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走り出したら  作者: 肉団子
4章
77/124

ビビりだからね

 延長はない。同点終了即PKである。

 事ここに至ると、他の競技は全て終了している。走り回ることもないので、観客の輪は狭まってくる。ふと見上げると、窓辺にも見物客がいる。

「黒沢、行け」

「行けって……一発目か?」

 驚いて声が裏返った。

「おう」

「いや、おうって、なんでそんな緊張する……」

「いいから、蹴れ」

「蹴れって……」

 これだけ注目される中、一番手に出て行くのは大変勇気がいる。鈴やんが出ればいいじゃないかと主張すると「最後とどっちが良い?」と意地悪そうな顔で訊かれた。間が良いのになあ……。

 審判からボールを受け取って印の上に置く。助走の距離は目算である。

 ゴール前には大宮が構えている。立て続けに二点を奪われて、悔しさを満面に貼り付けている。

 まあ、おおむねの目的は果たせたということだろう。

 どこへ蹴るかしばし悩んで、ど真ん中にしようと決めた。それもつま先で蹴る。どうせボールの真芯を外すだろう。それで良い感じに左右に散れば良い。運を天に任せてしまおう。

 もし神様が俺を愛しているならば、まっすぐに大宮の顔面に向かう。

 鼻血を出せば良い。

 かわいた笛が、野次馬たちの声を消す。

 走り出した速度を、そのままボールに伝える。

 矢のように放たれたボールは、まっすぐに飛んでゴールネットを揺らした。



「優勝おめでとう!」

 炬燵の向こうで千佳が缶ジュースを掲げた。まだ布団は出していないので、ただの机ではある。彼女の隣には内田が座り、机の左右に高梨と誠がいる。全員一度帰って、着替えているので私服である。

 三年七組は優勝した。女子バスケ部門で、である。男子サッカーは、こちらも見事準優勝だった。

 内田は控えめに缶を掲げてから、こくこくと飲む。

「いやあ、それにしても惜しかったなァ!」

 高梨はわざとらしく言う。「あんなホームラン見たことねえ」

 そう、俺の蹴ったボールはゴールネットを揺らした。ただし、五〇メートルほど先の、別コートのゴールだった。

「おまえ、ほんっと良い場面でミスるよなあ」

 千佳が同調するように肯いた。

「修ちゃん、ビビりだからね」

「……返す言葉もない」

 俺以外にも外した奴はいた。けれども三対四で負けたのである。最初に一本外して、流れを悪くしたのは間違いなく俺だった。

 なお悪いのは、クラスメイトの多くがその光景を目撃していたことだ。体育祭同様、担任の武内が紙パックのジュースを差し入れてくれたが、その席でも散々からわかれてしまった。

 いたたまれなくなって、俺は話題を変える。

「誘っておいてなんだけど、誠はこんなところでのんきしてて大丈夫なのか?」

「一日休んだからって落ちるようなら、そもそも受からないよ」

「普段誘ったっておまえ、勉強だ勉強だって断るくせによぉ」

 高梨が管を巻くように文句を言うと、誠は珍しく困ったように言葉を探す仕草を見せた。

「まあ、たまにはな」

 と、常になく曖昧な言い方をする。

「遠野は天邪鬼だから」

 内田の声は少し棘がある。夕飯用にと頼んだ宅配ピザを食いながら、何の気なしに訊ねてみる。

「おまえらなんで仲悪いの?」

「仲は悪くない」と、内田。

「一方的に恨まれてんだ、俺」と、誠。

「んだとう?」

「本当のことだろうが」

 睨み合いから視線を外し、俺のほうに向き直る。「あのな、こいつ――」

「言うな。言ったら殴る!」

 これも珍しく内田が声を荒げた。誠はしょうがねえやとでも言いたげなジェスチャーをして黙る。

「でも昔は仲良かったんだろ?」

 こっそりと誠に訊ねる。彼女がああも感情的になるのは、それなりに親しい相手でなければないように思う。無遠慮になれるくらいには親しい間柄ということだ。

「まあな。あいつ昔はすっげえ大人しかったから」

「そうなの?」

「小学校のころは図書室でよく喋ったよ。今みたいに脳みそが筋肉になったのは中学に入ってから」

「へえ」

「ねえ」

 と、不機嫌そうな内田の声。眉を寄せてじとっと睨んでくる。「絶対悪口言ってるでしょ」

「言ってない言ってない。陸上始めてから性格変わったって話」

「そうなの?」

 内田に確認するように問いかけると、顔つきはそのままに、瞳だけで視線を逸らす。

「余計なことを……」

 小学校のころは身長も人並み、物静かな性格で良くも悪くも目立たなかったのが、気付けばトランジスタグラマーの体育会系少女になって、良くも悪くも目立つようになったということだ。物静かさだけが、妙な形で残ったような気もするが。

 誠があれこれと内田の過去を喋るのを面白がって聞いていると、やけ食いをしていた内田がおいおいと泣き真似をしながら千佳に抱きついた。

「いい加減にしないと修ちゃんの恥ずかしい秘密バラすよ」

「なんでそんなことを」

「アルバムってここだろ?」

 と、高梨が勝手にクローゼットを開けている。確かにそこに入っているが、なぜ知っているのだ。

「え、見たい」

 内田はあっさりと泣き真似をやめた。千佳と二人、あれこれと言いながらページをめくる。自然と男女に分かれて別々の話をする。

「そういえば」

 しばらくそうしていると、千佳が思い出したようにこちらに声をかけてきた。「言って良いのか知らないけど、高梨の彼女……だったのかわかんないの、いるでしょ」

「藤井っての?」

 ちらりと確認すると、高梨はぽりぽりと菓子を食べている。わずかに真剣な表情なのは、彼もまだ気持ちを整理できていないのだろう。

「そう、藤井。私も決勝見てて気付いたんだけど、一年のとき私に絡んできた子だったのよ」

「絡んできた?」

「ほらあの、あんたが停学になった」

「あー……女のほうはまったく覚えてない」

「あっそう。なら別にいいけどね」

 と、言うなり、にんまりと笑みを浮かべて内田を見る。「決勝、面白かったんだから。麻衣がね、珍しく本気で怒ってた」

「怒ってない」

 抗議の声を無視して続ける。

「ほら麻衣って犬みたいじゃない?」

「ああ、それはわかるぞ」

「犬?」と、内田は首を傾げる。

「チワワとかトイプードルとか、せめてコーギーくらいのちっちゃな犬をイメージしてたんだけど、今日の麻衣は違ったわ。あれは猟犬とか警察犬ね。こう、息の根止めてやる……って気迫がはんぱなかった」

「そんなことないよ」

 複雑そうに内田は抵抗する。

「あるって。あれはもう狩りよ、狩り」

「犬って言えばさ」

 と、なんとなく内田を助けるつもりで口を挟んだ。「それこそ俺が鼻を折った村田の家に遊びに行ったときの話なんだけど」

「げえ、あんなことやっといてよくやるよ」と、誠が信じられないという顔をした。

「キャッチボールでもするかってことになって、ボール持って外出たんだ。近くの公園行く途中も暇だから、軽く投げ合いながら歩いてたんだけど、それが人の家に入っちゃってさ。投げたおまえが悪い、捕れなかったおまえが悪いって、まあ結局じゃんけんをして負けた俺がボール取りに行ったのな。こう……二メートルちょっとの塀だったかな。よっこいしょと乗り越えて、俺で横幅ギリギリの隙間に入ったのな。落ちてたボール拾ったときに、おやっと思ったわけだ。そんで横をを見ると犬がいるわけ。半開きの窓から顔突き出してさ。たぶん、ドーベルマンとかのすっげえ強そうな感じ。ああ犬だなって思ってたら、もう一匹ひょっこり顔出してさ、思ったよね。あ、これやばいって。それで――」

 俺が良い調子で、自分の失敗談を披露していると、ドアがノックされ返事をする前に開かれた。湯上りの姉がそこにいた。

 ぐるりと視線の動きで全員の顔を検める。

「どうも千佳ちゃん、久しぶり。おまえ高梨だな、ちっとも変わらないな。あとのお二人は初めて? 姉です。覚えなくって大丈夫よ」

 一息に言ってから、俺を睥睨するように見る。「お風呂、開いたから」

 誰の返事も聞かないままドアを閉め、自分の部屋に引っ込んでいく。あれが姉なりの気遣いなのだろうことは理解できるが、ありがたいものでもない。

 姉が去ると、はっとしたように内田が時計を見上げた。

「あっ、もうこんな時間?」

 時刻は九時を回っていた。それぞれが買ってきた食べ物も尽きていた。明日も学校ということもあって、お開きという流れになった。

 玄関を開けてみると、ひどく寒い。秋だと油断していると、知らぬ間に冬が来る。年を経るごとに、季節の移ろいは早くなる。

「それじゃあな。内田、気をつけて帰れよ」

 玄関先でそう声をかけると、内田はこくりと肯いた。ランニングで出会うのはいつもこれぐらいの時間なのだから、特別注意するのもおかしな話だけれども。

「おいおい、オレのことは心配じゃねえのかよぉ」

 と、高梨がいじけたふりをする。

「おまえも千佳もすぐそこだろうが。誠はどうせ大丈夫だし」

 つまり心配すべきは内田一人なのである。

 ふと千佳を見る。玄関の明かりに照らされた瞳は、じっと俺のほうを見ていた。何かを言いたげに唇を動かし、それからきゅっと結びなおす。

 その行動の意味を、俺は理解しかねた。


          ○


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