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走り出したら  作者: 肉団子
5章
98/124

あけましておめでとう



 十二月は師走というが、走ったと思う間に年が暮れた。

 気付けば冬休みに入っており、年賀状も出してしまい、すっかり世間も年越し一色に染まっていた。サンタが来なくなって以来、特に何をすることもなかったが、クリスマスも知らない間に終わっていた。

 かろうじて高梨の出演するクリスマスライブに足を運んだことがイベントらしいイベントだったが、果たしてあれが何日のことだったのかも定かではない。終業式だったような気もするが、その前後と言われればそんな気もする。まさしく前後不覚のうちに、今年は別れの支度を整えた。

 俺も今年を追い立てるように、大掃除を任されていた。玄関先の側溝とベランダ周り、それから風呂の天井の三箇所は、無条件で俺の担当と決まっている。受験が考慮されたのか、今年はこれ以上に頼まれることはなかったけれども。

 まだまだ余裕があると思っているうちに大晦日になっていて、俺は慌てて玄関先の掃除を始めたのである。

 カバーの鉄板を上げて、積もった落ち葉を取り除き、ホースで水を撒いて土を流す。

 完全に日取りを間違えた。冬休み初日がやけにぽかぽか陽気だったせいで、こんな日には日光浴でもするかとベランダ掃除をした。しかし今日は最高気温が十度を下回っているという。くわえて曇天だった。跳ね返る水飛沫が痛い。慎重に作業をすすめたせいで、芯から体が冷えてしまった。ホースを絞っていた指先は感覚を失っている。

 濡れた服を脱ぎ捨てて風呂へと直行した。シャワーを浴びて体を温めながら、天井を拭いていく。黒かびを取るにはなにか薬品を使うべきなのではないかと疑いながら、年に二回ほど筋肉痛になるまで天井を磨かされていた。

 ぴかぴかになった頃には、すっかり身体が温まり、息が乱れるほど疲労していた。

 この寒暖差でうっかり風邪でも引いたら馬鹿みたいだ。

 俺はさっさと風呂を出て、のんびりと一年の締めくくりを過ごした。



「帰りは何時かわからないから」

「はいはい」

 数年変わらぬ年内最後の会話を母とかわして家を出た。冷え込みはいっそう厳しくなっていた。

 数歩も歩かないうちに、耳と鼻が急激に冷たくなっていく。ズボンのポケットに手を突っ込みながら、下半身の重ね着を真剣に考えた。以前スキーに行ったときに穿いたタイツを日常的に使うのはいささか抵抗がある。

 さらに体温を奪おうとばかりに、強い風が俺を襲った。スナック店のシャッターを激しく揺らす。しんとした夜の街に、虚しく木霊する。

 夜空の星は鋭く瞬いている。ぼんやり見上げながら、鼻をすすって息を吐く。白い空気は、風にかき消されてしまった。

 通りは年に一度の静けさに沈んでいる。大通りの信号はまったく無駄な交通整理をこの年の瀬にも続けていた。

 背中を丸めるようにして、足早に待ち合わせの駅へと急いだ。

 繁華街へ近づくほど賑わうのは変わらないが、やはり年末はいくらか寂しい。約束していた喫茶店には、もう俺以外の全員が、千佳と誠、内田、高梨の四人が揃っていた。

 軽く雑談をしてから外に出るとき、時計を確認すると今年も残り一時間を切っていた。

 からかうような調子で、高梨が言った。

「遠野よぉ、本当に天神さん、行かなくていいの? 付き合ってやるよ?」

「神頼みっていうのは、不安を誤魔化すためにするものだよ。そして、俺に、不安はない」

「聞いたかァ今の。なんで一言ずつ区切るの? バカか?」

「ようやく気付いた? 頭良いと思われがちだけど、誠はバカだぞ」

「まあバカかはともかく」

 俺の言葉をさらりと受け流して、誠は眉とまつ毛をこれでもかというほど離して俺のほうへ顔を向けた。「進路が決まってないのは、俺とおまえだけだ」

「え……」

「そして、俺は、まだ受けてない」

 つまり落ちた間抜けは俺一人ということである。

「やなこと聞いたー……」

 天を仰いで顔を覆った俺に、千佳が悪戯っぽく言った。

「付き合ったげようか、天満宮」

「行かない。人ごみ苦手だもの……」

「ふうん」

 じっと俺の反応を観察するようにしてから、千佳は小走りで前を歩く誠たちに追いついた。入れ替わりに内田が下がってきた。

 着膨れして丸くなり、マフラーに口元を隠しているので、達磨のようだった。

「内田それ、着込みすぎじゃない?」

「黒沢くんが薄着すぎるんだよ」

「ん、まあ、そういう見方もあるな」

「どこ行くんだっけ」

「まずは寺。鐘撞くぞ、鐘」

「私、はじめて」

 高梨の先導で向かったのは近所の寺だ。名前ははて、どこに書いてあるのかも知らない。

 周囲はすでにビルが建ちならび、すっかり取り残されたように、しかし超然と佇んでいる。普段は人の気配がまるでしないが、開け放たれた山門の内外には、知り合いと語らう群れがあちこちにできている。

 こんなところを訪れるのは地元の人間だけなのだ。物珍しげに周囲を見ている、内田や誠こそが珍しい。

 山門から仏殿まで石造りの道が続いている。中間辺りに篝火が焚かれ、さらにすこし右手に外れると、卒塔婆を燃やす炎が上がっている。そこでは甘酒が振舞われていた。

 俺たちは反対側にある鐘楼へと向かう。仏殿左手の空間には真っ暗闇ににょきにょきと墓石が並んでいる。誰のものかも知れない墓の道を抜けて、梵鐘を撞き鳴らす。

 ごぉんとやかましいのに、不思議と落ち着く音である。

 恒例だからということで、甘酒を飲むことになった。紙コップになみなみと注がれた甘酒を受け取ると、凍った指先がじんとほぐれていく。

 卒塔婆の炎を遠巻きにしながら、ちびちびと飲む。熱さのせいか味のせいか、内田はしきりに舌を出す仕草をする。

「今年は暖冬だと思ってたのにな」

 千佳が残念そうに呟いた。誠が意外そうに、

「中原は寒くないほうが好きなの?」

「まあね。寒くない冬と暑くない夏が良い」

 常春の国ってあっただろうか。そもそも国の名前をあまり覚えていない俺は、考えるだけ無駄だと悟って、甘酒を啜りながら炎を見つめる。

 確かな熱を放ちながら炎は揺らめく。眩しいけれども、優しい輝きだった。一瞬も同じ姿でいることはなく、常に変化しながら燃え盛る。切れ端のような火の粉が、風に巻き上げられて闇夜に消えていく。

 ふいに、ホームレスのことを思い出した。焚き火の向こうに見た彼は、いまどこで何をしているのだろう。野宿をするよりは、よほど上等な生活を手にしているはずだ。

 会いたい、とは思わない。実に勝手な感覚だけれど、彼では穴埋めにならないと、俺が知っているからだ。

 穴? 父親不在の?

 俺はいまだにそんなことを気にしているのだろうかと怪しんだ。もちろんそれとまったく無関係に人格は形成されていないけれども、そんなことに固執せねばならないほど、繊細な作りをしているだろうか。

 背後の闇に飲み込まれるような気分を覚える。

「黒沢くん、それ飲まないの?」

 内田の声に、肩が跳ねた。

「それ?」

「甘酒」

「欲しいならあげるけど」

「じゃ、もらう」

 指を滑らせて上部を摘むように渡すと、内田は両手で受け取った。こくこくと喉を鳴らして飲む。

「今何時?」

 俺の質問に、誠が携帯電話を取り出して答える。

「十二時二十分。あけましておめでとう」

「あ、そう。おめでとう」

 三十秒ほどの感覚をあけながら、鐘は撞かれ続けている。単純に考えて一時間もあれば一〇八回など超えるわけだが、毎年十一時ごろから深夜二時ごろまで、入れ替わり立ち代り一撞きしていくのである。人の数だけ煩悩はあるらしい。

「あれ、もう年越してたの。今年もよろしく」

 紙コップを捨てに行っていた千佳が戻ってくる。「それじゃあ初詣に行こうか。麻衣、それ飲み切ったらちょうだい」

 促されるように飲み干すと、内田は紙コップを千佳に差し出した。

 外へ出たところで、

「おう、高梨ぃ!」と野太い声がした。

「やっぱり黒沢も一緒か」

 隣にいた女子が笑いながら言った。他にも数人見知った顔が並んでいる。小中と同じ学校だった連中だ。

 新年の挨拶と、簡単な近況報告を済ませ、誠と内田の二人を「高校の同級生」と紹介して、あとは適当に退散した。どうせ入れ違いだったのだから、わざわざ待つほどのこともない。

「そういや二人は、地元の初詣とか良いの?」

 おそらく臨時ダイヤであろう電車を見送って訊ねた。

 誰が言い出して、どういう経緯を辿ったかはすでに去年の忘れ物だが、いつの間に今日の予定は立っていた。

 だいたい誰でも、年末年始は決まりきった行動を取っているように思う。

「私はどうせ、家で寝てるから」と内田。

「妹が絶対来るなって。すれ違ったら一年無視するからって」と、誠。

「誠って案外妹可愛がってるよな」

「そうだよ。それがあのガキぃ……反抗期だよ、反抗期」

 悲しげにため息をつく。千佳が慰めるように背中をさすった。

 骨身に凍みる寒さを避けるように、できるだけ裏道を歩いた。風が大人しくなるだけで、ずいぶんとマシになる。小さな個人商店にはいちいち年末年始の休業を詫びるビラが貼ってあった。

 ちらりとも車の見えなかった信号を律儀に守って、まっすぐに進むと神社が見えてくる。

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