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走り出したら  作者: 肉団子
5章
93/124

屍のようだ



 炬燵に五人はやはりきつい。胡坐をかくせいで、膝の裏に汗をかいていた。

 六時過ぎごろから集まり始め、途中コンビニで夕食を済ませて、意外なほど真面目に勉強をしていた。勉強する必要がなさそうな高梨も「全教科平均以上」を目標に掲げているが、そろそろ飽きてきたらしく、本棚の物色を始めた。

「エロ本ないの?」

「あっても言うかボケ」

「んだよー」

 参考書に目を落とす。文型がどうとか、構文がどうとか、英語のくせに日本語からして理解しづらいのはどうにかならないのだろうか。

 解説を読み、例題を解き、小問を解いて答え合わせをする。果たしてこれで良いのだろうか。ちらりと誠を見ると、まるで雑誌を眺めるような優雅さで歴史の教科書を読み、時折される質問にすらすらと答える。本当に同じ学校に通っているのか疑わしい。

 すぐ右手側に座っている内田が、そっと頭を寄せるようにして囁いた。

「あるの?」

「なにが……ないよ」

 いや、ある。文化祭で売れ残ったエロ本を、いくらか持ち帰っていた。全部売り切れたら花火代を賄って余りあるはずだったのに、想定よりも早く生徒指導の島田に見つかったのである。

 文化祭のことを思い出すと、炬燵の中で触れている内田の足が気になってしまい、こっそりと距離を取った。

 明後日の試験は、三科目行われる。国語と英語、それから選択一科目。国語は古文が少し苦手だがおおむね問題はない。選択はとりあえず数学にしておいた。これが一番マシだから。だから勉強は英語に集中すれば良いのだが、目がしょぼしょぼするばかりで、捗るということがない。

 強く瞬きをし、揉み解す。そうして騙し騙し勉強を続けていると、ドアがノックされた。返事をする間も無く、無神経な音を立ててドアが開いた。見ずともわかる、母だ。

「なに」

 意図せず声が不機嫌になる。

 対して母は、よそ行き用のトーンだった。

「蜜柑、みんなで食べて」

 笊一杯の蜜柑をどんと炬燵に置く。小粒だが色艶は良い。

「こんなにたくさんどうしたの」

「和歌山の梨田さんから」

「ああ……」

 母は嵐のように去っていった。

 せっかくの差し入れである。別に食いたくもなかったが、ひと粒剥く。そうしないとみんな食べづらかろうと思ったからだ。

「今のって黒沢くんのお母さん?」

「そうだよ。姉に見えた?」

「ううん、似てるね」

「あ?」

 親と似ているということにナーバスになっているのか、出てきた声音は低かった。

「なんというか雰囲気が。そう思わない?」

「ああ、わかる」と、高梨が漫画を読みながら返事をした。

 似てないと反論したかったが、嫌な前例を見てしまったばかりということもあって自信がない。ひょっとすると似ているのではないかと不安になる。すくなくとも、姉よりは俺のほうが似ている部分が多々あった。

「この前、母親のアルバム見てたらさ――」

 ひとしきりどこまで遺伝するのかという話題で盛り上がり、俺たちは勉強に戻った。蜜柑を食い、シャーペンを動かす。蜜柑の思わぬ効果か、めっきり口数が少なくなった。

 ふと見れば、内田は横になっていた。いつからだったのか思い出せない。しかし前後を考えてみれば、ハゲが遺伝か否かで盛り上がっていた頃だろう。女子にしてみればつまらない話題だったろうが、しかし俺たち男には死活問題である。

 俺も欠伸をひとつして時計を見る。十二時を迎えようとしていた。

「おまえら何時までうちにいるの」

「ああ、もうこんな時間か」と、誠が時間を確認して言った。

「キリの良いとこまで待って。ねえ遠野。ここってさっきと一緒?」

 千佳はノートをすべらせながら、髪が触れるほどの距離に顔を寄せる。何気ない仕草のうちに、二人が付き合っているのだという実感が湧いた。今さらながら、である。

 十分ほどしてキリがきたらしく、問題集をパタンと閉じた。すっかり読書に夢中だった高梨も、出しっぱなしの漫画をいそいそと片付ける。高梨は性格に似合わず、整理整頓はきちんとする。出版社ごとだったり、作者ごとだったり、高梨の本棚は時折整理しなおされる。「マメだからな」と胸を張るが、定期試験の前にそれが行われていることを、俺は知っている。

 そういうわけだから、少なくとも本棚をひっくり返されて困った経験はない。安心して任せておき、机の上を片付ける。

 内田の筆箱に筆記具をなおしてから、本人の肩をたたいた。

「おーい、内田ぁ。起きろー」

 返事はない。屍のようだ。「もう終わったぞー」

「んっ!」

 強めに揺すったら、威嚇のような唸り声と共に腕を払われ、内田はまた穏やかな眠りについた。もにゅもにゅと顎を動かして、寝息を立てている。

「あー、駄目よ。麻衣って一回寝ると全然起きないから。修学旅行でどこまで起きないかって試したけど、これ以上は怪我するなってとこまではぐっすりだったから」

「えっ、じゃあどうすんの、これ」

「どうって……ここに泊めてあげれば? 麻衣の家には私が電話しとくわ。うちに泊まるって」

「いやいや、じゃあ、おまえの家に連れてってくれよ」

「えー……」

 千佳は頬に手を当てて、しばらく考える風をする。「嫌」

「嫌って。なんで」

「女子には色々あるのよ」

「じゃあ誠でいいよ。家近いだろ」

「俺に背負っていけと? 無理言うなよ」

 情けないことまで自信満々に言うのは何故なのだろう。

「だったら俺が背負って行くから」

「っていうかさ」

 千佳は俺を挑発するように目を細めた。「ここに泊めてあげて困る理由でもあるの?」

「うっ……いや、それは……」

 彼らが断ったのと同じぐらいの、あやふやな根拠である。

 たった一言で、なにを口にしても自らの首を絞めそうな状況に追い込まれた。いきおいみんなの視線までも、どこか俺を推し測る鋭さを備えているように思えてきた。

 泊めて困る理由などない。ただなんとなく男の部屋に女が泊まるということへの、倫理的抵抗感があるだけだ。何もないのなら、問題はないのではないか……? 問題があるということはつまり、邪な考えがあると白状するわけで。物質的には布団の問題があるが、寒風の吹く夜道を眠った内田を背負って行くことよりは、俺が炬燵で我慢するほうがずっとマジと思われた。

「わ……わかった」

 肯くと、千佳はしてやったりとばかりの笑みを浮かべた。そっと屈んで内田の髪を手で梳いた。

「風邪引かせないようにね。あんたと違って繊細なんだから」

「わかってるよ」

 ぶっきらぼうに答える。

 誠は事態をどう整理したのか、いつも以上に無表情に俺と内田の間で視線を往復させていた。

 ゴミを持って帰るという誠に、玄関でコンビニ袋を預けた。一足先に外へ出た千佳と入れ替わりに入ってきた空気は、痛いほど冷たい。内田を連れ出さなくて正解だったかもしれない。

 極めて紳士的に自分の選択を正当化していると、心中を見透かすように、高梨が俺にだけ聞こえる声で言った。

「ヤるなよ」

「するかよ」

 最後まで意味深な表情を向ける三人を追い返して玄関扉を閉めた。夜の空気がわだかまっている。

 少しの間だけ考えて部屋に戻る。

 しんとしていた。ずっと騒がしかったわけでもないのに、三人が抜けただけで、不思議なほどに静かになった。

 内田はすやすやと眠っている。

「おーい、内田―」

 もう一度声をかけてみる。しかしやはり反応はない。

 そっと内田の柔らかい頬に手を触れると、心臓が跳ねた気がした。唾を飲みこむ。そっと丁寧に、しかしあわよくば起きてくれという乱暴さで、内田を炬燵から引き出したが、ちっとも目覚める気配はない。

 内田の体には何度も触れているけれど、今日は一段とふにふにしている。まったく無防備なやわかさだった。

 しばし呆然と、内田を眺めてしまう。キュロットスカートから生脚がのぞいている。上衣はシャツと、半分脱げた白いパーカー。脇にはカーキ色のコートが畳まれている。化粧っ気はないが、ハーフアップに編んだ髪は可愛らしい。

「顔も可愛いけども」

 聞かれてもいないが、言い訳が口をついた。

 それこそ変な気を起こしそうで、俺はつとめて真面目にパーカーを脱がせた。それからそっと抱えてベッドに運ぶ。思ったよりも軽くは無かったが、快い重さだった。

 慎重に寝かせて布団をかぶせると、もぞもぞと土にもぐる動物みたいに、顔を半分まで埋めて、規則正しい寝息を立て始めた。

 パーカーを畳んでから、コートをハンガーにかけた。そうして保存するのが正しいのかは知らないが、少なくとも学ランはそうして吊るしているのである。

 それにテレビではスーツやコートをまとめてかけてあるのをよく見る。間違いではないはずだ。

 上着もだいたいは薄手のもので済ます俺は、すべて畳んで箪笥に仕舞ってあるけれど。子供は風の子だと信じて、というか信じさせられていた結果だが、しかしいい加減寒さにも弱くなってきた。大人になりつつあるらしい。

 くしゃみをひとつして、風呂に急いだ。


          ○


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