光と影④
――ガシャンッ、ガシャガチャ。
陶器が割れるような音でクシャは目を開いた。闇の中にいる。動こうとしたが体が重い。そこでクシャは自分が寝台で横になっている、というより就寝中であることを思い出した。
朧気な記憶の中で物音がしたような。だが睡魔が絡みつき状況把握ができない。二度寝したい。
(割れる音……誰かが落としたか……あるいは泥棒……)
そこまで考えてクシャは飛び起きた。あの陶器が割れた音は、屋敷に仕掛けた防犯用魔術結界だ。侵入者に反応して陶器が落下し、壊れるようにしたのは彼自身だ。
(剣は……ある)
寝間着のまま剣を片手に部屋を出る。灯りは無い、月がかすかに照らす夜。
クシャはまず記憶を頼りに執事やククルのいる区画を目指した。すると執事のビザンも音で目覚めたようで、途中で行きあった。
「奥さんとククルを部屋に入れて、扉を閉じるように」
「旦那様は?」
「様子を見てきます」
そのまま外を調べに向かったクシャ。結界は門や外壁を乗り越えようとするものに対応している。一度庭のほうに出て、異変が無いか見渡す。
夜風が冷たい。暗闇に目を凝らすが何も分からない。こういう時に火の属性が使えれば簡単に明かりを灯せるのだが。土しか適正の無いことが恨めしい。
「クシャ様」
「――っ!?」
闇の中から声がして心臓が早鐘を打った。だが冷静になる。わざわざ誰何してくる相手、それも落ち着いた声の持ち主だ。
「誰か?」
「ナヴィドの手の者です」
「あの男の?」
音もなく姿を見せたのは全身黒い衣を来た人物。目元で瞳だけ微かにきらめいた。
ナヴィドが諜者を飼っているという気配はあったが、それが何故ここにいるのか。クシャは訝しんだ。
「ここで何をしている?」
「事情は後で。賊が三人ほど侵入しています」
「!」
それ以上説明はいらなかった。
二人連れ立って邸内を歩く。周囲の気配に気をつけながら侵入者を探した。
「敵は何者か?」
「詳しくは分かりません。盗賊にしては動きが妙なため、泳がせておりました」
「それが我が家に入ったと。では結界を破ったのは、わざとだな?」
「非礼はお詫びいたします」
「いや、よく知らせてくださった」
やがて敷地の一角から剣戟の音が聞こえ、クシャたちも身構えた。壁伝いに様子を見ると、誰かが駆けて来る影がうっすら見えた。
「賊です」
その諜者には闇夜でも識別できる目があるようだった。クシャと二人で待ち伏せし、曲がり角の辺りで斬りつける。
「ちぃっ!」
賊は寸前でこれをかわす。
「いずれの賊か!」
クシャは無駄と思いながら一応呼びかける。少なくとも友好的な反応は無いので、やはり物取りだろうか。
物言わぬ賊は踵を返して逃げようとするが、クシャは片手に短剣を抜き、地面に突き刺す。短剣は鉱石でできており魔術を通しやすい。たちまち地面が隆起し、地をのたうつ蛇のようになって賊を追った。
「なっ!?」
足を取られた賊が体勢を崩したところを諜者が刺し貫いた。賊は胸の辺りを押さえながら二、三歩逃げるが、すぐに動けなくなる。
「名前と目的は?」
剣を突きつけて問うたが一切返事が無い。それなりの鍛錬と覚悟を伺わせる。
結局、賊は何も語らず失血死した。
「クシャ様は無事ですね」
気づけば他の諜者も来ていた。そこで思い出したが、クシャの家人たちがまだ屋敷の奥にいるのが気にかかった。
「そちらには二人ほど向かわせました」
「それはありがたい」
ひとまず彼らを信用することにして、残りの賊を探した。屋敷の中と外に別れ追い詰めにかかる。
遠くで響く剣の音がここまで聞こえた。ビザンらと部屋にこもったククルは恐ろしさに身を固くしている。手にはクシャからもらった水晶の石を握っていた。彼に与えられてから、お守りのようにして肌身離さず持っている。
(クシャ様は大丈夫かな……)
――ヒタ……、とかすかな足音。ククルたちは嫌な予感がして一層身を固めた。
――キィ……。すぐ近くで扉の開く音。それが数回繰り返され、徐々に音が近づいてくる。
――ガチッ。ククルたちの部屋の扉が軋んだが、鍵をかけておいたため開かない。
――ガスンッ。ドスンッ。こじ開けようと扉に体当たりでもしているのか。次第に乱暴になってくる賊にククルはツバを飲み込んだ。
(クシャ様……!)
バキバキと不快な音がしてついに扉は壊された。闇の中で誰かが侵入してくるのが分かる。物陰で息をひそめるククルたちだが、いよいよ気配が近づいてきた。
「そこか」
賊の手が暗がりに伸びると、ククルの腕を掴んで引き寄せた。
「放しなさい!」
ビザンが飛び出すが賊に跳ね除けられる。恐怖がククルの全身を包んだが、手に握られた硬質な感触が、意識を刺激したのか。
「やめて!」
咄嗟に声を上げながら、握っていた水晶を賊に投げつける。
「ぐあっ!?」
ククルの魔力が水晶にこめられていたのか、賊に当たると火花を散らした。思わぬ痛みと衝撃に賊は後退するが、再び踏み出そうとしたその時――
「賊がいたぞ、こっちだ!」
別の誰かの声がして、賊は慌てて逃げ出した。助かったと思いククルはその場にへたり込んでしまう。
(あ……水晶)
投げつけた後でどこかに落ちたはずだが、暗くて分からない。朝になったら拾わなければと考えながら、今はビザンらと身を寄せ合った。
一方の賊たちは迎撃されていることに気づき、逃げに転じていた。一人が壁を越え脱出を図り、その際にまたクシャの結界が反応、落下式の陶器が割れた。
「後を追え! 邸内も探すのだ!」
その頃には松明も用意され、闇の中を虱潰しにあぶり出された賊が慌てて走る。
「捕らえて正体を吐かせろ!」
賊は上手く逃げて門に達しそうになるも、その正面に立ちはだかる新たな影があった。
「マフターブ!?」
隣の屋敷からかの女傑が長剣片手に駆けつけたのだ。賊も剣を握り一瞬の交錯。
血しぶきが舞った。マフターブの背後で賊の体が転がる。首は無い。わずかに間を置きクシャの足元に転がってきたのがその頭だった。
「マフターブ、まさか貴殿が来てくれるとは」
「騒がしいので様子を見に来た。だが、その、すまない……」
「何を謝るんだ?」
「一撃で殺してしまった……なかなか鋭い剣を使うので、咄嗟に加減ができず」
寝間着の薄衣一枚という無防備な姿に不似合いな剣を血に染め、申し訳無さそうにする女将軍。その様子にクシャは思わず苦笑してしまった。




