エピローグ②
大陸歴一〇四五年は夏を過ぎ九月に入る。
帝国軍はガランを打ち破ると反転攻勢に出てメディナ州のほぼ全域を奪還していた。ガランの号令に集まった自治領の軍勢は頭領を失うと戦意を失い、多くは占領地を放棄して逃亡を図った。組織だった抵抗はわずかなもので、駆逐するのにたいした労力はいらなかった。
これにより戦いの帰趨は決したと言える。ダリウスは戦死したメディナ州太守アルビュゾスに代わり、その親族に地位の継承を認めた。だがそれで全てが収まるわけではない。奪われたメディナ州は略奪を受けており、物的、人的被害の全容は把握できていない。レヴァント州に避難していた住民はしばらく帰還できないだろう。
そして国家間の落とし所というものがある。自治領の重鎮マグーロが帝国と密約したとはいえ、自治領を支配する<三十人衆>の総意があったわけではない。現地の議論がいずれの方へ向いているかはマグーロにすら分からず、今は人を遣って探りを入れている段階である。
動きがあったのは九月の二十二日。ダリウスは諸将を集めて会議を開いた。その席に持ち込まれた櫃の数々に視線が集まる。
「ガランに与した有力者、傭兵隊長たちの首が届きました」
ガランの残党たちは占領地を放棄して自治領まで撤退し、そこで同じく自治領の<中庸派>ハンノに迎えられた。軍を再結集する可能性も考えられたが結果はその逆。ハンノは彼らを襲撃して主だった者を殺害し、首級を帝国に送りつけてきたのだ。
「自治領の<海洋派>と<中庸派>が揃って奴らを見放した、ということだ」
「ではこれで……」
戦争は終わった。両者にとって失うものばかり多い戦争が。今後は外交折衝によって両国の関係を再定義することとなろうが、兵士たちは故郷に帰ることができる。
「これも一同の働きによるもの、心から礼を言わせてもらう。帝都に帰還した後に諸君らの功績へ報いるだろう」
ダリウスの言葉に皆気色を浮かべ退席していったが、この戦争は自治領から領地を得たわけでなく、賠償金が取れるとも決まっていない。ただでさえ戦費と戦災復興に金が嵩むところで恩賞を出せば財政を圧迫してしまう。止むなきこととはいえ、ダリウスと財務官僚たちは年中悩み通しになりそうだった。
「クシャ殿、お休みのところ申し訳ございません」
夜中、ダリウスの宦官がクシャを訪ねた。内々の参内を求めてのことだ。
いくつかの警備をくぐり大王の私室に入るとダリウスが一人待ち構えていた。いつも側に侍るナヴィドはここにいない。はるか東、帝都を守るために発って久しいが、先日早馬で報告をもたらしていた。
ガランが東へ放った死者の群れは大部分が退治され、主だった将も健在のようである。クシャにはククルの無事も知らされ、あらゆる懸案が解消したと言える。
「少し話したいことがあってな」
ダリウスは先に酒を勧めた。肩の荷が降りて表情の陰りが薄れたのは良いことだ。
「ハンノの使者が首とは別に文書を持ってきた」
「今日の会議で言わなかったのは、これも内々だからか?」
「そうだ。ハンノは帝国と自治領の和約を結び直すことを提案してきた」
マグーロだけでなく中庸派のハンノも具体的な行動に出てきた。ガランを討ってから良い流れが来ているようだった。
「その条件として、我らが放棄した河川地帯を送り返す方向で調整したい、と言ってきた」
「それは……」
両国の間で長年懸案となってきたヌビアの河川地帯。帝国が手を引くことで和平の決め手となった地域だが、これを自治領が手放すというのだ。
単純にハンノの誠意と取って良いかどうか。彼の地はガランが虐殺を行い死者の軍勢を作り上げてしまった。今は荒れ果てているだろうから、自治領にも未練は無いだろう。
「この件はマグーロも触れていたから、おそらく高確率で実現するだろう」
「その条件で受けるのか? 廷臣にも色々と意見はあるだろう?」
「無論、彼らの意見も聞くが。何よりお前に話しておきたいことがある」
「俺の意見か」
政治向きの才には自信がないクシャであるが、それを承知の上でダリウスには考えがあった。
「彼の地をヌビア州と呼ぶこととし、代理総督にお前を任じたい」
「俺を?」
「そうだ」
「……」
しばらく言葉の意味を反芻して沈黙が流れた。代理総督は太守とともに、帝国の三十を超える属州の支配者である。その大半は世襲貴族や土地の名族が任じられ、現地の行政、財政、裁判、軍事などあらゆる権限を握ることになる。
「無理だ」
「まあ聞け。重大な仕事がある、お前にやってもらいたい仕事がな」
言いつつダリウスは地図を広げた。広大な大陸を記したものだが、現実の陸地が地図通りなのかは分からない。いつからか誰かがそう定めたのだ。今まで考えなかったが、<超帝国>が記した地図の名残りだろうか。
その一角、河川地帯の辺りをダリウスの指が横切った。
「この海、白海と朱海は陸地で分断されている。だがヌビアの古王国時代に運河が建設され、二つの海は繋がっていたのだ」
「聞いたことがあるな。大河から朱海に通じる大きな水路があったとか」
その古代運河は古王国の滅亡と帝国、自治領の争いの中で忘れられ、今は土に埋もれているはずである。
「その運河を俺に使えるようにしろと言うのだな」
大規模な土木工事となるが、土の魔術があれば大きな力となるだろう。クシャ自身も辺境でその手の工事は経験がある。
「だが俺がやってきたのは農地の水路程度のものだぞ」
「技術者は付ける。お前は魔術師たちを率いて現場で働いてくれれば良い」
「工事はそれとして、俺が一州の主だなんて……」
「信頼の置ける者に任せたい。それにお前はこの戦争の勲功第一だ。誰にも文句は言わせん」
勲功第一。ガランに仕掛けた計略などを評価されたようだが、クシャとしては実感の無い言葉だった。まして人々の上に立つほどとは。
ヌビア州の位置付けは無論重要なものとなるだろう。自治領と境を接し、彼らがまた裏切りでもすれば最前線となる。統治に軍事、そして外交に能力が求められる地位だ。
断るべきだろうか。あるいはダリウスが事前に明かしたのも、友人に考える時間と断る機会を与えるためかもしれない。
「二つの海が繋がれば交易はさらに盛んになる。それに朱海を南に下る海路を開拓すれば、東のバーラタ洋と帝都まで含む巨大な交易圏を作ることも夢ではない」
アリアナ帝国は基本的に陸上の国である。白海で争う関係上海軍は保持していたが、南方の海路開拓はあまり行われてこなかった。それは逆に言えば開発の空白地帯であり富の伸び代なのだ。
「ふむ、南方の国々と関係を結び、寄港地を増やすことができれば……」
「河川地帯の農業生産と海路の交易、いずれも帝国の助けとなる」
「そのためにはガランが荒らしてくれた分の復興が急務だな」
「失われた領民は何とかしよう。移民を募る他に、囚人を労働力として移す手もある」
「それを条件に刑期を減じて、行く行くは定住してもらうのも良いか」
「軌道に乗るまでは税も減免する。それらをクシャの名で行うのだ」
国造りの話をするダリウスには、ここ数ヶ月忘れていた明るさがあった。元々この男は豊かで平和な国を造るために権力を握ったのだと、改めて頷くことができる。
――コンコンッ。
扉を叩く音で振り返った。訪ねてきたのは宦官で急いだ様子である。
「陛下、お話し中の所に申し訳ありません」
「構わぬ、何事か」
「スファードのメフラク様より急ぎの使者が参りました」
「メフラクだと?」
スファードは帝国西端のリデア半島の都市であり、メフラクはリデア州の太守だ。ヘラス都市連合との境界を任された彼が急ぎ知らせたいこととは。ダリウスにじわりと嫌な予感がした。




