過去から未来へと④
「貴公はいったい何をしているのだ?」
マフターブは屈んで草むしりをする魔術師に声をかけた。振り返ったクシャの身なりはどう見ても農夫か使用人のものである。
「なにって、庭仕事だけれど」
「見れば分かる。貴公はすでに貴族のようなものだぞ。それが土いじりとは……」
「立場が変わろうと私は平民の出だし、そして魔術師だから」
クシャに宛てがわれた屋敷は数人で住まうには広く、庭園はよく手入れされた壮麗な物だったが、今はクシャによって薬草のための菜園と化している。
「魔術には薬草や香草など様々な植物も使う。そのための土作りからすでに魔術は始まっているのさ」
「ほうほう、さすがは土魔術の達人だな」
「秋から冬にかけて手入れしておけば、春にいい薬草が育つ」
クシャはそのあたりで手を休め、客人を邸内に誘う。
「我が一族も陛下より屋敷を賜われた。ここのすぐ隣りだ」
「へえ、それはまた縁がある」
「その挨拶と、ついでに式典での礼を早めにしようと思ってな」
マフターブは携えてきた果物をクシャの執事ビザンに手渡した。
「貴公の執事殿か」
「ああ。元々はこの屋敷の庭師をしていた人だ」
「庭師が執事に?」
クシャが初めてこの屋敷を訪れたとき、この初老の庭師は草木の手入れをしていたところだった。屋敷の主は大王に処罰されてしまったが、丹精込めて手入れしてきた庭である。次の住人が現れるまで仕事を続けたいと役所に申し出て、毎日通いこんでいたという。
屋敷がクシャに下賜されビザンの役目は終わるはずだった。だがクシャは、屋敷に出入りしていた者ならそのまま働き続けないかと提案した。
妻もいるなら一緒に住み込みで、ついでに屋敷の管理も任せたいという大雑把な申し出にビザンは最初面食らったが、快く承諾してくれた。そんな彼にクシャが最初に命じたことは、庭を改装して薬草畑を造ることだったが。
「あのお客様、お水……」
少女が盆に飲み物を運んできた。浅黒い肌に金色の珍しい目をした少女。クシャがゼフリムの町で見つけたこの娘と、マフターブはすでに面識があった。
「君か、元気にしていたかね?」
「はい。お久しぶりです」
「そういえば名前は聞いていなかったな」
「ククルといいます」
「いい名だ、ククル」
マフターブはククルの頭をぽんと撫でてやり、少女は微笑んでくれた。
それからククルが奥へ行ったところでマフターブが口を開く。
「ククルとはどの辺りの名だろう。クシャは何か聞いたのか?」
「それがよく分からない。肌や目の色といい、遠くから連れてこられたのかもしれない」
「奴隷だったと?」
「その可能性もある」
奴隷、奴婢の類は無論帝国にも存在する。特に貴族や富裕層にとっては資産の一つであり、服属しない異民族や戦争捕虜は各地で労働力として使役されている。
「それで、貴公はあの子をどのように扱うのか」
「まだ深くは考えていない。いくらでもここに居ていいが」
それより考えることがたくさんあった。生活環境が変わっただけでなく、ダリウスからは家来を揃えろと言われている。いずれは家門を構え王家を支えろということだろう。
実のところ、ダリウスの権力基盤はまだまだ弱い。貴族層は従順とは言えない。だけでなく王族も小粒な上、太后の息がかかっていた者が多く、ダリウスにはまだ懐疑的なようだ。
その太后は未だ幽閉されたままで、今後の扱いがどうなるか誰にも分からない。
「ところでクシャよ。貴公は陛下と学友だったそうだが」
「うん」
「あの方はどういう人物なのだろう。近衛軍に入れていただいたからには知っておきたいのだが」
「どのような、ねえ……」
最近こうした質問を受けることが増えた。贈り物を携え来訪する客もいる。
クシャにとってよく知るダリウスとは魔術院でともに学んだ親友であり、大王となった彼の全てを知るわけではない。それでも訪ねてくる者には答えられるだけのことを話すことにしていた。無礼の無い範囲で。
「我が兄はクルハ州の統治に専念して、私や弟たちを帝都に遣わした。ここで得点を稼ぐには大王の目に留まりたいからな」
それよりも人前で上がらないようにするほうが先決と思えたが、言わないようにするクシャ。
「都での出世がお望みだったか」
「貴公はどうなのだ。大王の信頼篤いことだし高官にもなれるのではないか」
「私には向いていないだろうな」
クシャは素直に自分の性質を吐露したつもりだったが、マフターブは不思議そうに彼を見る。
「出世も戦争も好きではなさそうなのに、大王の元で忠節を尽くすのは何のためか。単に友人だったからか?」
「それは……」
不意に問われて答えに詰まったクシャである。
――ガシャン。
屋敷の奥で物音がした。クシャが行ってみるとビザンも駆けつけており、視線の先でククルが泣きそうな顔をしていた。
「も、申し訳ありません……」
「旦那様の物を落としてしまったようです」
「これは……」
落ちて破損していたのはクシャの魔術道具である。それを見てクシャは怒るでもなく率直に驚いていた。
(燃えた跡がある……)
魔力に反応して作動したようだった。
「クシャ様の机、道具など拭いていたんですけど、急に火が出て……」
「ああ、いいよ。これは私も油断していた」
屋敷の者が触ろうと何も起こらないと思い、乱雑に置いてあったのだ。むしろこれは発見かもしれない。
「ククル、君には魔術の素養があるかもしれない」




