4.
本を捨てるのは最も死に近い行為だ。
おそらく、私はちゃんと現実を生きていたことがない。ほとんどの時間を現実逃避、現実から逃げることに費やしていた。本の中、思考の中に没頭することがまさに生きるということだった。
ただの文字の羅列。私はずっとそれに憑かれていたが、それを手に入れることはできなかった、と思う。
私は寂しい。大人になってずいぶん経ったが、どうにも現実が分からない。ずっと逃げ続けてきたために、現実の方もすっかり私に愛想を尽かしたらしい。けっきょく私は逃れられなかったが、現実は私に背を向けており、その顔は分からない。
現実から逃げなかったなら、私は存在したのだろうか?もっと早く叩きのめされただけだったのではないか?
遅かれ早かれ、というだけの話だ。
深夜、部屋にいることに──そこはいつも私のシェルターだったにもかかわらず──どうしても耐えられなくなり、私は外に出る。
空気は生ぬるく息苦しかったが、部屋にいるよりは多少ましだった。まだ私は歩くことができる。
遠くに行ける靴が欲しかった。しかし、遠くに行くのに必要なのは靴だけだろうか。
雲が出ていたので星座はひとつも分からなかったが、時間帯からしてあの星は夏の大三角形だろう、という目星はついた。
夜が好きだ。夜は色が少ない。私の目と耳は色を感じるので、昼間の鮮やかな風景と喧騒は刺激がありすぎて疲れてしまう。夜は暗く音も少ない。私は周囲に圧倒されずに自分に集中することができる。
死に至る病とは絶望のことだという。絶望とはなにかというと、自分に没頭しすぎることらしい。
自分に没頭しすぎれば、おおかたの人間はろくに中身がないので空っぽになってしまうだろう。私は自分が空っぽになりつつあると感じている。
私はいちばん近くの歩道橋に行く。歩道橋、線路、橋、道の真ん中。私の好きな場所。広い道だから深夜でも車通りは多い。
私は寂しい。おそらく、私が現実というものを理解できる日は来ない。いずれにせよ私は困った立場に置かれる、いずれにせよ……。
歩道橋を渡り、私は街頭で照らされた道を歩く。車通りはあっても人通りはほとんどない。
印刷会社の前で、新聞配達人たちが、新聞をバイクに積んでいるのを見かけた。深夜というよりも未明に近い時間だが、これほど早く準備をするとは知らなかった。
いつだったか、日の出を見ようと思って早朝に散歩に出た時、薄暗い細い道に死体のようなものが落ちているのを見つけた……それはただのゴミだったのだろうが、あるいは特別な時にだけ見える幻だったのかもしれない……。
今日、その道にはなにもなかった。薄暗い細い道、点々と並ぶ街頭。
もうしばらく先へ進んだ。暗がりの中に赤い鳥居が見えた。そんなところに神社があるなんて知らなかった。私は自分の近所のことすらよく知らない。私は知りたいと思うものをずっと知らないままだ。もはやなにを悲しめばいいのか……。
私は歩き続けた。広い道沿いにマンションが並んでいるが、電気がついている部屋はひとつもない。私はひとりきり、ずっと望んでいた通り。
私は寂しい。とうとう人間たちがどういうものなのか分からなかった。私も彼らのうちのひとり。それはなんとなく奇妙に感じられた。私にとって私は唯一無二だ。私には私のことしか分からない。私はほかの人間たちにとっては有象無象のひとり。
彼らが私の寂しさを理解することはないだろう。孤独はいつも私に優しい、私が寂しいのは孤独のためではなく……現実に人間たちがいると気づいた時だ。彼らは私には分からない世界で私には分からないなにかをしている。
ああ、もっと狂っておけばよかった。
私は自分の部屋に戻る。眠らなければならないと思ったが、それを無視して文章を書いていると、外から新聞配達のバイクの音がした。そういえば、眠れない夜に私はよくこの音を聞いていた。こんなに近くにいるのにそれが誰なのかを私は知らない。これから先、知ることもないだろう。
大人になってから……というより、現実というものが存在すると気づいてから、朝が来ることが恐ろしいと思うことが増えた。つまり、現実がよりいっそう現実味を帯びるからだ。私はもはや逃げることができない。
だが、明日の朝は来ないかもしれない。そう思うのは私の勝手だ。
考え続ける限り生き続けなければならない。
(では、考えることをやめれば、死ぬことができるのか?)




