白海に翻る旗④
「本当に通過できるぞ」
司令官ウタナスは幻でも見るように感嘆の声を漏らした。
南洋艦隊の艦艇が運河を通行する。遥か東のバーラタ洋から長い航海を経て来た艦隊だ。
途中、沿岸部の国々は帝国に服属していないが、交渉して港を開いてもらった。時に手を取り、時に兵力で脅し食料の補給を得ながら。嵐に遭うこともあった。二十隻以上の艦が事故で沈んでいる。それでも朱海まで達すると、大王が手配してあった自治領の船が出迎えてくれた。
そしてヌビアの運河である。ここが塞がっていれば過酷な航海も無駄足だったわけだが。
「クシャ総督、よくぞ成し遂げられた」
「無事の到着お喜び申し上げます。よく来てくれましたウタナス提督」
「大王陛下が恩賞を約束してくれているからな」
噂通りヌビアの総督は若い男だった。それでも短期間にヌビアの民を従え運河を再建した手腕は素直に認めたい。
「兵を少し休ませたい。その後、白海へ出て艦隊を合流させる」
「すぐに手配させます」
航海は半ば過ぎたが戦いはこれからである。相手は強大と噂の都市連合艦隊。すでにダヴドの白海艦隊が敗退したとの報が入っていた。
(状況は一手遅れたか)
それでも想定の範囲内。冷酷な分析は想定していたことであり、巻き返す方策も練ってある。ウタナスは同じ船乗りとしてダヴドに哀悼を抱きながら、その仇を討つことを心に誓った。
***
白海の帝国艦隊再襲来。その知らせにパラスの政治家たちは最初目を瞬いた。
「奴らはサンダー提督に壊滅させられたばかりだろう?」
帝国白海艦隊の戦力は一定程度把握してある。それが百隻以上破壊されたなら活動できたものではない。
だが数度にわたる偵察により、進出してきた帝国艦隊はドレス島を占拠してヘラス地方をうかがう構えだという。
「どういうことだ、奴らにそこまでの戦力があったのか?」
「あり得ぬ、リデア解放戦でも甚大な被害を出したというのに」
ただちに民会にテオドロスを呼ぶと執政官のティモンが説明を求めた。
「何故帝国がこうも艦隊を展開できるのか、サンダー提督は虚偽の報告をしたのか?」
「それは無いでしょう。彼自身、安心して西へ向かってしまいました」
「では帝国が予想以上に戦力を隠し持っていたということか?」
「隠していた、というのはいささか違います。これだけの艦艇があれば先の戦いでむざむざ味方を死なせはしなかったはず」
「皆の者」
マヌエルが手を挙げて議論を止めた。
「テオドロス総司令には何か考えがあるようだ。それを聞こうではないか」
テオドロスの目がマヌエルと合う。軽く頷いたようだった。
「では小官の考えを述べますが、これはまだ確証の取れた話ではありません。ですが現状を説明しうる一つの仮説だと考えます」
「聞かせてくれ」
「あれは帝国の<南洋艦隊>と思われます」
<南洋艦隊>という言葉に聴衆は微妙な反応をする。疑うというよりその名にピンと来ないのだった。
「それは確かアリアナ帝国が東の、陸地の向こう側に持つ艦隊ではなかったかね?」
帝国が誇る二大艦隊、白海の白海艦隊とバーラタ洋の南洋艦隊。その片割れがバーラタの海ではなく白海に現れたということだ。
「馬鹿な、空でも飛んできたというのか」
「まさか魔術を使ったのか」
「おおよそ、そういうことと思われます。ただし空を飛んだのではなくヌビアを」
両手を差し出すテオドロス。それを左右に開きながら、
「大地を割ったのです」
「大地を……まさか」
「そう難しい話ではありません。ヌビアの地には昔、白海と朱海をつなぐ運河が存在したとする資料が見つかりました」
ここに来てようやく民会の一部がざわつき始める。マヌエルやクレオンなどは顔色を青くしながらテオドロスに問うた。
「では何かね、帝国は遥か東の艦隊を運河経由で白海に移動させてきたのかね?」
「そう考えます。運河を整備しなおし、半年以上かけて地道な航海を乗り越えてきたのです」
それは兵法、軍略というより執念だった。単純に兵力を増やすという行為を力技で実現する。大王ダリウスが都市連合を屈服させようとする執念だ。
「そ、総司令、どうするつもりだね?」
「どうか冷静に。まずサンダー提督を呼び戻します。西部の者たちには申し訳ないですが、帝国の艦隊に対処しなければなりません。提督は近海に警護艦隊を残していきましたから、戦線を縮小して時間を稼ぎ、連合艦隊の来援を待ちます」
「それだけでは済まぬ、今ヘラス本土には兵士がいないのだぞ。上陸されたらどうするのだ?」
「ですので、半島に送った軍を一部呼び戻します。とにかく必要なのは時間です」
この日からヘラス本土に緊張感が広まった。白海の制海権は未だどちらに転ぶか分からず、下手をすれば本土に敵が上陸する。多くのヘラス人にとって久しくなかった直近の危機である。
(もっと早く気付くことができれば……)
テオドロスはエウポリオンがこぼした「海を割る」という言葉に気付きを得て、帝国の計画に思い至ることができた。それでもなお遅かった。
(クシャが総督に任命された時点でもっと注意しておくべきだった)
あの土魔術師が大地を割ったのだ。計画したのは大王か。その構想は今後如何に展開するのか。




