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走り出したら  作者: 肉団子
4章
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お呼びじゃないんですけど



 一時間目はすでに始まっていたから休み時間に登校してやるかと油断していたら、二時間目にも遅刻した。

 心なしか視線が突き刺さる授業を終えると、眠気のせいで半分までしか開かない瞼をもたげ内田が俺の席に来た。春先に比べると驚くべき進化である。家の事情が改善したと言っていたことを思うと、ストレスが睡眠欲にくるタイプなのかもしれない。

 授業中よりも視線を感じるのは気のせいだろうか。一度ぐるりと教室を見渡してから、

改めて内田に視線を向ける。

 さすがに椅子に座っていると見下ろされる。目線が逆になると、不思議と威圧感のある少女だ。この小さな体で堂々と戦ってきたのだという自負がそうさせるのだろう。

 あるいは、いまだに答えを保留する後ろめたさがそう見せるのか。

「珍しいね、遅刻って」

「俺からすると、内田がちゃんと登校できてたことが不思議なもんだけど」

 学校で寝ているとはいえ遅刻した姿は見ていない。真面目な性格だ。

 ちょっとな、と口にしてから、言って良いものかとしばらく考える。

「お見舞いに行って来た。千佳の奴、事故りやがって」

「ええっ!」

 カッと見開かれた目が、またほんのりと細くなる。「大丈夫なの?」

「っぽい。ちょっくら入院がてら学校サボるってさ」

「そんなことは言ってないだろうけど……」

「たぶん昨日の夜だと思うんだけど、何か知らない?」

 そのあたりの事情は聞きそびれていたが、通学途中だったのであれば、ぬいぐるみがどうのと電話はできないだろうし、何より時間が早すぎる。昨夜のうちに事故に遭い、病院で一夜を明かしたということになる。

 頭でそんな推理を展開していると、内田がなにやら深刻そうに固まっていた。

「内田?」

「あっ、うん。もしかしたら、私のせいかも知れない……」

「はぁ?」

「昨日ね、黒沢くんの家を出た後、私の家まで千佳ちゃん一緒に来たんだ。ははん、そういうことかって。それでちょっと煽ったというか、焚きつけたというか……」

 わざと省いたであろう行間を考えると、内田からの全体像が見えた。

「いやまあ、どうせあいつの不注意だから。内田が気に病むことじゃないよ」

「……そう、かな」

「そうそう。それ本人に言ったら、絶対でこぴんだからな」

「うん、そうだね」

 納得したというよりは、料簡したというふうに肯いた。

 内田の髪がふわりと揺れる。側頭部から後頭部へと流れていく、ハーフアップの髪のラインに、意味もなく見入ってしまう。

「黒沢くん?」

「え? ああ、もし見舞いに行きたいんなら、あとで病院の場所教えるから」

「ありがとう」



 同級生が一人事故に遭っても、学校の日常はなんら変わらない。

 誰がいないということを考えるよりも、目前に迫った受験のほうが重大事である。人生が決まりかねない事態であるから、仕方ないといえば仕方ない。

 桜の紅葉が始まり、そろりそろりと秋が深まる。校内はすっかり冬服に埋め尽くされた。もう輝かしい夏の高校とは無縁になるのだと思うと、唐突に自分が卒業するのだという実感が湧いた。ざっと数えても、あと一〇〇日も登校する日はないだろう。実質、あと三ヶ月も学校には来ない。文化祭の反省で校内掃除を押し付けられて良かった。

 あと何度食べることになるかもわからない食堂で昼食を終え、まっすぐに八組の教室に向かった。

 開けっ放しのドアから中を覗く。遠野誠の姿は確認できない。食堂にもいなかったのからこちらだろうと思っていたが、よそのクラスだろうか。

 考えながら二重のチェックをしていると、談笑中だった眞鍋がこちらへ近付いてきた。

「お呼びじゃないんですけど」

「わかってるっての」

 冗談に少し唇を歪めて、廊下に誘う。各教室前には個人用ロッカーが並んでおり、入口側には傘立てがくっついている。眞鍋はそこに腰かけ俺を見上げた。

「で、うちのクラスに何の用?」

「誠の野郎、どこ行ったか知らない?」

「どこ行ったかっていうか、学校に来てない」

「マジで?」

「こんなとこで嘘つくかよ」

 と、眞鍋は鼻をならした。

「風邪? まさか事故?」

「事故ぉ? いや、聞いてない。先生も何も言ってないし、ただのサボりじゃない? 受験近いし、あいつもう学校とか必要ないだろ」

「あー……ありえるな」

 そう答えながら、ありえないと思った。

 自分の力だけで大学受験を乗り越えようとしている偏屈である。その上、適当にやり過ごせば良い定期試験も学年主席を取り続ける律義者だ。受験勉強のために学校をサボるなど、あろうはずがない。

「遠野はさておき、おまえは大丈夫なのか?」

 眞鍋の天気の話をするようなフラットな問いかけに、俺ははてと考える。

「なにが?」

「いろいろだよ、いろいろ」

「……まあ、関係各所に心配を振りまいてるよな」

「だろうなあ」

 苦笑を漏らしながら、眉を八の字にする。

 それからチャイムが鳴るまでの間、とりとめもない雑談をした。陸上部に入っていれば、こんな日常もあったのだろうかと、別世界を夢想する。

 一方で、俺は現状のことも考えねばならなかった。

 遠野誠が学校に来ていない理由である。まず真っ先に考えたのは、千佳と二人で事故に遭った可能性である。謝っておいてと言うのだから、千佳の不注意に誠が巻き込まれた、と考えるのが自然だ。

 しかし一緒に事故に遭ったとすれば、検査入院を言い渡された身で、相手はケロっと登校していると考えるものだろうか。一緒に運ばれて、誠だけが帰ったのであっればそれもあるだろうが、別れ際にでも謝っていてもおかしくないのに。

 いい加減に考えあぐねて誠に電話をかけてみたが繋がらない。電源を切っているか、電波の届かない場所にいるらしい。

 翌日になって俺はもう一度病院へ足を運んだ。

 病室を覗くと、昨日とまったく同じ姿勢で本を読んでいる。しかし手にしているのは教科書である。頭が下がる思いで近付くと、千佳は夕飯に大量のブロッコリーを出されたような顔をして「うげっ」と確かに言った。

「修ちゃん、お見舞いを良いことに学校をサボるのは感心しないよ」

 お姉さんぶった言い方をする。

「別にかこつけてるわけじゃないんだけど」

 椅子を出すのが面倒で、ベッドの端に尻を置いた。千佳は少し警戒するように脚をたたんだ。

「悪い。昨日、誠に会えなかった」

「そうなんだ」

「っていうか、あいつ休みだったって」

「えっ?」

 千佳は思いつめるように、自分の膝小僧に視線を落とした。

「何かあったんだな、あいつと」

「……うん」

「話せることなら話してみろよ。俺は役には立たないけど、相槌は打てる」

「それが何になるのよ」

 しょんぼりした顔のまま笑みを浮かべる。

「誠と二人っきりになったとこまでは、知ってる」

「麻衣に聞いたな……」

 じろっと目でこちらに牙を剥いて、それから諦めたように語った。「そのあと話しながら帰って、まあ、分かれたあとに電話がかかってきて、待ち合わせすることになったんだけど、たしかその途中でこうなって……」

「一つ確認するけども……それは忘れ物とかではなく、なんかこう、イイ感じの空気だった?」

「たぶん」

「なるほど」

「なによ」

「別に」

 待ちぼうけをさせたから謝っておいてくれと言っていたのだ。だとすると、誠は風邪でも引いたのかもしれない。

 問題はじきに解決するだろう。

「なんでもないけどさ、俺、千佳のそんなに落ち込むところ、すっごい久しぶりに見た気がする」

「私、修ちゃんにそんな弱みなんて見せたことある?」

「ずっと前に、ほら、足首やったときだよ」

「あっ、ここ来たやつか」

 近所の公園の木製アスレチックのような遊具で、千佳と二人遊んでいたことがあった。たぶん鬼ごっこのようなルールだったのだが、俺が遊具の上を通って逃げたのを追いかけて転落した。

 わんわん泣きじゃくる千佳が家には誰もいないと言っていたから、たぶん平日の、創立記念日か、振り替え休日だったのだろう。取るべき処置もわからなかったから、とにかく千佳を背負って病院を目指した。

 ずいぶんな距離を歩いて病院へ行き、そのころにはもう落ち着きを取り戻していた千佳を残して家へ帰り、中原家の留守番電話に状況を残しておき、それから病院へ引き返した。

 まだ旧館だけの頃で、いかにも病院という薄暗いロビーには、じめっとした不気味な雰囲気が満ちていた。中のスポンジが顔をのぞかせる長椅子に腰かけて、床に届かない足をぷらぷらさせ、いつ来るかもわからぬ親をずっと二人で待っていた。

 日も暮れかかった頃、ようやくやってきたおばさんに後を任せて、家に帰ると、門限を破ったという理由でこっぴどく叱られたのである。

「――まあ、その後おばさんがうちにお礼言いに来てくれて、なんとかなったけどさ」

 しかしそれにしたって「一度家に帰ったならメモぐらい残しなさい」と小突かれた。大人なんてものは、とりあえず叱る理由を見つけ出す生き物なのだと思ったのはそのときだ。

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