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走り出したら  作者: 肉団子
4章
88/124

きっと殴ってた

 廊下を走り抜け、階段を飛び降りる。

 足にあわせるように、頭も回転する。千葉に行くには飛行機か、新幹線か。新幹線なら新大阪。飛行機なら……伊丹か? 関空か? どっちにしたって自転車じゃ無理だ。

「駄目、出ない」

「かけ続けろ。鬼電だ、鬼電」

 靴を履き替えて自転車置き場に向かう。探すまでもなく、誠の自転車はいつも同じ場所に停めている。下足ロッカーまで一番近い位置。ほんの数秒を節約して、あいつはどうしたいのだ。

「やっぱり出ない」

「えっと……」

 頭の中に路線図を広げる。普段使わないせいで、家から学校までの区間以外はぼやけている。

 伊丹ならばモノレールに乗り換えだから……そうすると遠過ぎる。

「内田の家って車あるか?」

「ないよ」

「わかった」

 とりあえず南へ、駅が密集する梅田方面に向かう。どこかしらで乗り換えをするだろう。そこで掴まえるしかない。

 慣れない自転車にふらつきながらペダルを踏む。内田の左腕が、ひしと俺を抱きしめる。速度が上がるにつれて安定する。

「あっ、そうだ!」

 振り返ろうとして自転車が大きく蛇行する。背後から悲鳴があがる。俺は慌てて正面を向いてから、意識だけを後ろにそらす。

「メールに挨拶ってあったけど、心当たりはないか?」

「挨拶? えっと……」

「会社だのご近所さんだのは除いて!」

 そんなものを一々考えていたらキリがない。それに会社はともかくとして、近所に離婚しますなど、わざわざ報告しないだろう。

「だとしたらお墓か、お爺ちゃんの家だと思う」

「それはどこだ?」

「京都か北千里!」

 ずいぶん昔に、田舎に帰るときいつも阪急に乗ると言っていたことを思い出す。

 大通りにぶつかったところで東に方向を変える。背後ではっと息を呑む気配がした。

「父さん? 今どこ? さっきのメール……そりゃ読むよ! ……えっ? 今外だけど、そっちこそ今どこにいるの?」

「内田、代わって」

 片手を離して後ろに回す。バトンパスのように、携帯電話を受け取る。

「あの、もしもし」

『え』

 間の抜けた声。少し高い。ひょろりとした体格の男性が、脳内に浮かぶ。

 そういえば内田は、中学までは運動が苦手みたいなことを言っていたな。

「えっと、あの、内田……麻衣さんのクラスメイトで、黒沢と言います」

 もどかしさが早口にさせる。そんな話をしている場合ではない。慌てれば慌てるほど、頭が余計な方向へ働く。通話しながらの二人乗り、しかも学校を抜け出してきた。警察に見つかれば間違いなく面倒なことになる。

「今どこにいますか?」

『どこって地下だけど……あ』

 声の向こうに、電車の接近を知らせるメロディがする。

「地下鉄ですね?」

『そうだけど、君は……ああ、今は授業なんじゃ』

「そうだけど! それどころじゃなくて、乗らないで!」

『えー』

 困ったように息を吐くノイズ。ひそめた声に変わる。『ごめん、もう乗っちゃてて……』

 思わず出た舌打ちを誤魔化す気にもならなかった。

「えっと……くそっ! それじゃあ一番前の左側の窓際にいてください!」

『どうして』

「内田を連れてくから!」

 何か返事をしようとしたようだが、電車が走り出したせいで電波が途切れてしまう。

 内田に携帯電話を返すと、受け取った手をそのまま俺の腰に回した。

「どうなったの?」

「もう乗ったって。悪い。駅名わからないから降りてって言えなかった」

 内田はしばらくの間、俺の背中に頭をくっつけたまま黙りこくっていた。

 道はカーブを描きながら上り坂になる。勢いで走り抜けてきたが、ももの筋肉に疲労が押し寄せてくる。二人乗りだと車体を振れないのが辛い。悲鳴を上げる脚を必死に回す。

 右手には土手の壁が並走している。

 ふいに自転車が軽くなった。

 荷台から内田が飛び降りたらしい。

「そのまま漕いで!」

 そう叫びながら、内田は荷台を両手で掴んで全力で走っていた。曳いているのか、押されているのかはわからないが、ともかく速い。

 ようやく上りつめて目に飛び込んできたのは、土手へ続く信号が、青の点滅だったところだ。ほとんど斜めにショートカットして渡った、

 自転車をその場に捨て置いて、土手へと折れるわき道に躍り込む。砂利と草を踏み走りって、フェンスの手前でようやく止まる。

 すぐそこに軌条が走っている。二人して息を荒げながら、川向うから伸びてくる線路を目で辿った。

「間に合った、のかな」

「どう、だろう。あ、内田、電話」

「えっ、あ、うん」

 ほとんど反射的に携帯電話を取り出して、電話をかける。数度やり直した後、繋がったらしい。

「何駅か聞いて」

「父さん。黒沢くんが何駅かって……天六?」

「……間に合った」

 全身を支えていた力がすっと抜けてしまい、

「……うん。……えっとね、淀川を渡った土手のとこにいる」

 また電波が途切れたか、車内ということを考えて切ったのか、内田は携帯電話を握った手を、だらりと垂れ下げた。じっと線路の向こうを見つめている。

 まだ呼吸が整わないのか、肩を上下させる。俺も呼吸が浅い。

 一分にも満たない、長い長い間をおいて、内田の父を乗せた車両が川を渡ってくる。

 次第に大きくなる車体。動悸が激しい。

 ちらりと太陽を反射させる。

 気を持たせるように、ゆっくりと接近してきたくせに、近付くほどに加速する。

 ――来る。

 運転士を見送る。その次。一両目。窓際。シートの窓。いない。扉の窓――いた。

 額をくっつけて外を見る男性。想像した通りにひょろりとした体型。威厳よりも懐の深さを感じさせる優しげな眉。

 親子は同じ速度で体を回転させて、一瞬を精一杯に引き伸ばして互いの顔を見送った。

 走行音が、遅れて耳に届く。

 内田は轍さえおろそかにしないように、じっと電車の背中を追っていた。自動車の騒々しさがすべてを覆い隠してあとで、内田はぽつりと言った。

「ありがとう、会わせてくれて」

「ごめんな、こんな一瞬で」

「ううん、これで良かった。ちゃんと顔を合わせたら」

 内田はようやく俺のほうを見た。たぶんこれまででもっとも美しい、やわらかな微笑みを浮かべていた。

 その顔には不釣合いな握り拳を、そっと胸に当てる。

「きっと殴ってた」

「やりそうだ」

 いよいよ立っている力も失って、俺はその場に寝転がった。

 ぽつりぽつりと浮かぶ雲の流れは速い。なす術もなく形を変えながら、どんどんと流れている。

 そうしてぼんやりしていると、内田の携帯電話が鳴った。

「父さんだ」

「俺、ちょっと家に戻る。待ってて」

 二人のほうが良いだろうと思って、俺はその場を後にした。

 まったく用事がないわけではない。誠の自転車で家に帰って、自分の自転車の鍵を取ってくる。妙案だ。これなら明日の朝に、また忘れたと嘆かずにすむ。

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