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後ろから前から

初投稿です。どうぞよろしくお願いします。

「またこれかよ……」

いつも通りの目覚め、いつも通りの時刻。

携帯の画面を見やると、日付は月曜日を指している。

目覚めのアラームが鳴るまで、あと、十五分。


 携帯のアラームを解除し、予定よりも早く起きてしまった自分に苛立ちながらも、まだ重たい眼を擦り、ベッドから立ち上がり軽く身体を伸ばす。

 社畜まっしぐらになって早五年、どんなに疲れた身体でも起きなければいけない時間よりも早く目覚めてしまうスキルを身に付けてしまった。

 こうなってしまったらやることは一つ、ベッドの真横にあるデスクに腰掛け、慣れた手つきでパソコンのスリープ画面を解除し、ブックマークの一覧からとあるページにアクセスする。


 目の前に広がるのは、いつも通りの、だがそれでいて心を躍らせてくれるあの子。


『はい画面の前のみなさんこんばにちわんこー、未来永劫あなたの妹、うしろだよ!』

『きょうはねー、このホラーゲームをやっていこうと思います、どんっ!』

『リスナーのお兄ちゃん、お姉ちゃん達もご存じの通り、うしろはホラゲー苦手だけど、お兄ちゃんとお姉ちゃんが応援してくれてるってわかってるから、うしろ……頑張る、からね?』

 この時間帯には決して相応しくない天真爛漫な声が、パソコンの画面上から流れてくる。


 目の前に映っているのは今をときめくバーチャルアイドル、永劫とこしえうしろ、年齢は内緒だそうだ。

 しかしながら配信中の動画内で話している好きな食べ物、よく行く場所、子供の頃に好きだったゲームなど、様々な発言から鑑みると、恐らく十代後半~二十代前半だろう。


 先程まで眠気と苛立ちと陰鬱な感情が頭の八割を占めていたというのに、画面上の可憐な美少女を見たとたん、まるで先程までの憂鬱さが嘘だったかのように心が晴れていく。これはもう麻薬かもしれない。


『まって、いま変な声したよね?お兄ちゃん、お姉ちゃん達も聞いてたよね?』

『無理だよ、これ以上進めな……あ、今なんか居たぁ!』


画面の前の可憐な美少女は、声を震わせながら必死にゲーム内の怪物に立ち向かっている。

ホラーゲーム実況は、彼女の人気企画のうちの一つだ。


「はぁ……うしろちゃん可愛すぎてムカつく」

心地の良い苛立ちを覚えながら、ふと携帯の画面に目を戻すと、目覚めのアラームが鳴り出すまで、あと一分もないだろう。


「こっちは別ベクトルでムカつくな。なんで朝ってのは平等にやって来るんだよ、少しは多目に見ろっつーの御天道様よォ」

そんな軽口を叩きながら、宇佐見智也(うさみともや)は鳴り出して二秒も経たない携帯のアラームを指で止め、パソコンの画面をもう一度見ながらキーボードでいつも通りの言葉を打ち込む。


「出勤前に見返してるがきょうも可愛いかったぞ()()()。いつも動画配信サンキューな 」


 正直、彼女が自分のコメントを読んでくれているかどうかはわからない。だが、以前に彼女が定期的に行っている生配信中のチャット欄にコメントした時、

『ラビちゃんさんこんばにちわんこー!いつも見てくれてありがとね、今日も全開フルスロットルで配信していっくよーん』


 彼女が自分のユーザーネームを呼んでくれたのだ。

 正直、ファンサービスが丁寧な彼女にとって、自分なんて数万人のファンの中の一人の名前をたまたま読んだに過ぎない、頭ではそう理解している。

 だが、自宅と会社と牛丼屋を行き来するだけの無味乾燥な日々を繰り返していた自分に、彼女は色を付けてくれた。

 ただ名前を呼ばれた、しかもネット上の仮の名前だとしても、彼女が名前を呼んでくれた、それだけで他に理由は必要なかった。


その日から、彼女の動画視聴と応援コメントは出勤前の日課となっている。


『あー、怖かったけど何とか脱出できました!』

『この動画を気に入ってくれたら、高評価、チャンネル登録よろしくね!』

『それじゃあ、後ろから前から、永劫うしろがお送りしました!またねー』


 彼女が動画の終わりを告げると共に、時刻も良い頃合いを指している。


「よし、じゃあ支度するとしますか」

 誰に向けるでもなく独り言を呟きながら、パソコンの電源を落とす。

「今日の動画も楽しみにしてるよ、うしろ」

 愛しい彼女の顔をまだ見ていたいのは山々なのだが、家を出るまであと僅かな時間しか残されていない為、否応なしに身支度に取り掛かる。


 いつも通り顔を洗い、歯を磨き、髪を整え、スーツに身を包めば支度は完了だ。

くたびれたビジネスバッグを手に提げ、踵が磨り減った革靴を履き、家を後にする。

幸いなことに自宅から会社までの距離はそう遠くない……と言うよりかは、入社二年目にして自宅と会社の往復時間の多さに命の危機を感じ、会社の最寄り駅まで二駅圏内のマンションに引っ越しを決意した。

 都心部なのでやはり家賃は少し高めだが、なるべく通勤ラッシュを避けられることと、社畜に許された僅かばかりの休息である安眠時間を少しでも長く取れることには何にも代えがたい。


  少ない電車通勤の時間でも、彼女の応援には余念がない。

携帯を開き、動画投稿サイトで自分で作成した『永劫うしろ 歌ってみた』のプレイリストを開き、再生する。

正直な所、彼女が無料配布している音源をダウンロード済みなのだが、動画の再生回数に少しでも貢献したく、手間ではあるがこうして毎回の如く動画を再生している次第である。


 彼女の曲を数曲ほど聴き終えた所で、電車は目的の駅に到着する。

改札を抜け、交差点の信号待ちをしている間に、見知った相手に声を掛けられる。


「宇佐見さん、おはようございます」

「あぁ、定良(ていら)ちゃん、オハヨー」


 少し低めで気だるげな声の彼女は、定良深羽(みう)。今年からうちの会社に新卒で入ってきた。

あまり話したことは無いのだが、社員研修の時に教育係に任命されたため、さすがに顔と名前と年齢くらいは覚えている。

あとは、機械にすごく疎いこと。

社員研修の時に、まさかこの現代社会においてパソコンの電源の入れ方から教えるとは思ってもいなかった。

 そういう意味で、彼女は他の人より印象的だった。


 そんな事をふと思い出していると、彼女が言葉を発する。


「宇佐見さん、朝早いんですね」

「んー、月曜日は全体会議もあるし、資料も刷らなきゃいけないからねぇ、あとは」

「あとは何ですか?」

「明日の資料、いまいちっつーか、未完成の一途を辿ってるっつーか」

「宇佐見さん、そこは正直に""出来てない""って言ってくださいよ……」

「あ、ばれた?なんなら手伝ってくれても構わんよ?」

「謹んでお断り申し上げます」

「お願いします定良サン、手伝ってください!!」

「仕方ないですね……お昼の刺定で手を打ちましょうか」

「せめて千円以内に納めて頂けると有り難いのですが……」

「なにか言いました?宇佐見さん」

「なんでもないでございますです!!」


 そんな他愛もない会話を続けているうちに、会社に到着する。

 予定外の出費は痛手だが、明日の資料作りの助っ人が現れたことには感謝しなければならない。

 頭の中で財布の残金を数えていたところ、目の前の後輩が問いかける。

「宇佐見さん、一つ聞いて良いですか?」

「なんだい?定良ちゃん」

「昨日は日曜でしたよね、昨日のうちに自宅で資料を作っておけば良かったのでは……」

「それは断じて違うな、俺は何時如何なる時も自宅に仕事を持ち込まない主義なんだ」

「……格好良く言ったつもりかもしれないですけど、全然決まってないですからね?」

「承知しておりますです……」

「まぁ、宇佐見さんの事ですから今日は残業するんだろうなって思ってました。わたし今日はお弁当持ってきてるんで、刺定は明日でお願いします。夕方以降準備できたら声かけてくださいね、それじゃあまた後で」

「ウン、ヨロシクオネガイシマス」

 最早どちらが先輩後輩か区別がつかないような会話を終え、自分のデスクに腰を下ろし、一息つく。

 しかし、定良深羽があんなに明るい子だっただろうかと考えつつ、久々に現実の女性と雑談を交えたことに少しの喜びと焦燥感を覚えた智也であった。


 会議の時間まで暫く時間がある事と、まだタイムカードを打刻する時間にもなっていないので、僅かばかりの息抜きに、永劫うしろのSNSページを開く。

 彼女のSNSは、毎日定刻に投稿される動画の通知、ゲリラ的に行われる生配信の告知などが殆どを占めるため、この時間帯の投稿は滅多に無いはずなのだが、珍しく動画の告知意外の呟きが更新されていた。しかも、ほんの五分前に。


『今日はいつもより早めに動画を投稿します。うしろ』


 普段の彼女なら早めに投稿するときに関して事前告知もないのだが、わざわざ動画投稿の予告を呟いたことに疑問が生じるも、朝から彼女の言葉を読めるだけで多幸感に包まれる方が勝っていた為、呟きの内容には深く気にも止めず、綻びそうになった顔を仕事モードに切り替える。


「仕事終わりまで我慢だぞ、俺」

 誰にも聞こえない様に呟き、仕事に取り掛かる。


  週初めの仕事は問題なく終わり、残すところ明日の資料作成のみという所で、朝の約束通り刺身定食と引き換えに強力な助っ人になってくれた後輩に声を掛ける。

「定良ちゃん、仕事片付いた?」

「お疲れ様です、宇佐見さん。大丈夫ですよ」

「サンキュー、文章はだいたい出来上がってるから、定良ちゃんは画像のレイアウトお願いしていいかな?」

「了解です。給料日前だからって明日休んだりしないでくださいね?」

「そんなセコイことしないわ!男に二言はありません」


 そんな軽口を交えつつ、二人だけになったオフィスの中、互いのキーボードとマウスの音だけが響いている。


 終電までに終われば御の字と思っていた作業だったが、定良の手伝いのお陰でかの有名な恋愛ドラマ枠が始まる時間までには帰れそうだ。俺は見ないけど。

「定良ちゃん、本当に助かった!帰り何か食べたい牛丼ある?奢らせて!」

「その申し出は有難いですけど牛丼前提なら聞かないでください」

「いやぁ、ネギだくでも温玉でもなんでも乗っけちゃっていいからさ!豚汁も頼んでもいいよ!」

「はいはい……じゃあ私、少しだけ化粧直ししたいので、宇佐見さんはゆっくりしててください」


 彼女はそう言いながら、化粧室へと足を運んでいった。


 彼女を待っている間、ふと今朝の永劫うしろの呟きを思い出す。


「そういえば今日は動画投稿早いって呟いてたな」

「まだ定良ちゃんも戻ってこないだろうし、観てみるか」


 何時もなら残業中の誰も居ない社内であっても動画投稿サイトなど観もしないのだが、今日に限ってはSNS不精の永劫うしろが珍しく予告の呟きをしていたので話は変わってくる。


 ポケットから携帯を取り出し、動画配信サイトを立ち上げたところ、永劫うしろのチャンネルページの最新動画のタイトルに、


『いつも応援してくれる皆様に大切なお知らせがあります』

 と、普段の永劫うしろからは想像もつかないようなタイトルが添えられていた。

「なんだこれ、今時流行りの釣りサムネ、釣りタイトルってやつか?」

 いつもの彼女らしくないと思いつつ、再生ボタンをタップする。

 すると、そこには見慣れた彼女が映っていた。


『いつも永劫うしろを応援してくださっている皆様、本当にありがとうございます』

『うしろが今日ここまで動画配信を続けてこられたのは、皆様の暖かい声援あってのことだと心から感じております』

「やけにかしこまった口調にしてくるとは……ここまで手の込んだ釣り動画を作るなんて、リスナー巻き込み型ドッキリ動画ってことか?」

『そこで皆様に、大事なご報告があります』

『私、永劫うしろは配信活動を一時休止することに致しました』

「えっ?」


『配信活動を一時休止することになりました』

『配信活動を一時休止』

『ハイシンカツドウヲイチジキュウシ』


「嘘だと言ってよバーニィ!!!!」

「もう"宇佐見智也終了のお知らせ"ってタイトルの退職願い書こ……」


 かくして俺の社畜人生プラス僅かな彩りは、ただの社畜人生に戻されるのであった。


ここまで読んでいただき、有難うございます。

よろしければ、次回も読んで頂けると幸いです。

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