辺境の魔術師③
アリアナ帝国の広大な領地は三十州以上の行政区に分けられ、それぞれを太守に委任統治させている。一部大王の直轄地もあるが、現地の豪族か貴族出身者が任じられることが多く、代々世襲して土地に根付いていた。
だが北方のダアイ州はいささか性質が異なる。というのも、この地は北の大平原を支配する<スキティア王国>と国境を接していた。彼らは剽悍な騎馬民族の集まった国家であり、略奪目的でたびたび国境を侵犯していた。
そんな事情から、貴族よりも軍出身者がそのつど太守に任じられ防衛に当たることが多い。何より辺境の山岳部には大した旨味が無いのも事実だった。
「……何も無い土地だな」
大王の使者は帝都スーシャから遠く離れ、いくつも山を越えダアイ州にたどり着いた。。だが彼らを待っていたのは茫漠とした砂漠だった。人が住む土地はそのさらに北の草原地帯で、それも遊牧民が多い。
そんな現地民の騎馬が途中から道案内してくれた。帝国はアリアナ人を頂点に、服属した多種多様な民族で構成される国家だ。反乱さえ起こさなければこういうとき頼りになる。
更に数日経て、使者は政庁のある砦に入れた。この州には町と呼べるほどの集落はなく、砦に太守と兵、官吏たちが駐屯して統治に当たっている。
「使者殿、大王には忠誠を誓う誓約書を書かされたばかりだが?」
ダアイ州の太守ザールは少し皮肉った調子で使者を迎えた。
「太守閣下にはつつがなく。此度は閣下の配下に探し人がおりまして」
「なんだそうか」
「大王陛下からは、長年に渡り北辺の守りを担う閣下に感謝している、と御言葉がありました」
「ほう、それは勿体なきことだ」
ザールは生粋の軍人で、中央の暗闘とは無縁な男だった。先王への大反乱が起きたときも、国境線を動かず北のスキティアに備え続けてきた。
「もっとも、最近は戦にもならないが。それで――」
探し人とは誰なのかと使者に促す。
「クシャという名の国家魔術師がいるはず。会わせていただけますか?」
「ああ、あの男か」
国家魔術師とは帝国が認め資格を与えられた魔術師のことで、将校や官吏のごとく国に仕えている。それとは別に在野の魔術師もいるが、魔術師の素養自体が稀有であり、帝国では積極的にこれを囲い込もうとしている。
なお、どういうわけかアリアナ人以外の人種からは魔術師が輩出されにくい。混血でも力は落ちる。魔術の歴史は数百年に及ぶが原因は分かっていない。
「おい、誰か。クシャは今日どこに行っている?」
「またどこかの農村では?」
また探し回らねばならないのかと使者はうんざりしたが、運良く比較的近くの農村で消息が分かった。戻るのを待つよう勧められたが早めに会っておきたい。
砦の兵士に案内され、ようやく村らしき集落が見えた。狭い土地に猫の額ほどの畑が作られている。
だが水が足りているとは言い難い。灌漑工事などほとんどなされていないのだろう。
このような厳しい土地ゆえに遊牧民が多く、農民の数は少ない。そんな中でも大地と向かい合う彼らに、地母神の祝福あれなどと使者はつぶやいた。
「水を流すぞう!」
遠くで呼びかける声が聞こえた。よく見れば農民たちは農作業というより土木作業をしていたようだ。水路が整備されているらしく、少しずつ水が流れきたのを見て農民たちはえらく喜んでいる。ようやく灌漑が行き届き、田畑が潤う喜びであろう。
「これ、そこの農夫よ」
「……はい?」
「砦の魔術師で、クシャという男が来ているはずだが。知らないか?」
手近な農夫に尋ねてみると、その若い男は頭に巻いた布を取り去り、首にかけ直す。
「私がクシャですが」
「え」
使者は一瞬思考停止した。その青年は粗末な衣服を着て泥に塗れ、どう見ても地元の農民にしか見えなかった。一般に想像される魔術師といえば、知的でお高くとまって法衣に身を包み、儀式祭典でお高くとまりながら神秘を司る、そんな存在だ。
目の前の男とは似ても似つかない。
「……貴殿がそうか。ここで何を?」
「水を引いていました」
「魔術で?」
「ええ、土属性の魔術で地面を掘ったり水路を造り」
「ああ、なるほど」
魔術は大きく分けて五つの属性に分かれる。火、水、風、土、そして天の属性である。
土属性は文字通り土や岩石に作用する術で、土木作業に動員されることが多い。伝承では帝国を貫く「王の道」は古い土魔術師が地を拓き、均して築き上げたと言われる。
「貴殿を探して帝都から参った」
「はぁ、何のために?」
「謹しみ給え、大王の勅命を預かっている」
「はい?」
使者は胸を反らしながら、鷹揚に勅書を読み上げ始める。
「国家魔術師クシャを帝都に召還し、大王直属の魔術師に任ずる。直ちに帝都へ帰還すべし」
「……」
「どうされた?」
「それ本物?」
まったくもって実感が無い風にクシャが尋ねた。
「勅書を疑るのか?」
「近頃の勅命とは大臣たちが勝手に書いているのでしょう。それが私のところに来るなんて」
「……帝都で起きたこと、聞いておらぬのか?」
「えっ、何か変わったことでも?」
帝都の変事は州の上層部までで止まっているようだった。使者は一から説明しようかと思ったが、それより早くこの男を動かす手段を思いつく。
「貴殿に対し、勅書とは別に大王の御言葉を預かっている。口頭で伝えるぞ」
「御言葉?」
――友よ、手を貸してほしい。
使者から伝えられたその言葉にクシャの表情が変わった。
「まだ友と呼んでくれるのか……」
懐かしむような傷ましいような顔。使者はクシャを冴えない男と思いかけたが、何か言葉にしにくい印象を見た。
***
「できれば色々と手助けしてほしかったが」
クシャが太守のザールへ挨拶に行くと、彼はクシャの異動を惜しんでくれた。
「私もやり残したことが多く、心残りですが」
「貴公が来て数年のうちに防備や開発が進んで、民は感謝していたぞ」
クシャが中央から飛ばされるようにして赴任したこの土地。彼はここで異民族と戦い、防備を固め、時間ができると民のために魔術で奉仕してきた。
土を穿って溜池を造った。砂漠の拡大を留め、農地を広げた。大地を切割して水路を拓き、山から流れてくる雪解け水を畑に引いた。
「ですが、この国は変わろうとしている」
使者から道すがら、大王ダリウスの起こした政変を聞かされた。あの若き王が親政に乗り出している。
「貴公は大王と旧友だったと聞いた。どこで知り合ったのだ?」
「魔術院ですよ。陛下は当初、魔術師として身を立てるつもりでした」
王家の傍流だったダリウスは魔術の素養が見つかったことで、魔術師養成機関である魔術院へと入学した。クシャとは同い年で仲良くなり、数年かけて親友と言っていい間柄となった。
だがダリウスは王宮で玉座に収まり、二人は住む世界が変わってしまった。
「この地に来て、中央のゴタゴタが合わないと悟ったのに。太守閣下こそ帝都に帰りたくありませんか?」
「ハハッ、俺は結構だ。大王を支えて差し上げろ」
「私のような無能者には荷が重いですよ」
「無能などと謙遜するな」
クシャは引き継ぎなどできる限りのことを済ませ、ダアイ州を発った。
一方役目を終えた使者は、北辺の防備を確認しておきたいと言い出し、ザールも同行して北へ馬を進ませた。
「私は武器を取ったことの無い文官ですが、スキティアの蛮族たちは大陸最強と伺っています」
「ああ、手強い奴らだ。特に今のスキティア王になってから、多くの部族が傘下に加わったと聞く」
話しながらザールは北方を指差して使者に示す。
「以前はよく攻め込まれたが。見るといい、あの壁を」
使者の目に地平線を埋める妙な構造物が映る。
「あれは……まるで長城」
「土の防塁だ。クシャが魔術でこしらえてくれた」
「彼が?」
「要所に監視所を併設して警戒させている。スキティアの騎馬は強力だが、あの壁を築いてから略奪が大幅に減った」
使者が目を凝らすが終わりが見えない。
「どこまで続いているのです?」
「ここから隣の州も含む北辺一帯までだ」
使者は絶句した。
「こんなことをしてのける男が無能なはず無いのだがな……」




