パラスの死闘③
パラス市内は厳戒態勢が続いている。市民には家から出ないよう通達したが、これは戦争の影響というより暴動を起こさないよう警戒してのものだ。すでに禁を破りテオドロス支持を叫んだ男が逮捕された。
クレオン執政官の屋敷を警護兵が厳重に取り巻く。クレオン自身のためだけではない。ここに逗留するマグーロの安全がパラス全住民の安全につながるからだ。
「クレオン執政官、テオドロスはまだ死なないか」
「まだ戦っている」
クレオンはマグーロの小さな変化に気付いた。わずかだが苛立ちを示し余裕が無い。この女もテオドロスが潜在的に恐ろしいのだと察することができる。
「安心しろ、我々は貴様に完敗したのだから」
状況は覆らない、仮に奇跡でも起こらない限り。同盟軍が仲間割れでも起こすか、裏切者が現れない限り。ラケディ軍が翻意したとしても数はたかが知れている。
(安心しろ……)
***
パラス市で戦闘が起こっている。それはラケディ軍でも斥候を放って確認していた。だが彼らは動かない。動きたくてもできない。指揮官のアリストン王はただただ地平の先を見つめていた。
ラケディ軍の陣地はパラス市まで二、三日の距離でしかない。パラスの救援要請に重い腰を上げて出撃したが、あと少しというところで民会から停止命令が届いたのだ。
アリストンは理由を尋ねたが使者は何も知らないと首を横に振った。それ以来新たな命令も無く、そのうちにパラス市は完全に包囲されてしまった。
沈黙を続けるラケディ軍の陣営に騎馬が駆け込む。乗っているのはパウサニアース、アリストンの息子である。
「父上、やはり間違いありません」
息を切らせながら若者は報告する。
「“監督官”と接触した者たちを調べさせていましたが、トゥネス自治領の間者で間違いありませんでした」
「……そうか」
監督官とは民会の付属機関であるが、実質的なラケディの支配者たちである。アリストンはかねてより市を牛耳る彼らを監視していた。自治領の間者と不可解な停止命令、これらを合わせれば答えは見えてくる。
(奴らは裏取引をしていた)
同盟軍との危険な戦争を避けてパラス市を見捨てる。その後で都市連合の覇権を奪いにかかる腹積もりだろう。
「これでもまだ動かれませんか?」
幕舎の中から不機嫌そうな男が姿を見せる。だが機嫌が悪いわけでなくこの男は普段からそういう顔なのだった。
「カリクレス、貴様の推測通りだったな」
カリクレスはテオドロスの参謀を務めていた男である。行き違いから職を辞してパラス市を離れていたが、同盟軍との戦争を彼なりに観測し続けていた。そしてラケディ軍が肝心なところで動かないことを不審に思い、個人的に接触を図ったのだった。
「ラケディの監督官たちはアリストン王を、ヘラス人たちを欺いています。王はこのような背信を赦すのですか?」
「……」
カリクレスの方が正論だろう。如何に政略と言い張ろうとも、同じヘラス人を、同じ都市連合の味方を欺くことに変わりはない。だがアリストンは沈黙した。ラケディとて民主政の国である、民会の命令に背くことは許されない。
「父上、このままパラスを、テオドロス将軍を見捨ててよろしいのですか?」
「パウサニアース、貴様が口出しすることではない」
「何故です」
「若いからだ」
「間違いを間違いと言って何が悪いのですか?」
パウサニアースは若年だが体は父に負けず雄大で、若さと気力に満ちている。この親子がにらみ合えば止められる者などいないだろう。
そんな場面に将校の一人が駆け込んできた。張り詰めた空気に一瞬戸惑う。
「へ、陛下。お知らせしたきことが!」
「……チィ、何事か」
「陣地の外で怪しい者を見つけました。パラス市から脱出してきたと申していますが……」
「脱出だと?」
すぐに二人の男女が連行されてきたが、その顔にカリクレスの方が見覚えあった。
「リリス!」
「あれっ、カリクレスさん!?」
一年以上経た意外な再会であるが、今はそれどころではない。リリスと随員の技術者はアリストンの前に跪いた。茂みに潜みながらの決死行でぼろぼろの姿である。
「アリストン王陛下に拝謁を賜り光栄の至り。このような姿で無礼を働くことをお許しください」
「前置きは良い、火急の用と見える」
「私どもはパラス市の包囲網を越えて参りました」
リリスの口からパラスの状況が伝えられる。同盟軍による包囲、マグーロとの会談、そして執政官たちによるテオドロスの排除。アリストンとカリクレスの予想を超える窮状だった。
「では今戦っているのはテオドロスとわずかな兵だけなのか?」
「はい陛下。パラスの執政たちは同盟軍と和平交渉を始めていますが、実態は降伏して自分たちの命を永らえようとしているだけです」
リリスの言いようにカリクレスは冷やりとする。パラスが降伏するのであればラケディ軍による救援は意味をなさない。
(これではアリストンに撤退する口実を与えているだけでは……)
「それで女よ、我らに何を求める?」
「……お力添えを」
「だがパラスの者どもは名将と誇りを敵に売り渡した。もはや戦争の決着はついたと見える」
「まだテオドロス将軍とその配下の者たちが戦っています」
「パラス市の意志に反しても、テオドロスを救うため同盟軍を相手取れと。そう申すか」
アリストンは思い出す。オリビア祭でテオドロスが戦車競走に出場するという無茶をしたことを。あれはこの女のためにやったことだと聞いたが。
「女よ、あの男を愛しておるのか?」
「はい」
アリストンの問いにリリスは目を逸らさず応えた。
「万一パラスが窮地を脱したとして、テオドロスはもう留まることはできまい。あの男をラケディに連れて来れるか?」
「それは……」
「それぐらいのことがなければラケディに旨味が無い」
「説得します」
「ふむ、まあどちらでも良いがな。この者たちを休ませよ」
リリスたちを下がらせるとアリストンは幕僚を集めた。
「パラス市に向けて進軍を再開する」
「民会の命令に背くのですか?」
「背く」
アリストンの宣告に幕僚たちは腹を据えた。彼らも民会を牛耳る監督官のやりようを聞き憤然としていた。
「監督官たちはヘラス人を、都市連合を裏切った。このことは後に弾劾するとして、ここでパラスを見捨てれば事態は取り返しがつかなくなる」
テオドロスについては触れなかった。アリストンとてもはやパラスに興味など無いのだが。
「敵は圧倒的多数です」
「それはかの“大戦”でも同じだった。だが我らの先達は一歩も退かず戦い死んだ。今、敵を目の前にして戦わざれば、我ら皆ラケディ人を名乗ることは二度とできなくなる」
理屈を超えた感情の領域で民主政に背こうとしている。だがそれもラケディ人の特徴だった。彼らはヘラス人の中でも一際熱い感情を胸に秘めている。
「明朝に進発する」
軍議は短く終了した。一人になったアリストンをカリクレスとパウサニアースが訪ねる。
「……陛下、敗北は目に見えています」
「カリクレス、先にワシを説き伏せに来たのはお主ではないか」
「この状況では……」
事態はカリクレスの予想以上に悪くなった。これではラケディ軍に死ねと言っているようなものである。
「あの女が来なければ、こんな気持ちにはならなかったろうな」
「リリスですか?」
「痛快ではないか。男どもが右往左往しておる中で、一人明確な意志を持ち、危険を承知でここまでやって来た」
「父上、私もテオドロス将軍のために戦う覚悟です」
「パウサニアース、貴様は残れ」
「何故です!」
「若いからだ」
アリストンの目が子息パウサニアースを見つめる。その表情には厳しさの中に慈愛が湧いていた。
「正直ワシには、テオドロスという男が分からぬ。あの女や若い者たちが惹きつけられる理由も。だが構わぬ。ここらで一つ次の世代のために道を開いてやりたいと感じたのだ」
「父上……」
悔しそうなパウサニアースの肩にカリクレスの手が触れる。
「パウサニアース殿。父君の身に何かあれば貴方が後事を担うのですぞ」
「私が……」
ラケディ軍約三千六百の兵士が動き出した。圧倒的大軍の同盟軍に対して、死を覚悟しての進発である。




