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走り出したら  作者: 肉団子
5章
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二重螺旋の因縁

 いや、いるはずはない。三十年は昔の写真だ。しかしさっき切り抜いた証明写真と瓜二つの男子生徒が、パリッとオールバックに決めてカメラを見据えている。縮尺の関係もあろうが、ほとんど同一だった。

「まさか」

 思考が声になる。名簿と見比べる。三段目、左から五番目……。一字も違わぬ父親の名前。

「なあ、これ――」

「なに?」

 母を呼ぶ。立つのも億劫だというように、はいはいで近付いてくる。「あんたはまた、そんな物引っ張り出してぇ」

「これってさ」

 俺と同じ顔を指すと、果たして母親は、

「あら、お父さん。そういえば同じクラスだったわ、懐かしい」

「すっげえ似てるんだけど」

「だからそう言ってるでしょうが。遺伝子って怖いわあ」

「ほんっと、怖いわ」

「顔だけならまだしも、どうして怒り方まで似るんかねえ。修一、あんた、お父さんと会ったとき怒らせてるの?」

「あんまり。ああでも、一回だけすっげえ怒られた」

 その記憶を手繰ろうとした刹那に、ふと気がついたことがある。

 母は離婚して以来、三度ほどしか父親に会っていないはずである。祖父の病床と、小学校最後の運動会に姉弟で一度ずつ。

 最初などは離婚したばかりのことだろうから、それほど違いはないだろう。だとするとおよそ十五年前から、母の記憶の中の彼は歳を食っていないのだ。

 いつから付き合っただの結婚しただのと聞いたことはないが、同級生だった当時から結婚生活が破綻するまでの十年ほどの、二十代の頃の父親しか母は知らないことになる。

 成長期を終えて、そっくりに似てしまった俺と、母の記憶の父が重なってしまっているのだ。

 だから……というわけではない。この目で証拠を見てしまったのである。母が「そっくり」だと言ってぎょっとするのも、致し方ないと諦めるしかないように思う。

 アルバムを片付けて自室に戻ったが、勉強する気にはなれなかった。窓を開ける冷たい空気がすべりこんでくる。

 俺と父親はいやというほど似ているらしい。

 だとすれば、三十年も経てば彼と同じ顔貌になるのだろうか。煙草を吸ったりするのだろうか。結婚し、子供を作ったうえに離婚して、子供からなんと呼べば良いのかと、悩まれたりするのだろうか。

 まったくもって想像がつかない。なにより俺は父親の内面をほとんど知りはしないのである。たまに会ったって、だいたいは学校の話を聞かれて、雑談をして遊んで、それで終わりなのだ。

 二重螺旋の因縁は、人間をどこまで縛りうるのか。

 見果てぬ未来を見定めようとしているのか、細胞に眠る自分の過去を覗いているのか、その向こうにいる父祖に思いを馳せているのか。おそらくはその全てである。

 しかしそのどれもが茫洋としている。確かな輪郭はなく、整然ともしていない。心の底のほうに、澱のように積み重なっている。

 さしあたって考えるべき将来でさえ、探そうとすれば澱みが攪拌されて何も見えなくなるようだった。



「えーっと……将来は宇宙飛行士になりたかったンですが……なあ、加藤よぉ」

 ディスプレイから目を離し、隣に座っている加藤に視線を向ける。あろうことか雑誌を読んでいた。「ん?」と無邪気そうに反応するのが腹立たしい。

「これはマジなの?」

「大マジだったよ」

「……へえ」

 人は見かけによらない。耳にピアスが光り、茶髪の毛先が遊んでいるチャラついた男にも、宇宙を夢見た時代があったらしい。そして現代っ子の権化のような彼が、パソコンに弱いというのもまた意外である。

 夏休みの宿題に出された「卒業文集」を、わざわざパソコンで入力して提出という、二度手間をさせられた。そのうえパソコンが苦手だからとほったらかしにしていた加藤に「締切りなんだよぉ」と泣きつかれてしまった。

 受験が近いからと断ろうとしたのだが、あんまり必死に頼むのを見捨てるのもかわいそうで、放課後の図書室に来る羽目になった。

 俺の悪い癖である。押しに弱い。ひどく弱い。自覚があるからどんな些細な頼みであれ、とりあえず断るようにはしているのだが、重ねてお願いされると、すぐに首を縦に振ってしまうのだ。加藤がそれを見越して頼んできた、ということはないだろうが。

 図書室にはノートパソコンが八台、デスクトップが四台、窓際の席に配置されている。加藤のように後回しにした連中が、慌てて課題に取り組んでいた。

 目の前の視聴覚室から、ギターやベースのジャカジャカとした音が響いてくる。実に読書がしやすい部屋だ。

「じゃあさ、将来なりたいものってあんの? 今は」

 文字列を機械的に打ち込みながら訊ねる。カタカナの使い方に癖があって、変換に手間取る。

「なりたいものって言うか、普通に大学行って、どっか適当に就職する予定」

「へえ……ちゃんと考えてんだなあ」

「これ考えてるって言うか?」

「俺はほんと、何にも無いからなあ……」

「意外だな、それ。あ、そこァだよ。ちっちゃいァ」

「姑かてめー。こだわるなら自分でやれよ」

「そういう話じゃないじゃないっすかー」

 修正をする俺の肩を、加藤が揉んだ。

「っていうかおまえ、イマドキ大学での課題提出はほとんどパソコンらしいぞ、卒業できるのかよ」

「あー……春休みに覚える」

「その気持ちをあと半年早くもって欲しかったなァ」

 文句を言いながら作業をしていると、部屋に飛び込んでくる楽器の音が、にわかに大きくなった。ドアが開いたらしい。

 誰か来たのかと思って、ほとんど反射的にそちらへ視線を向けると、元野球部の山本がいた。元であるはずなのに、頭は綺麗な丸刈りである。

 気を取り直して作業に戻った。キーボードを叩きながら、画面と原稿を往復する視界の中に、学ランの裾が入り込んだ。

「お、いた。なあ黒沢」

 底抜けに明るい声である。図書室という場所を考えない大きさと、少し嗄れた感じが実に運動部員という感じだ。

「なに」

 顔も見ずに返事をする。加藤の作文はもう終盤である。とっとと終わらせたい。

「黒沢って暇か?」

「見て分からないか?」

 加藤が慌てたように否定する。「今忙しいだ。俺が借りてる」

「今日じゃなくて明日」

「ああ、なら良いや」

「よかないよかない」

 なんでおまえが勝手に返事してるんだ。

「明日さ、野球部の引退試合なんだよ。出てくれないか?」

「……あ?」

 最後の一段落を残して、俺は顔を上げた。山本は両手を顔の前に合わせて、拝むように頭を下げている。

「野球部の引退試合なら、おまえらだけでやりゃ良いんじゃないの?」

「いや、そうじゃなくってさあ……なんて言うの? 壮行試合? みたいなやつなんだよ。三年対一・二年でやるから、三年の人数が足りなくってさ。三年から補充しないといけないの」

「へえ、大変だなあ」

 同情してやって、作業に戻る。あとすこしだ。

「だからお願い!」

「いやお願いったってなあ……俺だって受験あるわけだし。っていうか、なんでそもそも俺なわけ?」

「だっておまえ、運動神経良いだろ」

「おいおい山本君。俺そういうこと言われても、普通に嬉しいタイプの人間だぞ?」

 この時点で断る気持ちは半分を切っている。ほとほと自分の付き合いの良さに嫌気がさす。しかし一週間もしないうちに入試である。そんなことばかりも言っていられないのだ。

 雑音に満ちた図書室で、静かに睨み合いが続く。腕組みをしてむっつりと考え込む俺と、返事を待つ山本。それから呑気に雑誌を読む加藤。

 まあ一試合付き合うぐらい……いやいや、そんな義理もないのだ。

 別段張りつめてもいない空気を破ったのは、

「あっ、いたいた。修ちゃん」

 という千佳の声だった。

「んだよ、揃いも揃って図書室まで来やがって」

「え? どうして私怒られた?」

 戸惑いがちに周囲の顔を確認して、問題ないと判断したのか話を続けた。

「あんた今度の日曜、受験でしょう? だから勉強会でもどう? 修ちゃんの家で」

「なんでうちなんだよ」

「遠野の家は妹さんが受験だし、麻衣の家はほら、今あれだし。高梨の家は無理って言うから」

「千佳のとこは?」

「嫌」

「えー……」

 あまりにも理不尽で、しかし明確な理由だった。けれども付き合いは長い。それが照れ隠しであるということは手にとるようにわかる。俺の学力を危ぶんで、付け焼刃でも誠に教えてもらえということなのだろう。

 そういう裏を考えてしまうと、断るにも断れない。

「明日の放課後? 何時くらい?」

「学校終わってからすぐでも良いけど。修ちゃんの都合もあるでしょ?」

「おお、あるある」

 と、山本がはっとして割って入った。「明日は引退試合に出てもらうから」

 こいつといい加藤といい、よくもまあ堂々と主張できるものである。

「そう? じゃあその後で」

 俺の頭越しに、そういう運びとなってしまった。

 嵐のように二人が去ったあと、「えー……」と漏らすしかできない俺を、加藤は優しく慰めてくれた。

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