3.それぞれの分岐路①
農作業に従事するトゥネス人部隊、その宿舎の一室でククルは精神を集中させていた。ガランによって秘術を施された兵士たち。ククルは彼らの背中に手を這わせ、何か感じ取れないか神経を研ぎ澄ませていた。
(……普通の人と違うのは分かる)
クシャは彼らの身体を元に戻し普通の人生を送れるよう取り組んでいる。ククルもその手伝いを買って出ているが、今のところ成果は無かった。肝心のガランが死後残したものはないかと自治領に問い合わせもしたが、こちらも良い返事は得られていない。もっとも、残されたものがあったとして素直に提供してくれるとも思えない、というのがクシャの考えだったが。
結局、今のところは危険のない薬品の投与と検査を繰り返すしかないのだった。
「やっぱり変化はありませんね、すいません」
「仕方ありませんよ、気にしていません」
トゥネス兵たちは落胆する様子もない。彼らは従順で我慢強く、兵士や労働力としては理想的だろう。その代わり自主性に欠けることが課題だが、それは過酷な環境のせいであって彼らの責任とも言い難い。
「ククルさんは、いつもこのようなことをしているのですか」
「わわっ」
ククルは体を跳ね上がらせた。声をかけたのはネフェルティティである。側に彼女が立つことにも気づかないほど集中していたのだが、ネフェルティティの方でも声をかけるのを待ってくれていたようだ。
始めのうちククルは警戒心を忘れなかった。行き違いがあったようだがネフェルティティはクシャをさらった一味だ。だが和解後は態度も急変し、ククルに対しては何らかの関心を持って接してくる。
「……この人たちは身体におかしなものを入れられてしまったのです」
「クシャ殿からも少し聞きました。これも<授け手>のしたことなのでしょうか」
「私にはよく分かりませんけれど」
<授け手>というものが如何なるものかククルには分からない。帝国の発展に貢献したのも<授け手>ではないかと言われるが、このトゥネス人たちに行われた所業には不快感を抱かずにいられない。
(私を育てていた人たち、あの人たちがそうなのかな)
ククルの記憶はゼフリムの町から始まる。それ以前やそれ以外は知らないし自分が何者か、周囲の人々が何をしていたのか、一切が分からない。クシャの元で暮らすようになってからは忘れても構わないと思うようになっていた。だが今は無性に気にかかる。己の正体、世界で今起きていることの意味を。
「おお、クシャ殿」
「クシャ様?」
ネフェルティティが見つけたのは歩み寄ってくるクシャの姿だった。クシャの顔が少しギクリとしているのは、最近距離感のおかしいネフェルティティに見つかったからか。
そしてクシャの隣には見覚えのある人物がいる。思わぬ姿にククルは声を上げていた。
「マフターブ様!」
「ククル、遊びに来たよ。元気にしていたか?」
遊びに来ていて良いのだろうか、とは思ったがククルは嬉しかった。彼女はマフターブを姉のように慕っている。それがヌビアに来て当面会えないだろうと思っていたが、存外早く再会できてしまった。
「ククルさん、この方は?」
「帝国の将軍でマフターブ様です」
「将軍、ですか。私はネフェルティティ、クシャ総督の婚約者です」
「は」
クシャはまた面倒なことになったと顔をしかめる。
「こ、こここ婚約だと。クシャ、お前け、けけ」
「落ち着いて。彼女が勝手に言っているだけで、私に結婚する予定は無いよ」
「なんだそうか」
「それよりネフェルティティ、例の運河工事についてだが……」
これ以上ややこしくなる前にクシャがネフェルティティを連れ去った。怪訝な顔のマフターブだったが、ヌビア地方の王族という背景を知ると状況が分かってきたようだ。
「クシャの奴、もうこの地の縁者とつながりを持ったか。やるではないか」
「色々あったんです……。マフターブ様は、帝都のお仕事は良いのですか?」
「……ああ、休暇をもらったのでな」
やはりどこか様子がおかしい。そう感じつつもククルは何も言わずマフターブを案内した。
***
その後、マフターブは遊びに来たという言葉通りヌビアの地を散策して過ごしていた。だがどこか歯切れ悪く普通でない。クシャも尋ねたい気持ちはあったがしばらく様子を見ていた。
状況が変わったのは一週間後、帝都からナヴィドが訪ねてきた時だ。
「私はいないと言ってくれ」
マフターブはそう言うと姿をくらませた。その様子にクシャは思うところあったが、ひとまずナヴィドを案内する。州都の屋敷はそれなりに広くクシャはやはり持て余し気味だった。
「クシャ様、ヌビアの統治は順調なご様子ですね」
「まあ、なんとかやっていますよ」
「まず一つご報告が。クシャ様が陛下に奏上された件はご快諾されました。すでに検討が進められています」
クシャはヌビアで得た情報――魔術や秘術とつながる古代の記録についてダリウスに報告し、同時に調査の要請を行っていた。ダリウスの方でも興味を持ったようで色良い返事が返ってきた。
その後、ナヴィドからは戦争の情勢が語られ、クシャからはヌビアの現状を報告する。するとその席にネフェルティティが首を突っ込んできた。
「我が夫よ、お客様にヌビアの果物などお持ちしました」
「ちょっと下がっててもらえる?」
「……クシャ様、結婚されたのですか?」
聞き飽きたし答え飽きた質問にクシャは頭痛を覚えつつ、ネフェルティティを部屋から押し出す。
「彼女はヌビア古王国の末裔でして。それが少々ややこしい話に」
「ははあ、婚姻で結びつこうという魂胆ですか。随分と露骨ですが……」
「されど陛下はそのようなこと認めないでしょう。かといってハッキリ断ると心象を悪くしてしまうかも」
それがクシャの態度を曖昧にする理由である。せっかく縁のできた現地の有力者を無下にはしたくなかった。
「承知しました。このことは陛下にも伺ってみましょう」
「申し訳ない」
「ところで……」
ナヴィドは少し考えてから言葉を切り出した。
「マフターブ将軍がこちらへ来ておいでですね?」
「…………。さすが諜者の長、隠し事はできませんか」
「厩に将軍の馬がいましたから」
「あ、そう」
ため息を吐きつつ、クシャはナヴィドが何を話すか心の準備をした。




