二重螺旋の因縁
いや、いるはずはない。三十年は昔の写真だ。しかしさっき切り抜いた証明写真と瓜二つの男子生徒が、パリッとオールバックに決めてカメラを見据えている。縮尺の関係もあろうが、ほとんど同一だった。
「まさか」
思考が声になる。名簿と見比べる。三段目、左から五番目……。一字も違わぬ父親の名前。
「なあ、これ――」
「なに?」
母を呼ぶ。立つのも億劫だというように、はいはいで近付いてくる。「あんたはまた、そんな物引っ張り出してぇ」
「これってさ」
俺と同じ顔を指すと、果たして母親は、
「あら、お父さん。そういえば同じクラスだったわ、懐かしい」
「すっげえ似てるんだけど」
「だからそう言ってるでしょうが。遺伝子って怖いわあ」
「ほんっと、怖いわ」
「顔だけならまだしも、どうして怒り方まで似るんかねえ。修一、あんた、お父さんと会ったとき怒らせてるの?」
「あんまり。ああでも、一回だけすっげえ怒られた」
その記憶を手繰ろうとした刹那に、ふと気がついたことがある。
母は離婚して以来、三度ほどしか父親に会っていないはずである。祖父の病床と、小学校最後の運動会に姉弟で一度ずつ。
最初などは離婚したばかりのことだろうから、それほど違いはないだろう。だとするとおよそ十五年前から、母の記憶の中の彼は歳を食っていないのだ。
いつから付き合っただの結婚しただのと聞いたことはないが、同級生だった当時から結婚生活が破綻するまでの十年ほどの、二十代の頃の父親しか母は知らないことになる。
成長期を終えて、そっくりに似てしまった俺と、母の記憶の父が重なってしまっているのだ。
だから……というわけではない。この目で証拠を見てしまったのである。母が「そっくり」だと言ってぎょっとするのも、致し方ないと諦めるしかないように思う。
アルバムを片付けて自室に戻ったが、勉強する気にはなれなかった。窓を開ける冷たい空気がすべりこんでくる。
俺と父親はいやというほど似ているらしい。
だとすれば、三十年も経てば彼と同じ顔貌になるのだろうか。煙草を吸ったりするのだろうか。結婚し、子供を作ったうえに離婚して、子供からなんと呼べば良いのかと、悩まれたりするのだろうか。
まったくもって想像がつかない。なにより俺は父親の内面をほとんど知りはしないのである。たまに会ったって、だいたいは学校の話を聞かれて、雑談をして遊んで、それで終わりなのだ。
二重螺旋の因縁は、人間をどこまで縛りうるのか。
見果てぬ未来を見定めようとしているのか、細胞に眠る自分の過去を覗いているのか、その向こうにいる父祖に思いを馳せているのか。おそらくはその全てである。
しかしそのどれもが茫洋としている。確かな輪郭はなく、整然ともしていない。心の底のほうに、澱のように積み重なっている。
さしあたって考えるべき将来でさえ、探そうとすれば澱みが攪拌されて何も見えなくなるようだった。
「えーっと……将来は宇宙飛行士になりたかったンですが……なあ、加藤よぉ」
ディスプレイから目を離し、隣に座っている加藤に視線を向ける。あろうことか雑誌を読んでいた。「ん?」と無邪気そうに反応するのが腹立たしい。
「これはマジなの?」
「大マジだったよ」
「……へえ」
人は見かけによらない。耳にピアスが光り、茶髪の毛先が遊んでいるチャラついた男にも、宇宙を夢見た時代があったらしい。そして現代っ子の権化のような彼が、パソコンに弱いというのもまた意外である。
夏休みの宿題に出された「卒業文集」を、わざわざパソコンで入力して提出という、二度手間をさせられた。そのうえパソコンが苦手だからとほったらかしにしていた加藤に「締切りなんだよぉ」と泣きつかれてしまった。
受験が近いからと断ろうとしたのだが、あんまり必死に頼むのを見捨てるのもかわいそうで、放課後の図書室に来る羽目になった。
俺の悪い癖である。押しに弱い。ひどく弱い。自覚があるからどんな些細な頼みであれ、とりあえず断るようにはしているのだが、重ねてお願いされると、すぐに首を縦に振ってしまうのだ。加藤がそれを見越して頼んできた、ということはないだろうが。
図書室にはノートパソコンが八台、デスクトップが四台、窓際の席に配置されている。加藤のように後回しにした連中が、慌てて課題に取り組んでいた。
目の前の視聴覚室から、ギターやベースのジャカジャカとした音が響いてくる。実に読書がしやすい部屋だ。
「じゃあさ、将来なりたいものってあんの? 今は」
文字列を機械的に打ち込みながら訊ねる。カタカナの使い方に癖があって、変換に手間取る。
「なりたいものって言うか、普通に大学行って、どっか適当に就職する予定」
「へえ……ちゃんと考えてんだなあ」
「これ考えてるって言うか?」
「俺はほんと、何にも無いからなあ……」
「意外だな、それ。あ、そこァだよ。ちっちゃいァ」
「姑かてめー。こだわるなら自分でやれよ」
「そういう話じゃないじゃないっすかー」
修正をする俺の肩を、加藤が揉んだ。
「っていうかおまえ、イマドキ大学での課題提出はほとんどパソコンらしいぞ、卒業できるのかよ」
「あー……春休みに覚える」
「その気持ちをあと半年早くもって欲しかったなァ」
文句を言いながら作業をしていると、部屋に飛び込んでくる楽器の音が、にわかに大きくなった。ドアが開いたらしい。
誰か来たのかと思って、ほとんど反射的にそちらへ視線を向けると、元野球部の山本がいた。元であるはずなのに、頭は綺麗な丸刈りである。
気を取り直して作業に戻った。キーボードを叩きながら、画面と原稿を往復する視界の中に、学ランの裾が入り込んだ。
「お、いた。なあ黒沢」
底抜けに明るい声である。図書室という場所を考えない大きさと、少し嗄れた感じが実に運動部員という感じだ。
「なに」
顔も見ずに返事をする。加藤の作文はもう終盤である。とっとと終わらせたい。
「黒沢って暇か?」
「見て分からないか?」
加藤が慌てたように否定する。「今忙しいだ。俺が借りてる」
「今日じゃなくて明日」
「ああ、なら良いや」
「よかないよかない」
なんでおまえが勝手に返事してるんだ。
「明日さ、野球部の引退試合なんだよ。出てくれないか?」
「……あ?」
最後の一段落を残して、俺は顔を上げた。山本は両手を顔の前に合わせて、拝むように頭を下げている。
「野球部の引退試合なら、おまえらだけでやりゃ良いんじゃないの?」
「いや、そうじゃなくってさあ……なんて言うの? 壮行試合? みたいなやつなんだよ。三年対一・二年でやるから、三年の人数が足りなくってさ。三年から補充しないといけないの」
「へえ、大変だなあ」
同情してやって、作業に戻る。あとすこしだ。
「だからお願い!」
「いやお願いったってなあ……俺だって受験あるわけだし。っていうか、なんでそもそも俺なわけ?」
「だっておまえ、運動神経良いだろ」
「おいおい山本君。俺そういうこと言われても、普通に嬉しいタイプの人間だぞ?」
この時点で断る気持ちは半分を切っている。ほとほと自分の付き合いの良さに嫌気がさす。しかし一週間もしないうちに入試である。そんなことばかりも言っていられないのだ。
雑音に満ちた図書室で、静かに睨み合いが続く。腕組みをしてむっつりと考え込む俺と、返事を待つ山本。それから呑気に雑誌を読む加藤。
まあ一試合付き合うぐらい……いやいや、そんな義理もないのだ。
別段張りつめてもいない空気を破ったのは、
「あっ、いたいた。修ちゃん」
という千佳の声だった。
「んだよ、揃いも揃って図書室まで来やがって」
「え? どうして私怒られた?」
戸惑いがちに周囲の顔を確認して、問題ないと判断したのか話を続けた。
「あんた今度の日曜、受験でしょう? だから勉強会でもどう? 修ちゃんの家で」
「なんでうちなんだよ」
「遠野の家は妹さんが受験だし、麻衣の家はほら、今あれだし。高梨の家は無理って言うから」
「千佳のとこは?」
「嫌」
「えー……」
あまりにも理不尽で、しかし明確な理由だった。けれども付き合いは長い。それが照れ隠しであるということは手にとるようにわかる。俺の学力を危ぶんで、付け焼刃でも誠に教えてもらえということなのだろう。
そういう裏を考えてしまうと、断るにも断れない。
「明日の放課後? 何時くらい?」
「学校終わってからすぐでも良いけど。修ちゃんの都合もあるでしょ?」
「おお、あるある」
と、山本がはっとして割って入った。「明日は引退試合に出てもらうから」
こいつといい加藤といい、よくもまあ堂々と主張できるものである。
「そう? じゃあその後で」
俺の頭越しに、そういう運びとなってしまった。
嵐のように二人が去ったあと、「えー……」と漏らすしかできない俺を、加藤は優しく慰めてくれた。




