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太陽の王冠 月の玉座  作者: ふぁん
第五章 同盟戦争
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  蜘蛛の巣⑤

 その夜、クレオンたちは屋敷に集まり今後の策を協議した。マグーロとの会談内容は一部の者にしか知らせずに。


「あれは本当にマグーロで間違い無いのか?」

「奴を知る者に確かめさせた。確かに本人のようだ」


 自治領に外交や交易で出向いた者、自治領から亡命してきた者など当たれる者はおおよそ当たった。その誰もがあの成り上がりの女傑を見間違えることは無かった。


「では本気で自ら人質となって、この降伏……いや講和をまとめようというのか」

「こうなれば話は単純だ。テオドロス将軍を生贄に降伏するか、皆で戦い死するか」


 容易に答えの出る話ではなかった。功労者を売り渡し、恥知らずとなって生き永らえるか。勝ち目の無い戦いへ市民と共に突き進むか。


「では明日にでも民会を」

「民会はダメだ」


 ティモンがやや血走った目でさえぎる。


「民衆が血気に逸り徹底抗戦を主張したらどうなるか。いや、意見が分かれるだけでも市内で激しい争いが起こるぞ」

「……我々だけで決めるべきだろう」

「これぞ密議だな」


 マヌエルが皮肉を言ったが皆無視した。彼らにとって生きるか死ぬかの密議である、その目は真剣だった。


「パラス全住民の生命がかかっている。市民に決めさせるには重すぎる命題だ」

「我らの民主政は条件付きだったわけか」

「止せマヌエル」


 今度はクレオンが語気強めに釘を刺す。


「彼らに決めさせればどうなるか、君も分かるだろう。『テオドロスと共に戦おう!』と叫んでマグーロを血祭りにあげてしまう。そうなればパラスは滅ぶぞ」

「テオドロス将軍も市民だ。一人の市民の尊厳を売り渡せばパラスの民主政は死ぬ」

「きれいごとを」

「テオドロス将軍は功労者だ。彼を見捨てれば我々皆、裏切者に落ちる」

「マヌエル!」


 クレオンが声を荒げる。彼も追い込まれていた。


「テオドロス一人をかばってパラスが滅べば何も残らんぞ!」

「敵はテオドロスを恐れている」

「恐れているが圧倒的だ。ラケディ軍も来ない、誰も来ない、一か八かで市民の生命を危険に晒す権利など我々には無い!」

「ならば市民の権利を蔑ろにして敵と取引する権利も無いぞ!」


 二人の重鎮は平行線のまま、普段の温厚さをかなぐり捨て長年の政敵に激情をぶつけた。


「君は講和に役立つと思っていたのだがな。決定は執政官のみで行う、もう帰れ!」


 激昂したクレオンにマヌエルはしばし睨み返していたが、席を立つと無言で退出していった。




「……あれで良かったのでしょうか?」


 ティモンが恐れと警戒の混じった目をする。マヌエルは要職に無いとはいえ市の重鎮を敵に回した。彼が会談の内容を漏らしはしないかと心配しているようだ。

 対するクレオンは感情を発露し終えると冷静さを取り戻していた。


「マヌエルには今後、同盟国との間で使い走りをやらせる」

「なるほど、市民の目は奴にも注がれる。市のためとあれば断れないだろうし」

「問題はテオドロス将軍をどうするか」

「……マグーロは出撃させろと言っていたな」


 ここに至ってはクレオンたちにもテオドロスの死を願う感情が湧いてきた。彼を追放などすれば、逃れた先でパラスへの復讐を図りかねない。マグーロの言う通り死んでくれた方が都合が良い。もはや一同はテオドロスに対する情を元々無かったがごとく忘れようとしていた。

 元々彼に抱いていた言いようのない恐れ、そしてパラス全住民のためという大義がそれを可能にする。――それもマグーロの思惑通りだが。


「テオドロス将軍は都市連合軍の総司令官です。我々は彼個人に出撃を命じることはできない」

「緊急動議で将軍職を解任する。将軍でもない男が総司令官を務めることはできない」

「彼も市民も不服を言い立てるでしょうが……」

「あの噂を使おう」

「噂……彼が敵と内通していたという?」


 昨年から巷で流布していた噂である。テオドロスに関する噂は常に何かしら、良いも悪いも囁く者はいた。だがこの噂は時期といい内容といい、はっきりと悪意のある醜聞であったが。


(まるでこの時のために流した噂のようだな)


 マグーロが流した噂かもしれない、いやそうだろう。クレオンは怒りや不快を通りこして関心してしまった。



***



 マヌエルはクレオンたちと袂を分かった後、その足でテオドロスの元を訪ねる。テオドロスは軍の詰所から屋敷に戻っていた。


「リリスも来ていたか……」


 テオドロスを心配していたのはリリスも同様だった。この鉢合わせが好ましいことかどうか、分からないがマヌエルは口を開く。


「テオドロス、こんな夜更けに訪ねてすまない」

「私はともかくマヌエルさんはよいのですか、この屋敷は見張られていますよ?」

「クレオンの奴か。もうそれはよい、今は急ぐ」


 マヌエルはマグーロの提案と執政たちの動きをテオドロスに伝えた。明日にでもテオドロスが見捨てられるという未来を。


「そんな、そんなのって……」


 リリスは絶句するが、テオドロスは腕を組んだまま黙っていた。状況が分かっているのか、マヌエルは焦れる感情を抑える。


「テオドロス、君は町を抜け出せ」

「抜け出す?」

「奴らの望むまま死んでやる必要は無い。町は包囲されているが、私がどこかへ匿って、隙ができたら逃げろ。亡命して生き永らえるのだ」

「貴方がそんなことを言い出すとは」


 意外と言いたげなテオドロスだが、マヌエル自身もここまでやる自分に驚いている。


「かつて我らパラス人は君たち一家を裏切った。許されることではない」

「お気持ちは嬉しいのですがお断りします。私を逃がせば貴方が罪に問われる。代わりの犠牲として捧げられるかもしれない」


 テオドロスの言うことは十分に有り得る未来だった。だがマヌエルは憤然とする。テオドロスの言葉はマヌエルを気遣っているようだが、自分自身を大事にしていないのではないか。


「君はいつもそうだ。少しは利己的に生きてみたらどうなのだ?」

「いいえ、私は今とても利己的な考えを抱いています。マヌエルさん、貴方に頼みたいことがあるのですよ」

「頼み?」

「私と直属の兵士たちはここで死ぬかもしれない。気がかりなのは遠くで戦うクインタスやマルコスたち、それに私を助けてくれた様々な人たちのことです。貴方には彼らを守ってやってほしいのです」

「テオドロス……」


 マヌエルの憤りはそっくり哀しみに変わった。テオドロスは達観している。三十そこそこの男が抱くには早すぎる境地だ。だがそれは彼の精神が優れているからとは思えなかった。

 欠けている。彼の生い立ちがそうさせたのか、一度砕けたものは完全に修復されることなどないのだ。


「死ぬと分かっていて戦うのか、ラケディ軍も来ないのだぞ?」

「戦います。ですが死ぬために戦うのではない、諦めに抗うために戦うのです」

「……そうか。君は私との約束を守ってくれた。今度は私が約束しよう」


 肩を落としマヌエルは去っていった。




 後に残されたリリスはテオドロスを真っすぐ見つめる。


「これで良かったの?」

「私には他に選択できない」

「私は……貴方が死ぬのを我慢できないよ」

「すまないとは思う」


 迷惑をかけると分かっていた。悲しませると分かっていた。だがテオドロスはマヌエルたちを巻き込んで永らえようとは思わなかった。マヌエルは理解者である。テオドロスを理解した上で向き合い、時にぶつかり、そして心で接してくれた。


「だが私は戦う」

「死ぬのが怖くないの?」

「怖いさ」


 テオドロスの手は小さく震えていた。マヌエルが帰り、今になって心が戦慄(わなな)いているのか。


「戦わなければならない。私はずっと抗ってきた、今さら止められない」


 社会の悪意に追い落とされた。社会の格差に鞭打たれた。世界の矛盾が憎かった。それらと戦うことを止めれば、歩みを止めてしまえば、テオドロスはこれまでの人生の意味を見失う。夥しい流血の意味が無くなってしまう。少なくとも本人はそう思っていた。


(心の炎が強すぎて、身を焦がそうとしている……)


 これ以上リリスにもかけられる言葉が無かった。嵐の前のような静けさの中、パラス市は息をひそめて朝を迎える。

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