戦場に夏風吹いて⑥
季節は少し遡り初夏の六月。ヌビア州の代理総督クシャは田畑で土を耕していた。
「……良い土だ、大河の賜物だな」
元々穀倉地帯である河川地帯は人が去り荒れてしまっていた。クシャはここに手を入れ、人を招き、農地の再建を図っていた。
「しかし人手がまったく足りませんわ」
「そこは移民を募ったり、奥地の住民を誘致することになります。いずれにせよ収穫が安定するまでは免税措置が取られますからご安心を」
「そりゃあ良い、税が安くなるなら総督でも大王でも大歓迎ですわ。おっと今のは内緒にしてくだされ」
その農民は目の前にいる男が総督であると知らない。だがクシャは気まずくならないよう苦笑してすませるのだった。
「総督閣下、こんなところにおいででしたか」
あぜ道をバーテス補佐官が歩いて来た。
「総督たるお方が野良仕事までされるのですか」
「自分で確かめたい性分なのだよ」
「……まあ護衛も付けているようですから良いですが」
クシャの周囲には配下のトゥネス人兵士たちが一緒に土を耕していた。クシャは彼らを平時には農地を整え、いざという時に武器を取る、そんな兵士にできないかと考えていた。加えて何かを育むことで彼らの変化を期待する面もある。
「それで補佐官の用件は?」
「自治領の軍船が来ました。予定通り事を進めてよろしいですね?」
「ああ、補佐官に任せよう」
「では失礼します」
バーテスが去った後、クシャが振り返ると農民が石のように固まっていたため、肩を叩いて仕事を促してやった。
「自治領の船、どれほどの兵士を乗せているやら」
「兵数にして二万以上と報告がありました」
「ここに攻め込んで来ないだろうな。こっちには備えが無いんだから」
「理に聡いトゥネス人が同盟を壊すようなことはしないでしょう。やるとしたら都市連合に対する勝利が確定した後でしょうね」
ストラトスとバーテスを交えての休息である。クシャは水と軽食を取りながら会話を聞いていた。
現状、自治領の艦船はまだ白海を東西に往来できていた。どうも都市連合の艦隊は積極的な制海権奪取に動いていないようである。それもそのはず、今は東に帝国、西に自治領の艦隊がいて挟み撃ちの形となる。動きたくても動けないのだろう。
「自治領の奴ら、ガランの軍が消滅してもまだ兵力に余裕があるんだな」
「西部戦線にも陸海の軍を展開し、リデア半島にも援軍を送ってきました。その力は侮れませんね」
「おまけに例の<三十人衆>は曲者揃いと聞く。こりゃあヌビアが戦場になる日も遠くないかもな」
「縁起でもないですが、防備の強化は急ぎたいものです」
今は連携している自治領。それが何時敵に変わるかもしれない恐怖はガランによって骨身に染みている。その時に備え兵力の増強、地理の把握、守りの確認など手付かずなことが多かった。
この会話にパタパタと足音が近づいてくる。視線を上げるとネフェルティティが小走りにやって来た。豊かな髪を揺らしながら妙に笑顔で。
「我が未来の夫よ、仕事で疲れたでしょう。食事を用意させたので食べなさい」
ネフェルティティはクシャに包を押し付けるとそのまま立ち去っていった。
「……閣下、結婚するんですかい?」
ストラトスとバーテスは口をぽかんと開けてしまった。
「彼女が勝手に言っているだけだよ」
「もらってしまえば良いじゃないですか、けっこう美人だし」
「ストラトス殿、他人事だと思って……」
「私を味方に取り込もうとしているのだろう。政略結婚だよ」
「まあ、土地の有力者と結びつくのは常套手段ですな」
「けど大王が許すまい」
帝国各地の太守たちは元々行政官の長であったが、土地に根付き地位の世襲化と直接支配を強めていった。そうした大貴族たちを粛清した大王ダリウスは、排除した太守に替えて代理総督を配置するようになり、中央からの監査も強化した。できることなら全ての太守を総督に替えてしまいたいだろうが、罪のない太守たちまで罰するわけにも行かず現状維持が続いている。
「その大王の信頼するクシャ殿がヌビア王族の末裔と結婚はできませんか」
「そういうこと」
(とか言いつつ、キッパリ断らないからややこしくなるのに)
ストラトスは心のなかで嘆息する。クシャの優しさと言うべきか優柔不断と見るべきか。
(いや、女の経験が少ないだけかもしれないな)
「総督、運河の方はもうじき準備が整います。人足、道具に食料、全て手配完了です」
「了解した、計画を詰めておこう」
「優秀な補佐官がついて助かりますなあ」
実際バーテスはよく働いてくれる。事務処理能力に優れ官吏たちを統括し、行政面でも様々な助言をくれる。少々口うるさいところはあるが、彼こそ影の総督であると囁かれるようになっていた。これにはクシャも苦笑するしかなかった。
一方のストラトスはヘラス人部隊を少数の分隊に分けて治安維持に乗り出している。クシャの護衛はヤムルたちトゥネス人部隊に任せ、巡回や罪人の捕縛などに精を出していた。
そうしてどうにかヌビア州の統治が回り始めた頃、ふらりと客がクシャを訪れた。帝国の女将軍マフターブである。
「……マフターブ、何故ここに?」
「やあクシャ、様子を見に来たぞ」
「見に来たぞ、じゃないが。軍務はどうしたのだ?」
「休みをもらった」
そんなことを言いながらマフターブはヌビアに滞在を始めてしまったのだった。




