死者の行軍⑦
帝国軍は数日に渡り後退した。途中で民に避難を呼びかけ、逃しつつ保護しつつの移動である。日のあるうちは出来るだけ歩き、暗くなると野営して民とともに体を休めた。
その野営地に駆け込む騎馬の一団があった。頭まで衣で覆い顔も隠した不審な集団だが、警備の兵に手形を見せると、兵は緊張した様子で中に通す。一団の頭目が本営まで歩くとロスタム将軍が自ら出迎えた。
「これはナヴィド殿、おいでくださいましたか」
「ロスタム将軍たちが近くにいると聞いて、合流しに参りました」
宦官のナヴィドは大王ダリウスの間者をまとめ上げる男で、大王の影、裏の支配者などと呼ばれている。だが共に大王の周囲を固めるロスタムから見て、この宦官はとにかく働き者という印象が強い。
特に人の見ていないところで日夜動き回っているため、世間からは評価されにくい。それをロスタムは損な役回りと思っていた。
「大王はさらなる軍を集め、自ら帝都を発してこちらへ向かっております」
「大王御自ら? では帝都の守りは誰が」
「アシュカーン様を、大将軍代理と称して」
「父上か?」
アシュカーンは元大将軍にして前宰相という、ダリウス体制の重鎮である。リデア半島での敗戦から無官の身に落ちていたが、この処置で事実上の現場復帰が認められたことになる。子息のロスタムとしては一つ安堵しただろう。
「ではレヴァント州で陛下と共に決戦、となるかもしれぬな」
「そのためには自治領の軍をメディナ州で食い止めておく必要があります」
「それは、ひとまず魔術参謀がやってくれる」
「クシャ殿が?」
***
野営地の一角で盛んに松明が燃やされている。煤けた臭いと腐臭が漂い、集められた兵士の士気をじりじりと抉った。
「これから動く死体の人たちを調べますので、ご協力お願いします」
兵士たちの反応は鈍い。夜まで働かされるうえに、指示を出すのが素性のよく分からない少女ときている。上官から命令が出ているとはいえ死体いじりなど、やる気の出る道理がない。
それは分かる。だが恐れては進まない。ククルは強いて胸を張り、兵士たちに指示を出し始めた。
「この死体の中に、例の“虫”が入り込んでいる可能性があります。調べてください」
寝台に乗せられた死体が数名分。すぐにも動き出すため手足を拘束してある。これを兵士に調べさせるが上手く進まない。
「調べろと言っても、どうすれば良いんだ」
「どこか変なところはありませんか?」
「うぇ、腐ってやがる……」
「あぁもぅ……」
やる気のない兵士にククルも的確な指示が出せず、暗中模索状態。行動することの難しさを思い知らされる。
(クシャ様も皆も、今は戦っているんだから)
ククル自身も死体に触れ、自らの手で調査することにした。年若い少女が行動に出れば兵士たちも黙ってはいられない。
「……衣服を取り除いてみたが、目で見て気になるところはない」
「やはり切り開いてみるしかないか」
「小刀と布が欲しいな」
少しずつ、ぎこちないが作業が歩み始めた。
そこに姿を現したのは仮面の宦官。突如ナヴィドが幕舎に入ると兵士たちの目の色が変わった。
「ナヴィド様!?」
「ククルがこちらで調査をしていると聞きまして」
ナヴィドも動く死体について関心が強く、ロスタムやククルから現状で分かることを確認していた。
「死者が動き出し、それに殺された者もまた動く死者となる……」
「それで気になったのが、この虫なのですけど。土地の人に聞いても見たことがないと」
「ククル、私に見つけた時の状況を再現してもらえますか?」
ナヴィドの要請に従い、急遽死体が火に焚べられた。その炎に誘われる蛾のように、兵士たちが野次馬となって場を囲んだが、仮面の宦官に気づくとただ静粛に炎を見つめるようになった。
「虫が……」
激しい炎にまかれた虫が、苦悶にのたうちながら転がる。これで死体と虫の関係を確認できると、ナヴィドは次の思考に移る。
「どうしても生きた虫を捕らえなければなりません」
「さきほどから死体を調べていますが、まだ……」
「では切り開きましょう」
そこからはナヴィドが大小様々な刃物を手に取り、ククルや兵士たちは周りで手伝う形に変わった。
ナヴィドは躊躇なく死体に刃物を添える。兵士たちが目を背ける中、構わず腹部を開き内臓を調べた。時間が経っているためか血の量は少ない。
「ククル、無理して見ようとしなくても良いのですよ」
「い、いいえ。自分で言い出したことですし、クシャ様の治療も見たことがありますから」
口を覆いつつ健気に振る舞う少女にナヴィドは微笑みを見せるが、慣れた手さばきで死体を切り刻む姿と似つかわしくない。
「虫の中には人や別の動物に住み着くものもいると聞きます。特に臓器の中が多いのですが、不審なものは見つかりませんね」
内臓の中、その陰まで探したが不審なものは見当たらない。次は胸、手足の筋繊維まで切開しても見つかるものは無かった。
「何故……?」
さすがのナヴィドも困惑し始めた。目ぼしい箇所はすでに切り尽くしている。ククルも当てが外れて落胆が強い。何より不在のクシャに申し訳ない。
(自分に出来ることを……)
不意に風が過ぎった気がした。燭台の火が揺れる。空気が語りかける。踏みしめる大地が、清める水が、全て体の一部のごとく感じられた。
(教えて……)
感覚を逃すまいとククルは手を伸ばす。何もない中空を掴むように。周囲の奇異なものを見る視線も感じたが構わない。
「ナヴィド様、人の頭の中はどうなっているのですか?」
「頭……頭蓋骨の中ですね?」
ククルの言葉にナヴィドはノコギリを構える。木工で使うような大型のではなく、医者が用いる小型の物だ。
「頭蓋の中には人間の、生命の活動を司る脳があります。とても繊細な部位で滅多に人の手が触れることのないものですが」
「ここを調べないと真相にたどり着けないと思います」
この頃にはもう兵士たちは逃げ出したい気持ちを隠さないでいる。だがナヴィドとククルは、もう二人だけで頭部の切開に取り掛かろうとしていた。
「固定します」
「ありがとう、では始めます」
力を増した少女の金色の瞳。その煌めきにナヴィドは心強さを覚える。
そして夜の野営地にノコギリの音が響いた。ゴリゴリ、ギリギリと。外の兵士たちは何を切っているのかも知らず、疲れて眠りこける。やがて音は止み、夜に静寂が戻った。




