傷跡②
クシャが会談場所に指定したのは見晴らしが良く小高い丘の上だった。地図で調べたより現地は荒涼としている。ここが帝国と自治領、両軍の中間点と位置づけてのものだが、帝国軍と呼べるものは実際数百人ほどでしかない。
「本当に来やがった」
ストラトスが意外そうに漏らす。地平の先に数十人の小集団が現れた。三十人衆のガラン。親書で求めた通り、本隊は留めわずかな手勢だけでやって来た。それでもクシャたち数騎の兵よりはるかに多いが。
「このまま攻撃してきたら、俺たち死にますね」
「途中で止まるはずだ。我々ごとき蹴散らしたところで意味はない」
「おっ、確かに止まった」
その集団はクシャたちの姿を認め停止し、中から一騎だけこちらへ向かってくる。
「参謀殿、やけにしゃんとした奴が来ますぜ」
「……」
近づくにつれ鮮明になってきたその姿はトゥネス風の装束にして、自治領軍指揮官の装いだった。馬が小さく見えるほどの巨漢は、部下も連れずにたった一人で彼らの前に立った。
「ガラン……」
「クシャとかいうのはどいつだ。頼みに応えて来てやったぞ」
ガランの問いに、やや呆然としながらクシャが応じる。睨め回すガランの目は獲物の価値を計るかのようだった。
「大王の側近というから、どんな奴かと思ったが」
「ガッカリされたか」
「今すぐ踏み潰してやりたいが、ひとまず生かしてやろう」
噂通り危険そうな男であるが、クシャの目には違和感が張り付いていた。その視界の端で、ストラトスが服の下の短剣に手を添える。
(殺りますか?)
(まだ待て)
クシャは密かに手で合図して制した。この場の随員はストラトスはじめヘラス人傭兵である。いずれも手練で、やや好戦的だ。帝国の国土を荒らした張本人がのこのこ一人で来れば、ここで殺してやろうと鎌首をもたげるのは無理もない。
だがクシャは高ぶりを鎮め、短く冷静に相手を観察した。
(顔がきれいすぎる)
歴戦の強者といわれるガランだが、その顔には傷跡一つ無く、また若々しい。替え玉という可能性も捨てきれないため慎重になった。
そもそも騙し討ちするために呼びつけたわけではない。クシャとしても探りを入れたいことがあるのだ。
「私が魔術参謀のクシャです。特使としてガラン殿に停戦の」
「御託はいらぬ。貴様の大王には、その首も玉座も俺が頂くと伝えておけ」
「それを言うためにわざわざ御出馬されたのか大将?」
「よせ、ストラトス」
ストラトスの牽制するような言葉に、ガランが鈍器めいた視線を向ける。――猛獣だな、と一同は感想を共有した。ストラトスは帝国の女将軍マフターブを雌獅子などと呼んでいたが、この男はまた異なる野性味を帯びている。
「俺が来てやったのは、貴様がよこした文書のことだ。“金色の瞳をした友人”と抜かしたな、貴様は何を知っている?」
この言い様にストラトスたちはきょとんとするが、クシャは密かな手応えに拳を握った。――この男がガラン、クシャの想像する通りか。
「ガラン殿の御友人はお連れいただけなかったようだ」
「貴様らごときに関係はない。ただ質問に答えろ、もしや大王の側にもいるのか?」
「さて、どうでしょう。こちらの交渉は無視して一方的に質問とは虫がいい」
「……まさかとは思うが、貴様が囲っているのではあるまいな?」
「私が?」
一瞬ククルの金色の瞳が脳裏をよぎったが、それは関係ないと振り払うクシャ。
「私が知ることといえば、スキティア王に拝謁した折に、同様な瞳を持った御仁と見えました」
「スキティア、北の蛮族か」
「そして妙な術を使うようです。そういえば都市連合が昨今手に入れた武器も不可思議なものでしたが、ガラン殿も似たようなことがあったのでは?」
「……」
クシャとガラン、互いに腹を探るような、手探りのような問答をしつつ、頭の中で状況を整理していた。
(<呪われし民>が他所にもいる。ガランはその可能性を確認しに来た)
であれば、この動く死体という怪現象も背景が見えてくる。そしてガランが一人で臨んだあたり、周囲にも秘密なのだろう。
「お二人さん、あれを」
不意にストラトスが会話に割って入った。その視線の先、丘の下を駆けてくる騎馬がある。クシャとガランは互いに「取り決めに反する」と視線を送ったが、その目は「何も知らない」と語っていた。
ほどなく騎馬が丘を登りきると、間にストラトスが立ちはだかる。その騎手は頭巾で表情も伺えないが、刺さる視線も気にせず一同を見回す。
「何者だ?」
「ガランとかいうのはどいつだ?」
その問いに誰も答えなかったが、皆の視線が自然とガランに向くだけで十分だった。
「お前か」
「何だ貴様は?」
つい平凡な問いになるガラン。騎手は答える代わりに頭巾を取ると、不躾にもガランの顔に投げつけた。
騎手の長い銀髪が顕になる。周囲がその髪を美しいと思う間もなく、状況は一変した。
ガランは頭巾を払い除けたが、その胸に剣が吸い込まれる。騎手は投げつけるのと同時に馬を進め、剣を繰り出していたのだ。
「女――っ」
血を吐きながらガランの漏らした言葉である。その騎手は確かに美しい女だったが、最後の言葉がそれかとストラトスは思った。
ガランの巨体が馬から落ちる。その様子は現実感に乏しく、ストラトスたちヘラス人はおろか、後方で見守るガランの直属兵すら言葉を持たなかった。
「マフターブ?」
ただ一人、クシャのみが沈黙を破った。ガランを一瞬で突き倒した騎手。その顔を見て思わず口から漏れた言葉だった。




