キラック州討伐⑤
「マフターブ将軍の宿営地、で合っていますか?」
「い、いかにも」
クシャの問いに棒のようにピンと立って答えるマフターブ。
「……」
「……」
互いに口にすべき言葉を探して沈黙した。片や魔術師、片や武人の静かな駆け引き、先に口を開いたのはマフターブ。
「魔術師殿、さ、さきほどのことは……その」
「さきほどと言うのは、今話していたことで?」
全部見られた、聞かれていた。クシャの言葉が戦鎚のようにマフターブを打ち砕き、膝から落ちそうになる。いっそ殺してほしい。
だがその衝撃に耐え、マフターブは先に言うべき言葉をひねり出す。
「ち、違う。軍議の後で、私がぶつかってしまったこと」
「あぁ」
「すぐに謝るべきだったのだが、あのときは……頭が真っ白で」
「……申し訳無い、私もそのことを謝りたくて」
クシャが意を汲み取り謝罪してくれた。それでマフターブの何かが晴れたようだ。
「魔術師殿……怒っていないので?」
「お互い様でしょう。私も将軍のことを誤解していたようです」
色々と。
「よ、よかったぁ……」
へたり込んでしまったマフターブを部下たちが支えた。クシャは当初の用事を果たすため懐から首飾りを取り出す。
「これは将軍の物ですか?」
「あ……」
慌てて己の身体を探るマフターブ。どうやら落とし主で間違いなかったようだ。
「これを届けるために? ……感謝します」
首飾りを受け取ると両手で包むよう握りしめた。そこにあったのは武人でも挙動不審でもない、一人の女性の顔。これが彼女の素のままの姿なのかとクシャは感じた。
「よく私の持ち物だと分かりましたね?」
「ああ、それは何と言いますか……」
直前にぶつかったから、というのもあるが。クシャにはこの装飾品に不思議と既視感があった。
「気を悪くしないでほしいのですが、騎馬民族の間で似たような物を見た気がして」
騎馬民族や遊牧民族には優れた金細工を作る者がよく見られる。彼らは移動生活をするため、資産を持ち運びやすく装飾品の形にするというが。
アリアナ帝国では服属した異民族を軍に組み込んで軍を編成することが多い。クシャがいたダアイ州や、マフターブたちのいるクルハ州は複数の部族が割拠し、文化・民族的にも交雑が見られる土地だった。
「クルハ州といえば、古代に女だけの戦闘部族がいたという伝説を聞きました。そこからマフターブ将軍のことが浮かんで」
「魔術師殿には、私がそんな戦士に見えましたか」
「いや、失礼いたした」
フッと彼女の笑いが漏れ聞こえた。
「いや、魔術師殿は鋭い。私の母はその部族の末裔と称していたのですよ」
「それは本当で?」
「ええ。この首飾りも母が残したもので、その、緊張を紛らわせるために手で握り続けていたのです……」
伝承に伝わるその部族は女でありながら優れた戦士たちだったという。その血を引くため彼女も無双の強さを誇る……というのは都合がいい考えだろうか。
ともかく、その剽悍さと別の表情も見ることができ、彼女に抱く印象はすっかり変わった。
「魔術師殿、礼がしたいので我が幕舎へ来られぬか。酒も用意させましょう」
***
(何故こんなことになったのだ……)
ゼフリムの城塞に籠もったファルザード。防備を固めさせてはいるが、兵力が足りない。報告を聞き指示を出しながら、一人になると酒をあおった。
――我々はいずれ王家をも凌げる。
父は密かにファルザードに言ったことがある。お前か、その子かその子孫か。いつか大王に取って代われると。
その父が死んだときから運命が傾き出した。派閥は力を失い切り崩されそうになる。求心力の回復を狙って戦に出たが完敗し、時を同じくして貴族勢力そのものが大王によって首を飛ばされていた。
次は自分が殺される。そんな恐怖に取り憑かれ、方々に味方を求めた。幾人かの太守は応えてくれたが、それも大将軍によって打ち砕かれた。
「ファルザード様、よろしいでしょうか?」
家来が報告にやってきたが、主の顔を心配そうに見る。その目に己の惨めな状態を見出して気を取り直した。
「何事か?」
「使者が来ました。その、都市連合から。すでに艦隊を発したと報せが」
「……来たか!」
予てより働きかけていた工作が実を結んだということだ。ファルザードは掌で己の顔を叩いた。
(戦いはまだこれからだ)
***
「都市連合と結託していたと?」
「はい、捕虜にした敵将が証言しました」
宦官のナヴィドが白状させたようだった。ファルザードとヘラス都市連合が盟約を結んでいたという事実に、大将軍アシュカーンは眉を曇らせる。
「ヘラス人を後ろ盾にしようというわけか」
「帝国の領地を売り払う気か、売国奴め」
帝国軍の将帥が増えた。討伐軍の勢いを知り、日和見していた太守たちが慌てて参陣したのだ。アシュカーンは内心軽蔑したが、表立っては太守たちに感謝の言葉を述べておいた。
今は軍を分けて周囲の平定に充て、本隊が反乱軍の本拠ゼフリムの街を囲んでいる。
「ではこの先、連合の支援なり介入なりがあるでしょうか?」
「そうであろうな。状況を動かしたいなら間違いなく派兵してくる」
「連合の援軍か……」
アリアナ帝国の西方政策においてキラック州は要の一つである。ここに都市連合の影響力が及べば強力な楔を打ち込まれてしまう。
その場合、陸路は帝国の勢力圏であるため軍は通行できない。問題は海路だ。
「ゼフリムの港はかなり大きい。ここに連合の艦隊が入れば厄介ぞ」
「我が帝国の<白海艦隊>はどうなっているのか?」
アリアナ帝国の領地は西に<白海>、南で<バーラタ洋>に面し、それぞれ数百隻の軍艦を配備してある。その動向についてもナヴィドは調べてあった。
「白海艦隊は内紛状態にあるようです」
「内紛?」
「あそこの提督はファルザードの親戚です。反乱軍に加わろうとしたところ、配下の者たちが拒んだようで」
その結果、内部抗争に突入して動けずにいるようだ。敵に回らなかっただけマシだろう。
「兵は多くて数千人は運べるやも」
「それに物資も補給できる」
「だが一番問題なのは」
アシュカーンが口を開いた。
「レミタスでファルザードを破った不可思議な武器。あれを持ち込まれるかもしれぬ」
連合のテオドロスが用いた“魔導の兵器”である。帝国は未だにその正体を掴めていないが、目下の驚異の一つと見なしていた。
「できる限り速やかに、この城を落としたい」
「攻城兵器、組み立てを急がせます」
「それもいい。だが今ひとつ……」
アシュカーンは参謀として席に着くクシャに目を向けた。




