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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

西の不死、東の不死

枯れた花、或いは永久の幸福

作者: ろんじん

 また来ます、と彼はそう言って帰っていった。

 私の部屋に物が増えた。

 この船にいて、物が増えるとは思ってもみなかった。

 小さな額に収まった、色とりどりの花。一番鮮やかな時期に摘み取られ、永遠の美しさを手に入れたドライフラワー。また性懲りも無くやって来た彼が、壁へ掛けていったそれを、私はただじっと見つめていた。

 ガウディウム号は、私の父が所有していた中で最も贅を凝らした船だった。大型船と言えば専ら軍船だった時代に、ガレーをベースに大きな横帆をつけ、オールの数を減らし、客船として造らせたのがこの船である。乙女を模した船首の像、彫刻が施された欄干、扉、窓のふち。家具も食器も一級品が取りそろい、数日の旅であれば厨房で調理された温かな食事が並ぶ。両親の寝室と、私たちの部屋には四つ足のベッドがあり、カーペットも敷かれ、揺れさえなければ陸の家と遜色のない質だった。

 父はこの特注の船がお気に入りで、祝い事のたびに家族を集めていた。親しい友人を招いたこともある。母の誕生日や、妹の結婚祝い、従兄に子どもが生まれたときなど、この船には楽しい思い出がたくさんあった。

 ガウディウムとは【喜び】を意味している。

 私にとって一番のそれは、父が私を後継ぎとして認めて下さった、あの日だった。


 既に遠く、懐かしい、けれども鮮明に覚えているあの一日。私が三十歳になる前日の夜。父は子を成せない不甲斐ない私を、それでも跡目だと宣言して下さった。妻はそんな私の手を取り、永久(とわ)の愛を誓ってくれた。母は私たち夫婦を温かく見守って下さった。弟妹がそろい、親戚が集い、優しさと幸せに満ち溢れた夜だった。

 ハッピーエンド。

 私の人生を物語りとして綴るなら、そう終止符が打たれるのは間違いなくあの夜だった。

 だから幕を引こうと思ったのだ。

 それなのに。

 私はいまだ此処に居る。

 ハッピーエンドは私を置いて行ってしまった。

 何故なのか?

 唯一私に残されたのは、あの日のままのガウディウム号だけだった。

 戸棚には銀食器が、テーブルには燭台が。家具も備品も同じ物が同じ場所に、あの日の様子を保ち続けていた。

 けれども人の温もりや、声や、足音は、ない。私以外には誰もいない。幸せの名残だけが詰まった空箱で、ずっとずっと、あの日から変わらずにいた。だからこの先も、増えず、減らず、永遠にこのままだと思っていたのだ。

 何度死んでも死ぬことの出来ない、私と同じように。

 …けれども、彼は私の部屋に額縁を掛けて帰っていった。

 嗚呼、何て単純なことだろう。

 たったそれだけで、あの日には無かった物が増えたのだ。

 あの幸せな日のガウディウム号が、変わってしまったのだ。

 私は信じられない気持ちで、呆然と額縁を眺めていた。

 ガウディウム号だけは、変わらずにいてくれたのに。一人きりになった私に、ずっと付き添ってくれていたのに。あの日のまま、あの幸せのまま、私と共にいてくれたのに。彼はその細やかな安らぎを、変えてしまったのだ。

 目が離せなかった。

 こんな、些細なことで、あの日が変わるとは思ってもみなかった。もう、この船は、あの日のままではない。私の知るあの日の船に、こんな額は飾られていなかった。ガウディウム号はあの日から動いてしまったのだ。

 私は、いよいよ自分が一人になったような気がした。

 みなに先立たれた後も、この船だけは私と同じ時間を過ごしていたのに。

 彼が置いていった額縁を、ガウディウム号は素直に受け入れた。この船は新しい物を受け入れて、あの日から動いてしまった。私はいまだあの日を渇望していると言うのに!

 額縁を見つめる自分の顔が歪んでいる気がした。

 美しく枯れ、幸せそうに眠るドライフラワーが、羨ましくて仕方なかった。

 私だってそうして、みなと一緒に、ハッピーエンドを迎えたかった。私だけが野にうち捨てられて、額から除け者にされる理由が分からなかった。あんなに心を込めて、一人一人、丁寧に摘み取ったと言うのに。いったい何が原因で、私だけ残されてしまったのか。

 あの日、私が作りたかったものは、このドライフラワーの額縁だったのだ。

 あの美しい思い出を、美しいままに終わらせて、ハッピーエンドを作りたかったのだ。

 それなのに、それなのに。

 嗚呼!


 額の中で眠る花が羨ましくて、妬ましくて、私はただじっと見つめていた。


***


 一つの遊びを終え、ワタシは久しぶりに海へ出た。今も海霧の中を漂っているであろう、彼に会うために。これといった手土産はないのだが、船には肉がたくさん乗っている。彼はどうせいつもの調子だろうから、捌きたてをつまみに一杯やろうと思っていた。

 話したいことがたくさんある。

 方々を遊び歩いている間は然程でもないが、それが一段落したとき、彼に会いたいという気持ちが強く沸いてくる。芸事を習い終えたときや、仲良くなった家の手伝いを終えたとき、町を堪能し切ったとき。遊びに大きな区切りがつくと、ふと彼の顔が浮かんでくる。きっとまだ彼処(あそこ)にいる。あの優美で憂鬱な面持ちの友人が。ワタシと対等な存在が。そう思うと、楽しくお喋りの一つもしたくなって、ワタシの足は海へ向かうのだ。

 宝玉が本体のワタシの体は、人の死体で出来ている。傷がついたら繋ぎ替え、ひと月かふた月に一度は真新しくする必要がある。それに妖異であることを隠すため、日頃は顔に呪符をつけ、術でもって見た目を誤魔化していた。体中に焚き染めた香の匂いも死臭を消すためだ。もう千年以上もそうしてきたので慣れたことではあったが、煩わしくない訳ではなかった。

 ……いや、以前は当然のことであって、煩わしいとは思っていなかった。

 自分が人でない以上、人には受け入れられない存在である以上、隠す他なかったのだ。そうしなければ、彼らと共に遊ぶことが出来ない。人の世で愉しく過ごすには、人として振舞う必要がある。でも、トトーと出会って、素性を隠す必要のない相手を知って、初めてそれが《煩わしい》という気持ちが芽生えた。

 素顔を隠して飲む酒は、それを明かして飲む酒より窮屈だったのだ。

 たとえ布一枚でも、顔には何も掛かっていない方が楽だったのだ。

 真の同胞と過ごす時間は、どんな遊びよりも愉しかったのだ。

 彼との出会いは、新たな愉しみとの出会いだった。

 そしてそれはワタシを魅了した。

 手中にあった幸福を、自分で握り潰してしまった幼い子。大切な物を箱へ仕舞おうとして、手から落としてしまった可哀想な子。在りし日の幻にいつまでも縋りつき、ずっとずっと泣いている可愛い子。

 彼は自分で自分に呪いをかけ、死の概念と離別してしまっていた。彼の哀れなまでに生真面目な性質が、彼と死を遠ざけていた。彼がどれだけ死を望んでも、死は彼に寄り添わないだろう。彼が求めているそれは、彼が手を伸ばす先には無いのだから。願えば願うほどに遠のいて、彼は永遠に不死でいるだろう。

 だから、彼はワタシと無二の友になれるのだ。

 故は違えど死なずの身。

 ワタシなら、彼と水魚のように交われる。

 いつまでも流れる涙を拭ってやれる。

 自分と対等な存在がこの世に在ることが、ワタシは堪らなく嬉しかった。だから節あるごとに思い出し、彼の元へ赴いた。陸での楽しい話を携えて、いつか彼も一緒に来てくれないかと、少しばかり期待しながら。

 海で遭難させる船を選ぶのも、なかなかに楽しい事だった。


***


 花が羨ましかった。

 摘み取られ、乾かされ、台紙に貼りつけられて額に封じられ。それでも色鮮やかに胸を張り、幸せそうに寄り添う花々が妬ましかった。

 どうして私はこの花のように成れなかったのか。

 みなで幸せに眠りたかっただけなのに。

 ハッピーエンドが欲しかっただけなのに。

 壁に掛けられたドライフラワーの額縁を、私はただじっと見つめていた。

 これのせいで、ガウディウム号は変わってしまった。あの日には無かった物が増えてしまった。本当は、増えても、減っても、いけなかったのに。少しでも変わってしまえば、あの幸福だった日ではなくなってしまうのに。彼は無神経に額を掛けていった。ガウディウム号はそれを受け入れた。もう、あの日と同じではない。あの日にはなかった額縁が、部屋の壁に飾られている。

 私はいつまでも花の存在が許せなくて、けれど取り除くことも出来なくて、ただずっと眺めていた。

 なぜ、どうして。

 どうして、私は、いまだ、此処に。

 此処に、あの日に、いるはずなのに。

 いたはずなのに、この船は、もう、あの日ではない。

 あの日とは違う。

 私が欲しかった、あの、幸福な日では、ない…。

「なにを独りで泣いているのですか?」

「えっ」

 花だけが映っていた視界に、突然、彼が現れて私は声を上げた。しかも彼は現れただけでなく、私の肩に腕を回していた。いつ来たのかも、触れられたのかも、まったく気が付かなかった。あの額縁を置いて帰ったはずなのに、どうしてまだ居るのかも分からなかった。

「な、ぜ……? 貴方、帰ったはず、では…」

 私は彼の体をぐっと押しのけながら立ち上がった。ガウディウム号を変えてしまった彼に触れていると、自分まで変えられてしまうような気がして、逃げ出したくて堪らなかった。

 しかし、逃げ場はない。

 彼の手は私の手首を捕らえていた。

 月夜のような瞳が私を見やる。

「帰った、っていつの話をしているのですか? まさか前回? もう三ヶ月も前のことですよ? ワタシが来たって言うのに、やけに静かだと思ったら…。もしかしてずっと、あの絵を眺めていたのですか? 前にワタシがあれを飾っていってから、ずーっとここに? み月もの間? 今の今まで? ………トトー、貴方…、本当にワタシを驚かせるのが上手ですね…」

「別に、そんなつもりはっ……、ただ、その…」

「その?」

「あれの、せいで…、ガウディウム号が、変わって、しまったから……」

 私は懸命に抵抗したが、彼の手は少しも解けなかった。壁に直接、腕を固定されたかのようで、私は力なくその場に座り込む他なかった。

 視界が滲む。

 いや、もう、ずっと泣いていた。

 ただ私が気付かなかっただけで、私の頬は涙で濡れていた。

「私の、あの日が…、幸せだった日が、変わって、しまったじゃないですか……!」

 自分が泣いていると分かった途端、空気が肺に舞い込み、言葉となって口から出ていった。彼の顔などもう見たくない。下を向き、手で視界を覆う。掴まれた片腕は諦めるから、もうそれ以上触れないで欲しい。私は変わりたくない。あの日でいたい。この船にもあの日のままでいて欲しかった。それなのに、彼が変えてしまった。私がずっとずっとあの日を求めていると知りながら、彼はこの船を変えてしまった。

 変わりたくなかったのに。

 変わって欲しくなかったのに。

「トトー」

 悪鬼の声が囁きかける。壁の花と同じ香りがする。

 嗚呼。

 惑わさないで、もう、これ以上。

「顔を上げて、トトー。変わることは、悪いことではないでしょう? あの絵も、この部屋によく馴染んでいるではありませんか。今が変わっても、未来が変わっても、過去は変わりません。貴方が大切に思う過去は、ずっとそのままです。幸せだったことも、何も変わりません。だからそれはそれとして、今や未来を楽しみましょう? 嘆くことなんて無いのですよ。この船も、貴方も、今ここに存在しているのですから、変わるのは当たり前なのです。トトーは本当に泣き虫ですね。ふふふ、かわいい人」

 黒い手袋の先が私の顔に触れる。そこから黒くて善くないものが染み込んでくるような気がして、私は身をよじった。けれども悪鬼は、私を抱きしめて、声高らかに笑うのだ。私が黒く染まるのを、愉しんでいるように。

 私は彼の肩越しにドライフラワーを見た。

 美しいまま、幸せなまま、寄り添いあって死んでいる。

 なんて羨ましい。

 私もあのうちの一本になりたかった。皆とこの船で眠りたかった。それなのに、私はいまだ此処にいて、悪鬼に囚われ、縋るものがなくて彼の服を掴んでいる。

 嗚呼、もう、止めて。幸せの名残りがどんどん消えていく。

 私が望むのはあの日だけ。

 他には何もいらない。

 それなのに、それなのに…。

「変わったって良いじゃないですか。楽しい思い出は、これからだって作れるのですよ? だって貴方は、いま此処に居るのですから。ワタシと一緒に不死を楽しみましょうよ。せっかく、際限なく遊べるのですよ? 泣いてなんかいないで、ワタシと楽しいことをたくさんシましょうよ。ね? 今日も酒とつまみがあるのです。一杯飲んで、ワタシの話を聞いてくださいな」

 私に寄り添う冷たい温もりが、あの日から私を切り離していく。

 優しい素振りを見せながら、その実、こちらの心情など露ほども気にしていないくせに。

 本当に、なんて、ひどい、人。

「玉霊さん…、あの額縁を、持って帰ってください。私を、一人にしてください……」

 私は彼に縋ったままそう言った。

 自分の言動が矛盾していることは分かっている。

 一人になりたい訳ではない。皆と一緒になりたかったのだ。

 でも、もう、誰もいない。

 いない。

 いない。

 無い、………この、手に触れるもの以外は。

「名前は呼び捨てで、と言ったでしょう? トトー。そんな、よそよそしく呼ばないで、玉霊と言ってくださいな。あの額縁は貴方に上げた物ですから、貴方の好きにしてください。このままあちらの船まで抱えていきましょうか? さあ、一杯付き合ってもらいますよ。一人になりたければ、ワタシが帰った後で好きなだけどうぞ。ふふ、お姫様みたいですねえ」

「あっ……待って、歩きます! 自分で立ちますからッ…」

 彼は有無を言わさぬ力で私の体を引き上げた。

 その勢いで本当に抱えられそうになり、私は慌てて立ち上がった。

 敵わない。

 いつだってそうだ。この、眩しい力強さが。私を掴んで離さない黒い手が。私を悲しみの沼から強引に引き上げる。私は肺に溜まった泥を吐くのが苦しくて、久しく忘れていた呼吸をするのが苦しくて、悶え喚くのに彼は決して手を離さない。こうやって乱暴なやり方で、だが確実に、私を沼から引き上げてしまうのだ。

 私は彼に掴まれることが嫌で、嫌で、嫌で……。

 でも、私を掴むこの黒い手が、私が掴める唯一の手だった。

「ぎょく……、ぃ…」

「ほら行きますよ。…何か言いましたか?」

「いいえ、何も」

 彼の手が、私をあの日から遠ざけていく。

 でも私はまだその勇気が持てなくて、ガウディウム号のように素直にはなれなくて。

 言葉は泥に押し戻されて胃の腑へ落ちた。


 ドライフラワーの額縁が壁を飾っている。

 あの日にはなかった新しい物。

 私はそれを横目に、手を引かれるままに部屋を出た。




END 2020/3/18

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