エピローグ②
白海を西へ東へ、様々な船が行き来する。自治領に属する傭兵が戦争に集まる。それを商機と物が移動する。一部は帝国領となったヌビアへ支援物資を運んでいくが、これはガランの裏切りのツケを自治領が払わされているものだ。
この数年で自治領を巡る様相は目まぐるしく変わった。敵だった帝国と手を結び、スキティア王国まで抱き込んでの三国同盟。そして都市連合との大規模な戦争が始まる。それこそ百年以上昔の“大戦”を上回る大戦争となるだろう。
今も自治領では港という港で艦隊の整備が行われている。白海の覇権は自治領にとっての悲願であり、この機に都市連合から島々を奪い取ろうと士気が旺盛である。
そうした国内外の情勢をハンノはしかめっ面で眺めていた。
(マグーロの奴め、今頃は得意顔だろうな)
あるいは澄まし顔で大王相手に酒でも酌み交わしているか。
この激流を演出してみせたのは自治領のマグーロと言って良い。今やあの女は自治領を主導し三国を娶せ、やがて都市連合を降そうとしている。
ハンノはこの戦争で三国同盟が負けるとはまず考えていない。国力、戦力では同盟軍が圧倒する。だが都市連合にはテオドロスがいるし、三国の連携には不安が残る。特にテオドロスは何かしら頑強な抵抗を試みるだろう。
結局のところ、どこかで落とし所を見つけることになろうが、都市連合の日の出の勢いが陰ることは避けられない。それがハンノの観測だった。
ハンノはマグーロ主導の戦争に協力している。そうせざるを得ない。というのも昨今、自治領と都市連合で囁かれる噂があった。それは「テオドロスは自治領と通じている」というものだった。
テオドロスがかつて自治領にいたことは誰でも知っている。そして雇い主はハンノであったことから、自然と人々の視線が集中する。この状況にハンノは密かに神経を尖らせていた。
(これもマグーロの差金か……)
事実としてテオドロスはハンノが送り込んだものだ。都市連合を操り、自治領内の勢力争いで優位に立つために。だがこのような噂がある以上、ハンノはマグーロに協力せざるを得ない。そしてその成果はマグーロをさらに高みへ押し上げるだろう。
(いっそテオドロスを密かに支援し、マグーロを追い落せれば良いのだが)
そのテオドロスも制御が利かなくなってきている。今後、関係が改善する可能性は残っているが、正直ハンノはあの男を理解できないところがあった。今となっては重荷、あるいは落とし穴と感じることが増えてきている。
(テオドロスは切るか)
今は自治領内での地歩を守る時。それに代わりとなる手札は育ちつつある。
後日、ハンノは町を出て郊外の施設に足を運ぶ。彼が個人的に奴隷を教育する場所で、鞭で躾け、技能を磨いて売りに出す。
数ヶ月前、ハンノは別棟を建てるとここに安く買った奴隷を集め始めた。
「ご注文通りの調整ができています」
施設では金眼の女ヘレが待っていた。あのガランに秘術を教えた女。今は宿主をハンノに変え、その庇護下で術を振るっている。
地下牢には多くの奴隷が収容されているが半分は病人と怪我人。衛生が行き届かずまともな風体の者はほとんどいなかった。
「一つやって見せてくれ」
ハンノの指示で奴隷が引き出される。己の足では立つこともままならない病人である。ヘレは壺から虫を取り出すと、それを奴隷の体に這わせた。虫は肉を食い破り体内へ。奴隷はしばし苦悶したが、しばらくして落ち着いた。
「この程度の病であれば一月で快癒いたしましょう。虫は時間とともに死んで痕跡も消えます」
「これで良い。これくらいの塩梅で良いのだ」
ガランはこの虫に強い力を持たせて不死身の軍隊を作り上げた。また彼自身も虫を取り込み肉体改造を果たしたようだが、ハンノにその気は無い。こんな奇怪な虫を体に入れるなど考えただけで怖気がする。また不死身の軍隊などは非生産的であり、まともな人間のやることではない。
(健やかな肉体は魅力的だがな)
もう一つ駒がいる。ハンノが表に出るわけにはいかないため、代わりに秘術の担い手となる人材が。
そのために各地の奴隷市場を巡り、知人の奴隷まで物色して選び抜いた奴隷がいる。否、ハンノの目が釘付けになった女がいたのだ。
その女奴隷は美しく儚げで、どこか神秘的な魅力があった。思わず値段交渉をして足元を見られるなどしたが、金に糸目をつけず買ってやった。手元においてみると落ち着いていて聡明、利口で献身的とくる。一人の妾として楽しむのも悪くないが、用途は決めてあった。
「この女も役に立ちますの?」
「ああ、この女なら良い役者になる」
「なら良いですけれど。ずいぶんと回りくどい方法を選ばれるのですね」
「私はガランのように正面から喧嘩を売る質ではなくてね」
今は目立つべきではない。だがいずれマグーロも排除して自治領を掌握する。その先は……。こんな初老の男にさらなる野心が芽生えるなど本人が一番驚いていたが、そんな自分の変化に悪くない感情を抱いていた。




