キラック州討伐③
明日の進発が決まり陣中が慌ただしくなった。まだ兵には疲れが見える。遅れた部隊の合流もそこそこに、反乱軍へ向かっていくようだ。
国家魔術師として参軍したクシャは、この討伐戦においてまだ何もしていない。魔術師の技が介在する余地が無い戦いだった。アシュカーン大将軍は歳に似合わず即戦を好み、そして敵を打ち破っている。
その大将軍が幕舎にクシャを呼びつけた。
「魔術師の身でこの強行軍に従うのは疲れよう」
「ええ、確かに。付いていくのがやっとでした」
クシャは前の赴任地で、軍とともに異民族との戦いを経験している。それでも今回の行軍は過酷であった。
だが当の司令官であるアシュカーン老は疲れの色を見せない。あるいはそう努めているのかもしれないが、兵士たちは本当に老人かと囁き合っていた。
「土の魔術は守りに優れている、と聞く」
「はい、そういうところはあります」
「次の衝突では兵の損耗を抑えたい。何か方策は無いか?」
簡単に言ってくれるが、これに応えられなければダリウスより派遣された意味が無い。クシャはいくつかの魔術を示し、それを戦術に組み込む案を出した。
「……ふむ、一つやってみるか」
そして数日後、討伐軍はファルザードの軍を目と鼻の先に捉えた。
ファルザードは味方を糾合する当てが外れ、その軍勢は二万前後といったところ。討伐軍は落伍した者もいるが、兵力では上回る。
だがファルザードのほうでも多少の工夫をしていたようだ。山間の狭隘な地に軍を展開しており、数の差を活かしにくい状況を作っている。
「さすがに、これくらいのことはやるか」
ファルザードには累代の家臣が色々と献策していることだろう。そして後退せず迎え撃つからには、何かしら勝算もあるはずだった。
「進め!」
アシュカーンの号令で軍は動き出し、狭い地形へ踏み込んでいく。
(この形、いいとは言えない)
クシャでもそれくらいのことは分かった。明らかに誘い込まれている。だが「竜の巣に入らねば、竜の卵は得られない」という古の言葉にあるとおり、一切の危険を冒さず何かを得ることはできない。
やがて開けた視界に敵の陣容が広がる。それに対応し、討伐軍の将軍たちはそれぞれに部隊を移動させ隊列を組んでいった。狭い地形、目の前に敵、限られた条件でどうにか方陣を連ねていく。
「敵、来ます!」
反乱軍の側から仕掛けてきた。だがこの場合、やたらと突撃はしてこない。お互い帝国軍が相手となれば初手は分かっている。
「魔術師部隊、前へ!」
討伐軍の国家魔術師たちが前線へ張り出し、防御用の魔術を備える。対して反乱軍からは、ファルザード家お抱えの魔術師が攻撃魔術を仕掛ける。彼らは金で雇われた者、国家資格を諸事情から得られなかった者など様々だ。
だが空中を舞う夥しいまでの火球が彼らの技量を物語っていた。これを浴びれば多大な被害が出ることは語るまでもない。
「魔術発動!」
号令一下、討伐軍の前面に水の壁が立ち上ると、飛来する火球を包み込んで霧散させた。
「続けて放て!」
反乱軍からは次々と火球が飛ぶが、討伐軍の側は魔力を防御に回し、これを防ぎ続けた。
やがて魔術師の魔力が尽きると魔術の応酬は止む。だが事態が変化した。山腹に反乱軍の魔術師が潜んでおり、討伐軍の側面から巨大な火球を飛ばしてきたのだ。
「それぐらいのことは想定しておる」
アシュカーンの指示で再び魔術師が術を行使。討伐軍の空中で旋風が巻き起こり火球を打ち消した。
魔術戦は互角で終わり、軍勢同士が接近した。焦ったのはファルザードだ。有利な地形に誘い込み、敵の虚を突いたつもりの魔術攻撃も防がれた。帝国軍の精鋭たちとまともにぶつからねばならない。
「魔術師たちは次の策を考えろ!」
あとは討伐軍が疲労していることに期待するしかない。
「突撃!」
打ちかかったのは反乱軍のほうだ。士気は低くない。兵士たちの剣が、槍が、騎馬が一斉に襲いかかる。
「今だ!」
前衛部隊に身を置いていたクシャが魔術を発動させる。すると地面から巨大な土の壁が湧き上がり、両軍の間に立ちはだかった。
「土魔術だと?」
それは人の頭をゆうに超える高さ、十分な厚みを持ち、討伐軍を護るよう横いっぱいに広がっていた。これに反乱軍の突撃は跳ね返され勢いが止まる。
「ふむ、まあまあか?」
まずは成功したかと頷くアシュカーンだが、傍で控える別の魔術師は軽く目をむいていた。
「どうした?」
「あ、いえ。まあまあとの仰せですが……」
アシュカーンら門外漢には分からないことだが、あれほどの防壁を一人で構築する術は熟練者級のものであり、まだ若い魔術師にできることではなかった。
「……それほどの者だったか」
戦いは自然と壁越しに弓を応酬する形に切り替わる。また壁にはところどころ隙間があるため、その狭い空間で歩兵同士が斬り合う局所的な戦いが散発した。
「あの老いぼれは何を考えている?」
ファルザードは訝しんだ。こんな障壁を野戦で展開すれば軍の移動を妨げる。
ここで彼は、この機に軍を撤収し、城で守りを固める策も考えた。だがその思案は突然の急報で打ち砕かれることになる。
「接近してくる騎馬隊が!」
「なっ、どこから!?」
「我が軍の左後背!」
山道を突っ切って現れた騎馬の一群が、勢いそのままにファルザードの軍へ襲いかかった。密集していた兵士たちを斧で割るように砕き、槍で貫くように駆け抜ける。
「間に合ったか」
彼らは北のクルハ州から馳せ参じた騎馬隊であった。討伐軍に加わろうと南下してきたが、合流地点が掴めずにいた。それをアシュカーンは指令を出し、直接戦場に合流させたのだった。
「今だ!」
このときを待っていた。クシャは地面に手を触れると魔力を放出し、並んでいた土壁を一斉に解除した。大量の土が崩れ落ち、その向こうに敵軍の姿が現れる。反乱軍にとっては突然の、討伐軍にすれば予定通りの事態。
「突撃っ!」




