神待ちの神さま
ある雨の日
神待ちしている神さまを見つけた。
「あなた…、ひょっとして私の神さまですか?」
ある雨の日
神待ちしている神さまを見つけた。
「あなた…、ひょっとして私の神さまですか?」
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ざあざあ降りの雨。地面を打った雨粒は、先達の雨粒たちに弾けて混ざり、一つの集合体を形成していく。それは重力に手を引かれ、勾配に沿って賑やかに移動していく。彼らが舗装されたコンクリートの上を滑らかに滑っていく様を眺めつつ、僕は濡れた靴下の気持ち悪さとともに歩いている。
彼ら雨粒が集積され移動していく様を見るこの瞬間ほど“都市”というものを感じる瞬間はない。コンクリートの道は水をはじいて土に水を浸透させないようにし、さらに水は集めるためにゆるやかに勾配がつけられ、端に備えられた排水溝めがけて水が流れ込んでいく。その水はどこか目に見えないところで集積され、管理され、放水される。コンクリートの舗装も道路の勾配も排水溝もなければ、この雨の量では、ここ一帯は沼地と化していただろう。僕らは知らない誰かが築いてくれたシステムの上に暮らしている、それが“都市”の在り方であり、自分の生きる世界の在り方だ。
にしてもまあ、五月雨というやつは、何とも影が薄いものだ。4月の雨は憎まれる。新学期のルンルン気分をぶち壊してくれるからだ。6月の雨は憎まれる。長い。とにかく長い。また雨、また雨、今日も雨。いい加減洗濯物を干させろと、天の神さまに怒鳴りつけてやりたくなるほど憎いものだ。毎年、乾燥機能付きドラム式洗濯機が欲しい…と思うのだが、ネットでその値段を見ては驚愕し、白物家電の恐ろしさに震えてブラウザを閉じる。
で、5月。五月雨を集めて速し最上川に五月雨突き。名前だけは何となく知っているものの、五月雨自体がいざ来るとそこまで印象に残らない。嗚呼、6月になったらこんなのが毎日続くのか、嗚呼、雨の中でアジサイ咲いてるけどまだ6月じゃないのか、と翌月のことを考えてしまう。ベッドの中で女性を抱き寄せつつも、違う女性のことを想う浮気男みたいな発想だ。
そんな五月雨の中、キャンパスから傘をさして駅に向かう。一日中ずっと陰っていて夕焼けを見れる天気模様ではないが、今は夕方。帰途に就く大学生のビニール傘の群れに、会社終わりのサラリーマン達も漆黒の折り畳み傘を出して参入し、駅へとなだれ込む傘の駅へと向かう傘の群れがスニーカーに水がしみてくるのを感じながら大河が出来上がる。ざあざあという雨の音に皆押し黙って意識のスイッチを切断し、オートモードで黙々と駅へと足を動かしている。僕もそんな流れの一粒であり、流れに身を任せて次第に構造物がの背が高くなり、居酒屋やコンビニの数が多くなってくる街の景色を横目にオートモードで歩き続けた。“とある一角”に来るまでは。
“とある一角”とは、駅へと向かう曲がり角を曲がったら突如として現れる道と道に挟まれた広場である。ここは公園というには狭すぎるし、名前もない。しかし、歩道というには広すぎる。石のタイルで舗装されたこの一角には大きな楢木が植わり、花壇が置かれ、真ん中には名の知らぬブロンズ像が天に腕を掲げている。まるで『プラトーン』のワンシーンのようだ(個人的には『フルメタルジャケット』派だ)。駅から程よい距離にあるこの広場は、駅よりは混雑はしておらず、格好の待ち合わせスポットとなっていた。
別にそれくらいで“とある”と意味ありげに言うのは、要は神待ちっぽいひとが良くいるところなのだ。JK、JD、OLの衣装に身を包んだ女性たちが、夕方から夜にかけての時間帯、エアポッヅを耳に入れ、スマホをいじってこの広場に立ち並ぶ。そこに見るからに彼氏でも知り合いでもなさそうなおじさんたちが現れて声をかけると、彼女たちは気だるそうにエアポッヅを耳から外し、慣れた感じで「あーあなたが。」と言った表情を浮かべて笑いかける。都会だなあ、と上京組からすると思う風景である。
実際同じ大学に通う生徒の中にもここで神待ちしている人がいるらしい。ゴシップ好きな友人が言っていた。他人の交友関係は全くあずかり知れぬところであり、自由にしていただいて結構なのだが、帰り道に神待ちの女の子と神さまの男性の怪しげな密会に出くわすと、何かみてはいけないものを見てしまったような心地がして、意味もなくスマホを取り出して弄っては視線をそらす。しかし、人間観察の好きな性分が沸き上がり、ちらちらと視線を二人の不自然なカップルに投げては彼らの仕事、年収、出自、そしてこの広場に集った経緯について思いを巡らせてしまっていた。
その一角に通りかかる。この土砂雨だ。誰も立ってはおるまいと思いちらりと視線をやる。
「……?」
傘を差し、駅へと急ぐ人混みの中で、公園のオブジェの前で一人の異様な女性が立っている。この雨の中で傘を差さずに、である。
かといってずぶぬれになっているわけでもない。いやむしろ濡れていない…。彼女の前を通り過ぎていく人々は傘を差していても、そこからはみ出た背中やリュックを濡らしているのに、である。彼女は濡れまいとする人々の中で浮きあがったように存在感を放っており、まるで下手な合成写真のような違和感がある。
奇異なのはそれだけではない。手には身の丈を超える大きな木製の杖が握られる。登山の際にじいさんばあさんが握っている、麓の土産屋で売っているようなもの腰を支えるためのものではなく、かといって内田裕也が持ってるロッケンロールな意匠のメタリックな杖でもない。いうならばガンダルフが持っていそうな厳かで身の丈ほどもある木製の杖だ。
そして白いワンピース…?なのだろうか。病院でよく見る菌の一つもいなそうなあの強迫的な白色ではなく、もっとくすんだ、古着屋でみるアンティーク感のある綿の白い色だ。首元は丸く切り取られているがその縫合はあまりきれいではなく所々がたわんでいる。
またその白い衣服に降ろされたその長い髪は綺麗な白色で、バンギャのけばけばしくマットに輝く白色ではなく、じいさんばあさんの頭の上に生えているあの自然な白さだ。
無視をして通り過ぎるには異様な風体である。なぜ通行人は彼女の前を何の気なしに通り過ぎることができているのだろう。それか僕が人間観察が好きなだけなのだろうか彼女はどこかへ行くわけでもなくそこに立っている。彼女の顔の方向にはアイドルのニューシングルのリリースCMが流れる巨大なスクリーンもなければ、着ぐるみたちが手を振り踊るエレクトリカルパレードも通っていない。その姿は明らかに誰かを待っている。彼女も神待ちをしているのだろうか。こんな大雨の日に傘もささずに。まあ、濡れていないのが気にかかるが。よっぽど困っているのだろう。彼女の仕事は何だろうか、どうして金欠になったのだろうか…次々と憶測がふつりふつりと脳裏に湧き上がってくる。
がさっ、と通行人の傘が僕の傘にあたる。はっと、足を止めて彼女に見入っていた自分に気が付く。どれだけ足を止めていたのだろうか。煙たい目で通行人が僕を一瞥し、すぐさまオートモードに切り替えて駅へと向かっていく。
「………」
気づくと、またちらりと彼女を見てしまっていた。さっきまで意識を遮断して帰途についていたのに、やけに自意識がはっきりしてくる。
「………!」
彼女がこちらの方を向く。流石にじろじろ見られて気分が悪くなったのだろうか。気まずくなってスマホを取り出し、行き交う人の群れから少し外れ、シャッターの閉まった古いタバコ屋の雨どいに入る。そ、そう僕も待ち合わせをしているのさ、決してストーカーとかではないですよ、という雰囲気を醸し出す。ここで立ち去ったら立ち去ったで不審者感が出てしまうだろう。待ち人が駅から来るのを待っていた、その視界の端に貴女がいただけですと、そういうプロットで行こうと考える。少し待って、やっぱ来なかったみたいな雰囲気を出して帰れば彼女もさして不快に思わな…いや、あまりどちらも変わらないのではないか…。
スマホを眺める視界の端に誰かが人混みに逆らってこちらに向かってくる光景が見える。そのシルエットは先ほど見ていたものであり、冷や汗が出てくる。何か言われるのだろうか…。いや僕は何もしてない、ただ珍妙な人だなあと見ていただけで、なんならそんな大きな杖をついてこの雨の中で傘をさしていないってことだけで、やはりおかしくて人の視線が集まるのは普通のはずで…。
「あの…」
突如声がする。ざあざあぶりの中だが、人の話し声がない分、その声はやけにクリアに響いた。
「ひょっとして…」
そう言われて振り向く。やや低くも落ち着いた声。顔は小さい割に目がくりり大きく、幼い。オジサンキラーと言った顔つきをしていた。
「私の神さまでしょうか?」
それは普段の帰り道見慣れた光景の再演だった。しばらく視線を送っていたのだ、きっと彼女も僕のことを「神さま」だと思っているのだろう。そうか彼女は神待ちか。だとしたらその杖は目印なのだろうか。面白い発想をするものだ。残念ながら僕は神さまになれるほどのそんな余裕はない。僕は未来も金もないしがない人文系大学生だ。僕に声をかけてくるということは、僕くらいの年代の人間も神さまになったりするのだろうか。いい身分なものだ。
僕は軽く頭を傾けつつ、はあ何でしょう?、というとぼけた顔を作り、
「い、いえ。多分違います。それでは。」
そう言って立ち去ろうとする。すると手をぐい、と掴まれる。その手は暖かく、そして赤子の手のように柔らかい。かつあの雨の中でもやはり濡れてはいない。
突然の皮膚接触に僕はびくっと驚く。この積極性…、神待ちだけでなく、美人局の可能性も出てきた。その手を振り払おうとするも、ぐいとさらに力を入れられる。やや怖さはあるが後ろを振り返ると、目に涙を貯めたその神待ちの女性の姿があった。
「いや…絶対神さまですよね…。なんで無視するんですか…?」
「人違いです。それでは。」
「いや…ちょっと!えっ、いざと会うとなって急に気が引けたんですか。ビビりさんなんですか!」
「人違いです。それでは。」
「こんな雨の中に女の子呼び出しといて、それはひどくないですか…。」
「人違いです。それでは。」
「ボキャ貧過ぎませんか。それしか言えないんですか…。」
華奢な腕に見えるが逃げようともその力は信じられないほど強く、手を振りほどくことができない。むしろ、どんどんと締め付ける力は強くなり、血が停滞した手先がしびれを感じている。誰かいぶかしんでこのやり取りに入ってきてもいいはずだが、家路を急ぐ通行者たちには興味がないらしく、黙々と目の前を傘の群れが通り過ぎていく。
「ったく放してください!痛いっすよ…。人違いって言ってんでしょう。神さま探してるなら他当たってください!」
そう言って、腕をぐわんと降るも、その手はじっと離れずむしろ、振った反動で自分の手首の関節を痛めてしまう。きりっと彼女を睨みつけると、彼女の表情は先ほど違ってぱあっと明るくなっていた。
「…そうです。私、神さま待ってるんです。それが分かるってことは、やっぱり貴方も神さまですね。」
「いいや、神さまになる余裕なんて僕にはないっす。僕は余裕も将来もない文系大学生ですっ!」
「なるほど、ヨユウモショウライモナイブンケイダイガクセイ様とおっしゃるのですね。」
「いや、そんな名前じゃないし。」
「では、ヨユウモショウライモナイブンケイダイガクセイノミコトとお呼びしたほうがいいのでしょうか。」
「神号の有無が問題じゃなくて…!そもそも僕は名乗ったわけではないっす。僕の名前は後藤幸っ。そんでそんな悲哀に満ちた事象を司りたくはないっす!」
「ゴトウコウ…様!その意気込みやよし、ですっ!目標を持ってあらんとする自分の理想像へ精進すること、素晴らしいと思います。見習います!」
「…貴女は一体何なんすか…!美人局っすか!新手のキャッチっすか!それならお断りっす。他当たってください!」
轟轟と雨音が続く中、不機嫌な僕の表情をよそに彼女は笑って小首をかしげ上目遣いでこう言った。
「なら、貴方は断れないですね。私は神です。神さまです。神さまを待ってる神さまなんです…!」
「…(*´Д`)?」