3.
夜明けを見るためにうんと早起きした。夜がずっと続けばいいと思っているのにおかしなことだ。目覚ましが鳴った時、とても眠かったので明日に持ち越そうかと思ったが、そんなことをしたらいつまで経っても実行できないだろう。
空はすでに白んでいた。雲が多い。どこか高いところに行かないとちゃんと見えないかもしれない。
空気は冷たく、半袖のTシャツでは少し肌寒い。道端には紫や青の紫陽花が咲いていた。萼は四枚のものもあれば、星のような六枚のものもある。それから薄黄色のモッコウバラやピンク色のツツジ、白いモクレン。
木の上では小鳥たちの鳴き声がする。とても騒がしく、ひとところに固まって何を騒いでいるのだろうと思う。
私は大通りに出て歩道橋の上にのぼる。眼下の四時前だというのに車通りは多い。歩道橋には誰もいない。薄い雲の向こうで、細い月がぼんやりと輝いている。私は東の方を見るが、マンションに遮られて日の出は見えなさそうだった。雲は薄紫色に染まっている。もうすぐ夜が明けるのだ。
夜明けは見えなかった。もう少し高い場所を探さなくてはならないようだ。でも、雲の隙間から漏れる日差しはとても綺麗だった。
私はコンビニに寄った。この場所はいつ来ても同じ顔をしている。とても人工的だ。別にお腹が空いているわけではなかったが、入ったからには何か買わなければと思い、私はスムージーを買う。疲れていたのか、柑橘系のスムージーはとても苦い味がした。
私は高架下を歩く。駐車場のフェンスの根元にびっしりとドクダミが生えている。フェンスには薄紫の朝顔が少しずつ花開いている。
私は塀の向こうから鬱蒼と木々が枝を伸ばしている細い裏通りを歩き、ゴミのネットが人間のような形をしているな思った。近づくと、本当に人間が行き倒れているのだと分かった。彼は作業着を着ていて、暗がりにいるせいか死んだように顔色が悪い。私は回れ右をして、大通りに戻る。あれは普通の人間だったのだろうか、死体だったんだろうか、それとも他のなにかだったのだろうか。
私はゆっくりと家に戻る。今日はやらなければならないことがたくさんあるから、少し仮眠を取ろう。すでに頭痛がする。
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今日はやりたくないことをたくさんしなければならなかった。四本も電話をして、その全部でだいたい同じような話をする羽目になった。
私は公共機関、役所が嫌いだ。そこの職員が嫌いだ。彼らの親切そうで無関心なうわべを装った声や態度が嫌いだ。あるいは、彼らは実際に親切な人なのかもしれない、いずれにせよ嫌いなことに変わりはないが。こんな場所で働くことができる人間と仲良くなれるはずがない。
早起きして寝不足だったので、私はいつも以上にうまくやり過ごせなかった。私は対役所モードで取り繕うどころか、いつも以上に情緒不安定に見えたらしい。そのせいか、私は別の部屋に連れて行かれる。そこで別の職員に、私について説明し直す羽目になる……私は何度も何度も何度も繰り返し同じ説明をする……はい、私はまともに生きることができません、それを悪いとも思っちゃいません。私は生きている限り、また同じ説明をしなければならないだろう。私は自由になりたい。
職員は別の部屋に、どこかの電話番号を調べに行く。私は白い部屋の中で待ちぼうけ。私はぼんやりと、机の上のカレンダーを眺める。そうしながら、今この時間が永遠に続くなら耐えられる、と思う。誰もこの部屋に入ってきたりせず、私は何も考えられない状態でカレンダーの数字の上で目を滑らせる。
何度も同じ話を繰り返していると、その話が本当なのか、だんだん分からなくなってくる。これは、社会にいる、深い関わりのない人びとに向けての、ただの作り話なのだろうか。本当は、自分はこういう人間じゃないのかもしれない。なんでこんなにたくさん説明しなければならないのだろう?別に分かって欲しいと思っていないのに。
私は放っておいて欲しい。私は生きていたくない。でも生きなければならず、私は混乱し、放って置かれることもなく、伝わることのない説明を何回もしなければならない。
職員が戻ってきて、いくつか説明をする。私は早く帰りたいので聞き分けよく見えるように相槌を打つ。そして、そんな場所に電話したりしないだろう、と思った。あとでなんとなく申し込みされた何かしらの説明会をキャンセルしなければならない。ため息をつくエネルギーもない。私はとっても電話が嫌いだ。
やっと解放されて、私はとてもうんざりした気分で家に帰る。自分の部屋でも落ち着けなかったので、私は現実逃避のために映画を観に行くことにする。
アパートを出て少し歩くと、どこかの家の垣根から、小動物の断末魔の叫び声がした。猫が鼠でも仕留めたのだろうか。
映画はたいして慰めにならなかった。むしろ余計に気が滅入った。あの時間があれば、私はもっと色んなことができたはずなのに。ある程度心に余裕がないと娯楽は楽しめない。そのことは分かっていたはずだが、また時間を無駄にしてしまった。
この時間があれば、私は物語を進められたかもしれない。
絵はなくてもあまり問題がない。絵は、それこそ心に余裕がある時にやることだ。文章はどんな状態でも必要だ。
今書いている長い物語は、私の記憶の中で楽しかったものを抽出して、五万倍くらいにして作り直している。まだ半分くらいしか書けていない。そんなに面白いことがあったなんて意外だ。結末はよく分からない。それなりにハッピーエンドのはずだが、素直な終焉ではないだろう。私はそれを面白いと思えないから。