7.ヌビアの砂漠で①
「それでは屋敷のことは任せます」
クシャは帝都の屋敷を執事のビザンに預けることとした。急ぎ支度を整え新たな赴任地へ行かねばならない。ヌビア州代理総督。平民出の魔術師が数年で就く地位としては異例中の異例である。
「せっかくの出世ですのに慌ただしいですな」
「申し訳ない。できるだけ早く仕事を始めないといけないのです」
まもなく都市連合と同盟各国で戦争が始まる。クシャは直接加わることはないが、ヌビアで課せられた重要な役目があるのだ。
出立の前に宮廷へ参内する。ダリウスは忙しいためナヴィドに別れの挨拶を言った。
「ヌビアでもご活躍を期待しております」
「皆さんの期待に応えられれば良いですが。大王のこと、お頼みしますよ」
クシャの心からの言葉である。当初は得体のしれない仮面の宦官に警戒感を抱いたものだが、私心なくダリウスに仕える彼の人柄を知った。ククルが世話になったこともあり、今は宮廷で信頼の置ける数少ない人物の一人だった。
その足で旧友のファルジンも訪ねる。彼は魔術院の人間だったが、クシャの後任として魔術参謀の地位を押し付けられていた。
「これで俺も権力にすり寄る身分になった」
「そう言うなファルジン。ダリウスを支えてやってくれ」
「お前こそ気をつけろよ、雲行きが怪しい」
「何か見えたのか?」
お互い魔術師同士。魔術には占術も含まれるが不穏な兆候を見たのだろうか。
「クシャ殿」
ふと見れば女官たちが姿を見せ、その後ろから大王の義妹スタシラが現れた。
「王妹殿下、このようなところへ」
「そのままで結構です。クシャ殿が任地へ赴くと聞き、別れを言いに来ました」
別れという言葉が重い。スタシラは延期となっていた婚礼が今度こそ実行される。故郷を離れることは覚悟していたが、草原で襲撃にあい共に命がけの旅をしたことが思い出された。
「クシャ殿には義兄を側で支えてほしかったですが……」
「これも大王陛下のご下命ですので。代わりにこのファルジンが魔術参謀を務めます」
「この方は……大丈夫なのでしょうか?」
「歯に衣着せぬところだけは信用できます」
クシャの言い様にスタシラはフッと笑みを漏らした。美しいが寂しい笑みだった。
***
「戻ったかクシャ」
屋敷に戻るとマフターブにストラトスまで待ち構えていた。マフターブは籠に果物を、ストラトスは酒瓶を片手に。雑談の合間に宮殿でのことを話すとストラトスの口元がニヤついた。
「殿下とは何を話したんです?」
「もう会えないかもしれないからと別れを惜しんでくれた。それぐらいのことさ」
「惜別ですか。もっと大事な意味があったかもしれませんよ」
「大王陛下を支えてほしかった、とは言われたな」
「だからもっと、ほら。殿下はあなたに個人的な想いがあったんじゃあないかと」
言葉の意味を考えたクシャはこれをピシャリと否定する。
「殿下はそのような浅はかな方ではない」
「義兄を支え、自身も命を救われた忠臣だ。側にいてほしいと思っても不思議はありませんよ」
「ストラトス」
この話題にマフターブのほうがムッとして遮ってしまった。
「くだらない話はよせ。………………いや、クシャがくだらないわけではないぞ」
「どういう話?」
二人の空気が微妙になってしまったため、見かねたストラトスのほうで話題を変えることにした。
「コホン。俺の部隊も支度はできましたから、いつでもヌビアへ行けます」
「何だ、君はついて来るつもりなのか?」
「クビになった覚えはありません」
「いやすまない、赴任を急ぐあまり確認していなかったな」
ストラトスは大王とも話し、引き続きクシャの下で働く許しを得ていた。
「今度は砂漠のヌビアだぞ、そこまで君らを連れ回すのも悪い」
「まあ、帝都を離れるのはちと寂しいですが。馴染みの店にも通えないし。だがあなたの下で働くのも悪くない」
「私に従ってもたいした旨味はない」
「あなたは自分の立場というものを分かっていないのか、分からないフリをしているのか。たまに疑問に思いますな」
世間でのクシャの評価は大いに高まっていた。最初こそは大王のお仲間という認識だったが、ファルザードの乱、リデア動乱やガラン討滅で功を立て、他国の紛争まで調停してみせた。その結果のヌビア総督就任である。
「今やあなたは出世頭だ。その直属の部下というのも良いかと思ったんですよ」
「あまり期待されてもなあ」
「もう一つ言うと、あなたはお人好しだから側で見張る人間が必要でしょう」
「そうだな、クシャは道端で犬か猫でも拾ってきそうだからな」
「二人とも……はぁ」
クシャに出世への拘りはさほどない。今ですら過分だと思っているし、地位が上がるほど深みにはまるようで恐ろしさもあった。
だがストラトスたちが配下についてくれるのは素直に心強い。赴任するにも手持ちの兵力が無いことには人々を従わせられないから。
これでクシャはストラトスのヘラス人部隊が約千騎、そして自治領から降った奴隷部隊約約二千騎を直属の兵力とした。この奴隷たちは大王の命で奴隷身分から解放され、今はトゥネス人部隊という名で組織されている。これらに加え若手の魔術師を若干名と統治に必要な官吏、技術者を伴う予定である。
「ククルも連れて行くのだな?」
「うん、そうなるな」
マフターブはククルと仲良くしていたため少し寂しそうだった。年齢からいえばまだ少女でしかないククルだが、ガランとの戦いでは想像以上の活躍を見せてくれた。今やククルは一端の魔術師と言って良い存在だが。
(あの戦争の直後、しばらく表情が冴えなかった……)
原因ははっきりしている。ククルと<呪われし民>、そして<超帝国>の関わり。彼女自身も己と向き合う必要に駆られているだろう。どこかでより詳しい情報が得られればいいが……。
マフターブの顔を見る。彼女の母と名乗った謎多き女性がいた。また会うことができれば尋ねたいことが山ほどあるのだが、それも難しそうだ。手探りで闇の中を歩くような気分になるクシャだった。
「どうかしたか?」
「……いや、私がいなくても大王の前で上手く話せるか?」
「さ、さすがにだいぶ慣れたとも」
どちらからともなくフッと笑う二人。思えば何度も肩を並べてきた相手だが、ヌビアへ行けば数年と会えないだろう。
「気をつけてな」




