光と影⑥
「昨夜は部下がお騒がせしたようで、申し訳ありませんでした」
クシャの屋敷を訪ねてきたナヴィドは、まず部下の諜者たちが屋敷に入ったことを謝罪した。
「いえ、非常時でしたので。むしろ助けていただいたくらいです」
「ですが気を悪くされたのではありますまいか。そう例えば……」
「……」
「あなたの周囲を見張っているのではないか、とお思いでは?」
図星であった。クシャはこの宦官に当初から警戒をしている。大王として国政を見るようになったダリウス。その最も近くに侍ると言われる側近に対して。
「まずそれは誤解です。私の配下の者たちは、一に帝都を裏から守るため、二に各地の太守たちを監視するために方々で動いています。クシャ様の屋敷へ踏み入る形になったのは、真にあの賊たちを追った結果でございます」
「……そのことは分かりました」
「ご理解いただけて幸い。さもなくば次の用件はお話ししにくい」
まだ難しい話でもするのかとクシャの警戒感は強まる。
そこにククルが入ってきた。盆に水と菓子など持って来てくれたようだ。
「あの、お飲み物と……」
お客に粗相があってはならぬと気を張ったようだが、仮面を付けたナヴィドの異様な姿に気後れしてしまったらしい。目でチラリとクシャのほうを見てしまっている。
「やあ、これはどうも」
するとナヴィドは仮面を取ってククルに微笑みかけた。そこにはハッとするような美しい素顔、優しい笑みがあった。まるで女性と見紛うような秀麗ぶりである。
「わぁ……」
その顔を見てククルは安堵したようだが、人を見た目で判断してはいけないとクシャは心配になった。ナヴィドが悪人だと言うわけではないが。
ククルが部屋を出ていった後、ナヴィドが不意に口を開く。
「なるほど、<呪われし民>ですか」
「……!」
クシャは口に含んだ水を吹き出しかけたが、魔術修行で培った集中力で持ちこたえた。努力の賜物である。
「私も実際に見たのは初めてですが、伝わる通り金色の瞳ですね」
「……事情がありまして」
「さて、その事情とやらですが」
見透かしたような言い方で背筋に寒いものを感じる。
「実はこのような噂があります。クシャ様がゼフリムの町を陥落させたとき、何か“お宝”を持ち去った、と言う者がいるのです」
「お宝……」
「ですが……」
ナヴィドはククルの去ったほうをチラリと見ながら言う。
「さしたる問題は無いようで、安心いたしました」
「……」
急に体の力が抜けたクシャ。
「クシャ様は私を警戒していらっしゃるようだ」
「お言葉ですが、正直言って皆が警戒していると思いますよ」
「左様でしょうな。ですが私は、貴方様にだけは私を信用していただきたいと思っているのです」
「私に?」
「ええ。大王のご友人であらせられる、あなたに」
ナヴィドは優しい笑みを崩さないが、どこか寂しさのある笑顔でもあった。
「少し私の話をしてもよろしいでしょうか。クシャ様は私の顔を見てどう思われます?」
「それは男にしては……いや、もしかしてあなたは」
「そう、私はヘラス人です」
顔の造形をよく見れば、アリアナ系よりヘラス系の特徴が見て取れる。
「正確には色々な種族が混ざった混血でしょう。私が生まれ育った地はヘラス辺境の雑居地でしたので」
それは境界線も曖昧で雑多な地域だったようだ。種族が入り混じった状態が常であるため、相互の対立は少ない。代わりに強固な政体の枠組みもなく不安定でもある。
「私はそこで、ごく平凡な少年時代を過ごしていました。異民族と交流し、商人から他所の土地の噂を聞いたり。時折、都市部から流れてくる人々は新鮮で刺激的にに思えたものです。
そんな日々はある時、突然終わりました。他所から来た異民族の侵略によって村は焼かれ、多くの者たちが捕虜にされました」
「……」
クシャにとっては想像しやすかった。北辺の警備に着いていた頃に似たような話を聞いたことがある。
「大人たちは連れ去られ、恐らく労働力にでもされたでしょう。ですが子どもたちには、何と言いますか。色々と使いみちがあるので、別の買い手に送られることになりました。それが帝国の奴隷商人だったのです。
私や他の子どもたちは、意を決して脱走を試みたりもしましたが……結果は失敗に終わりました。普通なら酷い折檻を受けることろでしょうが、私は許されました。
その真意が分かるのに時間はさほど要しませんでしたが……」
ナヴィドの美しい顔に深い影が差す。彼にとって傷口を抉るようなことを敢えて話そうとしているのが分かる。クシャは黙って聞き入った。
「もう想像がつくかもしれませんが、私や他の少年たちは去勢され、宮廷に売られました。そうして王室や後宮に仕える宦官になったのです」
王の后たちが住まう後宮には、男女の間違いが起こらぬよう去勢された男たちが仕える習わしがある。罪人や戦争捕虜が去勢され宦者になる他に、選びだした奴隷が献上されることもあった。
「そうして私は太后に仕えることになりました」
「太后……幽閉されているアンビス太后?」
「はい。あの御方には、その、何と言うべきか。ある種の性癖がございまして」
「あぁ……」
クシャには想像がついてしまった。ようするに美形の少年を侍らすことを好んだ、ということだ。貴族や富裕者には倒錯した嗜好を力で実現しようとする者もいる。囚われの太后もこんなところで己の性癖を晒されているとは思わぬだろうと同情した。
「一応申しておきますが。太后の夫、先々代の大王がすでに崩御した後のことです」
「はあ、そうですか」
「……太后は美しく、身内にはとても優しい方です。去勢された私は大きな衝撃を受けていましたが、あの方は慈しむように包んでくださりました。柄にもなく、こうした人生も悪くないのではと思うほどに。……あるいはそう思うことで自分を慰めていたのかもしれません。
思えば太后も悲しい方です。夫と子を貴族との争いで失われていますから」
おまけに太后が迎えた新たな大王には、政争から遠ざけるためか幽閉されている。
「私はいつしか、あの方の手足となって働きつつ、その哀しみを癒やして差し上げたいなどと思うようになっていました。それはもう忠節を尽くしましたが、そんな時間は突然終わります。
私はダリウス陛下の宦官として異動させられたのです。太后にとって成長し、“美しい少年”でなくなった私の価値は目減りしていたのでしょう。
形としては栄転ですし、太后も大王に人材を付けたつもりでしたでしょうが。私に生きる意味を与えてくれた人は、それを自身の手で奪い去ったのです」
愛憎という言葉が合いそうな、複雑な感情をにじませるナヴィド。クシャにはそこまで人を愛したことも憎んだこともないため、その想いまでは理解できそうになかった。
「……そして今は大王の手足として働いているわけですか」
「はい……。何故かと問われればこれは私にもよく分からないのですが。あのお方は帝国、あるいはこの大陸という大きな渦に挑もうとしておられます。それは私の運命を翻弄してくれた坩堝でもあります。大王の戦いは私の戦いにもなる……そう思うからこの数年、陛下に忠を尽くしてまいりました」
「同じように私にも、陛下に忠誠を誓えと仰せか?」
「いいえ」
そこでナヴィドは笑顔とともに否定した。
「クシャ様は陛下の大切な友人であらせられる。それは、私ごときではけしてなれない替え難き存在です。どうかそのまま、陛下の御心に寄り添い続けていただきたい。それが私の願いです」
やはりナヴィドの微笑みは寂しさが離れない。クシャはこの宦官に哀しさを覚えた。
「貴公の話を全て信じるわけではないが」
この宦官にできるだけ優しい表情で応じてみた。
「あなたがどんな人間か、少し分かったような気がします」
そうして二人の面談は終わった。クシャはナヴィドの心が行き着く先が穏やかでであればいいと願ったが、彼らを時代の波濤が容赦なく襲うのに、さほど時間はかからなかった。




