いつの日か倫敦でご挨拶を
――大正二年 東京
通りの両脇に延々と店舗が軒を連ね、買い物客で賑わう。そんな華やいだ道を私は抜けていきます。
比較的新しく造られた区画だけあって、通りには洋風の建物ばかりが立ち並びます。ぽつぽつと立つガス灯は、昼日中ということもありまして、今はそのお勤めを果たしてはおりません。
ですが、街づくりに携わった方々が、いたく景観に拘ったと見えて、随分と瀟洒な造りをしているものですから。灯りをともさず只立っているだけでも、ずいぶんと目を楽しませてくれます。
尤も、洋風、わけても英国風の文物が、我が国ならず世界を席巻して久しく、決して珍しい光景というものでもありません。
地方の田舎ならいざ知らず、ここは帝都東京であるのですから。とっくのとうに、西洋の先進的な文化は根付き花開いておりました。ばかりか、独自の進化を遂げたと言っても良いでしょう。
我が国はどうも、素直かそうでないかが判然としない国でして。古くから、海を渡ってやってくるモノを抵抗なく受け入れたかと思えば、何故だか自分の国独自のモノにアレンジするきらいがありました。和洋折衷という言葉は、正にその気質を端的に表した言葉でありましょう。
例えばそう、私の本日の装い。赤の着物に紺の袴、これに黒の編み上げブーツを併せ、手には日除けのために菖蒲色の和傘を握っております。
何だ、和洋折衷と言っても、洋はブーツだけではないか。一見すれば、そのように言われかねませんが、実はこの和傘も唯の伝統的な和傘ではありませんでした。
「一昔前は、このような装いをハイカラと呼び習わしたのだったかしら?」
私はちょんと自身の着物の袖を摘まみながら、そのように呟きます。そう確か、私の母が娘の時分には、ハイカラと呼ばれて持て囃されていた筈です。
ですが、それも今は昔、現在では何の変哲もないごく自然な服装となったものです。
などと、物思いに耽っておりますと、ふっと、急に辺りに影が差します。ごうん、ごうんと、お腹の底にまで響くような重低音が空から降ってまいります。
私は手に持つ傘を下ろしますと、柄の部分にある釦を押しました。ぷしゅっと蒸気が噴出したかと思いますと、かたかたかた、小気味良い音を立てながら、傘が畳まれていきます。
仰ぎ見た空には、巨大な物体が悠々と浮かび上がっていました。それは、さながら巨大な卵の化物のようであります。この卵の化物に、随所に巨大な竹蜻蛉が引っ付いているような造形。
いえ、時折噴煙を吐き出す様を見れば、空飛ぶ鯨のような化物と言った方が正鵠を得ているかもしれません。
あれぞまさしく急加速する人類文明発展の象徴――蒸気機械技巧の粋を集めて製作された飛行船です。
飛行船といえば、黎明期においては今ある蒸気機械式だけでなく、水素式の飛行船も存在したらしいのですが、蒸気機械が世に出てからは、一気にその立場を奪われることになりました。
いえ、立場を奪われたのは、何も飛行船だけに限りません。世の多くのものが、蒸気機械にその地位を譲ることとなりました。地上に視線を落とします。
通りの中央に設けられた車道には、もくもくと白煙を吐く車。馬が引く馬車でもなければ、人が引く人力車でもありません。
ゴーンと、一際大きな音がしたかと思いますと、十二の位置で長針短針が合わさった時計台の文字盤がガタガタと開かれ、中から人の娘やらリスやら鳥やらの人形が飛び出して、くるくると回り出します。
ガチャンガチャンと少々小うるさい音を立てているのは、五階建ての建物に設置された外付けのエレベーターです。
これら全てが、蒸気機械を動力として動いているのでした。
今や世界を席巻した蒸気機械、これが発明されたのは、今からおよそ二十年前の英国。まだヴィクトリア女王の治世中であった頃。
この時、一人の天才が現れました。名を、エドワード・ラムゼー。当時、まだ二十過ぎの若者でした。
時計職人の息子として、店を継いだばかりのラムゼーは、当時発明されたばかりの蒸気機関に注目します。彼が特に注目したのは、タービン式の蒸気機関でした。
蒸気タービンとは、蒸気の持つエネルギーを、タービンと呼ばれる羽根車と軸を介して回転運動へと変換する外部機関のことです。
時計職人として、細かく精密な歯車などの部品を手掛けてきたラムゼーの目には、この蒸気タービンが大層魅力的に映ったようでした。
彼は、時計職人として培った技巧を元に、蒸気タービンを動力とした、極めて精巧かつ力強い機械仕掛けの発明品の数々を世に送り出しました。そして、世界は一変することになったのです。
蒸気革命、あるいは、ラムゼー革命と、この変化は呼ばれることになりました。
たった一人で、人類史を百年早めたとさえ言われるラムゼー。
地元英国の人々は彼のことを、賢者を意味するワイズマンと呼び、技術者を貴ぶ独逸では、名匠を意味するマイスターと呼び、ここ日本では何故か、英国での呼び名ワイズマンの頭二文字を取って、ワイ先生、ワイさんなどと呼ばれています。
ちなみに私は心の中でいつもワイ師匠と呼んでいます。口に出すことはありませんが。何故、ワイ師匠という呼び方をするかといいますと、実は私、蒸気機械の製作に携わる蒸気機械技工士になるのが夢であったので。心の師としてそう呼んでいました。
目当ての店に到着しました。本屋さんです。店に入ってすぐの一番目立つ台の上に、一種類の本が平積みにされておりました。表紙には四十ばかりの西洋人の横顔の写真がでかでかと印刷されています。題名は『ワイの全て』。
……確か原題を直訳すれば、『ワイズマン技術大全』とでもなるはずなのですが。どうなのでしょう? まあ、分かりやすい邦題ではありますが。
これは一年半ほど前、ワイ師匠が後進育成のためにと、自らの技術を惜しげもなく記したとされる技術書です。本日、日本でもようやく翻訳本が店頭に並ぶことになったのです。
私は不審者の如く左右に視線を走らせます。近くに知人がいないのを再三確認しますと、平積みされた本の山から、頂点にある一冊を抜き取ります。
そうして本を胸に抱くようにして、そそくさと店主のおられるカウンターへと向かいました。
「いらっしゃい」
私を認めた店主は、しわがれた声を出します。私は手にした本を、そっと店主の方に差し出しました。
受け取った店主は表紙を見て、次いで私の顔をまじまじと見ます。
「……お嬢さんがこの本を読むのかい?」
「いいえ。父にお使いを頼まれまして」
私がそのように返しますと、店主はそれでも観察するような目で私の服装を見やりました。そうして訝し気な表情を浮かべるのです。
「父がパトロンとして援助している技工士のためにと、買い与えるそうなのです」
「ああ、なるほど……」
ようやく店主は得心顔になりますと、本の会計に移ってくれました。私はほっと胸を撫で下ろします。
「三円二十銭だよ」
私が五円札を差し出すと、店主は『どうも』と言って、お釣りを私の手に握らせて、本を紙袋の中に入れてくれます。私は手早くその袋を受け取るや、またしてもそそくさと店を後にしました。
それから先のことは余り覚えておりません。どのようにして家路に就いたのやら。ついに『ワイの全て』を手に入れた興奮から、平静ではなかったもので。
まあともかく、どうにかして、家路に就いた私は、『勅使河原』と表札のある門扉を抜けて、庭師の手入れの行き届いた庭も抜けて、邸の勝手口からこっそりと入ったのですが……。
「あら、お嬢様。お出掛けだったのですか?」
折り悪く、女中の一人に見咎められてしまいます。
「ええ、ちょっと……」
私は言葉を濁しながら、その女中の横を抜けました。足早に自分の部屋へと向かいます。そうして、購入した本を紙袋ごと、お布団の中へと潜り込ませました。当座の隠し場所として。
……世間の考えでは、女性が技術職につくことに否定的な風潮があります。ましてや、勅使河原子爵家の娘ともなれば尚のこと。
蒸気機械技工士は、世間で低く見られる職業ではありません。むしろ、高い評価を受けるでしょう。しかし、華族の出の者が就く仕事とは考えられておりません。華族の役目としては、技工士になるのではなく、技工士のパトロンになる方が真っ当な在り方でしょう。
ですが、それでも私は、蒸気機械技工士になりたいという密かな夢を抱いておりました。
その夢の切っ掛けは、私が十歳の時に帝都美術館で開催された『ワイ展』にありました。お父さまに連れられて行った『ワイ展』で私は、蒸気機械の美しさに魅せられたのです。
展示されていた蒸気機械の内部構造は、これでもかと無数の部品によって構成された複雑なもの。
にもかかわらず、唯一つの無駄もない。過不足なく、在るべきものが在るべき場所に収まっている。その全てが見事に調和し、連動している。そんな見事な機能美に、素人目でも圧倒されるまでの美しさを感じさせられたのでした。
以来私は、自分の手でその美しさを再現したいという思いに囚われているのです。
一先ず『ワイの全てを』を自室の寝台に隠した私は、平静を装って午後の予定を消化していきます。
しかし、実際には平静には程遠く、気がそぞろになっていたようで。
通いのお琴の先生に教わっている時、夕食時家族と団欒している時、先生やお母さまから『今日はいったいどうしたのか?』と、問われる始末でした。
夕食も済ませ、夜も更けていき、入浴も済ませました。後は自室の寝台に潜り込んで眠るばかり。ようやく、『ワイの全て』に目を通す機会が巡ってきました。
小型のランプに火を灯しますと、部屋の灯の方は消してしまいます。寝台に入ると、すっぽりと頭の上まで布団をかぶって、その中にランプを引き込みます。万一にも灯を漏らして、事が露見しないように。
とくん、とくんと、胸が高まります。私はついに『ワイの全て』の表紙を捲りました。食い入るように記された文字を目で追っていきます。
中身は、翻訳された日本語でありますし、分かりやすいよう所々に挟まれた図解もあります。それなのに、まるで異国語で記された本を読んでいるような心地になります。
専門書だけあって、とても難解でありました。一度読んだだけでは理解が追いつきません。なので、同じ頁を一度、二度、あるいは三度と根気強く読み返します。そうして何とか噛み砕いて自分の中に落とし込みますと、次の頁へと移る。
私の中にある情熱がために、困難さの前に心折られるということはありません。しかし、読み進めるのが遅いあまり、まだ然程読めていないのに、時間ばかりが過ぎていきます。また比例するように、肉体的には疲れと眠気が蓄積されていきます。
どれほど時間が経ったことでしょう? もう夜もとっぷりと深くなり、誰もが寝静まる時間であるのは疑いようもありません。
先を読み進めたい気はあれど、うつらうつらと睡魔に引き込まれます。瞼が重く、ともすると深い眠りに落ちてしまいそうになる。
それでも読み進めようとはしましたが、ついには限界が訪れ、瞼を閉ざしてしまったのでした。
『――――君。――河原。勅使河原君』
自分の名を呼ぶ声に、目を開きます。その声がする方を振り返り、『あっ』と、思わず声を漏らしました。
視線の先には、『ワイの全て』の表紙を飾る写真と同じ顔。そう、彼のワイ師匠がいたのです。
「やあ、こんばんは、勅使河原君」
「こ、こんばんは」
この段になって、どうやらこれが夢らしいことに私は気付きました。突如目の前にワイ師匠がいることはおかしなことですし、何より彼が日本語を話していることが決め手でありました。ワイ師匠が日本語を操るなど、聞いたためしもありません。
「これは、君の手掛けたものだね、勅使河原君」
そう言って、ワイ師匠が掲げて見せたのは、蒸気機械式の和傘でありました。私が普段使いしているものではありません。ワイ師匠の言う通り、私がばらした市販品を手本に自作したものです。
思わず顔が紅潮してしまいます。碌な知識もないまま作ったそれは、真っ当に作動しない失敗作であったので。
「まあ、何だ。勉強不足と言わざるを得ないね」
夢の中とはいえ、尊敬するワイ師匠に酷評され、私は俯いてしまいます。
「ああ、落ち込むことはない。誰でも最初はそうだ。それに、君の手掛けた傘には見るべき所もある」
「えっ?」
私は思わず顔を持ち上げて、ワイ師匠を見詰めます。
「技巧は未熟なれど、一つ一つの仕事は丁寧だ。日本人らしさだな。彼の国の職人は皆、丁寧な仕事をする」
「本当……ですか?」
「本当だとも。然るべき知識と技術を身に付ければ、君は技工士になれるかもしれない。……しかし、真に一流になりたければ、本場倫敦を訪れないとね」
その言葉に目の前が真っ暗になる心地を味わいます。
「そんな……。本を買うのでさえ隠さないといけないのに。留学だなんて……」
「何だね? 世間の常識やご家族が許さないとでも?」
私は無言で首肯します。
「つまらないことを言うのは止めたまえ。君、蒸気機械の中身は何でできていると思うのかね?」
「えっ? それは、蒸気機関と歯車などの部品で……」
「ちっち! 違うな。君、蒸気機械の中身は浪漫でできているのだよ! 浪漫の前では、下らない因習などどれほどのものだろう! ……ああ、夜が明けるな。お別れの時間だ」
その言葉と共に、ワイ師匠の輪郭がぼやけていきます。
「わ、ワイ師匠待って……!」
「勅使河原君! 君が真に蒸気機械技工士になりたくば、浪漫を追い求めたまえ! 常識などに囚われるな! ……倫敦に来ることになれば、是非便りをくれ給え」
「……ワイ師匠!」
ばっと体を起こします。布団がばさりと寝台から落ちました。カーテンの引いた窓からは、眩しい朝日が漏れ差します。
「夢……」
私は視線を下げます。そこには、本の表紙に写されたワイ師匠の横顔。
「……ワイ師匠、いつの日か必ず、倫敦でご挨拶させて頂きます」
現実に叶うかは分からない。それでも私は本気でそう呟きました。
いつの日か、ワイ師匠のいる倫敦に留学する。そう決意した十五のある日の朝でした。