栄冠②
広大な競技場を走者たちが駆ける。長距離走は気力と体力の問われる種目だが、この日は神々が配慮してくれたのか、曇り空に涼しい風が吹いた。
徒競走は人気と伝統ある競技で、観客の声援もいつも以上だ。しかしテオドロスとアリストンの周囲だけは静寂とただならぬ雰囲気をしていた。
だがアリストンの息子パウサニアースは空気を読まぬように明るい声を上げている。
「確か“大戦”にまつわる伝承もありましたよね」
「勝利の報告を知らせに走った伝令の話かな?」
ヘラス都市連合とアリアナ帝国が初めて大きな衝突をしたのは百年以上前である。ヘラス地方に上陸した帝国の軍勢を都市連合が打ち破ると、その知らせをいち早く伝えようと伝令が走った。当時は騎馬が今より少なく、己の足でひた走った伝令は役目を果たすと同時に事切れたと伝わる。
この話は象徴的な伝説となり、以後各地の競技会で長距離走がもてはやされたというが、競技の増えた現在でもその人気は根強いままである。
「見てください父上、先頭のが大きく引き離しましたよ」
「落ち着け。後で息が上がるのがオチだろうて」
アリストンはというと冷静を過ぎて冷めた目をしている。その目は競技場に向けたまま口はテオドロスに問いかける。
「パラスはチベと事を構えたそうだな」
「望んだわけではありませんが」
「血は流れなかったようだが、このままでは収まるまい」
チベ市の停戦破りは連合理事会で正式に糾弾されることになるだろう。その結果がどうあれチベ市が信頼を失うことは避けられず、自然と都市連合内の勢力図も変化する。
まずチベ市の同盟市が相当数離れる。そしてパラス市かラケディ市との同盟を模索するだろうが、多くはパラスに流れるだろう。ラケディ市民はヘラス人の中で比較的浮いたところがあった。保守的で頑固。議論より力を好む。内向的で外への興味が薄い一方で連帯感が強い。
ラケディ人に限った特徴ではないが顕著ではある。そして発展目覚ましいパラスと並べた時にラケディとの同盟を選ぶ都市は少ないだろう。ここオリビアで聞こえてくる会話からもそんな実感がある。
それが分かっているためか、アリストンは母国ラケディの未来図を想像し不機嫌な色に染まっているようだ。
「今後、都市連合の形勢はパラスに大きく傾くであろうな」
「……」
「そうならざるを得ぬ。我々ラケディ人はこういう時に遅い」
テオドロスは黙った。アリストンは哀れなまでに先が見えていると思う。
アリストンはラケディの王だが支配者ではない。かつての王政は市民による民主政に移行し、王族は名残として軍権を担う立場にある。問題は民主政が成立してより数百年、ラケディの制度はほとんど変わっていないという保守ぶりにある。
祖法を守ると言えば聞こえは良いが、変化に直面した時に根を深く、幹を太くしてしまうのがラケディ人の傾向と言える。そして世の変化は確実に加速しているのだ。
「テオドロス。この際はっきり言うと、ワシは貴公が気に食わぬ」
「傷つきます」
「だが認めるべき点は認めている。そして若い世代の者たちならば、貴公のやり方に影響を受けるかもしれん……」
「……」
テオドロスとパウサニアースが伺うような目をするが、アリストンは木になったように沈黙してしまった。こうした様はラケディ人らしいと思わされる。
長距離走は盛況のまま幕を閉じた。大逃げに出た先頭走者は後半で息切れし、やがて後方集団に飲み込まれた。そこから抜け出たのはまずラケディの走者、次いでパラスの走者がその背を追う。抜きつ抜かれつの攻防はラケディがギリギリで勝利。優勝者にはオリーブの枝葉で作られた冠が送られ、鳴り止まぬ拍手が選手たちを讃えた。
「お楽しみだったでしょうね」
リリスが拗ねたような言い方をする。女性が観戦できないと分かっていても、周囲が盛り上がっていると退屈感が増しているようだ。
この日はテオドロスも用事を切り上げ、ネストルや身内だけで集まった。そろそろリリスたちの戦車競走が近づいたため最終確認をする。
「エウポリオン、過去の競走について調べてくれたか?」
「うん。公式記録や伝聞、詩など色々な記録が残されているよ」
「これを見てみると事故も多いですなあ」
戦車競走では衝突事故など当たり前、各地の大会で毎年死亡者が出ている。危険な一方で人気も高く、馬に投資を惜しまない人も多い。
「場外では賭けまで行われています」
「ほう。二人の倍率はどうなっている?」
「下の方ですね」
一方で高い人気を集めているのは、やはり強国ラケディの代表である。本来ならチベの代表も強豪だったが今回はいない。
「それと危険な相手がウルガス市の代表です。各地の競技会で三連勝中なうえ、荒っぽい走りで相手を蹴散らすと有名な御者がいます」
ネストルが連れる御者には過去の競走内容を教え込み本番に備えさせる。長距離走でも同じだったが前に出るか後ろで温存するか、実際に流れを見ての判断が問われるところだ。
「テオドロスも楽しそうね」
「どうも性分なようだ。勝負事が好きなのだな」
ただそれだけではない。リリスに勝たせてやりたいという想いもあるが、あえて口には出さなかった。




