4:過去から未来へと①
「結局、連合の艦隊は空振りに終わったな」
パラス市のテオドロス邸は、有力者の屋敷らしく庭付きの広い邸宅で、彫刻や装飾を施した壮麗な造りになっている。ここに彼のよく知る者たちがたむろしていた。テオドロスは報告書に目を通しながら、彼らの話に耳を傾けていた。
「所詮は帝国の内輪揉めだ。巻き込まれなくてよかっただろう」
「帝国人の同士討ちを期待した奴らは臍を噛んだろうがな」
「とにかく、金は無駄になった」
彼らは今、帝国の内乱となった“ファルザードの乱”について議論している。この戦いに関して、将軍位を返上したテオドロスは関与していなかった。
都市連合からは手柄を欲しがったいくつかの都市が艦隊を組み、ファルザードの支援に送り込んだ。それも乱が早期に終結したため無駄骨に終わったが。
「帝国の対応は意外と早かったな。指揮官はあの大将軍アシュカーンだったとか」
「大将軍など今は何歳だ。ここ数年、名前も聞かなかったぞ」
「十年だな。貴族の反乱で敗れて以来、名ばかりの大将軍だった。まだ錆びついてはいなかったようだ」
よく発言しているのはクインタスとマルコスという二人の男だった。彼らは元々パラス市の市民ではない。それぞれの事情から不遇をかこっていたところを、テオドロスに招かれたという経緯を持つ。
「あの大将軍が復権したとなれば、次は我々の前に立ちはだかるかもしれん」
「なぁに、我らが将軍殿が何とかしてくれるさ」
「マルコス……お前なぁ」
クインタスが落ち着いた調子で語るのに対し、マルコスの言葉は軽かった。こんな二人だが戦場では息の合った動きを見せる。
そこに陰気で不機嫌そうな男が口を挟む。
「大将軍というよりも、この戦いは帝国の新体制が問われるものだった。ダリウスという大王、帝国を上手くまとめるやもしれんぞ」
名はカリクレス。テオドロスの個人的な参謀を務めている。
「善き将と主君が合わされば、警戒すべき敵となるか」
「そういうことだ」
彼らはテオドロス配下の幕僚たちである。テオドロスは個人的に二千人の傭兵を保有しており、パラス軍の一翼を担っている。パラスの動員可能兵力が多くて一万人であることを考えれば相当な戦力と言えた。
「だが帝国はしばらく国内のことに追われるだろう。そろそろトゥネス自治領が動くのではないか?」
会話に混じった男はサンダー。元は船乗りとして各地を往来した人物である。
サンダーはテオドロスの幕僚というわけではなく、歴としたパラスの将軍である。テオドロスより年上だが交流が多く、この場にいる幕僚たちとも戦友である。
「そうだな。自治領は利に聡いから、帝国に付け込むか。それとも連合に突っ掛けてくるか。考えどころだな」
「俺は嫌だね。自治領相手じゃ出番が無い」
マルコスが杯を傾けながらボヤいた。騎兵を指揮する彼にとって、海を隔てた戦いは得手でない。
「ようガトー、あんたはどちらと戦いたい?」
マルコスはテオドロスのそばで直立不動の黒人戦士に水を向けた。元奴隷のガトーは同じく奴隷上がりの兵士たちをまとめ、テオドロスの親衛部隊を率いている。常日頃からテオドロスの行く先々へ同行し影のように従う。そんな姿が市民にとって見慣れた光景になっていた。
「自分はテオドロス閣下がお命じになれば、誰とでも戦います」
「真面目だねえ」
ガトーは表情も変えずに立ち続ける。
「俺はスキティアと戦いたくないね」
「おや、サンダー将軍にも恐れる敵がいたとは」
「奴らからは奪うものが無い」
「馬ならある」
「そうだな。あとは奴隷にするぐらいか」
「サンダー」
クインタスの釘を刺すような声にサンダーが口をつぐむ。元奴隷のガトーと、彼を解放した主に慮ってのことだった。
「閣下は誰と戦いたいですか?」
「そうだな……」
懲りないマルコスから話を振られ、テオドロスは書簡から視線を上げる。この男は読むことと聴くことが同時にできるらしかった。
「私は求められれば誰とでも戦うし、必要なければ誰とも戦わないかな」
いつもの涼しさでそう答えた。
「旦那様、お客様がお見えです」
「通してくれ」
執事に案内され入ってきたのは華やかな貴婦人だった。
「あら、今日はみんなで会議中?」
「これはこれは、リリス夫人」
テオドロスが迎えるより先にマルコスが慇懃なお辞儀をした。彼は酒と女と戦を愛すると有名な男である。その背後では僚友の一部が呆れた顔をしているが。
「ああリリス、こんなところで会えるとは幸運だ、あるいは運命?」
「仕事よ。マルコスさん、お元気そうね」
「閣下がお招きしたのだから、お前は下がっていろ」
クインタスに首を掴まれマルコスが撤去される。
「約束の視察に来たわ」
「待っていた。さっそく案内しよう」
テオドロスはリリスにガトーだけ伴って屋敷を出た。
「やはりリリスは最高だなぁ。美の女神も彼女の前では嫉妬するね」
「マルコスはどの女にも似たようなことを言って口説くのだろう」
「まあな、女はみな美しいから」
マルコスは笑うがクインタスはついて行けず、カリクレスは興味ない。サンダーは愛想笑いをしていたが、彼は前にリリスへ求婚してやんわり断られていたのだった。哀しい苦笑いである。
「彼女を射止めるのは至難だろう。パラス中の色男が振られたのだから」
「俺はただの色男じゃあない」
「では何だ?」
「強くて色男だ」
「ああそう」




