エピローグ⑥
大陸歴一〇四四年が終わろうとしていた。この年にアリアナ帝国とトゥネス自治領の和平交渉は正式に妥結し、いくつかの条件は年が改まった時点で施行となる。
両国が長年争ってきたヌビアの河川地帯は大部分が自治領に譲渡される運びとなった。だが当地の住民は元々多民族が雑居しており、二国の軍が往来するたび迷惑そうに眺めていたものだ。彼らに言わせればようやくどちらか決まったか、というだけのことである。
「搾り取る大王か、阿漕な商人かの違いでしかねえや」
街角で囁かれる陰口を帝国の間者はただただ聞き流す。彼らはナヴィドが放った間者である。自治領の商人たちは警戒して損はないと見て、裏から監視するよう命じられていた。
(滞りなく引き渡しが済めばそれでいい)
やがて自治領側の軍隊が町に入り諸事引き継ぎを終える。帝国側の軍が順次退去していき、町は正式に自治領の領地となった。
間者は一連の出来事を見届け、そこからは市井の民に扮して町を見守る。農民、商人、職人、物乞いなど姿は様々。
些細な変化は数日後に起きた。新手の自治領軍が到着したのだ。町一つ守るには多いうえに、その目からは密かな殺気を感じさせる。
「この町の新たな支配者ガラン様よりの布告である。市内に不穏分子がいるとの密告を受け、この調査のために戒厳令を布く。通交は制限し夜間の外出は禁止する」
辻々で兵士が布告文を読み上げると住民は慌てて家に引き下がっていった。それから通路を兵士たちが巡回するようになり、間者たちも息をひそめて事態を見守った。
門は閉ざされ体外的に閉鎖、内部では人々を分断する。住民たちは何が起きているのか分からないまま逼塞し続けていたが、夜な夜な町の何処かで騒ぎが起こる。遠くから漏れ聞こえてくる悲鳴や罵声。捕物だろうかと不安を募らせるが外には出られない。
数日経って町は静かになった。身を隠していた間者が這い出てくるが、街路に人影はなく辺りは閑散としている。
「住民はどうなったのだ?」
間者たちは手分けして町中を探ったが住民がいない。それどころか軍も町から出て無人となっていた。この異常事態の答えを求めて彷徨った彼らは、街の一角でその惨状を目の当たりにした。
「……死んでいるのか?」
住民がそこにいた。すべて死んでいる。一部は住居に押し込まれ、別の者たちは穴に捨てられ、収まりきらなかった者たちがゴミのように積まれていた。おそらく町の住民すべてが殺されたのではないか。
「……これは虐殺? 何故だ?」
推測されるのは、町を閉鎖しながら区画ごとに住民を連れ出し、処理するように虐殺を実行していったということ。だが目的が分からない。常軌を逸した行動だった。
「町の外を見てきたが、自治領の軍隊らしいのが駐屯している」
「包囲されているのか?」
「というよりも遠巻きに見てる様子だな」
何をしているのか理解できない。だが急ぎ帝都に報告せねばならない。
夜を待って間者たちは町を脱出しようとした。そのうち一人が途中寄り道し、住民たちの落とされた穴をもう一度訪れた。
(何故彼らはこんな目に……)
月明かりの下、訳も分からず殺された人々に祈りを捧げた。その目が何かを認める。
(……動いた?)
遺体の一つ、指輪をはめた手がかすかに動いてきらめきを揺らしていた。
(生きているのか?)
その間者は穴に降りてきらめきを追った。遺体を踏む嫌な感触に耐えつつ、近づいた先で確かに動く人間の腕。
「待っていろ、すぐに引き上げてやる!」
物言わぬ遺体を持ち上げ掻き分け埋まっている人物を見つけ出すことができた。そのはずだった。
(……死んでいる……?)
その人物は首が折れ曲がり、表情は苦悶に満ちたまま固まっていた。息は無い。当然である。それなのに腕がしきりに動き、何かを求めてもがいているようだった。
かすかな呼吸音。絶えていたはずの息が吹き替えしたのか。だが間者は生の息吹ではなく異様な気配がして離れた。
死んでいるのに生きている。あり得ない矛盾を目にして間者は逃げた。戸惑いや思考などせず走った。考えるのは彼の仕事ではない。知らせねばならない。
間者が去り誰も動くものが無くなった。廃墟のようになった町を月明かりだけが冷たく照らす。
その静寂の中を歩くものがある。ひたひたと、ふらふらと。それは穴から這い出てきた。そして後に続くように一人、二人と生気の無い半死人。ひたひたと、ふらふらと。
~第二章 終わり~




