最強の魔女である私は騎士坊主から楽しい隠居生活を守りたい
「ちょっと! あの馬鹿ウマどっかにやんなさいよ!」
「あっ、すみません! わーー! 止めろランス、ヴァネッサ様の薬草を食べるな!」
「まったく…… これだから騎士っていうのは……」
深く静かな森の中。
木々が開けた広場に、小さな畑と1つの木の家が建っている。
ここはヴァネッサハウス。
王都での役所勤めに疲れた大魔道士ヴァネッサ様が、憩いを求めて建てた家だ。
麓では山姥だのなんだの言われてるらしいけど、失礼な!
ピチピチの20代が建国した、私だけの小さな王国。
……の筈だったのに!
「てかあんた今日は何の用よ!」
「え? 巡回任務のついでに顔見に来ただけですけど?」
「なんで見に来んのよ」
「……趣味?」
「わ、きしょっ」
2ヶ月前。真っ黒な髪をした、麓の街に務める新卒騎士がご丁寧な事に訪ねてきやがった。
最初は赴任の挨拶に。
次は地域住民の見回りで、その次がカレーのお裾分け。
んで今回が顔を見に、と。
……は? は?
地域って言っても麓からここまで馬でも2時間掛かるんですけど!?
しかも来る度に理由が杜撰になっていく。
会うの3回目の男が作ったカレーとか食べないから。
「しっしっ、顔は見たでしょ! 早く帰りなさいよあんた!」
「あんたじゃなくってエヴァンです!」
お前の名前なんて聞いてないし、覚えてても使う場面なんて来ないだろう。
「あのねぇ…… 私は人と会いたくなくって態々こんな辺鄙な所に住んでんの! わかる? わかるわよね?」
「……まぁ、はい」
わかるならヤメレ。
なんかチャラつきながら近付いてくるこのガキも、私の畑を荒らす馬も大っ嫌いだ。
「カエレ」
赤い目から光を消しつつ、無機質にたった3文字を口から吐き出す。
帰ってくれ、そして一生やって来ないでくれ。
そう思いながらシッシッと手を振る。
「はいはい、分かりました。帰るので名前だけでも覚えてって下さい!」
「お前うるっさいわね! かーえーれー!」
ほんっと煩い。
漸く黒い馬を呼び、それに飛び乗ったあいつは振り返ってもう一言。
「ちぇっ、じゃあまた来ますね! 行くぞランス!」
最初は歩いていた馬は徐々に加速して木々の中に体を隠す。
ふっと見えなくなる背中に向かって万感の思いで突っ込む。
「二度と来んな!!!」
分かれ。私の思いも分かってくれ。
馬が噛んだ草に回復魔法を掛けつつ、アイツが去った後を睨みつける。
どこまでも調子が狂う奴。
なに?
隠居してる独り身魔女ならワンチャンあるとでも思ってるの?
私はただ、静かに生きていたいだけなのに。
20日の静養で貯めた落ち着きポイントも、20分の人間との交流で一気に消耗させられてしまうのだ。
「はー、クッソみたい」
輝く自慢のブロンドを撫ぜながら、首を振って思考を消去する。
「あんな馬鹿にかけてる時間なんて勿体ないわね。あー忙しい。茄子に水やりしないと!」
静かな日々は、まだ始まったばかりなのだから。
―――――――――――――
「また来たわね!」
顔を見るのが趣味事件から1ヶ月。奴が再び来襲してきた。
まぁこれまでは半月に1回ペースだったから、持った方だろう。
が、目指すのは100年に0回ペースだ。まだまだ遠い。
「いやー、そういえば鍋忘れてたなぁって」
「魔のカレー事件からもう1ヶ月半よ! そういえばってアンタどんだけ鍋使ってないのよ」
こいつが鍋を忘れる案件なんて、あの"ドキッ!
出会って3回目の男がカレーを渡して来た!"事件しか考えられない。
確かにあの時も、前回もすぐに帰らせたから、鍋は家にある筈。
「魔のって…… 何時もは兵舎の食堂で食べてるんです。 んで、偶の休日に肉じゃがを作ろうとしたらビックリ。鍋が無い!」
「ご愁傷さま。それでわざわざ2時間掛けて来たって訳? 借りパクは謝るわ。だから鍋持ってすぐ帰りなさい」
「まぁそんな事言わずに…… 折角2時間掛けたんですから」
「煩いわねぇ…… 分かったわ。私は鍋を取ってくるから、アナタは畑で茄子でも観察してなさい!」
「えー……」
思いがけず借りパクしてた形に。
今回はちょっと私も悪いから、これは受け入れてさっさと帰らせよう。
ヤツを畑に追い払い、家へ入って鍋を探索する。
「んーっと、何処だっけ…… あん時は確か怖くて食べなくって……」
調理器具の棚を見るが、見当たらない。
そうそう、あの時は薬だの髪の毛だの諸々が怖くって、食べなかった筈……
「えーっと…… 」
物置? ない。火に掛かっている訳でもないし……
って
「あ!?」
並行して続けていた記憶を遡る作業。それが遂に終了して……
「森猿にあげてた?」
「は、はい……」
「ヴァネッサ様 俺の鍋 猿にあげて 行方不明」
「ごめんなさい! 」
長い金髪がバサッと広がる。
謝罪の言葉と共に勢いよく下げられた"美しい"頭が1つと、苦笑しながら見てくるガキが1匹。
「いや、いいっすよ…… 確かにカレーは非常識でした…」
「いえ、この件についてアンタは3割くらいしか悪くないわ! 鍋は弁償する! 本っ当にごめんなさい!」
「3割…… まぁ、ですよね」
全力で謝るけど、ここのラインは譲れない。カレーなど無ければ起きなかった事件なのだ。
「流石に急にカレーはめっちゃ怖い」
「ちょっとあの頃の僕は阿呆でした」
しかし、それでも鍋紛失は罪が大きすぎる。
新任騎士が、やっとのお金で揃えた大事な家具の1品。もしかしたら地元のお母様が買ってくれた物なのかもしれない。
そう考えると申し訳無い気持ちが大きくなっていく。
……はぁ、仕方ない。
「お詫びにお茶出すわ。今椅子とテーブル持ってくるから、ちょっと待ってて」
「え、いいんですか!?」
私の言葉に大袈裟に驚くアイツ。
『いいんですか!?』
じゃないわよ。良くないけど、私なりの誠意は見せなければ大魔法使いの名が廃る。
「しょうがないじゃない。悪いと思ってるのよ」
「いやー、ヴァネッサ様の淹れたお茶飲めるなら、鍋の1万個や1兆個軽いもんです!」
「あんたの価値観は重めね…… 待ってなさい。今準備してあげるから」
「はーい!」
軽口を叩くヤツを再び畑に残し、家に入る。
森で取ってきた果物をカットして、紅茶に浮かべる。
お菓子は…… クッキーがあった筈。
畳めるタイプの椅子とテーブルを魔法で浮かしてドアから出し、私はカップとお皿を持って後ろから家を出た。
あの黒髪坊主はまだ茄子を見ている。やっぱり変な奴だ。
ドアが開く音にも気付かなかったのだろうか?
取り敢えず声を掛けてみる。
「ほら、茄子はもういいでしょ! テーブル開くの手伝って。自分の使う椅子も組み立なさい!」
「あっ、りょーかいです! ……ん? なんかいい匂いしますね?」
あっ、気付いた。
そして中々にいい鼻を持っている様だ。
「ふふっ、アンタもまぁまぁ分かるじゃない。家で使ってる茶葉は最高級品だからね。これを飲めるのは王族か私くらいよ!」
思わず胸を張ってしまう。
だがそれも仕方ない。
これは私の大きな自慢の1つだから。
王城の温室で作られたこの世で最も美味しいお茶。
年に200杯分しか採れないこれを、悪魔討伐の恩賞で年50杯頂けるようになったのだ。
「すっげー!! そんな貴重な物を……」
「それだけ悪かったと思ってるの。有難く飲みなさい!」
「……はい!」
テーブルを開き、椅子に座って紅茶を啜る。
そのまま静寂の中にクッキーが砕ける音だけが響くこと数十秒……
「なんか喋りなさいよ!」
我慢の限界に至った。
「いやぁ…… しみじみ美味しいなぁと思って」
そう言って貰えるのは嬉しい。確かに価値を考えれば1年の沈黙でも大袈裟では無い程だ。
「それは良かったわ。あっ、そういえば!」
そこで聞きたかったことを思い出す。
「なんです?」
「あんた、なんでこんな辺鄙な所に来んのよ?」
ずっと微かに気になっていたこと。
……微かにだけど!
流石にあんだけ罵られても、ここへ来るのは鋼の精神か馬鹿かだ。
この世界では命はまぁまぁ軽い。
そして強者にはイってる奴が多い。
国家的に地位を持ち、かつ強い私なら気に入らない騎士1人くらいなら殺っちゃうかもってことぐらい、アイツでも知っている筈なのに。
「あのー…… 」
問われたアイツは少し逡巡して、ゆっくりと口を開いた。
「……ファンなんです」
「Oh,It's so strange!」
絞り出された一言に、驚きが限界突破する。
「どこの言語でしょう?」
「そんなのどうだっていいわ! ファン!?
推しは愛でて楽しむ物。YESヴァネッサNOタッチよ!」
「そう、ですよね……」
ファンが推しと近づくなんて、間違っておると私は思うのです。
カレー送り付けるのとか厄介の極みだからな???
超有名大魔道士だった私にはファンが多い。
このエヴァンとやらも、そんなファンの1人だったらしい。
推してくれるのは嬉しいけど、でもこれはちょっと違う。
「そう。まぁ私のことを推しちゃうのは人類の四大欲求の1つだから仕方ないわ。でもね…… 私はもう、隠居したの」
役所で仕事をし、地方に飛び魔物を倒し、そしてファンサする。
あの頃は大変なんてもんじゃなかった。
疲れて、もうやめたくて、休みたくって。
だからここに来たって言うのに。
「……」
「それをファンに訪ねてこられちゃ堪ったもんじゃない。ごめんなさいね。紅茶飲んで、クッキー食べたら帰りなさい」
冷たい様に聞こえるかもしれないけど、私は私が1番大事だ。
たまに尋ねてくる厄介騎士と、たまに家までやってくる厄介オタク。意味が全く違ってくる。
「……僕、ファンなんです。」
「それは聞いたわよ!」
説教されたアイツは壊れたみたいに同じ言葉をひねり出して……
「僕、小さい頃からずっと、魔法のファンなんです!!」
…………て、え?
「魔法の?」
「……はい。絵本や隣のおじさんの武勇伝。小さな頃から憧れてて! それでヴァネッサ様と仲良くなれば、教えて貰えたりしないかなー…… なんて」
……恥ずかしい。
「えっとー、私のファンではなく?」
むしろファンであってくれ。私の罪を消してくれぇぇ!
「はい、ここに赴任してから存在を知ったので…… あっ、勿論お美しいですけど!」
「あ、ありがとう…… じゃ、無いわ!! 魔法は教えません! やっぱり早く帰りなさい!」
勘違いした恥ずかしさに、隠居したい気持ちが加わり強い言葉で彼の望みを否定する。
……それに私の魔法は感覚派。人に教えるのは正直得意じゃない。
「駄目ですか……」
「沈んで見せても駄目なものはだーめ! やっぱ早く帰って! 早くお茶飲んで! ……でも貴重だから味わって」
「……はい」
彼が紅茶を飲み、クッキーを4枚食べたのを確認してカップを片付ける。
「知ってると思うけど、道中偶に魔物が出るから気をつけて」
鍋の相場の2倍程の金を渡し帰らせる。
再び私の元には静けさが戻り……
「これでまた、静かに生きられるわね」
少し、寂しさが残った。
――――――――――――
紙にペンを走らせる。
「ばびゅーんずきゅーんばーん! っと」
暇に飽きた隠居魔女による、魔法の教本作りだ。
「バババババ! 敵は死ぬ! 」
別に名前も知らぬ騎士のためではなく、自分の生きた証を後世に残すためである。
おそらく王都の大図書館の禁書保管室に入れられるであろうこれは、書く前に考えていた物よりずっとよく出来た。
自分が書いた紙を見ながら、満足気に髪を搔き、席を立つ。
「ふぅ…… ちょっと休憩しましょう」
紅茶を飲みながら、浮かんでは消えるアイツのことをちょっと考えた。
あれから1月半。まだ奴は来襲してこない。
だからなんだと言うのだが……
「ちょっぴり、暇ね」
言いかけて首を振る。
私は1人で居たいのに
「ウホッ!」
「あ、森猿! なーに、またご飯欲しいの!?」
猿はノーカンだけど。こいつもちょくちょくやって来ては、飯を貰って帰っていく。
黒くてデッカくて毛むくじゃらの猿…… に似た何かに野菜を5つとクッキーを2枚渡し、また執筆に戻る。
2時間後……
「はぁー、疲れた! でも、これで第1章、『国を滅ぼそう! 大規模破壊魔術♪』 は終わりね……」
大規模破壊魔術は初歩ではあるが、好きな魔法が多い。やっぱり第1章に選ぶならこれだろう。
「えーっと次は……」
次に書くべきことを考えるが、なんかこの成果を誰かに見せたくて堪らない。
人とは関わりたくないが…… 仕方ない。このドキドキには変えられない。
問題は渡す人物だけど、それはもう決めてある
「【転移】っと!」
杖を振り上げ呪文を唱えれば、木造の暖かな家は目の前から姿を消し、冷たい石でできた建物の中へと景色が一瞬で移り変わる。
「よしよし、成功成功」
久々の転移だったけど、上手くいったようだ。
隣室からは聞き覚えのある声が複数聞こえてくる。
これは突撃するしかない。
「だーかーらー、国防のためとは言えあんな戦力を……」
「いや、儂は下手に逆らって死ぬ方が怖いの!」
「ちっ、ヨント様もしっかりしろよ……」
「「はぁ……」」
溜息と共に会話が一瞬止まったのを確認し、私はドアを思いっ切り開いた。
「たのもー!」
「何奴っ! ってうげっ! 噂をすれば……」
うげっとは失礼な。
前方に座っている、蛙を潰したような声を出したバカを睨みつける。
「なによ! 久しぶりに私に会ってうげっ! なんて…… おいヨント! あんたもなんか言いなさいよ!」
「そうですよヨント様。レディを慰めるのも紳士たる貴方様の役目……」
「おい宰相! 爆弾処理は王の仕事じゃねぇからな!? 違うからね!?」
どいつもこいつも酷い奴らばかりだ。ヴァネッサ様への敬意が足りない。
緑色の髪をした軽薄そうなオジサン。
灰色の髪をした紳士的なオジサン。
「そして王冠を被ってる以外には特徴の無いモブ……」
「酷いなオイ!? 儂国王、お主は臣下、わかります? 義務教育受けてます??」
全く、うるさいのと金持ってるのと権力持ってる以外に取り柄のない親父がなんか…… 優良物件だな??
しかし、ここまで言われて黙ってる訳にはいかない。
「義務教育?? 受けてないですけど?? 最強の魔女っ子だからって幼い頃に召抱えてきたロリコンは何処の誰よ!!」
「それ儂じゃなくって宰相だから!!」
私の渾身の言葉のパンチは躱されてしまった。ちくせう宰相め……
っと、危うくやるべきことを忘れる所だった。
「あんたらのせいでやらなくちゃならない事を忘れてたじゃない……」
「いや、それは国家秘密の会議に突入してきた貴女が……」
「うっさい宰相!」
一喝をし、懐から紙の束を取り出す。
6個の視線が私の手に注がれている。いやなんかキモイわね。まぁこの親父部屋からはとっととズラかるとして……
「ふっふっふ…… これが何かわかる?」
「あー、自由帳か?」
緑色髪のおっさん…… 宮廷魔法使い筆頭のギャモンを無視し、言葉を続ける。
「ヴァネッサ様直伝、魔法教育書よ!」
「「「な、なんだってー!?」」」
ノリのいい親父達だ。
その声に得意げに鼻を鳴らす私。
「まぁ中身は普通の教科書よ。できたのは第1章だけなんだけど……」
「ちょっ、お前の魔法なんて最高機密…… んなもん世に出されたら国が滅んじまうだろ!」
ヨントが煩いが、私だって生きた証をこの世に遺したいのだ。
……あと暇だった。だいぶん暇だった。
「ちょっと、見せてください!」
宰相が私の手から紙をひったくっていく。
「なになに…… 第1章大規模破壊魔術!?」
「そうね。やっぱ初歩はそれぐらい易しくないと……」
「ばっかお前ばっか! お前だってヒールとか使うじゃん!? そういうのでいいじゃん? なに国滅ぼそうとしてんだよ!」
ギャモンも中々に五月蝿い。こいつは魔法教科書の印税で莫大な富を溜めているから、きっとその利権を私に奪われたく無いに違いない。
「ふふっ、完璧すぎてあんたの本、売れなくなるかもね!」
「おい宰相!見せてみろ!」
今度は宰相の手からギャモンが本を引ったくり、読む事少々。
「……あー、いいぞ。うん、危険は少なめだ」
「はっ!? 何言ってるんだギャモン!」
ヨントの問いに、ギャモンがこそこそ応える。まぁ相当失礼な言葉を吐いていたが、私に害は無さそうなので放置しておいた。
「詰まるところ…… 言語がヴァネッサ語のため誰も理解できず、またその魔法も極めて農業的なものだったと……?」
「はい、恐らく隠居生活で脳が野菜にやられちまったんでしょう。第1章の走り書きが、『税収で国を潰せ! 畑で王城を圧迫しろ!』ですからね……」
「ははっ…… それは本当に良かった……」
なんかホッとしてる奴らに、改めてお伺いを立てる。
「んで、出していいのこれ?」
「いや、国で買い取るから街へは流さないでくれ……」
「なんですって!? 圧政よ圧政!」
「農業収入が増えすぎると物価が不安定になるんじゃ…… 幸いこの国は豊か。今はまだ良いだろう」
くっそ、だがここで王命に逆らうのも愚策だ。
すごすごと本を渡し、少額の金子を受け取る。
そしてパッと3人に指を突きつけ言い放つ。
「んじゃあもう帰るわ。次は100年後に会いましょ!」
私は人とは関わりたくないのである。気のいいおじさん達との久々の会話が、想像以上に楽しかったとしても。
私はこれを振り切らねばいけない。
「100年後とかギャモンしか生きてねぇから!!」
返されたツッコミに口角をあげつつ、家へと転移しようと入ってきた扉を開けて部屋から出る。
杖を取り出し呪文を唱え……
「それじゃあ【てん――】、いやでも……」
ちょっと引っかかる。
私の叡智の結晶が、こんなところで埋もれてしまうのは勿体ない。人類の損失である。
だから……
仕方ない。
これは人類の為なのである。
「【転移】っと」
今度こそ呪文を唱え、景色は荘厳な石の白から雑多な石の砦へと移り変わる。
「はー、やめようかな…… でもなぁ……」
砦の最上階のとある一室で、私は数分逡巡した末にようやく決断した。
「ここまで来たし、行くかぁ……」
窓から砦を飛び出し、隣に併設されている兵舎に赴く。
今はまだ昼。兵士たちは帰ってきておらず、寮母の女性だけが中で作業している様だ。
「はぁ…… これは人類の為、人類の為!」
自己暗示を掛けながら、ついでに容姿を弄る魔法を掛け、自らの顔を中年女性の物へと変化させておく。
そしてスタスタ、いかにも肝っ玉母ちゃんですという風を装って兵舎の中に入り込む。
汗の香りが染み付いたそこを歩き、外から見えた中庭に至り、洗濯を干している寮母さんの元へと辿り着いた。
「あのー、ごめんねぇ」
「あっ、なんでしょう!?」
「うちの息子のぉ…… エヴァ…… えーっと」
やばい、あんだけ啖呵切って使う場面が出てきてしまった。
しかし私は名前を覚えていない!!
「息子さんがどうされました?」
「あー、エヴァごにょごにょ…… ってお世話になってるでしょお? ほら、ランスちゃんの飼い主の」
「あー、エヴァン君のお母様ですか! ようこそ! 本日はどういったご要件で?」
馬さまさまだ。あいつは数少ない私が仕留めれなかった好敵手だから、よく名前を覚えていた。
「ちょっとねー、家にあの子忘れ物しちゃっててぇー、届けにきたんよぉ~」
私の中の肝っ玉母ちゃん像がおかしい気もするが、どうにかやり通すしかない。
「あっ、そうですか! 預けていただければ、私の方から渡しますけど……」
「いいのぉ? じゃあお願いしますわぁ」
そう言って、懐に忍ばせた2冊目の魔術教本を寮母さんに渡す。
「それじゃああの子のこと、宜しくお願いしますぅ」
「はーい、分かりました!」
しっかり受け取って貰ったことを確認し、さっと兵舎を出て家へと転移する。
懐かしい木の香りを目いっぱい吸い込んで、そっと吐きながらリラックスする。
「これでミッションコンプリートね……」
お節介だったかもしれないし、これをきっかけにまた奴がやってくるかもしれない。
でも、なんだかそれでもいいと思った。
久しぶりの人とのふれあいは、なんだか優しい味がした。
――――――――――――
あれから2ヶ月。今日も森は静かだ。
走る鹿を魔法で仕留め、浮かしながら帰路に着く。
今日はご馳走。ステーキかしら、丸焼きでもいいかもしれないわね……
でも……
ちょっと今日は、自然の音が多い気がする。
動物が木々と触れ合い、大地を踏みしめる音が。
「なーんかザワザワするわねぇ…… とっとと帰りましょっと」
こういう場合、安全だったことは殆どない。
転ばぬ先の杖、小走りで家へと向かう。
「ふぅ…… 一応防御結界張っとこうかしら?」
鹿を家の中に入れ、大魔法用のお気に入りの杖を掴み……
「そーれ【大結か――】」
「ちょっ、そのバリアーストップ!!!」
魔法を唱えようとしたその時。
異様にデカい声を発する黒色の塊が飛び出してきた。
「ちょっとエヴァン! 来るの遅いわよ!!」
「……え!? 偽物!?」
「失礼な!!」
――――やばい。なんか変なことを口走ってしまった。
気を取り直して、冗談混じりに魔法でもブッパなしてやろうと思ったけど……
顔中汗だくで、なんかめっちゃ疲れてる?
「んで? そんなに急いでどうしたのよ?」
「はぁ…… はぁ…… まも…… まもの……」
「魔物がどうしたの!」
来たばっかの怒鳴り声は最後の力だったらしい。彼は落馬する様に馬から降り、地面にへたりこんでしまった。
伝令役が伝える前に死ぬなよ……
ちっ、こんな奴に。しかも回復魔法は苦手なんだけど仕方ない。
「【ヒール】はい、元気になったでしょ? とっとと話しなさい!」
「ありがとうございます…… その、今回はお仕事なので、500歩くらい大目に見て頂けたら……」
「ごちゃごちゃ煩い。分かったから早く! 急いでるんでしょ?」
この急ぎ様。そして……
遠くから響き始めた地響き。まぁ、大体の検討は付く。
だけど伝令の職務は果たさせてやらないと。
彼は、言葉をゆっくりと溜めて口を開いた。
「……スタンピードです。魔物が、じきに此処にやってきます」
「へぇ? この近くにダンジョンがあったなんて聞いてないけど?」
スタンピード。それは古くなったダンジョンから、魔物が溢れ出してくる現象。
そうならない為に普段はしっかり管理されてる筈なんだけど……
「50年前に役所のミスでリストから消えていたらしく…… 一昨日存在が判明し、昨日騎士団による偵察が行われました。そしたら……」
「始まってたって?」
「はい……」
ったく、そんな大事なリストの管理くらいちゃんとやっときなさいよ。
「んで、ここには何しに?」
「……」
「何だって言ってるの!」
ちょっと言葉が強くなる。だけど事態は急を要する。こんな所でモタモタしてる暇は無い。
「……逃げてくれませんか?」
「え? なんて?」
「ランスに乗って、逃げてくれませんか?」
「……なんで?」
言われたのは突拍子も無いこと。
「へぇー…… じゃあアンタはどうするの? この馬、1人乗りでしょ?」
「まぁ、走って?」
「馬鹿やん」
馬鹿やん。
まぁそんなことなんて出来る筈も無く。
「はー…… んで、上司はなんて言ってここに来させたのよ?」
「元宮廷魔術師次席ヴァネッサ様に、御協力を頂いてこいと」
「具体的には?」
「街へ降りて騎士団に合流し、共闘を」
「あんたも上司も馬鹿ね。結局それ、馬乗らなきゃじゃない」
「……あ、確かに」
「全く……」
はぁ、まぁ言いたいことは理解した。
そして、それは出来ない相談だ。
「上司さんのその要請には従えないわね。」
「え!? じゃあ、やっぱ逃げてくれますか!?」
「逃げろ逃げろ煩いわね! どうしてそんなに言ってくるのよ!」
まーた逃げろと。
しかもキラキラした目で言ってくるものだから、ちょっと気が引けてしまう。
思わずぶつけたその問いに彼はビクンとして、ボソッと一言だけ。
「……心配、なので」
「へ?」
…………
「あ、あんたみたいな雑魚に心配される筋合いは何処にも無いのだけれど!」
受けたことの無い言葉に、顔がカーッと赤くなるのが自分でも分かった。
「だって貴女は僕の友達じゃないですか」
そんな私に、生意気坊主は追撃をかけてくる。
今度は堂々と、被せるように一言。
「ち、違うわよ! 勝手にあんたなんかの友達にしないで!」
「理由はお話しました。僕はあなたに傷付いて欲しくない。それに一般人に協力を求めるなんて騎士として……」
「はっ、甘い考えね。騎士なら! 人の命を守る為に、使えるものは全て使いなさい。要請には応えません。でもそれは、戦わないという事では無いわ。」
「え……?」
「"何故"私が、私だけの王国を手放さないといけないの?」
「えっ、それって……」
まだ理解していないようだ。
山を降りて街を守れ? まっぴら御免だ。
私の、私だけのヴァネッサハウス。
魔物の大軍が通り過ぎれば、ぐちゃぐちゃに荒らされてしまうだろう。
―――――そんなの、私が許す訳無いじゃない!
「魔物は、ここで私が殲滅するわ」
「……へ?」
「終わったら上司に言っといて。『将軍に口答えするな』って」
――――折角、田舎の閑職に就けばゆっくりと残りの人生を謳歌できると思ったのに。
暇な時間は1年と持たなかった。
「エヴァン、あんた姓は!」
「へっ? はっ!? ウィルスです!」
「……騎士エヴァン・ウィルスよ! 北方大将軍ヴァネッサ様が命じます!」
新卒だろうと、こういう所は騎士なんだろう。
事情が飲み込めて居ないだろうに、エヴァンは私の大喝に合わせて背筋を伸ばし剣に片手を置く。
またしても名前を使う場面が来てしまった。しかも直接呼び掛けるなんて……
「スタンピード? そんな雑魚集団、私にかかれば1時間で血と肉に変わってるわ! 出撃します。共をしなさい!」
「は、はいっ!」
騎士に刷り込まれた習性を悪用して、考える間も無い程に間髪入れず命令を下す。説明は後だ。
そしてゆっくりと微笑んで一言
「あんたこそ…… 逃げたかったら、逃げていいわよ?」
「い、いえっ! お供します!」
金の影が走り出し、黒い影がそれを追って森を駆ける。
「それであのー」
「何よ?」
走って進む私の後方から、エヴァンが先程からずっと気になっていたであろう疑問を投げかけてくる。
「将軍ってどういうことです?」
「どうもこうも将軍ってことよ!」
「そこん所もう少し詳しく……」
面倒くさいから端折ったけど、気になって集中力が切れた状態で戦っても死ぬだけかも知れない。
仕方がないので口を開く。
「去年、直属の上司に言ったのよ。『疲れたので辞めまーす』ってね」
「え、ヴァネッサ様って宮廷魔道士でしたよね……? てことは上司って」
「あぁ、国王ね」
「それ不敬では……」
いちいちツッコミの多いやつだ。
別にヨントの1人や2人くらいに適当な口をきくことくらい、別になんでも無いでしょう。
逆にアイツのが私への不敬だわ。
「そんな事はどうでもいいの! 続き話すわよ? 聞きたくないなら止めるけど??」
「あっ、すみませんでした…… 止めないで下さい! 続き聞きたいです!!」
「ふふっ、それで良いのよ。 まぁ別に何かがあった訳では無いんだけどね。『戦力のお前に辞められると困るから、北方大将軍として国境守っててくれー! 有事以外は休んでていいからー!』って言われたから、あそこに住んで日々を謳歌してただけよ」
「なるほど……」
「なのにこんなのに駆り出されちゃってまぁ大変」
「すみません……」
「ま、終わったらまたあの怠惰な日々に戻るわ。1年に実務時間1時間っていうならアトラクションみたいなものでしょう」
言外に宣言する。このスタンピードを1時間で終わらせると。
だがしかし、私は重要な事を忘れていた。
……数を聞いていない!
数やその強さによって、必要な時間は10秒~4時間と幅広い。
せっかく騎士団が偵察に行ってくれたんだし、情報くらい仕入れなければ。
「1時間、ですか。でもいくらヴァネッサ様だとしてもあの数は……」
「うんうん。で、魔物は何匹くらいいるの?」
「計測不能、です」
「え?」
「大雑把に2万を数えた所で軽い戦闘が起こり……」
これはコイツを責めるべき場面ではないだろう。まぁ2万以上ということは分かったんだし、5万想定くらいでかかれば大丈夫だろう。
「じゃあやっぱ1時間で大丈夫ね」
「何を仰ってるんです!?」
2万~なんて数は、か弱い種族人間でさえ1地方を取れる程だ。
エヴァンの驚き様も納得が行く。
が、私は普通の人間じゃあない。
「ふふっ、見てなさい」
家を通り過ぎ、森に入り5分。
音が相当近くなってくる。
そして……
「「ギギガッガ!!」」
談笑の最中。
大人ほど大きい、緑色の人型生物が10匹、草むらから飛び出してきた。
「ヴァネッサ様下がってください!!」
「ふー、先鋒がホブゴブリン…… やっぱ50年物は違うわね!」
相手の正体は、2匹で騎士1人に相当すると言われる強さのホブゴブリン。
普通のスタンピードなら中ボスレベルだ。
棍棒を掲げて、前に出たエヴァンと私の周りをグルっと囲みこんでくる。
「早く下がって下さいって! 前衛は僕がやりますから!!」
ジリジリと近寄ってくる敵、剣を構えて焦るエヴァン。
相手は数的に有利だ。すぐに飛び掛ってきて……
「魔法使いって後衛でしょ!? 貴女は僕が守りますから!「うっさい黙れ」って……え?」
次の瞬間。
エヴァンが剣を構えるよりも早く、10匹だった魔物は20個の肉へと変わる。
「あのね、エヴァン?」
「な、なんです!?」
―――――超一流の魔道士は、自分で道を切り拓くものよ
雷を纏う刀に付いた血を払いながら、私はエヴァンを押し退けて前に出る。
「あんた、魔法を習いたいって言ってたわよね?」
「は、はい! 小さい頃からの憧れで……」
「教科書はちゃんと読んだの?」
頷く姿に、ちょっと心が暖かくなる。
「うん、じゃあいいわ。見てなさい! 見て覚えなさい! ここから1時間、最っ高の魔法を見せてあげる!」
「え、へ!? あ、ありがとうございます!」
地響きは大きくなり、木々の隙間は魔物で溢れかえる。
大きなイノシシが歩いた跡は更地が広がる。
逃げ遅れた野生動物が喰われ、あちこちに血が飛び散っている。
そんな中を私たちは散歩する。
「まったく…… 環境破壊はやめなさいよ!!」
言いながら刀を突き、突進してきたイノシシの鼻にぶっ刺して電流を流す。
「魔法の基本その1! 杖に魔力を込める!」
「……杖?」
「刀だって棒でしょ!! そういうこと!」
そしてイノシシの身を縦横に貫いた稲妻は、皮膚の至る所から飛び出し周りの魔物にも殺到する。
「魔法の基本その2! なんかこうなれー! って祈る!」
「……今のは?」
「焼け! 貫け! 周りの奴らもついでに殺せ!」
木々の周りを縦横無尽に迸る雷光は、幾千もの命を一気に刈り取って行く。
「一撃一軍。これが最高の魔道士の大規模破壊魔術よ」
スっと何処からともなく現れた鞘に、雷刀を収納する。
胸を張って誇る私の周囲には、ホブゴブリンを初めとした先鋒の魔物は1匹も残って居なかった。
「はい、じゃあやってみなさい!」
「えぇ!?」
とりあえず敵の第1陣は一刀の元に屠っておいた。
だから今は小休止。
鞘に入った愛刀を、騎士坊主の元へずいっと差し出す。
「あの教科書は読んだんでしょう?」
「は、はい」
うむうむ。あの寮母さんもしっかり仕事をしてくれた様だ。
「あ、教えて下さらないと仰っていたのにわざわざ教科書なんかを頂いて良かったのでしょうか?」
刀を押しのけつつ、そんな疑問を投げてくるアイツ。
まぁだが仕方ないのである。
「人類の為よ! あんたの為なんかじゃないわ!」
「は、はぁ……?」
こちらには大義名分があるのである。
首を傾げる鈍い奴をキッと睨みつけ、改めてもう一度言う。
「教科書を読んだなら…… やってみなさい!」
「いやっ、でもっ!」
「ごちゃごちゃ五月蝿い! 魔法が使いたいんでしょう!? 最初は倒せなくてもいいの。きっと私くらいになるには100年はかかるでしょう。でも…… その第1歩はここよ!」
言いながらグッと腕を掴み、強制的に刀を握らせる。
それに対するアイツの答えは……
「……はい!」
所詮魔法を使いたいと強く願っている奴だ。口では抵抗していても、熱い言葉さえ掛けてやれば簡単に口車に乗る。
ここにヴァネッサ様魔法王国、第1臣民が誕生した。
……あれ? こんなことが目的だったっけ?
まぁなるようになるだろう。首を振って思考をどかす。
「そうと決まれば実践あるのみ! あっちから中軍がやってくるわ。恐らくこのクラスのスタンピードなら…… ゴブリンキングが1万とかね。やってみなさい!」
「えぇえぇえぇ!!!???」
何を驚いた声を出しているのだろうか?
ヴァネッサ様に教えを請おうと言うのに、そんだけ蹴散らせなくて何が魔法を使いたいだろう。
1匹で騎士100人に相当するというゴブリンキング。1万もいればまぁ国が滅ぶだろうが……
「大丈夫よ。1匹倒したら後は変わってあげるから」
「いや、1匹でも……」
私が詰めている以上、万一など存在する訳もなく。
腰が引けている様子を見せてくるが、そんなことで許すヴァネッサ様ではない。
が、ちょっとくらい折れてあげよう。
「分かったわ。最初に、私が19999匹倒すわ」
「……え?」
「それを見てなさい。横で練習していなさい!」
「は、はぁ……」
「30分で片付けるから、その間にちょっとでも魔法が使えたら許してあげる。最後の1匹は一緒に倒しましょう」
「でも、そんな……」
「大丈夫よ、魔法なんて誰でも使える道具。使い方を覚えちゃえば、簡単に出てくるわ。なんの為の教科書、なんの為の見取り稽古だと思って?」
もうここまで来れば、今日この時間に魔法を覚えさせるしかない。
1度取った弟子だ。大規模破壊魔術のひとつも覚えさせずに帰したとなれば、きっと後でオヤジ三人衆に煽られるに違いない。
なんかプルプル震えてるけど仕方ないのである。
肩を叩き、項垂れる黒髪を立ち上がらせる。
「しっかりしろウィルス!」
こういう部下に対しては心構えを解くのが1番上手くいく。
そのまま問うのは教科書の内容。あこには魔術の神髄が詰まっている。
「ウィルス! 教科書の第1文、何が書いてあった!」
意気揚々と、上官らしく問いかける。
「ハイ将軍! 税収で国を圧迫しろです!」
こいつの上司は中々いい教育をしている。しっかり背筋を伸ばした騎士は私の問いに答えて……
……え?
……え?
「……私そんなこと書いてた?」
「はいっ将軍!」
これはやってしまったかもしれない。
当時の私は寝ても覚めても畑のこと……(時々コイツのこと)しか考えて居なかったために、なにか大きな過ちを犯してしまっていたのかもしれない。
……大規模破壊魔術が税収と関係あるか?
……当時の私がさっぱり分からない。
「……嘘言わないでよ!」
「そうは言われても…… 見ます?」
一応の抵抗を見せてみる私だが、懐から取り出された、読み込まれたのであろうボロボロになった…… ちょっと嬉しいわね。
教科書の第1文には、紛うことなき農業に関する訓示が書かれていた。
「……それは回収します!」
久々の戦闘が私の脳を活性化させていた。
なんとまぁ隠居中の私の鈍っていたことだろう。
「……ごめんなさい。そして忘れなさい!」
「いや、でも一言一句暗記してて……」
「本っ当に申し訳ないけど忘れなさい! そして明後日また家に来なさい。新しい教科書あげるから!!」
こちらから訪問を誘ってしまう程の衝撃。
そして申し訳なさ。
やはり怠惰は人を糞にする!!!
ダイナミック方針転換を行った私は、彼の手にあった愛刀をそそくさと回収する。
「あの、ラスボスまで1時間ございますので…… その間にごゆるりと修行なされませ~」
「……え、へ、え? どういうことですか!?」
「どうもこうも、魔法は今日中に使えるようになってもらうけど、まだ良いって言ってんの! ゴブリンキングは私が全部やるから!」
「え、マジですか!?」
「マジよ!!」
せっかく心血を注いだと思った教科書は、後で読み返して見るとゴミだった。
ちょっと冷静になった私は愛刀に再び雷を纏わせる。
「敵来たわよ敵!!」
「え???」
照れを隠すために敵が来たのをいいことに、私は雷速でその場を離脱する。
そして、体の内から湧き上がる恥ずかしさを王冠をつけた緑の巨人達にぶつけ始めた。
「ったく、ヴァネッサ様ったら発言が右往左往しやがる。まぁ仕方ない。できることをしよう。えっとその1、杖に魔力を込める…… 魔力については教科書にあったな……」
……なにやらボソボソ呟きながら、拾ったのであろう木の枝に蒼炎を纏わせる大きな才能には気付かずに。
恥ずかしくて後ろの騎士を見ることは出来ない。
仕方がないので気配で無事を確認しつつ、雑念を払うように魔物を斬って行く。
斬って行く……
斬って行く……
斬って、斬って、焼いて、刺して……
……………………………………。
「あーーーー、飽きたァァ!!!!」
単純作業を続けること30分。ついに私は耐えられなくなってしまった。
目標としている1時間まではあと20分程か。
これまで様々な魔法を駆使し報告にあった2万の魔物を悠々屠り、結局ここまでで奪った生命の数は予想を大幅に超える7万に迫る。
「なかなか頑張ってるけど…… 減らないわね!!」
試しに放ってみた生体探知の呪文には、まだまだ数千じゃ効かない程の数が表示されている。
目に留まるものから刀で斬り、五指から水刃を飛ばして効率化を図っているが、一向に数は減らない。
と、その時金属で出来た人形が一体、猛スピードで突撃してきた。
「くッ、硬っ!」
土手っ腹をねらって雷を纏わせた斬撃を放つ。
しかし、胴体の中央で刀が止まり、そのまま間合いへの侵攻を許してしまった。
そのまま伸びてきた敵の指が顔を掠め、私の尊顔に傷が付く。
本日初めての負傷だ。
「雑魚なら一撃で死になさいよ!」
こんなんでも冷静だ。
手を引いて2撃目を放とうとしてくる奴の不格好顔をひっ掴むと……
「溶けなさい」
斬れない金属なら、ドロドロになるまで溶かしてしまえばいい。
まだ若かった頃に国宝の超金属を消滅させた私の炎魔法はまだまだ現役だ。怒りの感情によって黒く染まった炎が前方に発射され、金属人形を飲み込みそのまま後列へと飛んで行く。
掴んでいた物の感覚は消え、シュッという軽い音と共に、私の目の前には何も居なくなった。
……なにも?
…………。
「やっば!!! お気にだったのに!!」
……自分では冷静だったつもりだが、どうやら頭に血が上っていた様。
私の目の前には何も居なくなった。金属人形は勿論の事。
――――ヤツに刺さっていた愛刀も
「うぅ、タケミカヅチぃ……」
彼の名前を泣きそうになりながら呼ぶ。
三代前の騎士団長が邪龍を下した際に使用した愛刀だったという謂れを持つ国宝を勝手にパクって使っていたのだが、ヨントは許してくれるだろうか……?
チーズフォンデュのパンを刺したり、地面に絵を書いたり……
中々に便利なやつだったのに。
うーん、さっきから恥ずかしいことばかりだ。
いやでも他人がいるから恥ずかしいという感情が発生するのでは……?
やはり人付き合いが1番の悪者である。
ダイナミックに責任転嫁をしつつ、そろそろ敵も固くなってきたし丁度いい機会だと私は亜空間から1つの杖を取り出した。
蒼みがかった透明な短杖はひんやりと冷たく、握っただけでも相当な魔力を感じる。
「うわっ!?」
ふふっ、後ろにいる坊主も魔法の事が分かり始めた様だ。
さっきまで黙って集中していたのに、杖を取り出した瞬間にめっちゃ驚いてる。
その視線を背中に受けつつ、杖を地面に向かって構える。
もう1000体ずつなんてチビチビしたことは面倒だ。魔力の節約とか色々あったんだけど、3分の2くらいは倒したから大丈夫だろう。
「さっきはカッとなって炎魔法を使っちゃったけど…… やっぱ自然は守らなきゃね」
放つのは氷魔法。まぁこの杖がそれ専用だから当然なんだけど。
「エヴァン、もうすぐアンタの出番だからアップしてなさい!」
「えっ、それってつまり……」
「今から敵は、ボス一体になるわ」
地面に向けた杖から冷気が零れ始める。
「あ、さむっ」
この魔法は久々に使ったから、付随する寒さを忘れておった。
これからもっと寒くなるし……
あー、やだなぁ…… 触りたくないなぁ……
「やだなぁ……」
「なにがです?」
「うっさい、黙ってあっち向いてて……」
私は繊細な魔法が苦手だ。敵を倒したいならブッパなせばいいし、元来性格的に大雑把なところがある。
だからゆっるい魔法を使う時は……
右手に持った杖を地面に突き刺し、エヴァンのところへ歩いていく。
あっち向いてての言葉通り、背中を向いててくれるヤツの顔は見えなくって。良かった。
「【ウォーム】」
「え、せな……」
「黙って」
背中にピトッと触れた掌から暖色のオーラが溢れ出す。
細っちょくってもやっぱり騎士なんだろう。
外からは見えないゴツゴツした身体は、日々のトレーニングを感じさせる。
そんなことを考えるどこか永い2秒の間に、オーラは私たち2人を包み込んだ。
「暖かいですね……」
「ふふっ、快適気温を保つ魔術膜よ。これで今から放つ魔法の影響だってへっちゃらよ!」
「あ、ありがとうございます……」
魔法は成功だ。しかし、満点ではなかった。
……作り出した膜がちっちゃくって。
互いの体がくっつきそうになる中で、どこかドギマギしながらそっぽを向く。
普段はオレンジな膜がちょっとピンクに見えるのは、きっと寒さで目がおかしくなっているせい。
「じゃあ、やるわよ。準備はいい?」
「……はい」
「安心しなさい。あんたは絶対死なせないから」
地面に刺した杖を抜き、今度こそ魔法を発動させる。
「【銀世界】ってね。雑魚は黙って砕けなさい」
――――――その瞬間、麓では例年より約5ヶ月早い積雪が観測された。
冷気は木々の間を抜い、霜を作り、大気中の水分を氷に変える。
森を進軍する2万の魔物は、一瞬でその動きを止め……
魔女の掌から続いて放たれた弱々しい風の後、まるで元から存在しなかったかの様に氷の粉となって世界に溶け出した。
「うーん、エクセレント」
「……こんなに強いのにどうして世界征服とかしてないんですか?」
「ひゃっ! ……面倒いからだけど」
魔法を放った一瞬、忘れかけていた存在がとても近くで声を出した。
驚いたから、そう驚いたからしゃっくりが出て心臓がドキンとなったけど、冷静に言葉を返す。
まぁ私の力を見ればその疑問はご最もだ。
私はいつだって世界を手中に収めれる。
……が、私は一般ピープルで居たいのだ。こればっかりは仕方ない。
「さ、そんなどうでもいい話してないで!」
「どうでもいいって……」
ここは強引に話を切る。まぁ時間も無かったしね。
「魔法は使えるようになったわよね、気配的に?」
「あっ、そうなんですよ!!! ヴァネッサ様のお陰です!」
「そう、ありがとう。じゃあ大丈夫ね……」
「え? 何が?」
「言ったでしょ? ボスは残るって」
―――――来るわよ
一言。
発したと同時に地面が揺れる。
「やっぱり空に居たかぁ」
目の前に落ちてきたのは、紫色の巨人。
「え、これとやるんですか!?」
「えぇ、この"悪魔"とね。大丈夫、キル数10体で討伐数世界1位の私が付いてるから!」
「悪魔っ!? おとぎ話で国滅ぼしたり大陸消滅させてるあの!?」
「うん。しかもおとぎ話じゃなくってあれ史実だからね」
「無理無理無理無理無理ですって!」
狭い空間でブンブン首を振るな! 黒い髪を顔に浴びつつ、上を向いて微笑みかける。
「一緒に頑張りましょ?」
「クッソ、その笑顔は反則でしょう…… わかりましたよ!!! やりゃあいいんでしょ!?」
了承してくれればいいのだ。私の弟子たるもの、悪魔キラーくらいの称号は持っててもらわないと困る。
「始めるわよ」
「……はい!」
御丁寧に話が終わるのを待っていてくれた悪魔に向かって杖を向ける。
エヴァンも木の棒を構えたことを確認し……
戦闘が始まった。
―――――――――――――
棒を構える。
こんなふいに、憧れの魔法が使えるようになるなんて思ってもみなかった。
こうなってみると、ヴァネッサ様は本当に王都で有名な魔法使いだったんだなぁと思えてくる。
最初に会った時は半信半疑で、ただの適当なお姉さんなんじゃないかと思っていたんだけど……
この1時間、実感する。
彼女は間違いなく、最強だ。
というかこれに上があったら世界はとっくの昔に滅んでるだろう。彼女だって面倒いだけみたいだし。
「……ありがとうございます」
「なにが?」
「いや、色々と……」
暖かい膜の中で、隣にいる彼女に万感の感謝を伝える。返ってくる言葉は素っ気ないけど、ちょっと喜んでるみたいで。とても嬉しい。
「じゃあ、やりますよ!」
「ゴタゴタ言ってないで早く。最初は小石を飛ばすだけでもいいの。とにかくやってみなさい」
「……はい!」
魔法を語る時の彼女も、魔法を教えてくれる時の彼女も、とても無邪気でキラキラと話をする。
言葉が染みて、引けていた腰がすっと立つ。
気負わず、さっき習った通りに。さっき出来た通りに。
「【炎刃】」
一言唱えると、手に持つ棒に蒼炎の刃が纏わりついた。
やはり騎士足る自分自身、誇れるものは剣術だ。師匠に似た訳ではないと思うけど……
小石を飛ばす? そんな精密操作は得意じゃない。だから……
込める命令は単純に。
『炎よ手元に居ておくれ』
騎士には、ただ1本の剣があればいい。
不思議と熱さは感じない。
でも隣の彼女の存在が、僕の顔を真っ赤にしているから。
戦う前に心臓が裂けて死なないように。
ついでにノルマの一太刀食らわすために。
「騎士エヴァン、行きます!」
名乗りは騎士の誉だ。
一言叫んで名残惜しい暖かな膜を、彼女の隣を飛び出す。
そして目の前の紫の巨体へ向かって走り出した。
「やぁぁぁ!!」
「グラァァァ!!!」
炎の棒を振り上げる。毎日訓練している剣術の成果を、ちょっとでもカッコイイ所を気になる人に見せたくて。
迎え撃つのは大音量の咆哮。
ちょっと服が揺れるが、そんなことは気にしない。
ただ前へ、この刃が届くところま……
「あっぶないわよ馬鹿!!! 飛び出すなよ脳筋め! これだから騎士っていうのは……」
無我夢中で走っていた僕の耳に可憐な声が入り、視界が一瞬で切り替わる。
ぶつかりそうになる駆ける足をギュッと止め、驚きながら前を見る。
ふわっと顔面に広がる金色の髪は、つい1秒前まで後ろに居たはずの魔女様のもの。
そして彼女が、杖から発生させた氷で動きを止めているのは、前へと突き出された悪魔の腕。
――――僕が気付かなかった、助けが無ければ命を刈られていたであろう瞬速のパンチ。
「なーに突撃してるのよ馬鹿!!」
「いや、どんだけ頑張ってもコレしかできなったので……」
「じゃあ言いなさいよ! さすがに近距離戦で勝てとは言ってないでしょ! 一撃でいいって言ったでしょ!!!」
「……はい」
叱る合間にも目で追えない速度で攻防を続ける一人と一体を見て、自分の馬鹿さ加減を知り、項垂れる。
そんな僕に、不甲斐ない僕に。彼女は苦々しく微笑んで、1つミッションを下した。
「でも威力は中々ね。いいわ、私が隙を作るから…… そこに渾身の一撃を入れなさい。したらアンタを正式に弟子にしてあげる」
「……ありがとうございます!」
「ふふっ、精々頑張んなさい!」
きっと最後の慈悲だろう。褒め言葉も適当なんだろう。でもとても嬉しくって。今度こそ期待に添いたくって。噛み締める様にして返事をする。
ヴァネッサ様は、今度はそれをパッと花が咲くように笑って受け止めてくれた。
あぁ、僕はこの人を裏切れない。
魔女は、杖を振り、踊るように攻撃を加えていく。
その度にキラキラと氷と、それに反射して金の髪が舞う。
なんて美しいんだろう。そう思えば思う程、無様な自分には到底釣り合わなくて。悲しくなってくる。
でもだから、今は少しでも彼女に近付ける様に。
少しでも期待に添えるように……
木々の間に姿を隠した騎士は、師匠を、友を、そして思い人を信じて"その時"を待つ。
―――――――――――――――――
「あんのバカバカ!!!!」
むーかーしむかし、悪魔とかいう最強の魔物に対して接近戦を挑むとかいう馬鹿がおったんじゃ……
飛び出した瞬間はポカーンとして動きが止まってしまったけど、どうにか助け出すことが出来た。
行動自体は馬鹿だったけど、発動させた魔法は初心者にしては中々のもので、当たりさえすれば悪魔にも一定の効果はあるだろう。
……当たりさえすれば。
「煽り過ぎた私も悪かったわよ…… でも突撃は無いでしょ…… 悪魔が国滅ぼしたっていう話したわよね……」
杖を振って攻撃を逸らし、時につららを飛ばしながらグチグチ愚痴を言う。
しかもあんなヤツのために隙まで作ってやらなきゃならないなんて……
そう思いながらも緩む口元。キックをバックステップで躱しながら天に向かって叫ぶ。
「とーっても、ワクワクするわね!」
私は久々の戦いで、命の輝き的な何かを感じているらしい。強敵、そして重ねての縛り。
こんなの魔法使いとして楽しすぎる。
エヴァンはどっか隠れて隙を伺ってるみたいだから、私がちゃんと決めないと。
師匠として。
正直、最初はウザかったし期待してなかったんだけど……
彼はこの1時間で魔法をモノにした。課題は多いけれど。
それを導いてやるのは、私の責任だ。
「グラァァァ!!」
「っと、あっぶな!」
考え事をしている間にも、悪魔は止まってちゃくれない。
最強の魔物というだけあって攻撃も殆ど効かないし、逆に相手の一撃一撃は避けた傍から森林を破壊し尽くしていく。
「お前、結構強いわね……」
最後に悪魔と戦ったのは2年前。
敵は隣国の30年物ダンジョンから溢れたスタンピードのボスだった。
その時は、現役バリバリだったから楽に下せたんだけど、今は違う。
「グラァァァ!!」
「やっぱ条件が悪いわ……」
前より強い悪魔に、前より弱い私。倒そうと思えば方法は数多あるんだけど、隙を止める手段なんてそんなに無い。
……ぱっと思い付いたやつは使いたくない。
「言っちゃった手前、隙を作るのは絶対…… うーん、全身凍らせてもコンマで復活するだろうし……」
悩んでいる間も、攻撃が止まらない。
パンチ、パンチ、キック
連打を氷の盾で防いでいく。
パンチ、パンチ……
手に闇を纏わせたパンチ
「グラッ!!」
「ごほっ!!」
「……ヴァネッサ様!!!!!」
戦闘勘が鈍った私は、通常攻撃を防ぐつもりで普通の氷の盾を貼った。
しかしそれでは強化されたパンチの前では紙に等しい。
盾は粉々に砕かれ、大きなのを1発腹に貰ってしまう。
衝撃で吹き飛ぶ私、追撃を狙う悪魔、叫ぶエヴァン。
あー、これは骨がイっちゃってるな。そんなことを漠然と考えつつ、もう一度魔法を唱えようとする。そんな時だった。
「ラッ!!!」
「おらぁぁぁぁぁ!!!」
視界に入ってきたのは一瞬で迫ってきた追撃の黒い右腕。
あー、やばいなこれは。
そう思った刹那の後……
さっきとは全く逆の立場で私と腕の間に黒髪の凛々しい騎士が滑り込んできた。
得物が纏う炎は、さっきまでその性格を表すかのように澄んだ蒼だったのに、怒りの感情によってドス黒く変色している。
……私の為だと思うとなんだか嬉しい。
まぁそんな悠長な隙は無くって、腕は私の代わりにターゲットとなったエヴァンに向かって行く。
もう1秒と時間が無い。
このままじゃアイツが死んじゃうから。本当に本当に嫌だけど、死んでしまうのはもっと嫌だから。
「ぐっ……【氷結時計】!!!」
お腹の痛みを堪えつつ魔法を唱える。
……カチリ
変化は一瞬で起こった。
小さな音と共に、エヴァンの頬までもう1ミリという所で黒い腕が、いや悪魔の全身が止まる。
それだけではない。エヴァン自身も、風で動いていた木々の葉っぱたちも。
私以外の全てがその動きを止める。
数多ある氷魔法の中でも、私が作り出したオリジナル。
世界の時を凍らせる魔法。
この世界で動くことができるのは、私と"許可"された人だけ。正真正銘の必殺技だ。
まぁその代わり魔力はすっからかんになるんだけど。
だから早く"許可"を出してエヴァンに悪魔を殺して貰わなきゃならない。
魔力切れと腹の痛みでフラフラになりながら立ち上がった私は、目の前のエヴァンに向かって歩いていく。
「はぁぁぁぁ……」
今から出す許可のことを考えれば、それだけで気が重くて死にそうになる。
でもやると決めたのは私だし、やらなきゃ本当に死んでしまう。
「……昔の私のばかやろう」
この魔法を使ったのは、実は今回が初めてである。こんなの使わなくても最強は私だったから。そして"許可"の代償がとてつもなく嫌だったから。
氷結時計を生み出したのは、私が7歳の頃だった。その頃から天才だった私はたったの3日でこの大魔法を編み込み編み込み……
最後の仕上げ、許可のところで条件に悩んだ。
悩んで、悩んで。そして最後に手元にあった御伽話を見て、決めたのだ。
「んっ……」
触れ合った唇から、氷像のような騎士に零度の世界で唯一熱を持つ魔女が体温を伝播させていく。
冷えきった大事な人を溶かすのは、お姫様のキス。
この条件を決めた、自分が天才だと思っていたアイツを絞め殺してしまいたい。
まぁそれでも、私の魔法に狂いはないから。
「んん……っ んんんんん!?!?」
騎士は目を覚ます。
「……ぷは」
「!!??!?!?」
「うっさい!」
踏ん切りがつかずに悩んでたから、もう時間が無いのだ。
「黙って炎出してこいつの首切って!」
「え、は、はい!」
叱咤すればエヴァンは動き出す。
唇に残る違和感を、擦って消しちゃいたい様な、したくないような…… みたいに私が考えている間にも、エヴァンは棒を構える。
なんかそれはそれで不満だ。もうちょっと気にしてくれてもいいのに。
自分でもよく分からない感情の中、ジーッと魔力を通す彼を見つめて…… 気付く。
「あ、ちょっと待って!」
「……なんです?」
こっちを振り返る彼の顔はいつもより赤らんでて、こっちまで恥ずかしい。
なんだろもうやだ……
いやいやいや。変な思考を首を振って消し、私は亜空間から1本の剣を取り出した。
「この魔剣あげるわ。棒じゃ切れないでしょ」
「……いいんですか!?」
「うん、元はヨントのだし。とっとと受け取りなさい」
ぐいっと剣を差し出し、ずいっと後ろに下がる。渡す瞬間に縮んだ距離に反比例するように、心臓の音が大きくなったから。
「……やりなさい」
「……【炎刃】」
あー、なんかさっきからやばい! でも仕方ない!!
今度こそ、騎士によって美しく構えられた剣に炎が宿る。
怒りの黒色は消えて……
「何よその色!?」
「うわっ、えぐっ!!」
ショッキングピンクの炎がメラメラと吹き上がり、止まった世界を桃色に染めていく。
「しっ!!」
動揺しながらもゆっくりと、しかしハッキリと訓練された太刀筋は弧を描き……
「グラァァァァァァ!!!」
紫の血が飛ぶ。時間が戻る。
「よくやったわエヴァン!」
「はい!!!」
始まってから1時間と3分。
スタンピードは終結した。
――――私のファーストキスを生贄に。
――――――――――――――――
「がーーー、疲れたァァァ!!!」
咆哮する私。目の前には首と胴体が離れた悪魔と、それをやった騎士が1匹。
いやぁ、実際に1時間で終わらせたけど中々に疲れた。
普段は週一くらいでしか打てない大魔法を2発打った上に、1年間ほとんど引きこもってた体に鞭を打ってずっと走ったり、重たい刀を振るのはかなりの重労働だ。
「お、お疲れ様です、ヴァネッサ様」
「う、うん…… アンタもね」
労いの言葉には労いの言葉を。
うん、うん。
……うん。ちょっとまだヤバいな。唇がムズムズする。
そんなアレを悟られないように、師匠としての顔になって言葉を出す。
「ま、まぁ最後のは見事だったわ! でももっと伸ばしてあげる。明日からの訓練はビシバシ行くわよ!」
「え、マジですか!? 本当にいいんです!?」
「そりゃーね。基礎だけ教えてほっぽり出すのも道理に反するし。何よりアンタには才能がある」
「……才能?」
「えぇ、私には及ばないけど、並の魔術師よりは遥かに。抵抗出来なかったとはいえ、悪魔に傷を付けるなんてかなりのものよ」
「そうなんですか! そうなんだ……」
坊主は噛み締めるように胸の前で拳を握り、目を瞑る。
まぁ長年の夢が叶ったんだもの、そんぐらいにはなるか。
「じゃあ帰るわよ。魔法のことは諸々終わらせてから相談ね」
「……はい、よろしくお願いします師匠!」
活きのいい返事を受け止め、微笑みを返す。
そしてえっこらせと亜空間に収納した杖を持てば帰宅の準備は完了だ。
って、あぁ。
「エヴァン、悪魔の頭持って」
「なんでですか?」
「いるでしょ、討伐証明?」
「あ、はい!」
フゥゥゥ! 今回の1件、そして悪魔は報奨を山分けしても一生暮らせるくらいには稼げる。てかヨントから毟り取る。
これでエヴァンも鍋の1個で悩むような暮らしから楽になるだろうし、私は新たに生まれた国の英雄を弟子にできてウィンウィンだ。
そして何より、折れちゃったタケミカヅチに代わる刀を買えたりと夢が広がる。人間は嫌いだけど、お金は友達だ。
どうしよう、ヨダレが止まらない。
……まぁ貯金で買えないことも無いんだけど、それでも収入は嬉しいものなのだ。
ニヨニヨしながら杖を構える。兎に角、まずはうちへ帰らないとね。
「しっかり持ったわね? じゃあ行くわよ。服の裾持って!」
「え、なんでです?」
「ほら転移よ転移」
「なるほど。いやでも魔力……」
「ん? まぁいいわ。ほれ【てーん…… ごへっ」
あ、ダメだこれ。
やばい、魔力切れとか数年ぶりだから忘れてた。
あ、ヤバいやばい。どんどん眠気が襲ってきて、なんかやばい。
「おやすみなさーい……」
「ば、ヴァネッサ様ぁぁ!!!」
不意に気持ち悪さが湧き上がってきて、目の前がチカチカし出していく。あー、ちょっと寝よ。
思考が狂い、何故かそんなことを思った瞬間。私の意識は暗転した。
……………………
「あーっと、魔力切れの時はどうすればいいんだっけか……」
「取り敢えず頭に氷置いてみたけど、これって風邪の治療法だもんな…… てか魔法ってやっぱすごいな。こんな一瞬で氷塊を作れるんだから」
「……起きなかったらどうしよう」
「いや、きっと大丈夫。あっ、起きた時に横にいられたら嫌かな? 『うげっ、なんでアンタうちの中に居んのよ! でーてーけー!』なーんて言われたり。ははっ」
「やっば、もう2時間も経ったのか。そろそろ下の隊長もやきもきしてるんじゃ」
「それにしても、ほんっと可愛いなこの人は……」
……………………
微睡む意識で夢を見た。
凍る世界で、徐々に近くなる顔。温もりを感じる唇。
…………………………………………。
「あれは事故だからぁぁぁぁぁ!!!」
「わっ! ……おはようございます、ヴァネッサ様」
「あーーーまだ夢かぁぁーーー!」
飛び起きた先は、住み慣れた我がヴァネッサハウス。頭に乗った氷嚢が布団の上にポスリと落ちるが、そんなことを気にしている暇はない。
起きたと思ったのに、夢の中で唇を合わせた顔がベッドの横に座っていて……
……………………。
頭を数回振って理解する。あぁ、うん、無事に帰ってこられたようだ。
うん、でもさぁ……
「うげっ、なんでアンタうちの中に居んのよ! でーてーけー!」
「ごふっ!」
私の放った軽パンチが彼の二の腕を軽く打つ。
微妙に仰け反った彼は、すごすごと立ち上がって……
「ハイハイ、すみません。今出ていきます」
なんだ、張り合いがない。ほんの冗談だったのに。
周りを、氷嚢を見れば彼がどうしてくれたかんて一目瞭然で。
「……ありがと」
「え?」
「聞き返すな馬鹿!」
ドアの前に立ち止まった彼に、心からのありがとうを。
「……ちょっと表で待ってて。着替えたら今度こそ転移するわよ」
「え、魔力は?」
「ふふっ、2時間もあれば全快よ! このエネルギー効率の良さ、魔法の強さ! どの分野でも私は最強なのよ!!!」
「すご!」
「わかったなら行きなさい。あっ、……覗いちゃ、ダメよ?」
「あ、当たり前じゃないですか!」
なんぞ照れる童が1匹おるのぉ……
からかった私も、内心ちょっとドキドキしてるんですけども。
「【ヒール】っと。あー、スッキリ!」
エヴァンがドアから出たのを確認して、私はお腹を捲ってアザが残る体にヒールをぶち込む。
不快感が一瞬で消えて、超気持ちいい。
そのまま立ち上がって、クローゼットから一張羅のローブを取り出して纏えば準備は完了だ。
「終わったわ。行くわよエヴァン!」
「……はい!」
もう名前を呼ぶことに抵抗は無くなってきた。彼は私の人生の中で、モブでは無くなってしまったから。
ポンッと置かれた頭の上の手をちょっと意識しながら、私は杖を振る。
「【転移】!」
呪文を唱えれば、目の前の光景は林から石造りの砦、その中の"北方大将軍"の部屋へと一瞬で変化して……
外には大勢の人が集まる音がする。
でも、残念。彼らのお仕事はキャンセルだ。
「行くわよ、英雄さん?」
「……俺止まってる紫の丸太切っただけなんですけど」
「そうね、でもそれはそうそう出来ることじゃないわ。あなたは悪魔に立ち向かい、私を助けようとしてくれた。それに…… いや、なんでもない」
「……え?」
「私のファーストキスは、そんな安くないから」
「……えええ!?!?」
何に対する驚きよ。
くっそ、こんなクソみたいな反応が返ってくるんだったら言わなきゃ良かった。
「あーあ」
「……ありがとうございます、ヴァネッサ様」
照れながら困った様に笑いながら。そっぽを向いて発せられるそんな一言が、モヤモヤを消していく。
「あーあ……」
どこで私の幸せな1人ぼっち生活は狂ってしまったんだろう。
でもコイツに出会ったことが原因なら、それは悪では無いかもしれない。
「それじゃあ行くわよ」
「はい!!」
お馬鹿で天才なぼっち魔女は、お馬鹿で愚直な騎士を伴って歩き出す。
ただの師弟で終わるのか、何かが起こるのか。それは今はまだ分からない。でも……
「追々責任、取って貰うから」
「えええ!?」
まぁたまには騒がしいのも、嫌いじゃないかな
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