引く三人乗り戦車が古くから用いられてきた。運用に難があるため騎兵の充実に伴い数を減らしたが、長柄の武器や大きな弩を持たせれば高い攻撃力を、あるいは盾や装甲板を施せば防御力を備えられる。
「ですが閣下、我が戦車はこのような隘路では扱いにくく」
「突っ込ませろ」
「はっ?」
モラードだけでなく諸将も一瞬固まった。
「兵車に藁でも積み火をつけ、敵陣に突っ込ませろ」
固まったまま口を開閉させたモラードに同情の視線が集まる。
翌朝、作戦は本当に実行された。ラケディ軍の戦列に向け戦車が一台ずつ突撃する。
兵車に藁束を満載したまま加速。兵の一人が松明を用意し、敵を射程内に捉えると弓兵が弩を発射。藁に着火すると彼らは一斉に戦車から飛び降りた。
「何をする気だ?」
その光景を見たアリストンは思わず唸る。ラケディの兵士たちが戦車の突撃に跳ね飛ばされた。広い平野なら避けることもできるが、密集していたことが却って対応を難しくしていた。
加えて陣列に飛び込んだ兵車が炎上し始める。暴れだした馬が兵を蹴り飛ばし踏みしだく。
そんな突撃を入れ代わり立ち代わり仕掛けた後、風向きが変わった。比喩としてでなく実際に変わった。
魔術師に操られた風がラケディの陣に吹き付け、火の勢いが増した。設営していた柵など次々に燃え移り、兵が熱と煙に巻かれていく。
――戦機が訪れるまで早まられぬよう。
アリストンは軍を下げ立て直しを図る。頭にはテオドロスの伝言が小さく響いていた。帝国軍が荒業を用いてきた以上、どこまで防衛線を守るべきか。
「転進!」
反転し戦域の離脱を選んだ。殿軍としての役割はそれなりに果たした。ここで全滅するまで立ちふさがる必要を認めない。
引き下がる前に炎上する柵へ、燃える資材をあるだけ投げ込み火勢を増してやった。これでしばらく敵も近づけないはずである。
だが帝国軍の動きは早かった。
炎の壁も魔術師の手にかかればすぐに鎮火してしまい、その間を帝国自慢の騎兵部隊が駆け抜けた。先頭を行くマフターブは槍を掲げて部下を先導し、討つべき敵を指し示した。




